Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』)   作:ふじやまさん

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第14話

「――というわけで、蔵馬さんたちに、斎藤美希さんの護衛をお願いします」

 

「……よろしくお願いします」

 

 にこにこ笑顔を絶やさずに、坂崎は町内会の遠足の引率役を頼む様な、のんびりした口調でそう言った。続いて斎藤美希が蔵馬たちに頭を下げる。

 国立児童社会復帰センター本部棟の玄関ホールには、坂崎と、彼女が諜報部のフロアから連れてきた斎藤美希。そして蔵馬とモモが並んでいる。

 坂崎たちがエレベーターから降りてきたのと同時に、ホールの隅にある柱時計が十三時の鐘を低く響かせていた。

 

「承った」

 

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 頷く蔵馬とモモに美希を引き渡して、坂崎は黒いファイルを差し出す。

 

「詳しいルート等々はこのファイルに入っているので、駅へ向かい途中に読んでください。すみません、忙しない感じになってしまって」

 

「別に構わないが……しかしよく諜報部を言い包められたな」

 

 レナードが言うには、諜報部は斎藤美希の護衛任務に執心していたらしいが、一体どんな魔法か貸しか脅しを使ったのか。

 どこか抜けた雰囲気を持つ上司の、意外なほどの敏腕ぶりに蔵馬は感心の声を漏らす。

 

「別に大したことはありませんよー。諜報部の近くで『昨日から都心の方で暴力団と中華系マフィアが騒がしいですね、なんだか怪しいです。うちも義体を動かしましょうかねー』と独り言を言っただけなんですけどね」

 

「なるほどな……」

 

 昨日厚木の街では、斎藤美希を中心とした騒動の他にもう一件、何者かが暴力団組員らしき集団に追われていた、という情報があった。その鬼ごっこを皮切りに、昨晩ごろから新宿一帯を支配していた扇組の一派と中華マフィアが小競り合いを始めたらしい。

 

 斎藤美希が暴力団に狙われている以上、このタイミングで暴力団関連の不審な動きがあるならば、そちらを優先した動きをセンターとしては取らざるを得ない。

そういう状況の中、普段反目している作戦部の人間が『我々も怪しいと思います』とわざわざ言いに来たのだ。加えて、作戦部の虎の子である義体まで投入する予定がある程に重要視している言う情報まで与えた。

 

 そして恐らく、坂崎はこう独り言を続けたのだろう。

『でも義体を出すのは諜報部の報告が来てからにしましょうかねー』

 要するに、東京の調査はそちらに出番を譲るから、斎藤美希はこちらに回せと坂崎は諜報部に暗に言いに行ったのだ。

 

 結果、斎藤美希は蔵馬たちが護衛することになった。

 もし真正面から直接交渉に向かえば、一度護衛任務を引き受けると決定した以上、諜報部は頑として美希を手放しはしなかっただろう。もし作戦部の要請を通せば、作戦部は諜報部の決定を覆す力があると外部からは見られ、それは作戦部の方が立場が上であるかのような印象を周囲に振りまくだろう。しかも娘一人を護衛する能力も無いのか、と言う任務達成能力への疑いまで背負い込んでしまいかねない。

 

 故に作戦部は『東京の仕事は譲る』という意志を見せに行った。これで諜報部は『斎藤美希の一件に関して、根本的解決に繋がる可能性のある東京での調査に人的リソースを集中するために、仕事が無くて暇な作戦部に斎藤美希の護衛を譲った』という大義名分と作戦部への貸しを得ることでき、作戦部は斎藤美希の身柄を手中に収めることが出来た。

 

 この駆け引きを、たった一言二言で達成してしまう坂崎の政治力の高さには、蔵馬は舌を巻くばかりだ。現場指揮官としても優秀な坂崎だが、こういったところでも彼女は高い能力を遺憾なく発揮する。もし坂崎がいなければ、作戦部と諜報部の仲は今以上に険悪になっていただろう。

 

 外で自動車のクラクションが一鳴りした。玄関の前に、黒のセダンが停まっている。運転席にはレナードの姿があった。今から新宿の方へ行くと言うので、ついでに乗せてけと蔵馬が待たせていたのだ。

