Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』)   作:ふじやまさん

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第15話

 蔵馬はモモの分が一つ減ったガンケースを担いで、乗口近くに積み直し、その傍に身を隠した。L字型の通路を持つ通用路区画、11号車の客室から死角になる位置だ。

 

 新幹線は時刻表通りに運行を始めた。あと十五分ほどで新大阪駅に到着する。蔵馬は流れる車窓の画を一瞥し、奪ったグロック28拳銃をベルトに差して、11号車の客室の方を覗き見た。

 

 客室と通用路を隔てるドアに嵌められた小窓から、客室の中を確認できるが、物陰に隠れたのか男の姿は無い。だが逃げてはいない。

 

 鹵獲したグロック28は9mmオート弾を使用する、公的機関限定のモデルだ。つまり彼らはヤクザでも金で雇われた傭兵でも無く、どこかの公的組織の人間――ほぼ間違いなく諜報組織の工作員だろう。ならば必ず戻ってくる。そして己らの存在を秘匿するため蔵馬を始末しようとするはずだ。それが難しいと判断したとしても、最悪情報の流出を防ぐために仲間を殺しにくる。諜報組織は何処でもそういう物だ。

 

 しかし、普通非合法の諜報活動を行う場合は、万が一装備を相手側に回収されても身元が明かされない物を使う。公的機関限定モデルなど絶対に使わない。この連中は間抜けなのか、それともこの装備を選ぶ理由があったのか。

 

 装備を差し引いても、諜報員として落第だ。公衆の面前で拳銃を出して、あまつさえ発砲してくるなど、諜報機関にあるまじき蛮行だ。銃を弾くなんて最高に目立つ。目立つなど最悪だ。目立って喜ばれる工作員などジェームズ・ボンドかソリッド・スネークくらいである。

 

 ともかく諜報の人間として下の下だが、しかし連中はそれを推してなお撃ってきた。それ程の重要性が、斎藤美希と言う娘にあるのだろうか。そもそも諜報機関が出てくる時点で、色々とおかしい。身代金目的の誘拐なんてチャチな動機では絶対に無いし、斎藤美希の周辺だけで完結する話とも思えない。

 

 坂崎はこうなることを予見していたに違いない。諜報組織が動いている事も察知していたのだろう。発砲事件まで起こっているのに新幹線が発車すること自体おかしいのだ。新幹線には至る所に監視カメラが設置されている。当然いま起こっている事も筒抜けだ。鉄道会社にはしっかり手回しをしている証拠である。坂崎は何も知らない自分たちを囮にして、裏で蠢く正体不明の敵を誘き寄せるつもりだったのだろう。坂崎は『釣りのコツは疑似餌を疑似餌と見られないことですよー』などと嘯くに違いない。釣りなどしたこと無いだろうに。

 

 蔵馬は軽い苛立ちを溜息に乗せて吐き出す。

 

「………………」

 

 この任務の実態がどうであれ、やはり情報が足りない。坂崎もそう思って、こんな無茶な作戦を立てたのだろう。ならば一人生け捕りにしたが、出来ればもう一人欲しい。一人分の情報と二人分の情報では、精度も量も段違いだからだ。

 

 しかし殺すのと生け捕りにするのでは、その難易度も危険度もまた段違いだ。こっちは殺さないように手加減をして、しかし向こうは殺す気満々。しかも銃器持ち。普通は死ぬ。蔵馬も出来れば相手にしたくない。だが普通の人間は出来ない事をするために、国家は蔵馬辰巳という男に安くは無い給料を払っているのだ。今回は楽が出来ると思ったが、そうは問屋が卸さないらしい。

 

「……ま、いつもの仕事だ」

 

 独り言ちたすぐ後に、11号車のドアが開かれる気配が来た。

 

 蔵馬は物陰に隠れながら急ぎスーツの上着を脱ぎ、そして神経を尖らせて工作員の接近を計った。耳をそばだて、足音と衣擦れの音を溢さず拾い上げる。一瞬対峙しただけだが、工作員の体格は把握している。身長は大よそ170センチ。歩幅は70㎝程度だろう。警戒状態なら歩幅は普段の半分程度に縮まる。蔵馬の場所まで約十歩。時間にして約5秒。

 

 つまり今だ。

 

 蔵馬は脱いだ上着を鞭の様にしならせ、廊下側に鋭く投擲した。その動きに重ねて、蔵馬が隠れるすぐ裏側で抑制された銃声が鳴る。この音一つで、蔵馬は工作員と拳銃の位置を掴んだ。宙に浮いた上着が重力に捕まるより先に素早く動いた。

 

