Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』) 作:ふじやまさん
東京都目黒区にある国立医療センターの駐車場、蔵馬辰巳は愛車のヴェゼルの中から眼前を並ぶ病棟を眺めていた。白い外壁の高層建造物たちは、なるほど白い塔の群れに見えなくもない。
蔵馬は遠い昔に読んだ小説のタイトルを思い出した。いつで読んだだろうか。確かミドルスクールのころに、日本語教育の一環として義父さんが自分に買い与えた日本の小説の中にあった気がする。病院から目を西へ回すと、駒沢オリンピック公園のアリーナが視界に入った。楕円状の競技場から思い出すのは、孤児の少女が繰り広げた時間を巡る物語だ。これは家の本棚にあったものを読んだ。英語版かと思えば原典のドイツ語で、読むのに苦労したものだ。
記憶は一つ手繰り寄せると、連鎖的に様々な思い出が記憶の海から出てくるもので、過去に読んだ小説の記憶を呼び水にどんどん溢れ出てくる。
良い記憶も、嫌な記憶も。
思い出したくない記憶も。
一服しようと煙草を取り出す。皺くちゃになったセブンスターのソフトケースから紙巻きを唇に加え、シガーライターで火を点した。
紫煙を吸い込み、煙で肺を満たす。
溜まった白煙を吐き出したのと同時に、車の窓がコツコツと軽く叩かれた。そして車内を覗き込む白衣姿の大柄な影。義体外科医の正木だ。
「待たせたか?」
「いや、今来た」
蔵馬はエンジンを切って車から降りる。曇天の所為か、少し肌寒い。春も半ばを過ぎているが、夏まではまだ少し遠そうだ。
蔵馬は正木と並んで駐車場を横切り、医療センターの玄関へ向かう。
「男同士で今のやり取りはやりたくなかったな」
「何の話だ」
「日本では今の『待った?』『今来たところ』みたいな会話を逢引き構文と言うんだ。アベックがデートする時に使う、挨拶みたいなもんだな」
「髭面の熊みたいなオッサンとデート? 冗談じゃない」
「俺だってお前みたいなヤニ臭いゴリラとデートなんかしたくないね。それと院内は禁煙だ。煙草消せ」
「はいはい……」
蔵馬は咥えていた煙草を手の平で握り潰してスーツのポケットに入れた。
二人は医療センターの玄関を通り抜ける。玄関ホールは外来の患者や入院患者の家族が雑多と入り混じり、しかし皆が極力声を殺しているため、人の声は至るところから聞こえるのに静かな印象を受ける。
「ここで待ってろ」
言って正木は受付へ向かう。
蔵馬は待てと言われたその場で、周囲を見回した。
人間、柱と窓と照明、ホールから繋がる通路、スプリンクラーと監視カメラ、段差のある場所。その他の設置物。それらの数と位置を脳に刻み込んでいく。
これらの確認は職業病に近い、蔵馬の癖だった。この確認が役に立つ事は千回に一回あるか無いだが、しかしこれを怠ればその一回であっけなく死ぬ。特に弾丸や爆弾と隣り合わせの仕事は、警戒を欠いた人間から死んでいくものだと、蔵馬は経験から知っていた。
正木は受付と一言二言交わして来客用の名札を受け取り、それを胸に着けながら蔵馬の元へ戻ってきた。
「行こうか」
蔵馬は正木を追って玄関ホールから病院の奥、患者が往来する入院病棟では無く、関係者以外立ち入り禁止の区画を進んでいく。時折すれ違う病院関係者らは不審そうに蔵馬らを目で追うが、正木の胸の名札を見て声までは掛けてこなかった。
「……しかし」
二人はエレベーターに入り、そこで正木が口を開く。
「お前自暴自棄になってないだろうな?」
「どういう意味だ?」
「今から会いに行く子だが、センターでも話した通り、義体の適応値がかなり低い。基準スレスレだ。そんな子をわざわざ選ぶなんて――」
「あえて性能の低い義体を選んで、任務で心中しようとしてるんじゃないかって?」
「そこまでは言わんが……」
しかし似たことは考えていたのだろう。蔵馬は正木の杞憂を小さく鼻で笑った。
無理も無い。自分は所詮得体の知れない外様の若造だ。一体何をしでかすか、測りかねているのだ。
