Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』) 作:ふじやまさん
深夜を数刻回っていた。
セメントの四方を持つ事務所の体をした部屋がある。
関西を支配の核とする、広域指定暴力団・扇組。全国に系列組織を張り巡らせ、総組員数は二万人を超す日本最大のヤクザ組織だ。この部屋は、その扇組の三次団体である大柳組が事務所として利用しているテナントビルの一室である。
彼ら大柳組の収入源は密入国者や不法滞在者に仕事を斡旋する、労働者派遣だ。金も無い、居場所も無い、この国にいること自体が違法で、しかし国に帰っても未来など無い。そんなどん詰まりに陥った人間を回収して監禁し、酒と煙草を辛うじて買える程度の、ノミの糞ほどの賃金で死ぬまで働かせるのだ。彼らが従事する労働は危険で不衛生で苛酷だ。どれだけ仕事を斡旋しても、仕事がなくなることは無い。仕事が完遂する前に次から次へと死んでしまうからだ。
当然そんなビジネスで多大な利益を生み出すことは難しいが、しかしこの組の金回りは悪くない。最近は扇組の中でも台頭の兆しを見せ始めているくらいである。
部屋の中、蛍光灯の生白い照明の下にいるのは、十数人の男たちだ。彼らは一人を除いて、冷たいタイルの床の上に正座して並ばされており、叱られている子供の様に顔を伏せている。
実際、彼らは『叱られて』いた。だが子供が大人に受ける叱咤、いや、世間一般に思われている叱咤と、彼らが今被っているそれは、先に待ち受ける物が全く異なる。
彼ら自身が誰よりも、その事を理解しているのだろう。
行く末の不安から脂汗を浮かべる者がいる。緊張で息を荒げている者がいる。恐怖に四肢を震わせる者がいる。
「……………………つまり」
床に座する男たちの正面。唯一床では無くビジネスチェアーに腰掛けているのは、大柳組の組長である大柳昭二だ。
大柳は怒気で波立った声を吐いた。その手の中にはラムネ瓶ほどの円錐物 ――12.7×108mm弾が二つ、カチカチと転がされている。
「斎藤美希を拉致できなかった。組の人間ほぼ総出で行って、しかも一回見つけておいて、なのに逃がした、と」
「……………………」
「八木ぃ……」
名を呼ばれて肩を跳ねさせたのは、右腕を三角巾で吊った、金髪の軽薄そうな男。厚木の街でモモたちを追いかけ回したヤクザの一人だ。
「……俺が納得できるように説明しろ」
「えっ……と……っすね……その……」
八木は自分が厚木で見た物を説明しようとして、しかし口ごもる。
どう説明すればいいのだ。
八木は貧しい語彙を総動員させて、なんとか説得力を持ちうる説明をしようとする。
アレを……どう説明すれば、どう言えばいいのだ。何と言っても信じては貰えないだろう。自分自身が、いまだに信じられていないのだから。これはもはやボキャブラリーの問題ではなかった。
「八木! 説明しろっつってんだ!」
「は、はい!」
怒鳴られ、彼はもう、見たままを語ることに決めた。
「ゲーセンで斎藤美希を見つけまして、それで声を掛けたら、隣にいたガキが斎藤美希を連れていきなり走り……逃げ出して……やっと追いつめたと思ったら、その、ガキに殴られて、それで、そのガキがチャカを抜いて……」
「……その話を俺は最後まで聞かないと駄目か」
「本当なんすよ! 本当にチャカ出してきて、そしたらガキの仲間らしい野郎の車が突っ込んできて! それで!」
「……もういい、黙れ。平塚、大戸、お前らは何があった?」
大柳は額を抱えて八木の言葉を遮り、正座する一群の中でも特に体の大きな二人に目を向ける。蔵馬に壁に顔を削がれた男――平塚も、何と説明すればいいのか、言葉に窮する様子で、ポツポツと語り出す。