 廊下にいた工作員の体勢を確認。右手で銃を持ち半身で構えるウィーバースタンス。グロックの銃口は上着に向いたままだ。工作員の目は蔵馬を捉えて反応しようとしているが、もう遅い。

 

 工作員から見て右側から飛び出した蔵馬は、右手でグロックを掴み射線を固定する。そして左手は肘を取り、飛び出した勢いをそのままぶつけ、右腕の関節を極めて壁に叩き付けた。最後に踏みつける様なローキックを膝裏に入れて体勢を崩す。

 

 初手の奇襲を決めたら、次は武装解除だ。

 蔵馬は工作員が反撃に転じる前に、掴んだグロックを真横に九十度捻って指からもぎ取る。

 

「――っ?」

 

 拳銃の握りが甘い。

 

 この動作で得た違和感に気付けたのは、蔵馬が何度も銃器の前にその身を晒して戦ってきた、その経験があったからだろう。

 

 蔵馬は奪った拳銃も極めた右肘も放棄して緊急回避。身体を後ろに反らせる。

 

 危機を察知し条件反射的に動いた身体が、コンマ数秒前まであった空間に刺突が穿たれた。それは工作員が後ろ手に放った一撃。グロックを持っていたはず右手に、逆手に握られたナイフの一閃だった。

 

 薬指に嵌ったリンググリップと鎌状の刃。折り畳み式のカランビットナイフだ。抜いた状態で逆手に持って、上着の袖の中に隠していたのだろう。このナイフと拳銃を両方握っていたから、グロックの握りが甘くなっていたのだ。

 

 回避行動を取った蔵馬には隙が生まれる。工作員は押さえ付けられていた壁から弾けるようにして離れ、右に鋭く旋回してナイフで薙ぐ。蔵馬は辛うじて手首を捉えて受け流したが、追撃の左掌底が顔面に来た。躱し切れず顎を打たれる。攻撃は止まらず、獲物を捕らえた猛禽類の爪の様に掌が蔵馬の顔を食らい付き、後頭部を思い切り壁に打ち据えた。

 

 立場が先ほどと逆転し、今度は蔵馬が壁に押し付けられる。だが工作員に蔵馬を生かしておく気など露も無い。蔵馬の首を切り裂く為に、鈍く光るナイフを振り下ろした。

 

 顔面を掌に覆われて蔵馬の視界はゼロに近い。だが殺気を嗅ぎ取る敏感な嗅覚と、自分ならばそうするという予測で蔵馬は動く。切っ先が喉の皮を破る寸前で、蔵馬はナイフを持つ手首を左手で受け止めた。

 

 同時に、グロックを取り落として空いた右手で、頭蓋を鷲掴む工作員の手首を、常人離れした筋力で万力の様に締め上げて引き剥がしに掛かる。

 

「ぐ……!」

 

 鉄面皮を保って機械の様に動いていた工作員の顔に、初めて人間らしい苦悶の表情が浮かぶ。それほどまでに蔵馬の握力は凄まじく、手首の骨がミシリと軋みをあげている。

 

 純粋な力比べに押し負け、少しずつだが工作員の指が蔵馬の顔から離れていく。利き腕で突きつけたナイフも拮抗状態に入って動かない。

 

 この状況を変えるには、次の手を打つしかない。そう判断し、工作員は更に攻撃を加えることにした。

 

 蔵馬の頭をさらに壁に打ち付ける。繰り返し、ゴリゴリと、頭蓋骨の中身をグチャグチャに攪拌するつもりで壁打ちを続ける。

 

 普通なら死ぬか、気絶するか、あるいは戦意を喪失するか、少なくとも多少のダメージは免れない攻撃だ。しかし蔵馬の膂力は一向に緩まる気配が見られない。ギリギリと工作員の腕を締め上げ続けている。

 

「――!」

 

 工作員が吐き捨てる様に悪態らしき言葉を吐いた。何と言ったかまでは聞き取れた者はいない。『化け物』とでも言ったのか、あるいは『雄ゴリラ』辺りかもしれない。

 

 ともかく、彼の想定を蔵馬はあらゆる意味で上回っていた。想定外が彼の中で焦燥を生み、その焦りが次の悪手を選ばすに至った。

 

 工作員は蔵馬の顔面を掴んでいた手、その親指を放し、蔵馬の右目を抉り潰す為に動かした。

 

 『掴む』と言う行為は、親指があって初めて成立する。親指の外れた握縛など、蔵馬にとっては脆い砂糖細工の拘束具に等しい。

 

