Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』) 作:ふじやまさん
蔵馬たちが滞在したビジネスホテルの駐車場には、十台分の乗用車を停めるだけのキャパシティがある。ほとんど宿泊客のいないこのホテルには無用の長物とも思える。いっそ月極の駐車場にした方がいい儲けになりそうだ。
現に広々としたこの空間を占める車は一台も無い。しかし、寒々とした打放しコンクリートの壁や天井は排気ガスに煤け、床にもタイヤ痕が黒く幾層にも重なっている。人の気配が微かも匂わないこのホテルの駐車場にしては、随分と利用されている形跡がある。
ただ管理が行き届いていないだけという訳では無い証拠に、蛍光灯は全て新品に近い明るさで光を発し、床の白線も定期的に引き直されているらしく剥げや擦れは一切無い。それもそのはずであり、このホテルにとって、駐車場こそが最も重要な施設なのだ。
彼らが休息を取ったこのホテルは、公安の刑事や、その他のあまり公には出来ない性質の公務員が主に集合場所として利用する、半官営のホテルなのである。サッと集まって人員機材を確認してサッと立ち去る。
そういう施設であるから、そもそも宿泊客がいること自体稀有なのだ。むしろ客室よりも運搬用の自動車を停める駐車場こそがメインフロアと言えた。
その丁寧に打たれたコンクリの滑らかな床に、一台の自動車が滑り込んできた。運転席にいるのは常盤だ。
重く唸るエンジン音を響かせる黒の車体を見て、蔵馬は思わず感嘆の声を漏らす。ホテルの駐車場に停められたのは、世界に名だたる高級車メルセデス・ベンツSクラス、その五代目であるW221だ。それを防弾車仕様に改造した代物であることに、目ざとい蔵馬は一目で看破した。
このマシンは装甲やガラスの防弾化は当然として、シャーシ周りのサスペンションやショックアブソーバーを初めとした大部分のパーツが強化され、爆弾が真横で爆発しても問題なく走行できる。
その他安全性を高めるために、あらゆる改造が施されており、かつ本来の操縦性を維持している。主に国賓や政府の重要ポストに就く人間を護送する為に使われる、走る掩体壕のような車だ。
蔵馬は空間を切り裂くようなシャープなボディを指先で撫で、運転席から降り出た常盤に振り返る。
「どうしたんだこれ」
「府警公安の駐車場に置いてたから借りてきた」
借りる許可を取ったのかどうかは言わなかった。蔵馬もあえて聞かずに、悪そうな笑みを浮かべてW221の周りを回って嬉しそうに眺めている。
「防弾性能はNIJ-Ⅳ。これなら日本のヤクザ程度の火力、目じゃないよ」
「ヤクザどころか一個小隊のど真ん中を突っ切れるぞ」
何が面白いのか二人で仄暗くククク……と笑う。その様子をモモたち三人はどこか冷めた目で眺めていた。
男が熱中するものに、女は大抵無関心なものなのだ。多少理解のあるモモですら、しゃがみ込んでタイヤを愛おしそうに撫でる蔵馬に、やや引き気味の体だった。マシンの性能とかはどうでもいいので、早く乗せて欲しい。空調が無く冷たいコンクリートに囲まれた駐車場は非常に寒い。
その視線に気付いていないのか無視しているのか、蔵馬は全く意に介さず、ひとしきり車を愛でた後に、助手席にガンケースを放り込むと、いつになくワクワクした様子で運転席に乗り込んだ。感触を確かめるようにハンドルを撫で、バックミラーの向きを調節する。
座席の位置を調整しながら窓を半分開き、並んで立っているモモたちに「乗れ」と手招きした。少女三人は互いに顔を見合わせ、そして蔵馬に続いてW221の後部座席に入る。
