「参上ってよりも惨状だよな、これじゃあ……」
窓枠に体が嵌った状態で褌丸出しの月下美人を前にしてハボックさんが呟くが、その視線は一切離れない。
確かに尻の形も大きさも良いが、理由は別だ。確かに間抜けで馬鹿みてぇだが、余りにもって事だろう。
仮にも貴族が多く通う学園に犯行予告をした上で此処迄の侵入を果たした。
そう、学園の敷地内まで入り込んで窓枠に嵌るってアクシデント,それの俺が居る時にしてしまった事を無視すれば油断ならない相手。
「最後の最後にヘマをした,なーんて考えるのは駄目か。取り敢えずボコっとくか?」
「いや、尋問の事を考えれば拘束に留めるべきじゃないか? ただの変態じゃないにしろ、月下美人本人って信じるのもなあ」
成る程、言われてみりゃ囮の可能性もあるか。
ただの変態かと思いきや正体は怪盗,そう見せかけて目を集中させた所で本命が忍び込む。
此処迄忍び込んだんだ、脱出についても既に賛同もあると警戒した方が良いか……。
まあ,どっちにしろ此処で時間を潰すだけってのだけは有り得ない。拘束用のロープは上着を捻って代用しようかと思ったが。ハボックさんが準備良く細いロープを服の下から取り出した。
「準備良いだろ? 冒険者ってのは何処までも自己責任だったから備えは万端にしとくのが長生きのコツだったのさ。まあ、それでも死ぬ時は死ぬ……」
「準備は万端に,か。それには我輩も賛同しよう。そして一つ教示するなら怪盗も同じなのだよ」
切断された窓枠が床に当たる音と共に立ち上がった月下美人は解放された腕を解す様に軽く回し、俺達に見せびらかす様に短刀を弄ぶ。
元々握手ってのは袖の中に武器を仕込んでいないかを確かめる意味もあったらしいが、あれだけ余裕がある袖じゃ仕込み放題じゃねえか
兄貴から聞いた豆知識的な物で今の今まで記憶の片隅に追いやっていた事を今更になって思い出したのが悔しい。
学ぶ事と実際に体験する事がこんなに違うだなんて正直慢心していたぜ。
最近立て続けに戦闘を経験した事で成長したと思ってたのに、その程度で思う上がるなって頭を叩かれた気分だ。
「ジェイル君、これを使うと良い。一応持ち込んでたんだ」
ハボックさんの声が自己への戒めは後にしろとばかりに思考を戻させ、短剣を投げ渡される。
「助かります」
既に俺も彼も月下美人を間抜けな変態という認識から警戒すべき敵へと切り替えている。
耳には入り口で止まっていたメルーナが出口へと向かう足音が聞こえたし、先生が駆けつけるまであと少しか。
軽い気持ちのバイトだったが割に合わないな……。
「そもそも夕方だから晴れだろうが雨だろうが月は未だ出てねえよな? 発見された時点で予告状から外れてるじゃねえか
「さてさて、華麗なる大怪盗の我輩は刃物で切った張ったの大立ち回りなどしはしない。此方でお相手するとしよう」
意趣返しに軽口を叩くが月下美人の表情は布のせいで見えず、声も気取った様子を変えずに短刀を仕舞うと取り出したのは紐を巻き付けた妙な物体。
円盤の途中から円錐状になっていて中心を棒が貫いているんだが、確か似た物で遊んでる奴が居たな。
「ありゃ独楽だね、東国の玩具で曲芸師が使う事もあるよ」
「あっ、そうだ。独楽だよ、独楽」
そんな玩具で何をする気なのか分からねえが、ついさっき馬鹿な言動に油断していたばかりだ。
まさかなんらかの魔道具……。
「さてさて、特と御覧あれ! 怪盗・月下美人の美技を!
悪魔の力!? おい、まさか此奴……。
「おう、気ぃ付けろよ、相棒。この女……魔王を宿しているぜ」
俺の疑問を肯定するベルゼラの声と共に強く紐を引っ張りながら飛ばされる独楽。
それは俺達の間をすり抜けて床へと向かう。
外した? いや、違う! 跳ね返って……四つに増えた!?