 蔵馬は首を捩って目つぶしを躱し、親指は目尻を掠るに終わった。

 蔵馬は眼球を掠った親指など歯牙にも掛けない。

 そしてついに、蔵馬は工作員の手を引き剥がして得ようとしていた物――視界を得る。指の隙間から闘志燃える黒眼を巡らし、工作員の耳を見た。

 

 刹那、蔵馬の右手は視線の先に延び、そしてブツンと左耳を引き千切った。

 

 痛覚に対する無条件反射はあらゆる反射より優先される。突如激痛を負った工作員の体はほんの一瞬だが、側頭部を中心とした生体防御行動による筋伸縮が取られ、要するに両腕への集中が削がれた。蔵馬に対してこの一瞬は致命的だ。

 

 千切った耳を塵ゴミの如く投げ捨て、蔵馬の両腕は工作員の腕とナイフを押し退けるに至る。これで蔵馬を縛るものは無くなった。

 

 蔵馬は男の鼻頭に頭突きを叩き込む。額で鼻骨を押し潰した感触があった。そして男が怯んだ気配も肌で感じる。

 

 この隙を逃さず、蔵馬は工作員のナイフを握る方の腕に両腕を巻き付けて、身体を落下させる様にして体勢を膝立ちまで下げた。

 

 100キロ近い蔵馬の体重を支えられず、工作員は右手から体を床に落とした。先に床に到着したのはナイフの切っ先だ。二人分の体重が乗った衝撃に、カランビットナイフのリングを通していた薬指は耐えきれなかった。

 

 薬指の骨は粉砕し、曲がるはずの無い位置がへし曲がる。こうしてナイフのグリップを指ごと破壊し、手刀でナイフを通用路の端へ弾き飛ばした。

 

「ぐっ……ぬ……」

 

 工作員は鼻血を吹き出し、側頭部を赤黒く濡らし、痛みに歯を食いしばる。しかし体勢が床に伏すようになった事で、蔵馬に奪われ床に転がっていたグロックが手の届く位置に入った。

 

 工作員は咄嗟に無事な左手を伸ばす。が、蔵馬はそれを見逃さない。工作員の武器回収よりも素早く、蔵馬の蹴りがグロックをナイフと同じ戦闘域外に弾き出す。

 

 武器を奪われ、右手を破壊された。だがこの工作員の戦意も未だ萎えない。蔵馬が彼の挙動を見逃さないのと同じように、彼もまた蔵馬の変化を見逃さなかった。

 

 今の蹴りで、蔵馬の重心が崩れた。この状態の相手は踏ん張りが効かない事をこの男は知っていた。

 

 工作員は蹲った体勢から蔵馬の胸目掛けてタックルをぶちかました。二人の身体が宙を浮き、そして衝突したのは、モモが壊した多機能トイレのドアだ。立て掛けていただけのドアは当然大人二人を受け止める事など出来ず、彼らはトイレの中に転がり込む。

 

 トイレの中には既に先客が二人いる。今だに伸びている男の仲間と死体が寝ている多機能トイレの中は、いくら通常のトイレより広く造られているとは言え、大人四人が入るには手狭だ。

 

 その狭い空間で、蔵馬と工作員は縺れ合い、体勢を立て直しに掛かる。ここで不意を突かれた蔵馬と、この展開に備えていた工作員に差が生まれた。

 

 先に膝立ちになって体勢を整えたのは工作員だった。この有利を逃せば負ける。依然床に背を着けたままの蔵馬に攻撃を加えるため、威力を優先して利き側である右腕を振り上げ、そして顔の中心を目掛けて全体重を預けた掌底を放つ。

 

 彼は再び焦った。これが敗因だ。

 

「焦んなよ三流が」

 

 蔵馬は不安定な状態ながら的確に工作員の手首を取った。そして下半身を跳ね上げ、両脚で大蛇の様に工作員の頸部を絞め上げる。

 

 前三角絞め。自らの大腿肉と相手の三角筋で頸動脈を絞める、現代柔術の代表的な絞め技だ。絞め技全般に言えることだが、一度極まるとそう簡単には外せない。蔵馬ほどの格闘者なら、外されることはほぼ無い。工作員の意識が潰えるまで後数秒といったところだろう。

 

 無論外せない訳では無い。三角絞めは代表的であるが故に様々な対処法が研究されているのだが、最もシンプルかつ効果的な抜け方がある。

 

 酸欠と絞めの圧力による苦痛に耐え、工作員は両脚と背筋に力を込める。そして蔵馬を身体ごと持ち上げようと身体を後ろに反らせた。

 

 三角絞めの抜け方。それは単純だ。技を掛けた相手を身体ごと持ち上げ、床に叩き付ける。強引だが効果的な、抜けが攻撃になる必殺技だ。

 