美希を中央に、右にモモ、左にアザミが座る。美希は疲れと緊張を混ぜ合わせた面持ちをしているが、左右の二人は温かい車内にほっこりしながら、能天気に内装を眺めている。中に入ると分かるが、見た目の割に狭い。天井やピラー、ガラス、すべての外に面する部分が分厚く、圧迫感がある。
この手の要人護送用の防弾車は、外見だけなら一般車とそう変わらない。一目で銃弾を防ぎ、爆風の中を突き進む厳つい車輌だと分かる見た目をしていると、周囲に『ここに重要人物がいますよ!』と触れ散らかしている事になり、逆に狙われる。要人護送車が主に防弾処理を施しているのは主に内装側なのだ。
とは言えそこまで一般車と大きくかけ離れた内装をしている訳でもなく、単純に外車が珍しいだけだろう。
蔵馬はグローブボックスにガンケースにある小銃のマガジンの内、半分の六本をしまう。
「左ハンドルだけど、大丈夫かい?」
車外の常盤が、半開きの窓から声をかける。
「こっちのほうが馴れてるくらいだ」
「じゃあ悪いけど、僕は府警の方へ行くよ。アザミは置いて行くから」
「助かる」
蔵馬は礼を言ってモモを一瞥する。いくら本人と技術師が問題ないと言っても、なるべく負担を掛けたくないというのが蔵馬の本音だった。これまで再三の襲撃があったのだ。この先には更なる危険が、牙を剥き出して待ち構えていると考えたほうがいい。義体の中でもトップクラスの戦闘能力を持つアザミは大きな戦力になる。
「アザミ、蔵馬君の言う事をちゃんと聞くんだよ」
「分かっています」
アザミの頷きを見て、常盤は腰を折って窓に顔を寄せ、蔵馬の耳元に口を寄せる。
「センターからの応援は無し。この車以外の追加装備も無し。出せる駒はここまでだよ。本当に大丈夫かい?」
「やらなきゃあの子、殺されちまうだろうが」
後ろの美希には聞こえない小声で、蔵馬は返す。大丈夫、とは言わなかった。
「諜報部、どうも臭いよ。今日はやけに口を出してくる。『義体を使っている上に更なる人員の追加は過剰であり無駄だ』って、僕がそっちに付くのも許さない。作戦部も義体が負傷した事は諜報部に伏せてるから、あまり強くは言い返せない」
「……まあ、今回は諜報部だけじゃ無いだろうけどな」
何か思い当たる節がある口振りの蔵馬は、剣呑とした濁りを瞳の奥に湧かせる。しかしそれ以上の事は言わず、シフトレバーを操作して発進に備える。
「出発する。何かあったら些細な事でも連絡をくれ」
蔵馬がアクセルを踏む寸前に、美希が窓の方へ身を乗り出した。
「あの……助けてくれて……ありがとうございました」
感謝の言葉に常盤は面喰った様に一瞬停滞し、だがすぐに笑顔を戻す。
「無事に家に帰れるといいね」
美希は「ありがとうございます」と再度頭を下げてから義体二人の間に戻る。
W221のエンジンが嘶き、ライトが灯る。
蔵馬は手を振る常盤に片手を挙げて返し、自動車を出発させた。駐車場を去り、夜も深まった大阪を湾岸方面に向かって出ていく。
再び空になった駐車場、一人残った常盤は、漂う排気ガスの帯を目で辿りながら、面白がるように呟いた。
「……ま、無事じゃ済まないだろうけどね」
●
蔵馬たちが乗るベンツW221は新大阪から、港湾地帯を西に抜け、阪神高速5号湾岸線に入った。前から後ろへ過ぎ消える照明灯の下には、W221の他、遠くにチラチラと数台の乗用車を見るのみだ。
大阪湾の淵を巡るこの高速幹線は、比較的利用者の少ない高速道路である。今は深夜帯であることもあり、蔵馬らの他に走る車影はない。
「神戸市内に入ったら、兵庫県警と合流して彼女の自宅に行く。精々一時間程度の気軽なドライブだ」