「俺らは斎藤美希を探していたら、その、サツに不審者として捕まりまして……すぐに解放されたんですが、変な奴に声を掛けられて……そう、そいつも斎藤美希を探している風でした」
大事なピースが抜けている様な、曖昧で確信に欠ける二人の話に、大柳は怒りを通り越して、むしろ冷静になってきた。
無論冷静になったからと言って、状況が理解できた訳では無い。意味が分からないという事が分かっただけである。ともかく目の前に並ぶ部下たちは、与えた仕事を失敗した。斎藤美希を取り逃がし、その行方も分からない。事が大阪で起こったならコネを使って手の回しようもあるが、東京の方だとそうもいかない。東京にも扇組の系列組織があるにはあるが、同じ組織内であっても東と西は伝統的に不仲なのである。
ともかく成功には飴を、失敗には鞭を。それがこの世界の掟だ。
怒鳴りつける為に、大柳は肺深くまで息を吸い込む。が、怒声として吐き出される前に、事務所の戸を叩く音。そして返事を待たずに戸が開かれ、部屋にスーツ姿の男が静かに入ってきた。
「――反省会など開く暇があるのか?」
「李明……!」
溜まった呼吸は、緊張と驚嘆の声に変わった。
細長い影に年齢不詳のキツネ顔。中華人民共和国情報部の工作員だ。もちろんその立場を知る者は、この場には大柳しかいない。密入国者のリストを売りに来る奴隷商、というのが他の大柳組組員たちの彼に対する認識である。
ヤクザたちは振り返り、挨拶も無しに現れた異国人に敵愾心の籠った目を向けた。
この大柳組は、外国人の不法就労の斡旋を飯の種にしている組織だ。彼らにとって外国人は豚や家禽などの経済動物と同義であり、自分たちよりも格下の存在という認識があった。外国人である李明が、挨拶も無しの不敬な態度を取っている。こんな状況であっても、そのことが序列と矜持の世界に生きる彼らの自尊心を引っ掻いた。
李明は床に座るヤクザたちを見下ろして、
「お使いも禄に果たせんのか」
「……聞いていたのか」
「私は耳が良いんだ。物凄くな」
言いながら、李明は立ち位置を少し横にずらし、目を床のヤクザから出入り口の戸に滑らせた。その意味を理解し、大柳は部下たちに部屋から出ていくように命じる。
組員たちは李明にギラついた眼光を飛ばしながらも、やれ幸いと、そそくさ事務所を出て行った。
二人だけになった事務所。
先に李明が口を開く。
「どういうことだ?」
「……聞いていたんだろう。取り逃がした」
「聞いていたさ。お前が囲っている屑どもの、間抜けな報告もな。それを踏まえて訊いている。どういうことだ?」
「………………」
「貴様は自分の立場を分かっているのか? 貴様は失敗が許される立場か? どうなんだ?」
「……すまん」
「すまん?」
「……っ! ……済みません、李さん」
慌てて言葉を直す大柳。李明は芝居がかった溜息を吐いた。
「やれやれだ。小汚いチンピラだったお前に人を売ってやった。それでは足りないと言うから、武器を売ってやり、ヤクも売ってやった。親組織に目を着けられない裏の販売ルートも手配してやった。そして今度は言葉遣いまで教えてやれねばならんのか……身の程を弁えろ」
「……済みませんでした……もう一度チャンスをください……お願いします」
「……もう貴様に期待はしていないが、しかしチャンスだけはやろう」
李明は椅子に腰かけたままの大柳に一歩近づき二歩近づき、互いの息遣いが聞こえるほどに距離を縮める。
「明後日までに斎藤の孫娘を誘拐しろ。最悪――殺せ。出来るだけ派手にな」
キン、と。小さな金属響。
12.7×108mm弾が李明の指に弾かれた。
宙を舞う対物ライフル弾を大柳は無意識に目で追う。数瞬の間の後、弾は床に落下しコツコツと小音を鳴らして部屋の隅へと転がって行った。