 プロレスで言えばパワーボムと称され、柔道ではほとんどの場合禁止される、相手を殺傷させることすら可能な技である。安全を計られているプロレスリングや、柔らかい柔道畳ですらその威力だ。硬い新幹線の床に叩き付けられてはタダでは済まない。

 

 もちろん叩き付けることが出来れば、の話だが。

 

「多機能トイレって便利だな。ほら、手すりが付いてる」

 

 蔵馬の身体が持ち上がったのは、精々数十センチだった。それより高くへ昇る前に、蔵馬は多機能トイレには必ず取り付けられている手すりを掴み、工作員の起死回生を阻んだ。

 

「ん、ぐ、おおおおッッッ!」

 

 工作員の、くぐもった断末魔。これが戦闘終了の鐘となった。全身の力を失い、工作員は意識を失う。

 

 蔵馬はぐったりとして動かなくなった工作員から脚を外し、再び動き出す前に他の二人と同じように結束バンドで拘束する。二人と死体をトイレの奥に蹴り転がし、度重なる暴力を受けた不憫なドアを元の位置に戻した。

 

 作業を終えて、一息吐く。

 

 少しだけ厄介な相手だった。これだけ錬度の高い工作員、三人一度に来られていたら手こずっていたかもしれない。素手で相手した場合の話だが。

 

 蔵馬は床に落としたままになっていたスーツの上着を拾って袖を通し、工作員が落とした二丁目のグロックを腰に差し、そしてカランビットナイフを折り畳みポケットに突っ込む。

 

 入れ替わりに携帯電話を出して、坂崎の番号にダイアル。

 

 京都駅を離れて数分経った。モモが無事なら、そろそろセンターへ連絡を入れているはずだ。

 連中が京都駅で降りるつもりでいたのなら、あの場所にも工作員が潜伏している可能性が高い。それが心配だが、タボールも持たせてある。それに携帯電話も持たせて――。

 

「あーくそ……」

 

 持たせるの忘れてた。

 蔵馬は自身の間抜けさにうんざりとして肩をすくめ、後頭部をぼりぼり掻く。

 そうして初めて、蔵馬は頭にタンコブが出来ている事に気付いた。

 

 

 

 

 京都駅のホームに横たわる少女が二人。

 蔵馬に放り投げられたモモと、そのモモを受け止め損なって押し倒された美希だ。なかなか派手に転がったが、ぶつかった際に後ろに回したモモの腕が緩衝になったお陰で、美希に怪我は無い。だが見た目よりもずっと重いモモの下敷きになって動けずにいた。

 

 モモはモモで、厚い冬着越しでも分かる美希の大体積な胸部に顔面を半分ほど埋めて、そこから動き出す様子は無い。“条件付け”の『担当官を護れ』という命令と蔵馬の『斎藤美希の傍にいろ』という命令が衝突してフリーズを起こしているのか、走り消えた新幹線をぼんやり見送っていた。

 

 そんな二人は、京都駅のホームを往来する人々の目を自然と集めていた。当然である。公衆の真ん中でいつまでも抱き合ったまま動かない少女は、日常風景とは決して混じり合わない。

 

 今は目立っちゃダメだろうと、一介の女子高生である美希ですら、それくらいの頭は回る。ここまで来ると、一周周って美希の方がいくらか冷静になっていた。固まるモモへの呼びかけるつもりで、美希はモモと同じ方向を向いて呟いた。

 

「……行っちゃったね」

 

「あ、う……行っちゃいましたね」

 

「……これからどうする?」

 

「……えっと」

 

 モモはザワザワと毛羽立つ心内を胸中に抑え込み、美希の上から起き上がる。美希を抱き起して、ガンケースを背負う。そして深く深呼吸。

 

 よし、落ち着いた。モモは蔵馬のことは一旦頭の隅に置いて、自分たちの今後について思考する。

 

 ともかく、ここに止まるのは良くない。

 

「……移動しましょう」

 

 モモは美希の手を取って、ホームから改札へ向かって歩み出す。

 

「改札出ちゃうの?」

 

「私たちがこの駅にいることは、たぶん敵にバレてます。とにかく動いて……あと電話……」

 

 蔵馬に与えられた二つ目の命令。センターへの連絡。

 これを実行に移すべく、モモは人の流れに出来るだけ逆らわないように、人と人の隙間を縫うように移動し続ける。そして周囲を最大集中力で警戒しながら、電話を探した。

 

「モモは携帯持ってないの?」

 

「持ってないです。美希さんもまだ返してもらってないですよね」

 

「うん。ところで携帯持ってないって事は、探してるのは公衆電話だよね?」

 

「はい」

 

