「疲れた……」
その日、ジェイルは疲労を滲ませた顔で芝生に寝転がってぼやく。二年生になってから一週間程経ったのだが、主に一年生が開く茶会に招待され歓待を受ける事に精神的な疲れが溜まっていたのだ。
肉体的な疲れは殆ど無いものの場に相応しい笑顔と言葉遣いと態度と要求される物は多く、下手な真似をすれば家の名前に泥を塗るのだから我慢するしかない。
今は久し振りに作った隙間時間を生徒があまりやって来ない校舎裏の木に隠れて周囲からは見えづらい場所で仰向けになり顔にジークを乗せて吸っている所だ。
昨晩シャンプーをしたばかりだからか香りが良く、仔犬を吸う事で少しずつだが癒されている様子だ。そのジークは鼻提灯を膨らませて眠っている最中で、時折ムニャムニャと寝言を呟いている。
「そりゃ家の大きさの恩恵を受けて来たから逆の事も受け入れて当然なんだよ。だから一年生が家との繋がり目的で近寄って来るのは別に良いんだ。……人が欲しがる物が欲しいとばかりに今まで遠巻きにしていた女子まで誘って来るのは……うん」
そもそも遠巻きにされた理由は自分にあるからと大きな声で文句は言えないが、掌が高速回転しているのを見せられたら思うところが有る。文句や嫌みが言えないだけに此方も何事も無かったかの様に振る舞い、時に遠回しに時に直接的に関係の進展を求めてくるのを受け流すのはジェイルの精神をガリガリと削っていたのだ。
「なあ、ルシアはどう思う?」
「お気に入りの場所を教えてあげたのだから静かにして欲しいと思う。読書の邪魔。それと情報料にジーク借りる」
辺境伯の娘なだけあって似たように誘われる事が多いであろうルシアに共感を求めても冷たくあしらわれ、吸っていたジークはルシアの膝の上でヘソ天状態だ。
まさかの裏切りに言葉が出ない中、咲き口を開いたのはルシアだった。
「……アースドラゴンを吹き飛ばした時、何かあったの?」
「うん? そりゃ一体……」
「魔法の暴走の余波を受けていなかった。でも、ジェイルの努力は沿っているから不思議。追い込まれた程度で制御が可能なら、既に制御が出来ている」
「何と言えば良いのやら。俺だって未だ分かっていなくてな……」
本から目を離して真剣な眼差しを向ける彼女にジェイルは困る事しか出来ない。自分の今までを認めてくれているが故の疑問に答えたいが、実際あの指輪と少女について分かっていないのだ。
ただ、指輪に付与された人格といった生半可な物では無いと感じてはいたが。
「夢に出て来た女が力を貸してくれたっぽい?」
だが心配する相手に適当な誤魔化しはしてはならないと正直に話したら頭を心配する視線が向けられた。
「疲れているみたいね。ジーク吸ってた方が良い? でも、膝の辺りにおいて撫でながら読書がしたいから……提案がある」
ルシアは数秒悩むと一旦本を閉じてジークを抱き上げる。未だ心地良さそうに眠りこけるジークを起こさない様にと優しく抱き上げたルシアの提案が何なのかジェイルは少し嫌な予感がした。
何せルシアとは長い付き合いなのだ。幼い頃は散々思い付きに振り回された身からすれば当然の反応だろうが、精神的疲労が蓄積した今のジェイルには強く反発する気力も出ず、仕方なく受け入れる道を選び、その結果……ジークを顔に乗せた状態で頭をルシアの膝に乗せていた。
「え? 何で膝枕?」
「両方の願望を満たす折衷案だけれど?」
あまりに堂々と主張ものだから本当にそうなのかと思い込みそうになるが、流石に違うと分かる。
疲れているのでケルベロス吸いをしたいジェイルとジークを撫で回したいルシア。その結果が膝枕となれば気恥ずかしさは今更無いものの、誰かに見られたら気不味いよりも面倒な事になりそうとしか思えなかった。
(変な噂を流されるのもあるが、見付かるのがスロースやメルーナでも弄られそうだし、それに……)
思い浮かべたのはリリースの顔。存在は覚えていたがフルネームと顔を忘れて再会しても自分だけ気付かなかったという負い目の有る幼馴染みの少女。