そうは言いつつ、蔵馬は敵の気配を逃すまいと、全身に警戒と緊張を漲らせながら運転する。最も襲撃の可能性があった市街地を何事も無く抜けたが、それで安心と言うわけでは無い。高速道路に入ってしまった以上、ここで襲われたら逃げることが出来ない。正面から突っ切って、障害を排除する以外に取れる選択肢がないのだ。
「どうして湾岸線を使うんですか?」
首を傾げるのは、常盤が事前に渡していた地図を広げるモモだ。彼女もこのルートでは逃げ道が無いことに思い至ったのだろう。
「大阪府警と諜報部が、この道を指定してきた。また戦闘が起こったら、この高速以外ではもう揉み消せないんだと」
市街地から遠く離れた湾岸線ならば、民間人の目に晒さられることも無く、息のかかっていない警官たちの到着も遅らせられる。それに高速道路なら偽装する監視カメラの数も少なくて済むし、何か都合の悪い物が道に落ちていても、最悪海に捨てられる。確かに隠蔽はしやすい。
新幹線の分も含めれば、昨日一日で三度の発砲事件を起こしているのだ。これ以上は庇いきれないというのが正直なところなのだろう。関西地域でセンターの存在を知るのは、各県の公安と、その息がかかった一部の警官のみだ。
発砲事件と聞いて出張ってくる捜査一課と、ヤクザの臭いを嗅ぎつけて飛んできた捜査四課を上手くあしらいながらの組織内隠蔽工作。これ以上隠しきれないと泣き言を暗に漏らす、彼らの気持ちが分からないことも無い。
「府警は無理だったが、常盤と坂崎の奮迅のお陰で、神戸市警の協力は得られた。この高速を凌げば、後は護衛付きで優雅に帰れる」
「帰る、ね……」
頬杖をついて窓の外を眺めながら呟くのはアザミだ。
タボールを腕に抱えて臨戦態勢、戦意十分、ヤル気一杯のモモとは違い、やや眠たげだ。無論そう見えるだけであり、アザミが少し眠そうに見えるのはいつものことだ。多少活気づくことがあるとすれば、風呂場への強制連行に必死の抵抗を試みる時くらいだろう。
アザミは夜の帳に塗り潰されて見えない、湾岸線の隣に広がっているはずの黒い海面から視線だけを美希に向ける。
「どうして家出なんかしたの?」
尋ねる言葉には、攻撃的な色は無い。どうしてもその答えが知りたいという意志も籠っていない。何と無くの、暇つぶし程度の質問なのだろう。
「私には家とか家族とかが無いから、家出するって感覚がよく分からない。どうして家を出たの?」
アザミに質問に、モモも興味があるのか黙って美希の答えを待っている。
「どうして……」
どうして、と問われて、美希は咄嗟に返せなかった。そもそも自分は何故家を出たのだったろう。色々とあり過ぎて、つい二日前にあったことが忘却の彼方に吹っ飛んでしまっていた。
美希は記憶を手繰り寄せようとして、つい癖で自身の毛先を指に巻きつける。考え事をする時の癖だ。実際こうすると頭が冴える様な気がして、自然と髪を伸ばすようになったのも、この癖があるからだった。クルクルと、弄ぶその茶色い髪を見て、
「あ」
思い出した。
「これ」
美希はつま先の髪を一房つまみ上げる。
「髪の毛?」
モモとアザミは不思議そうにその毛先を見る。
「この髪が原因で、親とケンカしちゃって」
「それだけで?」
アザミはどうも釈然としたいようだった。
「えっとね……髪の毛染めて、それが学校に見つかって、停学になっちゃったの。それで親とケンカ」
言って、思わず笑ってしまう。自傷的な笑いだった。家を飛び出した当時は人生でもっとも深刻な問題であるように思えたことが、今や鼻で笑う程度の些事にまで大暴落してしまっている。