「
独楽の先端が触れた瞬間に摩擦で床が削られながら煙が上がり、そのまま速度を上げて四つに分裂した独楽は壁や天井や床を砕きながら跳ね続け、薄い個室の扉は貫かれる。
「驚いたかね学生諸君! これぞ大怪盗たる我輩の華麗なる美技!」
独楽の速度は跳ね返る度に上昇し、それは威力も上がって行くって事だ。
狭苦しい男子便所の中、俺とハボックさんは回避に専念し続けるんだが、月下美人はこの隙に窓から脱出するでも追加の攻撃をするでもなく立ち尽くして俺達を笑うだけ。
ムカつくな……。余裕か? それとも……。
「困った。このままじゃ捕えるどころの話じゃないよ。……この玩具,邪魔だと思わないかい?」
「同感だ」
「無駄無駄! 既にこの速度まで達した独楽を正面から叩き落すなど不可能なのだよ!」
「まあ、確かに弾かれた所を跳ね返った独楽に滅多打ちにされるのが関の山だろうねえ」
既に独楽がぶつかった床や壁は戦鎚でも叩き付けたみたいな損傷具合。一体何で作られているのやらって話だ。
まあ、確かに叩き落とそうにも弾かれて体勢崩すのが目に見えてるが……。
俺達が手をこまねく間も月下美人は全く動かず、独楽も持ち主に向かいはせずに精々が横を通るだけ。
当たれば青痣や骨折は免れないだろうに大した胆力……いや、技量か。
「おーい、ジェイル君。俺に少し策があるんだけれど聞いてくれるかい?」
「当然」
独楽の回転音や周囲を破壊し続ける音が響き続ける中、間を縫って告げられたのは僅かな言葉。
月下美人に聞かれない様に小声で,唇を読まれない様に背を向けて。
「我輩の絶技を破る策があるなら見せたまえ! この様な閉鎖空間では魔法の使用も制限され、此方に近付こうにも独楽の包囲を抜けられるとは思わないがね!」
まあ,確かにそうだ。炎なんて以ての外で、風だって雷だって狭苦しい場所で近くの間に使えるもんじゃない。
普通の威力ならどれだけ絞っても余波が出るもんな。
それを考えれば周囲を壊して破片を散らばらせたのも作戦の内か? 本当に侮り過ぎていたよ。
「アイスストーム」
逆に月下美人はこっちを評価しての行動だったんだろうが、予想外だったな。
「ハーッハッハッハッ、はっ?」
俺が制御可能なギリギリの威力と範囲は其方が考えていたよりも低くて狭い。
雨が吹き込んで濡れた場所を微量の冷気が凍らせ、その場所に命中した独楽が僅かに滑り,凍らせた部分を破壊して跳ね返る。
「アイスストーム アイスストーム アイスストーム」
何一つ問題無いかの様に跳ね回る独楽を避けつつ俺は魔法を放ち続け、次の場所を示すのはハボックさんが指先で弾く小石だ。
小石がぶつかった場所を凍らせれば独楽がその場所で僅かに滑り、本来の軌道からほんの僅か外れて行く。
それは本当に僅か、一度や二度では何一つ問題無いが、それが続くと話は変わる。
僅かなズレに僅かなズレが重なり続ければ……。
「いやいや、どう跳ね返るかを遙か先まで計算するとか大したもんだねぇ。凄い凄い……が、俺もそれなりなのよ」
天井の氷と床の氷で滑った独楽同士がぶつかり、砕ける。破片が散らばっても消えない辺り魔法で作り出された一時的な分裂じゃねえのか?
兎に角、これで残りは二つ。これなら……。
「これなら楽に対応可能だと、そう言いたそうな顔だね,少年。四独楽劇場だと言った筈だがね?」
壁を跳ね返った残り二つの独楽は空中でそれぞれ二つに分かれ軌道を変える。
残り二つなら対応可能だと前に進み出した俺とハボックさんが咄嗟に反応しようとするも間に合わず、それぞれ脇腹と腕に独楽を食らい真横へと吹き飛ばされた。
「華麗なる美技だと言った筈だ。繊細な魔力のコントロールには驚かされたが……その程度で我輩を破れるとは思わぬ事だよ」