「お金持ってる?」

 

「……持ってないですね」

 

 モモの形の良い眉毛がキュッと傾く。

 電話を渡さずお金も持たせず、一体どうやってセンターと取れと言うのか。普段からそこそこ意地悪な男だが、これは少し度が過ぎる。今朝の尻の件や報告書の件もある。どうにかしてあの男に報復したいところだが、その算段は後に取っておく。

 

 ともかく電話だ。どうしたものかと思案したが、京都駅の中央口広場に出て、答えはあっさりと出た。

 

「借りましょうか」

 

「借りるって……誰に?」

 

「その辺にいる人にです。みんな携帯電話持ってるでしょう」

 

 モモは妙案得たりと得意顔になって美希に振り返った。

 

 モモの言う通り、現代日本に携帯電話を所持していない人間などほんの一握り。ほぼ全国民に普及していると言ってもいい。現に二人がいる中央口付近には携帯電話のディスプレイを眺め、あるいは通話をしながら往来する人々が数える気も起きないほど大勢いる。

 

 しかしそれは持っている持っていないの話であって、貸してくれるかどうかは別の話である。普通は見知らぬ人間に、自分の携帯電話を貸したりはしない。美希だってそうであるから、モモの案に苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

 

 難しいんじゃないかなぁ、と美希がモモに世間の常識を説こうと口を開いた、が。

 

「じゃあ借りてきますね!」

 

 美希の言葉を聞くよりも先に、止める間もなくモモはふらっと駅構内案内板の横でスマートフォンをいじる大学生風の青年のところへ行ってしまった。

 

 一体何と言って借りる気なのか。こうなってはもう、モモにすべて任せる事にした美希はモモの後を追いながら、彼女の交渉の行く末を遠巻きに眺める。

 

 普通は無理だ。だが一方で、モモは普通とは掛け離れた規格外の美貌を搭載した、『傾国の』や『絶世の』を枕詞にしても良いくらいの美人だ。彼女が頼めば、あるいは可能性が無きにしも非ずかもしれない。

 

 ところがモモはニコニコしながら青年に近づいたかと思えば、

 

「こんにちは、少し携帯お借りますね」

 

 と挨拶を置いて、返事も聞かずに青年の手からスマートフォンを奪い取ってしまった。交渉ですらない。強奪だ。

 

「えっ? ちょっ? 君? ……なに?」

 

 一瞬驚き、五瞬ほどモモの美貌に呆けていた青年だが、携帯を唐突に奪取された事実をゆっくり飲み込む。そして疑問符だらけの戸惑いの声を漏らした。混乱するのも無理はないだろうが、モモは青年の当惑に意を介さず勝手にナンバーディスプレイをプッシュする。

 

「あの、すみません。ちょっと携帯お借りします……」

 

 モモの代わりに美希が謝るが、青年も突如現れた小娘に私物を盗られて、それで納得できる訳がない。次第に不快感を露わに、眉を吊り上げて詰め寄ってくる。

 

「えっと、何なの君ら? とりあえず俺の携帯返してもらえない?」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、これにはちょっと事情が……」

 

「済みません、電話中なのでお静かにお願いします」

 

 どこの国の社会常識に立っても違反側に立っているモモが、何故か美希と青年二人に対して非常識を咎める様な顔をして唇に指を添える。

 

 モモのぶっちぎり具合に圧倒され、また呆れ返って二人はついに言葉を失う。

 その沈黙に満足したのか、たった今電話に出た相手に意識を傾ける。

 

「もしもし」

 

『……もしもし、その声はモモちゃんですね?』

 

 モモは“条件付け”による教育によって記憶させられた、緊急連絡先の番号にダイアルした。恐らく作戦部か諜報部どちらかのデスクに繋がるのだろうと思っていたが、しかし電話に出たのは予想に反し、先ほど自分たちを見送った坂崎だった。

 

「はい、モモです。この番号って坂崎さんの番号だったんですか?」

 

『厳密に言えば違いますが、まあそれに近い物です。ところでモモちゃん、どこから電話掛けてきてますか?』

 

「京都駅です」

 

『京都……なるほど……。あとその携帯も支給品ではありませんね?』

 

「はい、近くにいた人に借りました」

 

「貸してねえよ……」

 

 青年がぶつりと呟いたがモモは無視し、美希が代わりにペコペコ頭を下げる。

 

『民間人の……ではその携帯は返さずに持ち帰ってください。もし持ち帰れなさそうなら、メモリチップを必ず破壊してください。いいですね?』

 

「分りました」

 

『では話を聞きましょう。どうしましたか?』

 

「えーっと……」

 