 

「ではそろそろ出発してください。気を付けてくださいね」

 

「はい、行ってきます」

 

 笑顔で手を振る坂崎に手を振り返しながら背を向けて、モモは美希を伴って本部棟を出た。

 

 その後ろに続こうと蔵馬は一歩踏み出し、――止まった。

 

「どうかしましたか?」

 

「坂崎」

 

 蔵馬は振り返り、いつもと変わらない、変わらなさすぎる笑顔の坂崎を見下ろす。

 

「どういう魂胆だ?」

 

「はい?」

 

「斎藤美希の護衛。重要な任務だろう。無辜な一般市民の少女が何者かに狙われている。忌々しき事態だ。だが、義体を出してまでする仕事じゃないだろう」

 

 義体は国立児童社会復帰センターの最大戦力の一つであると同時に、最大の弱点でもあるのだ。

 怪我をしても自然治癒をしないため、かすり傷一つ負う度にその部位を交換しなくてはならない燃費の悪さと膨大な維持費。

 既存の生物工学の数歩先を行く、まさに歩くオーバーテクノロジーである故、万が一にも他勢力に身体の一部でも渡すわけにはいかない機密性。

 だがそれ以上に、義体は存在自体がセンターだけでなく、彼女らを運用する現政権すら木端微塵に瓦解させかねない程に強力な爆薬なのだ。

 

 義体は、当然の如く生きた人間を材料にして生産される。

 身寄りも無く、居なくなっても誰も気付かない、気にしない、そして今にも死にかけている少女を素材に作られている。 

 国家が一方的に選定した半死体の少女を、本人の意思確認も無く人体実験の素体として脳みそを薬漬けにし、体を切り刻み、洗脳を施して人殺しの道具として利用する。

 悪魔の所業と誹りを受けて然るべき、人道を大きく外れた行いだ。

 

 もし彼女らの存在が白昼に晒されでもすれば、センターだけでなく日本政府自体が自国民だけでなく世界各国から非難の大豪雨を受けるのだ。

 本来ならば研究所から出すべきですらない。政権の安寧を望むならば、そもそも手を出さない方がいい。義体とはそういうモノなのだ。

 

 そんな危険因子を、危険の少なく人目にも付きにくい人探し程度ならともかく、どうしても目立つ護衛任務に駆り出すのは、はっきり言って異常である。いくらスポンサーの縁者だとは言え、斎藤美希はただの一般人なのだ。

 

「……そうですか?」

 

「確かに嫌な予感はする。作戦部がやった方がいいと、俺も思う。だが、わざわざ義体を出すほどの物でも、諜報部に貸しを作ってまで取ってくるような仕事でもない」

 

「蔵馬さん意外と冷たいですねー。困っている女の子がいたら、助けてあげたくなるのが人情でしょう? それに彼女は西京重工のVIPの孫ですよ。パイプを繋げる良いチャンスじゃないですか」

 

 坂崎は笑顔だ。いつも通りの笑顔だ。変わらない笑顔だ。

 心など一抹も微塵も籠っていない、ただ貼り付けただけの笑顔だ。

 表情は心を映す鏡。鏡は映るものが変わるから、鏡たりえる。一つの物しか映さないのは、何も映していないのと同じだ。本来映すべき物を映さず、虚構の像だけを映す。隠す為に。騙す為に。欺く為に。

 いつも笑顔。変わらず笑顔。どんな時も笑顔。

 それはつまり――。

 

「これ以上この話を続けますか?」

 

 笑顔の底から聞こえた、優しさも和やかさ親しみも懐こさも温かさも朗らかさも懇ろさも円かさも無い、抑揚の失せた平坦な坂崎の声。機械で造った合成音声の方がまだ心を感じるそれは、言葉と言うよりも冷え冷えとした音の連続にようだった。

 蔵馬はそれを聞いて、

 

「――いや、いい。行ってくる」

 

 普段のどこか気怠げな表情を解いて、自然な笑みを欠片ほど浮かべる。そして今度こそモモたちを追って、本部棟を出て行った。

 坂崎一人になった玄関ホールに、午後の静謐が満ちる。

 蔵馬の後ろ姿を見送りながら、坂崎はやはり笑顔を寸も崩さずに、その笑顔から正逆に位置する、深い苛立ちの籠った声で呟いた。

 