「私髪の毛の量すごく多くて、しかも剛毛。あとこの三白眼でしょ。だから昔から『モップ女』とか『物の怪』言われててさ」
美希は久しく思い出すことの無かった幼少期を回顧する。
あまり気の強い方でなかった自分は、からかわれても黙って我慢する以外の術を知らず、悔しくて帰ってからよく泣いた。誰かに相談しようにも、家には怖くて厳しい祖父と、無口な老家政婦がいるだけ。
本来なら傍にいてくれるはずの母は外交官である父に付いて、家どころか日本にすら滅多に帰ってこない。いっそ自分も両親について行けたら良かったのだが、祖父の教育方針として、高校を卒業するまでは日本の教育を受けることを厳命されていた。
「高校に入ってからはそういう事は言われなくなったけど、やっぱりコンプレックスがあったんだ。だから思い切って染めてやろうって思ったんだけど」
「だけど?」
「私が通ってる学校って校則凄く厳しくて、毛染めもカラーコンタクトも絶対禁止だったのよね。それで……あれって四日前か……凄く昔に感じる」
話しながら、美希は指を折って何かの日数を数える。
「終業式の後、学校の帰りに美容室に寄ったんだ。髪の毛もっさりしてきたから。その時に美容師さんと冬休みだねークリスマスだねーって話をしてて、そしたら休みになるなら染めてみる? って言われて、うっかり染めちゃったんだよね。
ついでにカラーコンタクトも買って、一人でウキウキしながら街歩いてたら同級生に見つかって、学校に密告されて、停学食らっちゃった。もう冬休みなのにさ」
そう言いながらも、停学処分に関しては特別思うところは無い。もともと学校は肌に合わなかったし、祖父が半ば強制的に進学させたお嬢様学校だ。退学させられたとしても、すんなり受け入れるだろう。ただショックだったのは、その後のことだった。
「お祖父ちゃんは最近ずっと家にいないし、パパとママはずっと海外にいるし、停学と言っても冬休み中だし、まあいっかって思ってたんだけど。……なんでかなー、そういう時に限ってパパたち帰ってきてるんだよね」
学校で生活指導教諭にたっぷり絞られた後、怒られ疲れてやや憔悴しながら帰宅し、そして玄関に両親の靴とキャリーケースがある事に気付いた。つい口角が上がったのを、美希は覚えていた。
数年ぶりに会った両親は特に変わった様子も無く、強いて言えば自分が成長した為か、少し縮んで見えた。それくらい、直接会ったのは久しぶりだった。ただ記憶の中の両親は、もっと血色が良かったはずだ。
二人の顔が青い原因が、自分の停学にあると気付いたのはそのすぐ後だった。
「……どうせなら怒ってくれたらいいのに、ママったら泣きながら『どうしてそんな事したの?』って。反抗期だと思ったのかな、よく分かんないや。……でも気付いたら家を飛び出しちゃって……いまここ」
「やっぱりよく分からないわ……」
アザミは再び外に視線を戻した。
親との行き違い、子供としての悩念。どちらも義体には縁の無いものだ。
もしかしたら義体になる前、人間として生きていた頃ならあったかもしれない。少しでも当時の記憶が残っていれば、あるいは共感できたかもしれないが、この身体を得る前の記憶は全て、洗脳と薬物と手術の際に脳を弄繰り回されて消滅している。
知らないから、理解も共感も出来ない。美希が話したことは、アザミにとって、それが真横にあったとしても遠い何処か違う世界の出来事でしかなかった。
「分んないか。まあ私も分かって無いもんね。……でも、分からないなら、ちゃんと話をするべきだった。分からないなら……怖いなら……なお更ちゃんと近付いて、話をしないと駄目だった」