エレベーターが止まる。扉が開くと、常俗とは種を違えた、身体の内側を舐めるような生々しさのある空気が流れ込んできた。ここは集中医療室のあるフロアだ。
廊下側の壁がガラス張りになった病室が連なり、中の様子が確認できる。いくつかの病室には重体の患者がベッドに寝かされ、医師や看護婦から治療を受けていた。
蔵馬たちはそれを眺めながら廊下を歩み、そしてある一室の前で足を止めた。
「余計な心配はしなくていい」
蔵馬はガラスの向こう側、ベッドに横たわっている患者を見下ろす。
少女らしい。そう知らされているが、容貌からそれを窺い知ることは出来ない。全身に包帯が隈なく分厚く巻かれているからだ。チューブを至る所に通されて、寝台の脇の心電図モニターが小さな心拍を映している。
麻酔で眠らされており身動き一つせず、心電図が無ければ生死の区別もつかなかった。
生きているのは無く、生かされている。そう言わざるを得ない状態だ。
弱々しい。生と言うにはあまりに弱々しい。彼岸との距離が此岸よりもずっと近い。
救えないだろう、この国の現代医療では。
徐々に全身の細胞が限界を迎え、身体の機能は停止を始め、そして遠くないうちに死に至るだろう。
救えないだろう、この国の現代医療では。
「この子を選んだ理由はある。ま、大した理由じゃないが」
「ならいい。容姿のリクエストがあれば聞くぞ。細かい要望があるなら紙に書いて渡してくれ」
「任せる」
「了解――それで、名前はもう決めているのか?」
「名前? ……名前か、そうだな」
蔵馬は一瞬の思案。そして決めた。
これから死に、そして生まれ変わる少女の名前を。
「――モモだ」
* * *
「モモ――おい、モモ!」
肩を揺さぶられ、モモは二度目の失神から目を覚ました。
ここは……センターの道場。
いまは……午前十一時やや過ぎ。
私は……モモです、はい。
モモはじんわり痛む頭で状況を確認する。ポリマー製の柔道畳の上で大の字になっている彼女の視界にあるのは、白いパネル天井と涼しい顔で見下ろしてくる道着姿の蔵馬だ。
「お前本当に弱いな。イタリアのと違って、担当官に対するセーフティは掛からないはずだが」
「クラマさんが強すぎるんですよ……痛たた……」
頭を擦りながら体を起こすモモのシルエットはやけに厳つい。頭部にはフルフェイスのヘッドガード、胴体には分厚いボディプロテクター、腕も脚もサポーターですっぽりと覆っている。軽自動車くらいになら撥ね飛ばされても無事で済みそうなほどの重装甲だ。
昨日始まった近接格闘術の稽古だが、二回目の今日は厳しさが十割増しだった。
一通り突いたり蹴ったりを繰り返すのは前回と同じだが、その後件の防具で全身を固められてから三十分近く、延々組手を行なっている。
昨日は途中で斎藤美希を探しに厚木へ向かった為に稽古が中断されたが、これが蔵馬が用意していた本来の稽古内容だったのだろう。
モモは腐っても戦闘用に作られたサイボーグである。初めは生身の人間であり担当官でもある蔵馬に拳を振りかざすのに躊躇したが、余計な心配だった。
一発も当たらない。突きも蹴りも体当たりも、躱され往なされ逸らされ潰される。
躱されたと思えば強烈な拳が頭蓋を打ち、往なされた次の瞬間には鋭い蹴りが腹に刺さり、逸らされたその勢いを利用されて投げ飛ばされ、潰されたのと同時に関節を極められ床に組み敷かれた。
強いなんてものじゃない。鬼だ。鬼の如き強さだ。もし防具を着けていなければ、何回修理に出されたか分からない。蔵馬ならきっとゴリラ相手にもいい相手するだろう。
「この……ゴリラァ……!」
「ふざけてんのかお前」
今度は合気の要領で投げ飛ばされ、またもや床に固められたモモの後頭部を叩いて、蔵馬は道着の袖を直しながら立ち上がる。
対してモモは起き上がってこない。もうバテたのだろうか。
「おい、モモ。なにサボろうとしてんだ、起きろ」