「…………厭な人」

 

 

 

 

 モモは外で待っていたレナードの車にガンケースを積み込み、美希の為に後部座席のドアを開ける。

 

「お先にどうぞ!」

 

「あ……ありがと……お邪魔します」

 

 礼を言って、レナードに会釈しながら車に乗り込む美希の表情はどこか固く余所余所しい。

 はて、彼女はこんな他人行儀に接してくるタイプの人間だっただろうかと、モモは首をククッと傾ける。

 

 モモの記憶の中では、初対面にも関わらず、そこそこ踏み込んでくるタイプだった。だが今日はどこか壁のあるような、避けられているような感じがする。目も合わせてくれないし。どこか体調が悪いのだろうか。あるいは再開してから数分も経たないうちに癪に障る事をしてしまったのか。

 

「美希さん、元気ですか?」

 

「……何それ? 猪木?」

 

「ダー!」

 

「……ダー!」

 

 試しに話しかけてみると、レスポンス速度が少し遅いが、しかし会話には乗ってきてくれる。嫌われている様子はないし、やはり一体どうしたのだろう。モモはモヤモヤした気持ちを胸に収め、首を更に深く傾げた。

 

 心中にわだかまりを得ながらモモが美希に続いてセダンに乗り込むと、坂崎と何か話していた蔵馬が本部棟から出てきた。どんな会話していたのかは知らないが、どこか機嫌が良さそうだ。

 

「…………むむ」

 

 あの表情は、今まで見たことが無い顔だ。いつもはムスッとしているか意地悪そうな顔の蔵馬が、まるで悪戯に成功した子供の様にはにかんでいる、ように見える。

 モモの心中わだかまり指数が加算される。

 自分では引き出すことの出来ない担当官の一面を見て、モモの唇はへの字型に曲がった。

 

「乗せてもらって悪いな。助かった」

 

 そう言ってレナードの隣に着いた時には、蔵馬は緩いような険のある様な、いつもの表情に戻っていた。

 

「ついでだ。気にしなくていい」

 

 全員が乗り込んだのを確認して、レナードはアクセルを踏む。センターの外門を抜けて、入り組んだ山道を縫うように進んでいく。

 

「ところで東京駅でいいのか? 飛行機の方が早いだろう」

 

 レナードの問いに対して、後ろの美希が頭を下げる。

 

「えっと……済みません」

 

「どういうことだ?」

 

「高所恐怖症なんだとさ」

 

「……なるほど」

 

 美希の高所恐怖症に関しては一悶着あったらしい。本来坂崎が用意したルートは羽田空港から神戸空港まで飛行機で一飛びの予定だったのだが、『無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!』と美希が壊れたレコードを倍速再生させている様な勢いで無理を高速連呼した結果、新幹線で神戸まで向かう運びとなった。本当に直前での変更だったらしく、坂崎に渡された移送ルートは飛行機の欄に大きくバッテンが書かれて、その下に新幹線を用いたルートが手書きで記されている。

 

「――そういえば」

 

 次にレナードが口を開いたのは、車窓の風景が山林の緑から都会の灰に変化した頃だった。出発当初は他愛も無い事を駄弁っていた後部座席の二人は、いつの間にか眠ってしまっていて、車内は静かだ。特に美希は疲れが溜まっていたのか寝息が深い。

 

「ミス坂崎は保育園の先生でもしてそうな見た目の割に、なかなか敏腕だな。どういうつもりかは知らないが、ちゃっかり美希ちゃんの護衛を掠めて行った。口と頭の周る女性だ」

 

「あいつはコアラの皮を被った狐の体内に潜んだカマキリみたいな女だからな」

 

「それは貶しているのか……?」

 

 レナードは蔵馬の変な方向に伸びた日本語能力を鼻で笑う。

 

「しかしな蔵馬。腹芸まで真似しろとは言わんが、お前も少しは彼女を見習った方がいいぞ。ミス坂崎の書いた報告書を読んだことがあるか?」

 