アザミの疑問に答えることは出来ずとも、自分の頭の中にあったものを声に乗せていくうちに、美希は何かに気付き、答えを導き出すことが出来たらしい。朧げだった言葉の節々に力がこもる。
「あの時に、ちゃんとそれが出来ていれば、モモが怪我することもなかったのに」
「それは違いますよ」
美希の言葉に、モモは否定を入れた。そして腹を撫でながら笑う。
「美希さんがいなくても、別の任務でどうせ怪我しますから」
「怪我しないようにしなよ……クラマさんが苦々しい顔してるよ」
バックミラーに映る蔵馬の眉間には、確かに警戒以外のことが理由であろう皺が深く刻まれていた。モモはそれを見なかったことにした。
「と、とりあえず、まずはお家に帰りましょう。全部はそこからですよ」
「そうだね……帰らなきゃ」
モモは太ももの上にあった左手の袖に、軽く力が掛かったのを感じて目を落とす。
そこには小さくブレザーの裾を摘まむ、美希の指があった。小刻みに震えるその手を、モモは強く握った。
「……!」
取られた手に、美希は一度ビクリと肩を跳ねさせ、そしてゆっくり、モモと同じ力で握り返した。重なった二人の手、そこから美希はモモを見る。モモも、まっすぐ美希を見ていた。
車窓から差し込み消える照明灯の橙光によって、闇から浮かび、沈むモモの顔は、美希が今まで見た中で最も自然で、人間的で、じんわりとした静かな輝きに満ちた、美しい微笑みを湛えていた。
一秒が五秒にも十秒にも感じられる、そんな時間。
この時間を破ったのは、コツンと、小石か何かを弾いたような、そんな小さな音だった。
その音を聞いた瞬間、闇から次に浮かび上がったモモから微笑は消え失せ、能面のように無機質な、少女の形をした別の何かの顔があった。
「来たな」
「来たね」
「……来ましたね」
モモは美希の手を放し、代わりにタボールの銃身を掴んだ。
そしてアザミと二人、リアガラスから後方を振り返る。
つい先ほどまで閑散としていた高速道路に、幾層のライトの強い光が雑列していた。
けたたましいエンジン音をかき鳴らし、十数台の自動車の群れが猛烈な勢いで距離を詰めてくる。特に目の良いアザミは、この薄暗い視界の中で、それらの車内を明細に確認できた。誰も彼もが小銃や拳銃を装備していた。車から身を乗り出して、銃口を向けてくる者も何人かいる。
「前にもいるぞ」
蔵馬が指差す前方には、四台の大型トラックが田の字に鈍行して道を塞いでいた。その荷台には、AKM自動小銃を手に持つ男たちがいる。
まるで映画のカーチェイスシーンのようだ。さすがの蔵馬もその大所帯ぶりに言葉を無くすが、すぐにシニカルな笑いを飛ばした。それに釣られてアザミが笑い、そしてモモも笑った。美希だけが、恐怖と緊張で固まっている。
乾いた笑いに満ちた車内、そして少女たちは銃把を手に取った。
●
湾岸五号線を二十台近くの自動車が、一団となって走っている。
騒々しく、煌々とハイビームで道を照らして団子になっている集団、その中心にいるベンツW221は頭をトラックなどの大型車両に阻まれ、尻にはセダン車やワゴン車、小型トラックなどの普通車が縦に横に列をなして塞いでいる。前にも後ろにも逃げ道はない。
「無いなら作るしかないな」
蔵馬は犬歯を剥いて笑う。
「おい、お前ら。窓は開けるな。手も車の外には出来るだけ出すなよ」
ちょうど窓のパワーウインドースイッチに指を掛けていたモモと、MG4に弾倉を挿し込むアザミは動きを止めて運転席を見る。
「何故ですか?」
「危ないからだ」
皮肉めいた蔵馬の台詞が吐かれた直後、後ろにいた集団の内、クーペ車が一台右側に横づけしてきた。助手席の男は窓を開く。人相からして暴力団組員――これまで執拗に美希を追ってきた大柳組の組員だろう。組員は何か喚き散らしながら腕を突き出して、こちらにマカロフを向けてきた。それを見て美希は思わずモモに抱き着く。