それを見届け、大柳はようやく手にあった弾丸が一つ失っている事に気付く。
いつ盗られたのか。彼には李明の挙動を一分も察知出来なかった。
手の中の弾丸に意識を逸らしたその間に、李明は既に事務所から出ようとしていた。
閉される戸の隙間から、李明は囁くようにして言う。
「失敗したら貴様らを殺す」
極道者と中国人の会合から時間にすると八時間十二分後、距離にして約四〇〇km。
正午を目前に控えた奥多摩。国立児童社会復帰センター本部棟三階に、蔵馬辰巳は腕
にジャケットを掛けたポロシャツとスラックス姿で現れた。
諜報部のフロアに入った瞬間、蔵馬はそこにいる人間全員の目が彼に向いたのを感じる。状況の変化に関心を抱かない物は、諜報の世界には向いていない。その点、ここの職員は皆最低限の素質を持っていると言えるだろう。他に足りない物はたくさんあるが、と蔵馬は内心で付け加える。
職員たちは蔵馬を認識すると、すぐに目を元の場所に戻していく。しかし、外されていく視線の中に一つ、蔵馬から動かない物があった。
並ぶ職員たちのデスクの中、その視線の源には鳶色の目をした金髪の男がいる。歳は蔵馬と同じくらいだろう。日本人の中にいると目立つ外見だが、しかし不思議と周囲に溶け込む雰囲気を持っている。名をレナード・ガルシアと言う。
「御嬢さんはどうした?」
「格闘訓練でやり過ぎた。頭がおかしくなってないか検査に行かせてる」
「相変わらずだな。そのうち児童保護局にドヤされるぞ」
寄ってきた蔵馬と軽口を叩きながら、レナードは椅子に腰かけたまま、デスクの上に散乱した書類ファイルの内の一つを差し出した。蔵馬が昨晩頼んでおいた、斎藤美希に関して諜報部が集めた情報を纏めたものだ。
「今朝の段階の、斎藤美希とその近辺の状況だ」
「助かる……何か分かったか?」
受け取った書類に目を通しながら尋ねる蔵馬に、レナードは肩をすくめてみせる。
「ダメだな。狙ってきたのが暴力団というのが解せない。身代金目的の誘拐にしては動きが派手すぎる」
「父親は外交官だったな。政治目的の線は?」
「俺も初めはポリティカルエンドだと思って調べてみたんだが、例の暴力団……大柳組だったか。連中は国内外、どの政治団体との繋がりも無かった。お金儲けだけに執心してるよ」
その報告に、蔵馬は片眉を上げる。扇組は比較的右翼的思想の強い組織ゆえに、外国の政治結社と距離を取っているのは分かる。が、国内の政治家や官僚とも繋がりが一切ないというのは、
「かえって不審だな」
「ああ。上手い事隠してやがるのか、それとも政治屋も近づきたがらないほど黒いのか」
あるいはその両方か。
どっちみち現状では推測することも出来ない。判断材料が足りない。
「母親の方は怪しい所はなかったんだな?」
「普通の専業主婦だった。強いて言えば美人だな。瞳の他は美希ちゃんとそっくりだ」
「とすると爺さん絡みか……?」
蔵馬はレナードを無視して続ける。
美希の祖父である斎藤孝三。日本最大手の重工業企業である西京重工、その防衛機器製造部門の幹部だ。肩書からすれば間違いなく重要人物ではあるが、しかし極道組織がその孫娘を狙う理由は、やはり見当がつかない。
「本人に心当たりが無いか聞いた方が早いな。斎藤孝三と連絡は取れたのか?」
「取れた。さっきな」
「さっきって……おい」
この事件が始まって既に二十時間近く経過している。いくらなんでもノンビリしすぎだ。
「そんな怖い顔するなって。色々事情があったんだ。その紙にも書いてるだろ」
「……防衛省のお偉方と会議? なるほど……カンヅメ食らってる訳か」
「会議の内容までは俺たちに教える気はないみたいだが、ここまで外部とのパイプをシャットアウトするってことは、そこそこ重要な事を話し合ってるんだろうな」