 ここでようやくモモは青年の方を一瞥する。部外者の民間人が聞き耳を立てている環境で、開けっ広げに語るわけにはいかない。どう説明すればいいだろう。いっそ移動したほうがいいか。モモは人気のなさそうな場所を探してキョロキョロと周囲を窺う。その間に、坂崎の方でガサゴソと異音がした。

 

『あ、モモちゃんちょっと待っててくださいね』

 

 そう言ってから、坂崎の声が遠ざかる。他の誰かと会話しているらしい。よく聞き取れないが、『釣りのコツは』や『釣果は十分』などという言葉の断片が聞き取れた。どうやら釣りの話をしているらしい。

 

 坂崎の話は一分そこらで終わったようで、再びこちらに戻ってきた。

 

『お待たせしました。いま蔵馬さんから連絡がありました。貴方達の状況もだいたい掴めました』

 

 蔵馬の無事を聞いて、モモはそっと胸を撫で下ろす。蔵馬なら無事だろうと信じてはいたが、それでも義体の本能が担当官の安否を慮るのだ。

 

「釣りの話じゃないんですか?」

 

『よく聞き取れましたね……。気にしなくて結構です。それで、モモちゃんは何か報告状況はありますか? 連絡が出来ているという事は、現在敵からの襲撃は受けていない様ですね』

 

「はい、今のところは特にありません」

 

 モモは周囲をぐるりと確認するが、異常は見られない。

 

『そうですか。蔵馬さんは新大阪で降りるそうです。今からうちの職員をそちらに向かわせますので、モモちゃん達も新大阪へ向かってください』

 

「了解しました」

 

 ようやく行動の道しるべが立てられた。自分は所詮道具なのだ。ああしろこうしろと命令されている状態が一番落ち着く。

 

 安堵の籠ったモモの肯定に、坂崎は声のトーンを少し落として続けた。

 

『モモちゃん、斎藤美希さんを連れたままで大丈夫ですか?』

 

「どういう意味ですか?」

 

 突然だった坂崎の問いかけに、モモは面を食らう。

 

『もし自分の身が危ないと思ったら、逃げたっていいんですよ』

 

「…………それは」

 

 モモの一度落ち着いた心が、坂崎の言葉で再び冷える。

 

 坂崎は何を言っているのか。

 

 それは斎藤美希を放棄しても構わない、という意味だ。

 もう斎藤美希に護る価値は無くなった、という意味だ。

 

 あたかもモモの身を案じる様に言った坂崎の台詞は、実質護衛任務の終了を意味する。

 

 義体は命じられれば自身の身を、言葉通り盾にすることも厭わない。モモは当然、美希に危険を及ぼすものがいれば排除し、身を挺して守るつもりでいた。何故ならそれが命令だったから。だがその命令が解かれた今、自分が美希と一緒に行動する意味はあるのだろうか。

 

 ざわざわ護衛任務を立案したのは坂崎だ。この期に及んで、坂崎は何がしたいのだろう。モモに彼女の考えが少しも理解が出来ない。

返す言葉に窮して、モモは黙りこくってしまう。

 

 そして無意識に美希の方を見る。

 その視界の動きが、何かを捉えた。

 

 中央口改札の奥。チラチラと映るのは派手な金髪だ。自然とモモの視線はそちらへ向かう。

 

 その派手な金髪には見覚えがある。そしてその下にある顔も記憶に新しい。軽薄という言葉のモデルケースに相応しいチンピラ顔。そして彼の周りには大柄の男が三人。

 昨日厚木で出会ったヤクザだった。

 

「…………………………」

 

 そして金髪が突然顔を巡らせ、モモとバッチリ目が合う。

 

『大丈夫ならいいんです。モモちゃん、職員の到着まであと十五分ほどありそうですけど、それまで京都駅で待機できそうですか?』

 

「あー、無理そうです」

 

「いたぞ!」

 

 金髪がモモを指差して叫び、同時にモモは電話を切って美希の手を掴んで駆け出した。

 

「あ! おい! 俺の携帯!」

 

「もう少しお借りします!」

 

 そう言い残して、モモは美希を引いて京都駅から外へ駆け出た。突然だったモモの動きに目を丸くして足を縺れさせた美希だったが、昨日のヤクザが追ってきている事に気付いて駆け足の速度を上げる。

 

「昨日からこんなのばっかり……」

 

「タクシーに乗りますよ!」

 

 ヤクザ達が改札で手こずっている間にタクシー乗り場に辿り着いたモモたちは、最も手近な客待ちタクシーの後部座席に飛び込んだ。モモは身を乗り出して運転手に出発を急かす。

 

「新大阪駅まで! 全速力で!」

 