「いや無い。そもそも上司の書いた報告書なんて俺の目に入らん」

 

「読もうと思えば読めるだろう……。ともかく、ミス坂崎の報告書だが、あれは一見の価値ありだ。あんなエレガントな報告書は読んだことがない。彼女は英語圏に住んでいたことがあるのか? 見事な英文だ」

 

「知らん。たぶん無いだろうが……まあアイツはやろうと思えば大抵のことは出来ちまうタイプの人種だからな」

 

「ともかく蔵馬、彼女の報告書の書き方だけは見習え。お前の報告書は読み難くて敵わん。一々余計なことまで書き過ぎだ。報告書はお前の日記じゃないんだぞ」

 

「本国の連中が、出来る限り詳しく書けって言うからだろう」

 

「それにしたってな。この前のコンテナヤードでの戦闘記録なんてモモちゃんのパンツの色まで書いてただろう。お前本国に帰って偽装収監とかすることがあったら、罪状たぶん性犯罪にされるぞ」

 

「え、ちょっとちょっとクラマさん」

 

「起きてたのかモモ」

 

「起きてましたよ。それよかパンツって、嘘でしょう、まさか本当に報告書に書いたんですか」

 

「書いたぞ」

 

「モモちゃん、こいつ『白に薄ピンクのリボンが付いたやつ』って書いてたよ。スケベな奴だ」

 

「うー! あー! もー! 何でいつもいつも意地悪ばっかりするんですか!」

 

「書くって言っただろうが」

 

「了承した覚えはなくってですよ!?」

 

「……う、なになに、もう着いたの……?」

 

 モモの悲鳴に美希は目を覚まし、車内は打って変わって騒々しさに満たされながら東京の街を進んでいく。

 

 

 

 

 東海道を最高時速300kmで疾走する白影がある。新幹線N700系《のぞみ》だ。古くから幹線道路として親しまれてきた東海道、かつては早くても数日を要した距離を、この高速鉄道は約2時間で走破する。さすがに空路には敵わないが、陸上の交通機関としては他の追随を許さない。

 

 蔵馬ら三人を乗せた《のぞみ》は名古屋をすでに通過し、神戸まで旅路は半分を切った。

 10号車のグリーン席、車両の半ばに窓際に美希を置いてモモが並んで腰掛け、車内全体視界に収められる車輌の端席に蔵馬が位置している。

 このまま何事も無く済めば、あと半刻ほどで神戸に到着する。そこから先は民間警備会社か兵庫県警の仕事だ。

 

 モモの脇の通路を、二人組の乗客が通過する。モモはいつもの紺ブレザーの下に隠したPx4拳銃を撫でる。昨日のことがあるので車両に他の乗客が来るたびに警戒をしているが、そのまま車両を出て行ってしまった。先ほどチャラそうな男に声を掛けられた時に抜きかけたが、『自分と美希の身が危ない時以外使うな』と蔵馬に叱られた。

 

「このまま何もなければいいですね」

 

「……ん、そうだね」

 

 車窓を眺める美希の返事は、やはりどこか素っ気ない。

 モモは美希の顔を覗き込もうと身体を傾けてみるが、美希の視線は窓の外から動かないため、半面しか窺えない。

 

「美希さん、やっぱり体調が良くないんですか?」

 

「え、なんで?」

 

 疑問を受けて、美希は少しだけモモの側に目を向けた。

 

「うーん、何と言うか……」

 

 先ほどから感じている距離感、モモはこれを言い表す言葉が出てこない。美希もそれを言葉にしないから分からない。強いて言えば生理中のアザミの素っ気なさに似ている故に体調不良を推してみているのだが、口ぶりからすると、そういう事でもないようだ。

 

 体調不良でないなら、一体何なのだろう。

 彼女が何か思うところがあるのは、モモはしっかりと感じ取っていた。

 壁は無いが、距離はある。

 拒絶は無いが、許容も無い。

 こちらに背を向けているわけでは無いが、向いているわけでもない。

 今までにも似た態度の人間を幾度か見た経験はある。だがそれが、いつ、どこで、誰のものだっただろうか。つい最近も感じたことがある気がするのだが……。

 次に紡ぐべき言葉を織り上げることが出来ず、モモは唇を締める。

 そして心の内を覗くつもりか、それとも美希の次の挙動を見逃さない為か、モモは無意識のうちに美希の目を、カメラのような無機質な双眼で覗き込んでいた。

 

