もう直ぐ夕暮れに差し掛かる頃、俺はメルーナとハボックさんと離れて一人で居た。
理由? 便所だよ。この状況で便所以外だと不審者発見しての単独先行以外ねえだろ? 俺はしないから。
「おーい、終わったぞ、ベルゼラ」
外の景色や飯を楽しみたいからと俺と感覚を共有している悪魔だが、便所の時は完全に遮断しているらしい。
ま、他人の排泄を見たり聞いたる嗅いだりなんて嫌だろうってのは良く分かる。
ついでにピーマン食う時も味覚を遮断しているとか。暴食の魔王なのに好き嫌い有るのかよ……。
だから終わったら呼び掛ける。感覚を遮断していても話し掛ければ通じるのは便利だが同時に面倒だ。
放置しといたらギャーギャー五月蝿えし、仕方ねえから終わったのを伝えてやってるが、悪魔との遣り取りとか何やってるんだろうな、俺。
「流石に死にたくは無いしなぁ……」
一昔前、戦争とかが起きていた時代なら家に仇をなす前に名誉の自死を……ってなったんだろうが俺が育った時代は違う。
どうにかなるかさえ分からないが、悪魔がどうにかなるって希望に縋り付いて何とか上手く行かないか模索の最中だ。
「姉様なら即決で自分の首を切り落とすし、俺の現状を知ったら即座に斬首なのは間違いねえな」
「ケケケケケ! 実の姉に嫌われてんなあ、相棒。可哀想に、ひとえに酷い姉を持ったばっかりに。俺が慰めてやろうか?」
「あの人が俺に冷淡なのは一族に相応しい男になるのを諦めて無いからだよ。諦めて縮こまって生きてたら一切目を向ける事さえねえ」
そもそも今の悩みの原因はお前なんだがな? その辺分かって言ってるんだろうが、この悪魔は。
まるで姉様が冷徹非道みたいな言い方をされたのに少しばかり腹が立ったし、次にピーマン食う時は口に中に押し込んだ状態で声掛けしてから食ってやろうと誓う。
いや、血も涙も無い人かって聞かれたら九割以上は否定出来ない気もするが、あの人は取捨選択が早くて揺るがないだけだからな?
それに比べてベルゼラはまさに悪魔。俺からの好意がベルゼラの声を聞かせられるレベルの奴の前では極力喋らねえが、それだってどうせ鬱陶しい事になるのが嫌だからだ。
だから気遣いに感謝なんて小指の先程にしかしていない。それ以上する必要も無いし、続けてペラペラ喋ってくるのを無視していた。
「相棒も冷てえな、おい。……なあ、鏡に映る女の幽霊の話を知ってっか?」
手洗い場の大鏡の前で話し始めた内容に俺は手を止める。ベルゼラが話すのはよくある話で,その場所に居ない筈の女がトイレの鏡に映るって内容だ。
「それ、結局鏡に映る幻覚の使い手がトイレに侵入したってオチじゃなかったか? 怖いのは人の方って奴」
それよか学園大図書館で本棚を乗り越えて進もうとした奴の末路の方が怖いだろ。
「見えない天井で頭をぶつけた上に漏れる寸前までトイレにも出口にも辿り着けず、十割の可能性で紙が無い方が怖いな」
「その怖さは別の怖さじゃねえか? こう社会での地位が死んじまう的な。……あー、面白くねえの。もう少し怖がれよ、相棒」
「うっせぇ。幽霊より怖いもんが多いんだよ。大体幽霊ってのも基本的に元人間だろうが」
んな事言われても魔王封じた英雄の子孫が魔王を宿してしまったって事実の方が怖いからな?
