肉と煙草と酒と汗,それぞれが混じり合った強烈な臭いが最初の印象だ。
寧ろそれ以外には一つだけしか意識に残っていなかった。美人の胸に顔を埋めようと、ルシアが両頬を引っ張っていようと。
「隊長の弟って事は姉様の……」
「自分はデウス王国騎士団第二部隊服隊長のナナシってもんだ。因みに同性愛者で彼女持ち……だったんだけれど」
ジェイルを胸から解放したナナシは肉の残りを一気に喉の奥へと流し込むと残った骨を見て周囲を見まわし、ゴミ箱が無かったので諦めたのか雑にポケットへと突っ込んだ。
殆どがはみ出している骨がブラブラ揺れる中、ナナシは人の良さそうな笑みを浮かべて右手を顔の近くで振っていたのだが、恋人の話題になった途端にトーンダウン、表情も翳って膝から崩れ落ちた。
「デートの前日に急な命令で帰れなくって、仕事と私のどっちが大切なの! って責められて今はフリー。……あの鬼上司。あの鬼上司!」
奥歯を噛み締めて地面に拳を叩き付ける。一撃一撃で周囲が揺れて陥没し、今にも血の涙を流しそうだ。
鬼上司と呼ばれているのが自身の姉だと思うと複雑な気分のジェイルだが、最強として尊敬する姉の人格面に問題が無いかと問われれば【鏖殺】などと物騒な二つ名の持ち主が温厚で人当たりが良い性格の持ち主な訳が無いとしか言えない。
新しい恋人が見付かると励まそうにも同性愛者で【鏖殺】の直属の部下という事に尻込みしない相手がそう簡単に見付かるのか,そんな疑問を浮かべたジェイルの脳裏にとある情報が蘇る。
登場からの駄目人間っぷりのインパクトで思い出せなかったナナシに関する話を思い出し、直ぐに意識を彼女へと戻したジェイルの顔へとナナシの手刀が迫る。
真横から振り抜かれた其れを最小限の動きで避けようとするジェイルだが、理由の分からない危険を知らせる警鐘に従い大きく後ろへと跳んだ。
直後、ナナシの手首から飛び出したナイフの切先が顔の数ミリ前を通り過ぎた。
「危なっ……」」
「悪いね、少年。隊長から君を見掛けたら少しばかり手荒い方法で計れって言われたのさ」
先程までの駄目過ぎるお姉さんの雰囲気を消し去ったナナシはこれ以上は何もしないという意思を示す様に両手を顔の両側に上げている。
だが、ジェイルの視線の先では少し動かした靴の爪先から僅かに覗かせた仕込み刃の切先が見付けさせられ、口元は笑っているが目は別だ。
「あのなあ、背中にルシアが居るのに無茶はしないでくれよ、【首狩り】さん」
「へぇ。ちゃんと自分の事は知ってるんだな。結構結構。花丸をあげよう。……そしてその子についてはマジで悪い。借金の返済待ってくれるって言われてやったんだ」
「……【鏖殺】の部下相手に事を荒立てる程私の実家は馬鹿じゃない。ましてや随分と厄介なのが率いる盗賊団を単独で壊滅させる人には貸しを作る方が良いから」
「いやいや、アレってギリギリだったからね? グラニア大司教に不正暴かれて逃亡したとはいえ元精鋭部隊。危うく残る怪我負う所だったんだから」
残る怪我を負わなかったのか、と二人はケラケラ笑うナナシの姿を見ながら絶句する。
【首狩り】の名が広まったのは……但し上位の貴族の間でだが、道の整備も間に合わず王政よりも教会の影響が強い地区に赴任した教会騎士が発端だった。
山奥の田舎、目の届かない場所に道を外れた者達が巣食う物ではあるが、別にその騎士達は怪しい場所に送られた期待の星などでは無く、実力はあるが素行不良だった若者達を誘惑から遠ざけて頭を冷やさせる為の采配だったのだが、少々見通しが甘かったと言える。
上官は半隠居の老騎士で、彼の目を盗んでは教会の力を盾にして横暴な振る舞いをした挙句に発覚して逃走。
彼等の行いが発覚したのは配属から三ヶ月後。暴力や非公式な寄進の要求、そして数少ない若い娘への……。
気が付くのが遅れた事を食いながら彼等を糾弾しようとした老騎士に不意打ちを行いながら襲い、致命傷を与えながらも逃亡に追い込まれた。
それからは転がり落ち続けるだけの下り坂。隠遁生活は野営から旅人を襲う事に移り,更に教会騎士として磨いた力で従えた盗賊を従えて村を襲う迄に。