「分りました、シートベルトをしてください」

 

 運転手はシートベルト着用を促し、モモが従ったのを確認してからタクシーを走らせ始めた。ほとんど入れ違いの形で、ヤクザ達がタクシー乗り場にやって来る。モモたちが乗るタクシーを追って走ってくるが、成人男性の全速力は平均で時速25km。ギリギリ発進したタクシーの方が早かった。

 

「……お客さん、あの方々は……」

 

「無視してください。前だけを見て、急いで新大阪駅へ向かってください」

 あの連中を無視するなどやや無茶な要求だが、運転手はそれ以上言及せずに車を走らせる。ややこしそうなことには首を突っ込まない主義なのだろう。

 タクシーは大通りに乗って、京都の街を南へ下って行く。交通量の多い大通りにいれば、さすがに無茶な襲撃は避けられるだろう。

 モモと美希はリアガラスに張り付いて追手を探すが、それらしい影は無い。どうやら撒けたらしい。

 二人そろって深いため息を吐き、シートに深くもたれ掛かる。

 娘二人で落ち着かない状態だったが、何とか蔵馬と合流できそうだ。美希も大人の不在は心許なかったが、担当官と離されたモモのストレスはその比でない。蔵馬と離別してまだ十分ほどだが、モモの顔には疲労の色が浮かび始めていた。

 

「……ところでモモ」

 

 タクシーに乗り込んでしばらく経ってから、美希は運転手には聞こえないように、モモの耳に顔を近づけ小声で囁く。

 美希が気になったのは運賃メーターだ。そろそろ五千円を超えそうだ。

 

「運賃どうするの?」

 

「あー……この携帯で現物支払い、は駄目ですね。これは持って帰らないと」

 

「いやそれ盗品……」

 

 モモの発言からやはり考え無しだったと理解して、美希はもう慣れたのかそれ以上のツッコミは無かった。まあ運賃は今無くても問題ではないと気を持ち直す。新大阪駅に着いてから蔵馬に払ってもらえばいいだろう。

ただ、モモは普段でも支払いのことを考えずにタクシーに乗りそうな気がする。たった二日程度の付き合いだが、美希は段々モモの人となりが分かってきた。

 この娘、知的で思慮深い、深窓の令嬢然とした見た目をしている癖に、結構考え無しでバカだ。何をするにしても突然で、空気を読んでいる様で読めていないことが間々ある。

でも優しい。

 そんな彼女は――政府の殺し屋だ。

 

「どうかしましたか?」

 

「……ううん、何でもない」

 

 美希の視線に勘付いて小首を傾げるモモから目を放し、美希は窓の外に目を向ける。

 京都を出て、高槻市を抜けたタクシーは大阪市郊外にまで近付いていた。

 

 車窓の風景は時々美希の見知った土地があり、家恋しさが湧いてくる。そう言えば、自分は家出しているんだったと、美希は二日前までの自分を思い出す。家出なんてするんじゃなかった。ちょっとした衝動と若気の至りのせいでこんなことになってしまうとは。

 

 美希が自身の軽率さを反省していると、車内に右向きの遠心力が掛かる。タクシーが左折したのだ。曲がった先は大通りから外れた支道だ。

 

 おかしい。

 関西に住んでおり、大阪へも家の都合で良く出向く美希だから気付けた。新大阪駅へ向かうのに、大通りから外れる必要などないはずだ。

 

「どうして通りから外れたの?」

 

 美希の運転手への問いかけで、モモに自分たちが大通りから外れたことに気付いたらしい。

 モモの危機察知が特大のアラームを鳴らす。

 

「どうも大通りが混んでいるみたいなんで、別の道へ移るだけですよ」。

 

「――っ早く通りに戻っ」

 

 戻って。その言葉の途中で、モモの耳は異音を掴んだ。ゴムが焦げ削れる音と、野太いエンジン駆動音。それが後方から凄まじいスピードで迫ってきた。

 

 モモは隣の美希を被さるように抱き抱え込む。

 

 次の瞬間に訪れた、爆発にも似た衝撃。

 大砲を撃ち込まれたかのような轟音と震動が車内の三人を襲い、身体を打ち揺さぶった。

 

「きゃあああ!」

 

 美希の悲鳴はタクシーが破砕する音に飲まれる。

 

 衝撃の原因は、自動車による追突だ。

 突っ込んできた車は黒塗りのセダン。全ての窓には黒スモークが貼られている。

 

 黒セダンの数メートル後ろにはタイヤ痕が残されており、明らかに突撃目的で急加速したことが窺える。故意の衝突を受けたタクシーは道路脇のガードレールに突っ込んで、車体をあちこち歪め凹ませて白煙を上げていた。