なんか恐ろしい,より全部確実に失うって方が怖いだろうに、ベルゼラは怪談話が通じないのが退屈だと不満そうにしている。
さて、さっさと行かねえと大だと思われるのは何となく嫌だ。特に根拠は無いけれど……。
「なあ、相棒。……なら,小窓の所のアレは平気か?」
「小窓……?」
言われて初めて気配を感じて、視線に気が付く。便所の壁に設置された小さな窓。小さい子供でもギリギリ体を滑り込めそうな程度の大きさで、空気の入れ替えにしか使えない。
その窓から女が上半身を覗かせていた。
それは赤い髪を伸ばした女で、顔は布で隠していて半分程度しか見えない。
小さな窓を強引に抜けようとして胴と手が枠に挟まったらしい姿で身動きが出来ないのか身を捩らせて抜け出そうとするもビクともせず、窓の外から雨が吹き込んで来ているから女の下半身はびしょ濡れなんだろうな。
トイレの窓から姿を覗かせる女の上半身。見慣れない服装も相まって不気味さを覚えさせられ、まるで怪談話の一部を切り抜いて見ているかの様で俺は黙りこくったまま女を見詰める。
暫しの沈黙の後、女が口を開いた。それは低く,震える様な声だ。
「う〜ら〜め〜し〜やー」
「うらめしや? 何処の言葉だ?」
まさか異国の魔法か何かか? そういや着ている服だが実物ではなくても資料で目にした記憶はある。東の島国の……きもの? そう、着物だ。
「相棒、うらめしやってのは東の国での幽霊の常套句みたいなのだ」
ベルゼラが付け加えて女の意図を察する。要するに幽霊の振りして驚かせようとしているんだな、この男子便所に侵入しようとした女…は……。
「変態だー!!」
幽霊とは別の理由で震え上がった俺は腹の底から叫ぶ。女は…いや、変態は慌てて逃げようともがくが枠に嵌っていて抜け出せない。
何せ腕と胴体を同時に差し込んだせいで横にガッチリミッチリ挟まってるんだ。
縦には少しばかり余裕があったとしても抜け出せないだろう。
そうしている内にも俺の声を聞き付けて男子トイレへと駆け付ける靴音が近付いて来た。
「はっ! ルシア程じゃなくともメルーナ程度に胸が寂しかろうが抜け出せねえだろうさ。観念しな、変態女!」
「おーい。あまりレディの体型について口に出さない方が良いぜ? まあ,確かにあの嬢ちゃんは胸が寂しいが尻の方は立派だし?」
分かる。ルシアもメルーナも友人の割合が殆どだから恋愛感情の類いは向けないが、それはそうとしてケツが良いよな。
男子便所だから入るのに躊躇しているのかメルーナが入って来ないのを良い事に俺もハボックさんも下世話な話題を一度だけするが、現実逃避には足りやしない。
目の前にいる男子便所を覗こうとして窓枠に嵌って動けない ,しかも顔を隠していて変態度は天井知らず。
「……うへぇ。予告状出す様な自信家の泥棒以外にも変態がやって来るだなんて驚きだわ」
そうそう、満月の明かりが大地を照らす云々と気取った予告状を出したけれど生憎の大雨な怪盗だけでも面倒なのに変態を追加って先生方に苦労掛けちゃ駄目だろ。
「これ、反対側から足を縛って捕まえる感じにするべきか? ハボックさん、冒険者なら賊の捕縛とかで縛るの慣れてないか?」
とっとと捕まえて余計な手間を省くか、そう判断した時だった。さっきの幽霊の真似を除いて女が口を開いたのは。
「天に輝し特大の宝石が姿を隠し嘆きの涙が降り注ぎし時、その様な文言に覚えはないかな?」
何処か芝居がかった気障な口調で女は語り、自信に満ちた笑みを口元で浮かべる。
その内容に俺達が固まる中、女は高らかに笑い声を上げた。
「はーっはっはっはっはっ! そう! 我輩こそ世紀の犯罪者にしてこの世全ての宝を手に入れる者……怪盗・月下美人!」
え? 俺が聞いた話じゃ全然違う文章だったんだが、どうなってつんだ?
差出人と目の前の奴が別人で情報の行き違いがあるとか?
目の前の自称月下美人は自信に満ち溢れていて、とても全く違う文章を出した風には見えないし、今の状況で此処迄見栄を切れるものなのか?
「ジェイル君、覚えときな。あれが追い詰められて自棄になったからハッタリと勢いで乗り切ろうとする大人の姿だ」
「成る程。駄目な大人の姿だな」
「おや? おやおやおや? まさか我輩を追い詰めた気でいるのかな? ふふん! それは甘いと評しておこう」
追い詰めたっつーか、勝手に追い詰められたっつーか……。
「さあ! とくと御覧じろ! 犯罪の天才の華麗なる参じょ、ゔぉっ!?」
まるで舞台の一幕、主役の見せ場であるかの様な振る舞いで月下美人は高らかに宣言……の途中で壁を突き破って便所の中に飛び込んだ。
窓枠が嵌ったままで受け身も取れず顔面から床に激突。
着物の裾が捲れて狐の絵が描かれた妙な下着(褌って名前らしい)が顕になっていたんだが。さっき外に飛び蹴りの姿勢の奴が居た様な……?