 そんなモモの視線と空気に耐えられなくなったのか、美希は立ち上がると、

 

「……トイレ」

 

 告げて車両の奥へ行ってしまった。

 咄嗟に蔵馬に目を向けると、美希を指差して『ついて行け』とジェスチャーを送っていた。

 

 頷き、美希を追って10号車から、11号車の通用路に入った。多機能トイレと搭乗口が収められているその場所は無人だ。美希は既にトイレに入ったようで、使用中の表示が出ている。

 

 モモはほうと息を吐いてトイレのスライドドアにもたれ掛かった。

 微かに聞こえる新幹線の駆動音以外の音は無い。静けさの中で俯いて、ローファーの爪先に目を落とす。先の方が少し削れてしまっている。昨日美希を連れて逃げ回っている最中、転んだ拍子にコンクリートの地面に擦ってしまったのだろう。

 

「……………………………あ」

 

 その回想が気付きをもたらした。

 モモはくるりと身を翻して、トイレのドアに向き直る。

 

「……あの……美希さん」

 

 声を掛けたのは、一応中身が美希かどうかの確認の為。

 

「……なに? モモもトイレ?」

 

「いえ、そうでなくてですね。あの、もしかして……」

 

 続けたのは、彼女の態度に思い当たる節があったのを思い出したからだ。

 ただ、これは美希にとって答えにくいことかもしれない。顔を隠す物理的な遮蔽物があったほうが、答えやすいかもしれない。それに、もし答えなくなければ、無視すればいい。壁を挟んでいれば、聞こえなかったと言い訳が出来るからだ。

 だから、今訊いてみようと思った。

 

 しかし言葉にする前に、通用路に他の乗客がやって来てしまい、モモは口を噤む。

 現れたのは二人。ビジネススーツの男女だ。彼らには見覚えがある。先ほど通路を通って行った二人だ。

 彼らはモモがトイレを待っている物だと勘違いしたのか、モモの後ろに並んでしまった。

 

「どうしたのモモ。もしかして、何?」

 

 外の様子を知らない美希は続きを促してくるが、言おうとしていたのは他人のいる傍でしたい話ではない。

 

「え、えーと……も、もしかして大きいほうですか……?」

 

「………………」

 

 沈黙が帰ってきた。答えたくなかったから無視された。壁があって良かった。

 

「は、ははは……えと、すみません、すぐに出てくると思うんで……」

 

 トイレの中からスライドドア越しに発せられる寒冷空気に耐えかねて、モモは茶を濁すために後ろに並んだ二人に会釈を飛ばしてヘラリと笑い、

 

――女に消炎器着きの拳銃を向けられている事に気が付いた。

 

「……大きい方みたいなんで、すぐには出てこないと思いますけど」

 

「喋るな。動くな。次の駅で斎藤美希と一緒に降りろ」

 

 言ったのは女の方だ。表情は無く、インプットされた通りの動きのみを行なおうとする機械と対面しているようだ。

 何事もなさそうだと呑気に考えた矢先にこれだ。

 纏う空気が昨日見たヤクザとは全く違う。これまで対峙してきたテロリストとも違う。

 ヤクザの様な暴力的な威圧感は無い。テロリストの様な熱に逆上せた狂気も無い。

 挙げるなら、蔵馬ら国立児童社会復帰センターの人間に近い。獲物を飲みこむタイミングを窺う蛇の様な、肉食の爬虫類めいた雰囲気だ。

 

 引き金はトリガーに掛かっており、発射寸前まで絞られている。下手な挙動をすれば、躊躇なく撃ってくるつもりだ。

 何者だろうか。考えてはみるがモモには判断がつかない。ともかく、斎藤美希を狙う連中は、脅して連れ去る強硬手段を採ることにしたようだ。

 距離はほぼゼロ。こちらは相手二人に背を向けており、そして銃口は心臓を狙っている。

 声を出したら撃たれる。銃を抜こうと腕を動かせば撃たれる。振り返ろうとしても撃たれる。

 