 

 黒セダンはバックして加速点まで戻る。タクシーに動きが無いのを確認して、ドアが開いた。中に乗っていたのはモモに京都で巻かれた金髪のチンピラヤクザ――大柳組の八木と二人のヤクザだ。

 

 八木は運転席の窓を開けて、車外の二人に支持を飛ばす。

 

「早く斎藤美希を拉致れ」

 

 人気の乏しい支道でも、自動車の衝突事故があればすぐに人が集まってくる。誘拐するにしろ、死亡を確認するにしろ、時間に余裕はない。

 

 八木としては死んでいてくれた方が運ぶ苦労が無くていい。いままで何度か同じように、衝突事故と見せかけて人を殺してきた経験からすると、三割くらいの確率で死んでいるだろう。もし生きていれば、もう中から這い出てきている。その動きが無いという事は、死んだか、瀕死の状態のはずだ。

 

 二人のヤクザはタクシーの両側に回り込み、中を覗き込む。

 右側にいた方のヤクザが、中の状態を八木に伝えようと口を開く。

 

 だが彼が声を発することは無かった。内側から蹴り開けられたドアに殴られて、身体の骨と内臓を半分潰して吹っ飛ぶ。

 

 残ったヤクザは驚く間もなく、タクシーの中から散来したタボールの銃撃を全身に受ける。身を腐り潰れた柿の如く赤く弾けさせて、声も挙げずに死んだ。

 

「くそっ! 生きてやがった!」

 

 仲間の惨状を見て八木は悪態を吐き、再びアクセルを思い切り踏み込んだ。だがタクシーに接触するよりも早く、タボールの銃把を握ったモモは、気を失った美希を担いで蹴り破ったドアから脱出していた。

 

 金属が割れ砕かれる轟音。

 

 モモは飛び散る車の破片を、集る羽虫を払うが如くタボールの銃身で弾く。

 

 タクシーの尻に食い付いて動けなくなった黒セダン。エアバッグを取り除いている為、八木は額をハンドルにぶつけて意識を失っていた。

 

 モモは意識の戻らない美希をへしゃげたガードレールにもたれ掛けさせると、黒セダンにゆっくりと歩み寄る。

 

「もしもし、起きてください」

 

 空いた窓からタボールの銃口で八木の頭を突く。

 

 銃で揺さぶられて意識を取り戻した八木は、すぐ横のモモに気付いて顔を青くした。頭に突き付けられた銃口へ対する恐怖もあるが、それ以上に八木の胆を冷やしたのはモモの状態だった。

 

 傷一つ無い。厳密に言えば多少の擦り傷や打ち傷が散在しているが、しかしモモが遭った衝突の威力は、本来人を死傷せしめるものである。転んだ程度の怪我で済むはずがないのだ。

 

「化け物が……何で死なねえんだよ……!」

 

 恐怖と緊張に喉を震わせながらも、歯の隙間からそう絞り出した。

 

「凄く丈夫で強いんです」

 

「雌ゴリラが……!」

 

「ふふ、口が減りませんね、見た目より根性あるじゃないですか。まあいいです、それよりどうして私たちの位置が分かったんですか? 教えてください」

 

「教える訳ないだろ……!」

 

「そうですか」

 

 情報が得られないなら、生かしておく必要も無い。

 

 モモは引き金を絞る指に力を込めるが、人の接近の気配を察知して身を引く。人殺しの様子を民間人に目撃されるわけにはいかない。見られたら、見た人全員を殺す必要が出てくる。タボールを下ろしたモモに、八木は生還を感じてヘラヘラ笑い始める。

 

 癇に障る顔だ。

 

 モモは表情の無い氷の貌で、その下卑た笑いの上に乗った金髪を鷲掴み、顔面をハンドルに叩き付けた。八木の前歯が、歯茎を突き破って内側にへし折れた。

 

「ふぉっ、ご、おおおおおおおおおお!」

 

 八木の絶叫を背後に、モモはタクシーの中からガンケースを引っ張り出してタボールを突っ込み、失神したままの美希を背負う。

 

 人が集まってきたが、幸い野次馬たちの注意は、大破したタクシーと道に伏すヤクザの死体に注がれている。誰にも呼び止められること無く、事故と死体と痛みに呻くヤクザを置いて、ふらふらと歩み始める。

 

 蔵馬と別れて一時間と少し。もうすぐ四時を回るだろうか。

 十二月の空は移ろいが早い。空は西から橙を含み始めている。

 大阪の街を彷徨いながら、モモは白い息を吐いた。

 

「新大阪駅……どっちだろう……」

 

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