うつ伏せのまま動かないモモの、体型からすれば若干大きめの尻を蹴る。すると勢いよく上体を飛び上がらせて、ワナワナ震えて顔を赤くしながら睨みつけてきた。
「けっ蹴りましたね!? お尻蹴りましたね!? そこは触れてはならないのに! 許せない!」
「痔か?」
「違います! ただそのちょっと……とにかくダメなんです!」
モモは頬を染めながら臀部を隠すような仕草をする。
なるほど。
「早く起きないとそのデカい尻を倍に腫れ上がるまで蹴り飛ばすぞ」
「くうう……! よくも乙女のデリカシーなゾーンを……!」
尻を押さえながら立ち上がったモモは、刹那、身を落として体を屈め、タックルを放ってきた。これまでとは比べ物にならないほど鋭い。
「ほう」
初めからこれくらいの切れを見せてくれたら良いものを。
蔵馬はモモのタックルに内心で感心しながら、素早いステップで後退し、モモの腕を寸前で避けた。モモは床に顔面から突っ込み、また動かなくなる。何度か尻を蹴ってみるが、ピクピク肩を震わせるだけで起き上がる気配がない。
「……まだやれるか?」
「………………」
返事がない。
これくらいが潮時か。もう少し動かすつもりだったが、無理はよくない。訓練のし過ぎで本番に身体を動かせなくなっては本末転倒だ。実際あと数時間もすれば新しい任務を下されるだろうと蔵馬は踏んでいる。
蔵馬は昨日拾ってきた少女の顔を思い出す。今頃は諜報部で尋問の如き事情聴取を受けているか、あるいは山の様な誓約書の束にサインをしているだろう。少し顔を出してみるか。
「今日はこれで終いだ。防具は倉庫に仕舞っておけよ。着替えたら一応正木のところで検査を受けておけ。終わったら諜報部のデスクで待ってろ。俺は斎藤美希の様子を見てくる」
言って、蔵馬は道場を出ようとする。その背後。
「…………ふふふふ」
不気味な笑みを溢しながら、モモはゾンビのようにゆらりと起き上がった。
そして何を思ったか、蔵馬に向かって疲労など微塵も感じさせない俊敏な動きで走り出す。一気に距離を詰め、疾駆の勢いを保ったまま跳躍する。その顔を爛々と輝き、してやったりと奇襲の成功を確信した笑みを浮かべている。
「食らえ! 夜な夜なアザミとビデオを見て研究した20文人間ロケットキッ」
言い終わる前に、振り返った蔵馬はモモの足を掴んで腋に固定した。そして地獄の鬼も目尻を下げて退散しかねないほど凶悪な笑みを浮かべ、蹴りの威力を殺さずに自身を軸にして、ぐわんぐわんと独楽のように回転をし始める。
伝説のプロレスラージャイアント馬場をも投げ飛ばしたプロレスを代表する大技。ジャイアントスイングだ。
「奇襲はとても効果的な戦法だな、うん」
「ああああああ! 違うんですクラマさん! ああああああ!」
「だが奇襲に失敗するとより酷い目にあう。……覚えておけ!」
回転で凄まじい遠心力を蓄積させたモモの身体を、蔵馬は道場の真ん中へ放り投げた。モモは弧を描いて宙を飛び、錐揉みしながら畳をバウンドバウンドバウンド。
そして道場の壁にぶつかると、
「ぐぇ」
その美しい白い喉から漏れたとは思えない潰れた声で一鳴きし、動かなくなった。
完全に伸びてしまっているモモに、蔵馬は投げの姿勢のまま言う。
「遊んでないでとっとと検査に行け!」
●
起き上がったモモがベソをかきながら防具を片しているのと時を同じくして、斎藤美希は蔵馬の予想通り、国立児童社会復帰センターの諜報部で尋問に近い事情聴取で家出の経緯を白状させられた後に、山の様な誓約書の束にゲッソリとした顔でサインをしていた。
国立児童社会復帰センター本部棟。地上五階地下三階の建物の三階。諜報部のデスクが入るこの階にある第二会議室で、斎藤美希は積まれた書類と向かい合っていた。
ロの字に組まれた長机の、入口からみて部屋の奥側の辺を陣取っている。
走るペンから伸びる文字は疲れと飽きからもがき苦しむ糸ミミズのように乱雑になり、紙を見る目の下にはクマが浮かんでいる。
「……終わった……」