 ならば声を出さずに、手を動かさずに、振り返らずに、現状を打破するしかない。

 故にモモは、一瞬だけ膝を折る。その刹那の内に大腿の筋肉を高収縮させ、そしてその力を突撃力に変換させる。

数メートルの高さを軽く跳び越える脚力で床を蹴り、肩ごとスライドドアに突っ込んだ。

 当然のことだが、トイレの間仕切りとして取り付けられたスライドドアの取り付け部に、義体の突進に耐えうる耐久度は備わっていない。

 そうしてモモは、スライドドアを半損させてトイレの中に転がり込んだ。

奇襲には奇襲。人間は不意を突かれると、最低でも0.5秒は動きを止める。義体にとっては十分な時間だ。

 

「――っ!?」

 

 声こそ出さなかったが、背後の二人が驚愕に息を飲むのをモモは聞く。

 

「えっちょっちょっちょ、なに!?」

 

 そして大業に驚き慌てる美希の声も聴く。

 

「敵です! 早くパンツ履いてください!」

 

 指示を飛ばしながらモモは銃を抜く。そして転がった姿勢のまま身体を半転させ、トイレの外で動揺している女を射撃。

 銃を向けられたのだから、立派な『危ない時』だ。だから躊躇なく撃つ。蔵馬の指示で、こちらも消音器は取り付け済みだ。

 

「ちょっちょっちょちょちょちょっと!」

 

 抑えられた銃声は、美希の悲鳴と新幹線の走行音に大抵が掻き消される。腹に弾を二発食らった女は力を失って倒れ、女の後ろにいた男が射界に入った。

 彼らは手順通りに事が進まなければ、すぐに撤退する事に決めていたらしい。

 男は仲間の女を顧みることなく、俊敏な動きでモモの射界から逃れ、トイレの前から10号車の方へ駆け出して行った。すでに京都駅まで後数分の距離に迫っている。新幹線の中を逃げ惑っていれば、逃走も不可能ではない。

 

 ――逃げられた。

 追うべきか、それともいまだにパンツをずり下げたまま目を白黒させている美希の傍にいるべきか。

 だが一瞬の逡巡のうちに、その選択肢を選ぶ必要は無くなった。

 逃げ去った男が、消えた方向から反対方向へすっ飛んできたのだ。床に頭を強く打ちつけた男は白目を剥く。

 何だ、と思う前に、男が吹っ飛んできた方から蔵馬が顔を出した。

 

「やっぱりこうなってたか」

 

「クラマさん……撃ちました」

 

 蔵馬はスーツのポケットから出した結束バンドで、倒れる男の両親指を縛る。そして血に沈む女の脈を取り、死んでいる事を確認してからモモに向き直った。

 

「いや、構わん。むしろ撃つべきだった。よくやった」

 

 蔵馬は女が所持していた拳銃を拾い上げて、マガジンを抜いて弾種を確認する。

 

「グロック28か……こいつらヤクザじゃないな。斎藤美希は中か?」

 

「はい、います……います…………ひっ」

 

 イマイチ状況を把握できてなかった美希は、ようやく下着を上げて、紫煙を上らせる拳銃を握るモモを避け気味にトイレから出てきた。そして靴底を濡らす血だまりに気付き、通用路に転がる死体に身体を強張らせた。

蔵馬は固まってしまった彼女の肩を掴み、トイレの隣にある出入り口の前に移動させる。そして空いたトイレの中に床に転がる二人を押し込み、壊れたドアを元の位置に立て掛け応急の偽装を凝らす。零れた血液はどうしようもないので放置だ。

 

 現場の処置の後は、乗客を近づけない為に一芝居打つ必要がある。

 蔵馬は10号車の客室に入ると、乗客たちに向かって、

 

「すみません! こっち側の扉は故障して開かないので、反対側の扉から出てください!」

 

 と叫んだ。どう見ても鉄道関係者ではないが、しかし人は案外疑う事もせず他者の言葉に従うものだ。次いで11号車にもこちら側の扉を使うなと大声で伝え、蔵馬はモモたちの所に戻ってきた。