「どんな悪い事を相談し合ってるんだか……。それで孝三翁は何て言ってきてるんだ?」
「『身に覚えがない。忙しくて迎えに行けない。お前らが神戸まで孫娘を連れてこい』だと」
一応は国家安全保障の一翼を担う諜報組織であるセンターをタクシー扱いだ。しかし断れないのが辛いところである。
「諜報部がやるのか?」
「どうなんだろうな。部長たちはやる気らしいが……俺は作戦部に任せた方がいいと思ってる。こういう不明瞭な案件には、大抵とんでもないモノが潜んでるっていうのが相場だ」
「同感だが……諜報部はあの子を手放す気なんてないだろ」
諜報部がやる気になっているなら、斎藤美希を作戦部にほいほいと渡してくれるか怪しいところだ。小河内ダムの一件でテロリストに後れを取った彼らにすれば、どんな形であっても名誉挽回の機会が欲しいのだろう。娘を一人護送するだけの楽な任務、そう簡単に手放すとは考えにくい。
「まあ、作戦部はもう手を打っているみたいだがな」
そう労って、レナードは立ち上がると蔵馬の肩を叩き、
「斎藤美希は第二会議室にいるぞ。お前の上司の、眼鏡かけた美人が部長たちに内緒で連れてった」
「それでね! クラマさんったらね! 私のお尻をね!」
検査を終えて研究棟から本部棟に戻ってきたモモは、途中で出くわしたムラサキを伴ってプリプリ頬を膨らませていた。
エレベーターを待つのがもどかしく、階段を登る二人の会話は、モモによる蔵馬に対する愚痴が十割だった。
道場の一件がよほど憤慨しているらしく、ぶーぶーと蔵馬に対する不満を口にするモモ。そんな彼女の話を聞いて神妙そうに頷いているムラサキだが、実際半分くらいは聞き流していた。
妹分の担当官との痴話喧嘩を真面目に取り合うだけの度量を、ムラサキは持ち合わせていないし、持つ気も無い。そもそも女が不平不満をくどくど垂れるのは、ただ口にして感情をぶちまけたいだけの場合が多い。石室にもそういうところがあるし、モモも例に漏れない。だから聞いているふりをして頷いて、『そうだね』だの『全くその通り』だの相槌を打ってやればいい。
「……うんうん、せやね、全くその通り。酷い酷い」
「だよね! 酷いよね! そんなに大きくないよね!」
「……うんうん、デカないデカない」
ただ発言の反芻と全肯定を繰り返しているだけの会話だったが、しかし話すだけで怒りのボルテージがみるみる下がっていくのも女というものだった。
初めは深く刻まれていた眉間の皺も徐々に薄らぎ、膨らんだ頬も萎んでいる。紅い唇を多少尖がらせる程度までには怒りも収まってきたのだろう。
表情の豊かな子だと、ムラサキは思う。
感情を表に出すことに、何の躊躇もない。いや、感情を抑えようという観念自体持っていないのだろう。だから嬉しければ楽しそうに笑うし、哀しければすぐに泣く。怒ったら不機嫌さを隠そうとしないし、驚けば目と口を真ん丸にしてハニワの様な顔をして驚く。
その様子を見ているのは面白いし、可愛らしいとも感じる。
自分には出来ない事だ。きっとアザミにも。タンポポも、何も考えていないスポンジ頭のアホに見えて、実は内側の底深くに何か秘めている。他の人間が気付いているかは定かではないが。
素直。それはモモだけの個性。本来、子供ならみんな持っているはずの、凡庸な個性。
自分たちには持つことが出来なかった、そして大人たちが歳を重ねるにつれて失ってしまった、大切な個性だ。
どうせ大人にはなれない自分たちだ。出来ればそのまま大切に持っていて欲しい。
だがしかし。
蔵馬に対して怒りを露わにするモモに、ムラサキは小さな違和感を覚えていた。騙し絵を見た時の様な、半音ずれた音楽を聞いた時の様な、小さな違和感。無視しようと思えば無視できる程度の、しかし確かにそこにある違和感。