結局、三つ目の村を襲っている最中に彼等は転がり落ちるのを止めた。自主的ではなく、偶々帰省の途中で立ち寄った一人の王国騎士によって一人残らず首を刎ねられて。
刎ねた首を一列に並べ、首無し死体から溢れ出した血の海の前で返り血を一滴も浴びる事無くその騎士は笑っていたという。
故に【首狩り】。
政治的理由から教会騎士達の素性は隠され、只の盗賊団を皆殺しにしたというのが一般的な認識だ。隊長が【鏖殺】なので驚く者も多くはなかったが。
だが、人の口に何とやら、上位の貴族の耳には教会の汚点として届いていた。
王国最強の魔法剣士の右腕もまた化け物なのだと。
「あ,やべ。人通りの多い所で話したら隊長に二、三本折られるわ。……よし,セーフ! 何か知らんけれど周囲から人が消えてる!」
「そりゃ消えるだろ」
口を押さえてキョロキョロするナナシだが周囲から人が消えている。安堵と疑問を同時に浮かべるものの,さもありなん。
昼前から酒と煙草に加えて任務先から直行したのか風呂に入っていないらしい強烈な汗の臭いを漂わせていて……急に膝を折って地面を殴って目の前の相手に手刀を放つ始末。
それで周囲の人間が距離を取らない筈もないと、何を折られるのかという問い掛けと一纏めに飲み込むジェイル。
ルシアは既にナナシを相手にすべき対象ではないと認識したのか襟首を引っ張って行き先を誘導し始め、ジェイルもそれに従いたかった。
「そうだ。少年、今からお姉さんと戦ってみる気あるかい? 格上との戦いとか機会少ないだろうし、君の力に興味あってさ。少なくても隊長が千なら君は十はあるんじゃないかい?」
「姉様を過小評価し過ぎだろ。五もないって……」
挑発の積りなのかお世辞なのか、ナナシの本心が分からないので判別つかないものの、ジェイルは少しだけ腹が立った。
自分如きの百倍の強さ等絶対に有り得ない事をよりにもよって直属の部下が口にしたのだ。
実は少しだけ誘いに惹かれたものの、それに乗る訳にはいかないと背を向けて歩き出すが、一歩踏み出した時、ナナシは直ぐ横で密着しながら囁く。
「一撃入れるだけで口でも手でも胸でも好きな所を使わせてあげるけれどどうする?」
「今はこうやってルシアと一緒に買い物する途中だから千年後に生きてたら頼む。てか、アンタって同性愛者じゃなかったのか?」
「8:2で女の方が好きな両刀だけれど? 三発入れたら食べてあげると言ったら? ほら、隊長に言い寄ったら半殺しだけれど似てなくもない少年なら捩じ伏せられるし、恋人にフラれて人肌恋しいんだ。……それともその子と今からお楽しみ? 混ぜてくれたら嬉しいな」
ナナシの手はジェイルの体の上を這う様に動き,続いてルシアの方へと伸びようとして止まる。
「冗談冗談。そんな怖い顔するなって。自分,子供を無理矢理抱いたりはしない趣味だからさ」
ナナシの周囲には宙に浮く短剣が複数,同時にジェイルも拳を握って即座に突き出せる構えを取っている。
二人から怒りを向けられたナナシはヘラヘラ笑いながら短剣の間を擦り抜け、その際にジェイルの尻を撫でて遠ざかって行った。
暫く無言のまま立ち止まる二人だったが、ルシアがため息を吐きだしてからジェイルを軽く揺さぶった。
「喉が渇いたしカフェに行きたい」
「へいへい。流石にカフェでは降りろよ」
「了解。ところでジェイルもやっぱり巨乳が良いの?」
「いや,別に。別に小さいのが好きって訳じゃ……おいっ!?」
何となくだが腹が立った。ジェイルの頭を殴り続ける理由を後にそう語った。
「青春だねぇ。若いってのは良いもんだ。……いや、自分も未だ若いけれど。未だ若いけれど!」
去って行く二人の背中を眺めながら複雑そうに呟いたナナシは怪しく目を光らせ、少し離れた場所で二人の様子を伺う集団に視線を送ると服の下に隠し持っていた鎌を取り出す。
光を反射しない様に光沢を消した刃の腹を指先で撫で、怪しく笑いながら不審者達の首に視線を注いでいた。
「跳ね飛ばしても面白くなさそうな連中だけれど、面白そうではあるんだよなあ」