 

「もうこの新幹線に乗っている訳にはいかんな。あと二分と少しで京都駅に着くから降りるぞ。お前は斎藤美希と一緒にいろ。絶対に離れるな」

 

「了解です」

 

 頷くモモから美希に目を移す。

 美希は展開について行けなくなったのか、ぼんやり虚空を眺めている。

 蔵馬は彼女の正面に立つと、膝を追って視線の高さを合わせる。

 

「斎藤美希……おい、斎藤美希。しっかりしろ。今の状況を説明するぞ。理解できないかもしれないが、とりあえず聞け。状況の危険度は二段階ほど上がった。敵――そうだな敵と呼ぼう。敵は高確率で俺たちの行動を把握している。だから俺たちも予定を変える。いいな?」

 

「はっ……はい、わ、かりました」

 

「いい子だ」

 

 蔵馬は頷き、モモに待機を命じてガンケースを回収しに一旦座席に戻る。

 自分たちの分と常盤たちの物を合わせると相当な重さになるが、蔵馬は顔色一つ変えずに軽々とそれら全てを担いだ。

 モモのケースを回収した時、新幹線は制動を追えて完全に停止した。

 京都駅に到着したのだ。

 

 蔵馬は急いでモモたちの元に戻り、タボールの入ったガンケースを手渡す。受け取ったモモは搭乗口から頭を出して周囲を窺い、不審な影が無いかを確認する。京都駅のホームには観光客とビジネスマンが数多く往来しており、怪しいと思えば皆怪しく見える。

 指示を求めて振り返るモモに、蔵馬は取り敢えず出ろと手で合図をする。

 

「――!」

 

 そのジェスチャーと交錯する形で、モモの右手が彼を突き飛ばした。瞬間に、今まで蔵馬の体があった空間に弾丸が二発通過する。

 弾丸の射手は11号車の客室から男。恐らくトイレに詰め込まれた男女の仲間だ。この男の手にもグロック28が握られている。

 蔵馬は咄嗟に鹵獲したグロックで応射する。狙いもつけない威嚇射撃だが、男は弾を逃れるために身を素早く動かして一旦客室に逃れた。

 

 担当官を守護するのは義体の条件反射に近い。モモは蔵馬の盾となるために、再び新幹線内に飛び込もうとする。だが蔵馬は、その動きを遮る様に美希の背を突き飛ばして、モモの腕の中に投げ込んだ。

 

 この行為の理由は二つ。一つは美希をグロックの射線から逃がす為。そしてもう一つは、新幹線の搭乗口があと数秒で閉ざされるのを察したからだ。

 その蔵馬の力は美希が一瞬宙に浮くほど強く、二人は新幹線から放り出された。

 

「――っクラマさん!」

 

「センターと連絡を取れ!」

 

 蔵馬の飛ばした言葉は辛うじて、閉じる新幹線の扉の隙間からモモに届いた。

 そして新幹線はモモと美希をホームに残し、新幹線は次の駅へ走り始める。

 扉が閉じる寸前、蔵馬は頷くモモを確かに見た。現場の状況を司令部が把握していない事態ほど、現場の人間にとって最悪な事は無い。センターに状況を知らせれば、何か対処を取るはずだ。義体と護衛対象から引き離された大概最悪な状況ではあるが、最悪一歩手前までは持ち込めた。

 

 この連中が京都駅で降りるつもりだったのなら、モモたちは依然敵に囲まれている可能性が高いが、それでもなお、既に戦場と化した新幹線の中よりは安全だろう。一度銃器の発砲に踏み切った人間は吹っ切れる。そうなると目的を果たすまで、周囲の被害などお構いなしに暴れるのが定石なのだ。ぶち切れた暴れん坊の相手は、生憎得意中の得意だ。

 

 蔵馬は肩に担いでいたガンケースを床に降ろしてグロックを構え、男がいる客室を睨みつけた。

 

「お前らのせいで旅程が滅茶苦茶だ。出てこいよ、まずは自己紹介をしろ」

 

 

 

 

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