編入の少し前に再会したにも関わらず互いに会わなかった事にして欲しいと頼んできた理由は気になるものの、それを問い質したら会わなかった事になっていない。
「リリの奴、随分と変わっ……てないな。昔からあんな感じだった」
「うん。ジェイルの親戚の家に行く事になってから会ってないから心配していたけれど、相変わらず勢いが凄い」
親戚の家で何かがあったのではと心配しつつも本質は変わっていないのだと安心している内にジェイルは眠気を覚えた。
話した事やジークによるリラックス効果で目蓋が重くなり、やがてルシアに膝枕をされたまま完全に寝入ってしまう。
「……困った。凄く邪魔。ジークが居なければ落として放置するのに」
面倒臭そうに眉間に皺を寄せ、頬を左右から手で挟んだり口を引っ張っても起きる気配が無い。もういっその事叩き起こそうかと拳を振り上げた時、近付く足音が聞こえて来た。
「困りました。ベアルコ先生のパンダに連れられて此処まで来ました…が……」
「あっ、リリ」
枝を掻き分けキョロキョロと周囲を見回す相手が誰なのか視認した瞬間、ルシアは今の状況に冷や汗を流す。向こうも自分の膝枕で眠るジェイルの姿に思考が追い付かず硬直しており、普段以上に頭を働かせた結果が手招きだ。
「リリ、変わる?」
「はい? ジェイル様を膝枕ですか。成る程、其処のケルベロスの幼体が邪魔で見えませんが、ジェイル様が乗せている以上は寝顔を堪能出来ないとはいえ、折角感動的な再会の為に一度我慢をした事ですし、寝息を耳で堪能させて頂きましょう。それに此処は人目につかない場所の様ですし……」
「ジェイル、少し疲れているから寝かせておきたい。私は本を読み終わったから部屋に戻りたいし、お願い出来る?」
「勿論です。この身も心も全てジェイル様に捧げると決めていますから。お起きになられた際にどの様な命令を受けても受け入れる所存です」
「うわぁ……」
丁寧な口調で礼儀を払っているもののリリースの視線は完全にジェイルだけに注がれ、頭の上から爪先までなめ回す様に見ているので普通にドン引きしたルシアはジェイルを起こさない様にと慎重に交代して立ち上がった。
そのまま離れていく途中で一度振り替えればリリースの意識は完全にジェイルへと注がれ、表情も少し邪な物を混ぜながら二転三転し続けている。
幼い頃、ジェイルと遊ぶかリリースを混ぜて三人で遊ぶかだけだった頃から変わらない光景だ。
懐かしい、とは思う。だが、少しだけモヤモヤした物が胸の奥で燻る理由が分からず、ルシアは少しだけ不機嫌そうになっていた。
「相変わらずジェイルにベッタリ。会っていなかったのに凄いと思うわ。……でも、何か変」
ジェイルが目を覚ました時、最初に感じたのは干し立ての布団に若干の犬臭さを混ぜた様な少し癖になる臭いで、次に鼻唄と共に頭や首がマッサージされている感触だ。それが心地好くて目を開けるのに少しばかり抵抗があるものの、誰がやっているのかは分からなかった。
鼻唄はルシアの物とは違い、そもそもマッサージをしてくれるタイプではない。マッサージ効果のある魔道具の実験台にならして来るタイプである。
「お目覚めになられましたか、ジェイル様。もう少し堪能しておきたかったのですが」
「リリか。ああ、悪い。起きる」
この時になっても眠ったままのジークを抱いて起き上がろうとしたジェイルだが、不意にその体をリリースが押さえ付ける。片手にも関わらずピクリとも動けない力で、それでも痛みは感じない。
「お疲れでしょう? このまま全身のマッサージを行いますので寝転がったままで。次は正面からする方が効率が良いので股がる無礼をお許し下さい」
「いや、別にマッサージは……」
「遠慮なさらずに。言っておきますがマッサージである以上は下心など御座いません。無論、劣情をぶつけたくなった時は謹んでお受けいたしますのでお申し付け下さいませ」
「言えるか!?」
仕事時用の冷静沈着な表情と、それと真逆な発言内容にジェイルはそれしか言えなかった。