「……あ、クラマさんだ。じゃあね、ムラサキ」
言葉の往来の間に二人は三階にたどり着く。階段の隣にあるエレベーターホールには蔵馬がおり、壁にもたれ掛かって煙草をふかしていた。
「……うん? ああ、うん。あんまり喧嘩せんようにね」
互いに小さく手を振って別れ、ムラサキは続けて階段を登って行く。
ムラサキと反対方向へ進むモモは、既に怒りは大方収まっている物の、しかし『私は貴方に対して不満がありますよ』というポーズだけは示しておきたくて、口を尖がらせたまま蔵馬の前に立つ。
「なんだその口は。キスして欲しいのか」
「………………………………」
「……わかった、その目を止めろ。口もだ。謝るから機嫌直せ」
「謝って済むなら刑法も監獄も拷問部屋も必要ないんですよ」
「坂崎みたいなこと言いやがって……行くぞ。仕事だ」
いつも笑顔な癖に、けっこうすぐに機嫌を損ねる眼鏡の上司とモモを重ね、ついにへ理屈屋なところまで似てきた事にゲッソリしながら、蔵馬は指にある煙草をスタンド灰皿に投げた。
エスカレーターで一階に降りている間、モモは憮然とした態度を崩さなかったが、蔵馬の足が玄関では無く建物の奥、武器庫へ向かうと、さすがに結んでいた唇を解いた。
「武器を持っていくんですか?」
「武器類持ち出し許可三種(小火器持ち出し許可)が下りてる」
「重装備じゃないですか……どんな仕事ですか?」
「護衛だ」
頑丈な施錠を外して、二人は武器庫に入る。
ここは本部棟の中で一番広い。政府がこの建物を買い取った時には、こんな部屋は無かった。大量の武器を運び込む為に、もともとあった部屋を三つ打ち抜いて作られたのが、この武器庫だ。
国立児童社会復帰センターの武器庫に収まる武器は、数量、種類共に非常に豊富である。
陸上自衛隊で正式採用されている89式自動小銃や前・制式小銃64式自動小銃は言わずもがな、アメリカのM4カービンやイスラエルのタボールAR21、その他にもドイツ製、イタリア製、スイス製、フランス製。
拳銃、自動小銃、散弾銃、狙撃銃、短機関銃、軽機関銃、重機関銃、無反動砲、擲弾発射器、対物火器。
大ベストセラーもあまり世には出ていないマイナー銃も、世界中の銃火器が累々と並んでいる。
火器類だけではない。手榴弾や地雷、爆薬など爆発物の類、ナイフや警棒と言った近接格闘武器も並んでいる。
さながら近代武器の万国博覧会だが、これは政治的な理由があった。
センターは様々な試験的運用が活動の中に組み込まれている。戦後日本初の諜報組織としてのCIA式諜報活動ノウハウの試験世運用や、イタリアから持ち込まれた義体技術の試験運用の他に、兵器類の試験運用も大切な役割の一つである。
長らく国産の武器に慣れ親しんでいた日本の軍事は、外国製の武器に対してあまりに無知だった。精々陸上自衛隊の一部の部隊が、こっそりとアメリカ製の銃などを少数運用しているに過ぎないのが実情だ。
政治家の詭弁で眼前の脅威から目を逸らせているうちは、それでも良かった。だが事態はそれを許さなくなってきている。自衛隊の戦闘行為が、あり得なくはない、という状況になっているのである。
であるならば、隊員たちには本物の戦闘に耐えうる、実戦的な武器を与えなければならない。バトルプルーフを一切積んでいない銃で戦わせるなどという自殺行為を隊員にさせるほど、防衛省は情に薄くは無い。しかし一方で、大々的に次世代小銃の開発や外国製の銃を選定するほど度胸が据わってもいない。
世論に気を使って銃火器の更新を怠っているうちに、戦闘が始まってしまっては元も子もない。
しかし火薬がギッシリ詰まった案件を表だって進める訳にはいかないし、したくもない。
そこで、国立児童社会復帰センターを使う事を政治家たちは思いついた。