最後の一枚に署名し終えてペンを長机に放り投げ、美希はパイプ椅子の背もたれに全身を預ける勢いで倒れ込んだ。
疲れた。ただ名前を書いていただけだが、単純作業を繰り返すという事が、それだけで精神を摩耗させる。初めは書面の内容を一々確認していたが、どこもこれも『ここで見たこと聞いたことは絶対に口にしてはいけません』というような内容だったので、途中からは淡々と筆を滑らす人力印刷機と化していた。
各所に提出し保管するために、何枚でも似たような書類に似たようなことを記入させる。日本の役所の悪癖をその身に受けて、美希はここが確かに日本政府の機関の一つなのだと実感していた。
魂ごと吐き出さん勢いで重い溜息を吐く美希に笑いかけるのは、漆黒のスーツ姿の坂崎だ。
「お疲れ様です。お手数お掛けして申し訳ありません、斎藤さん。うちは少し特殊な環境下にあるので、どうしてもこういった事が必要になるんです」
「そうでしょうな……」
美希は拳銃を掲げるモモの姿を思い出す。ピストルを平然と人に向ける人間がいる組織があるなんて、そんな話が世に出れば大炎上間違いなしだ。
「少し休憩しましょうか。コーヒーでいいですか?」
「ありがとうございます……」
美希は紙の束を抱えて部屋を出ていく坂崎を見送る。
先ほど取調室みたいな殺風景な部屋で、胡散臭さが半端ではない男たちの事情聴取から助け出してくれたのが坂崎だった。連れ出された先はサイン地獄だったが。
ここに来てから監視として剣呑な雰囲気の人間ばかりに囲まれていたが、しかし坂崎は周りの空気が全然違う。朗らかだ。彼女を見ていると少し気分が楽になる。国立児童社会復帰センターという社会福祉を謳った名称に唯一合致している人間かもしれない。
戻ってきた坂崎は熱いブラックコーヒーを美希に手渡し、
「昨日から大変だったでしょう」
ねぎらいの言葉を掛ける。それだけで美希は少し泣きそうになる。
「あの……質問いいですか?」
「ええ、答えられることは限られていますが」
「今あたし、どうゆう状況にいるんですか?」
「調査中です」
「それじゃあ、これからあたしはどうなるんですか?」
「検討中です」
「………………」
「すみません……本当にまだ何も分かっていないんです。貴女の処遇に関しても、まだ上の方で意見が分かれているみたいで」
「もしかして口封じのために処刑とか……」
口に出してからそのことを美希は後悔する。これで肯定されたらどうするのだ。間違いなくチビる。
恐る恐る坂崎の方を見るが、彼女は見る者を安心させる慈愛の女神の様な微笑みをたたえながら首を横に振る。
「それはありませんから安心してください。そうですねー、いつ、どうやって貴女を家に送るか。そういう話し合いがされているとお考えください」
「……分かりました。じゃあ最後に、あの、モモは今どうしてますか?」
昨日、厚木から奥多摩のセンターに連れて来られてから、美希はずっと一人きりだった。
蔵馬の車から降りた途端に携帯を取り上げられてモモらと引き離され、それから今朝までベッドと机しかない質素な部屋に押し込まれていた。さすがに部屋の戸に施錠はされなかったが、お手洗いに行こうと部屋を出ると、外で待ち構えていたマネキンよりも無表情な女が、トイレの個室前までずっと後ろを追ってくるのだ。しかも話し掛けても無視される。
この女が怖くて、美希は結局一度トイレに行ったっきり部屋から出られなかった。
そうして独りでいると、混乱していた脳が冷静になり、本物の拳銃を持っていたモモに対する恐怖と、自分が今『そういう人たち』の本拠地にいるのだという緊張が湧いて止まらず、昨晩は一睡も出来なかった。
しかし見知らぬ場所で孤独な一夜を過ごすと、恐怖よりも寂しさと不安の方が強くなる。一度は怖いと感じたモモに、今は会いたくて堪らない。
「モモちゃんですか?」
「はい、その……出来れば会いたいなぁ……って」
美希の言葉に、坂崎は指を顎に当てる仕草を一瞬見せてからニパッと笑い、
「すぐに会えますよ」