この組織ならば秘匿性が高く、実戦も経験でき、万が一事故が起こっても死ぬのは端から消費するのが前提となっている死兵と義体だ。
この組織である程度銃器の選定を進めている間に、次世代銃器の選定を表だって行えるように世論と国会と霞ヶ関の調整をする算段である。
これで万が一戦闘行為が勃発して、急遽に最新鋭武器が必要になっても、即座に何を使うかを決定できる。上手く事が運んだ場合は、スピーディーに武器の更新ができる。
そういう政治的な思惑が大いに絡んでの、センター武器庫の充実ぶりであった。
無論職員たちも、ただモルモットの立場に甘んじている訳では無い。
基本的には海外で十分な実戦経験を積んだ武器を選んで使っているし、武器の購入にはある程度の裁量権がセンター側に与えられている為、個人的趣味全開の装備をこっそり購入リストに紛れ込ませたりもしている。それ故に、倉庫の片隅には、いつ誰が使うのつもりなのかも定かではない珍品が転がっていたりするのだ。マイナー銃の類はだいたいそういう経緯でここにある。
そういう悪ノリをするからこんな組織に左遷されるのだと、坂崎や石室ら女性職員達は溜め息を吐いていたが、しかしデカい銃やオモシロ兵器は男のロマンであるのだから仕方がないのである。
「タボールでいいですか?」
蔵馬に問いかけながら、モモは壁に掛かったタボールAR21を手に取る。独特な形をしたブルパップ式の自動小銃は、彼女が使い続けている愛銃だ。蔵馬は自分と同じM4カービンを使わせたかったらしいが、モモはこの銃が気に入っている。比較的小さくて扱いやすく、何よりデザインが格好いい。それにマガジンが蔵馬のM4カービンと同じSTANAGマガジンという理由もある。
「ああ。予備マグはいつも通り六つ。あと、常盤とアザミの分の装備も持っていくから、ケースを用意してろ」
「了解です。強襲用の銃ですよね」
慣れた様子で自身の装備と、常盤たちがいつも使っているMP7とMG4を、倉庫の隅に積まれているギグケースにカモフラージュさせたガンケースに詰めていく。
「今日はどこに行くんですか?」
「神戸だ」
「神戸……お肉が美味しいところですね」
「お前地名を食べ物で覚えてる節があるな……。まあ、ちゃんと働いたら食わせてやる」
「本当ですか! 今度こそ約束ですよ!」
華が咲いたかのような笑顔で鼻歌を歌い始めるモモ。
相変わらず即物的な娘である。
「食い物の話ですぐに機嫌直しやがって……そんなんだとお前ふと……」
太るぞと言いかけて、蔵馬は慌てて口を閉ざした。
美食に釣られて機嫌をようやく一転させたモモを重ねて刺激する意味は無い。女に脂肪の話をすると100%怒るのだ。蔵馬は己の迂闊な発言を、舌から飛び出る寸前でなんとか戒めた。
「?」
「何でも無い。早く準備しろ。人を待たせている」
「人を? というかまだ聞いてませんでしたが、誰の護衛ですか?」
モモの呑気な質問に、蔵馬は呆れ顔になる。このタイミングで護衛する人間など、大体の察しはつくだろうに。
「斎藤美希に決まっているだろうが」
言って、M4カービンのスライドを引く。起こるかもしれない戦いに備えて。
「………………」
いや、起こるだろう。
蔵馬の嗅覚は、確かに戦いの臭いを嗅ぎつけていた。
作戦前夜の待機室で、あるいは任務に向かう途中の機内で。鼻の奥、脳の底が、チリチリを燻る様な感覚がする。
勘や直感の類だが、これを信じない兵士は皆死んでいった。信じた結果死んでしまった哀れな連中も山の様にいるだろうが、それはそれだ。
ゆえに、蔵馬は判断を変える。
「……。モモ、マガジンあと六個追加だ」
世界は小さな判断の結果に形成されていく。
蔵馬の、この気まぐれに近い判断が、確実に未来につながるダイスの目を変えた。