「えっ大丈夫……? これは大丈夫なの……?」
「大丈夫ですよ、ええ、うん」
マカロフが火を噴き、コツコツと弾丸が窓に撃ち込まれる。だが薄い跡を残すだけで、窓を割るどころか傷つける事すら適わない。AKシリーズの大型弾薬にすら耐えうる防弾レベルを持つこの車にとって、拳銃弾など石つぶてとそう変わらないのだ。
蔵馬は銃撃に意も介さず、ハンドルを右に切った。W221は右に滑り、横のクーペに衝突する。窓から出ていた腕は、車体に挟まれてグシャリと押し潰された。骨を潰し折られた激痛に悲鳴を上げている様子のヤクザは、変な方向に曲がる腕を抱えて車の奥に消えた。
「な、危ないだろ?」
その一部始終を見ていた義体の二人は勢いよく首を上下させる。
「でも、それじゃあどこから撃てばいいですか?」
「サンルーフから撃て。開くようにされてるはずだ」
モモはサンルーフの傍にあったスイッチを入れた。サンルーフの窓がスライドし、ちょうど大人二人がギリギリ潜れる穴が屋根に開く。車内に皮膚を刺す寒風が奔流となって入り込んできた。
「開きました!」
「なら撃て!」
モモはアザミとの間にいた美希を、座席の下に押し込む。
「ここにいて、動かないでください」
そして、アザミと一瞬目を見合わせると、二人同時にサンルーフから身を踊り出した。
右側にいたモモは横のクーペに、アザミは前方のトラックの荷台にいる男たちに弾丸を浴びせる。防弾加工など受けていないクーペの車体はいとも容易く貫かれた。中にいた者たちは弾の雨を浴びて血を噴き、車窓が内側から赤く汚れる。そして操舵を失ったクーペは路肩に突っ込み、後方に姿を消した。
一方で前方トラックの荷台にいた男たちは、アザミの張った弾幕に崩れて道路に放り出され、あるいは弾除けとして設置しているコンテナに身を隠した。すると、アザミは隠れて出てこないヤクザから照準を外し、トラックの後輪に射撃を加えた。後ろタイヤはズタズタに引き裂かれ、トラックの速度は目に見えて落ち始める。
四台で塞いでいた行く手の道に隙間が出来た。蔵馬はその空間を通って、トラックの側面に車を滑り込ませる。そしてモモはトラック運転席に、アザミは射撃を加えてくる他のトラックに向けて引き金を引く。モモに運転手を殺されたトラックはグネグネ蛇行し、ついに反対車線の方へ突っ込んでいった。
「熱っ、あちちち!」
車の中で美希の悲鳴がして、モモは車内にいったん戻る。
「どうしました?!」
「上から何か熱いのが降ってくる!」
「熱いのって……」
モモが見上げると、ちょうどアザミのMG4から空薬莢が降ってきた。火薬を燃焼させたその金属筒は当然凄まじく熱い。
「熱! アザミ熱い!」
「え!? なに!?」
「撃つの止めてください!」
モモはアザミの手からMG4をもぎ取って、彼女ごと車内に引き込んだ。
それより一瞬遅れて、周りのヤクザたちが一斉射撃を初め、アザミがさっきまでいた空間に四方八方から弾丸が貫いた。
「何よ!?」
「薬莢が車の中に落ちちゃって危ないんです」
「言ってる場合か!」
「クラマさん、薬莢受けありますか?」
「ある訳ないだろ!」
前後からの射撃を受けつつ何とか車を走らせる蔵馬は怒鳴り返しながら、自分の右側を指差す。
「こっちに座らせろ!」
言って、また後ろから横に入ってきたワゴン車に体当たりをかます。
その時、蔵馬のスーツのポケットで、携帯が鳴った。後ろから前に移動しようとモゾモゾ動く鈍くさい女子高生の首根っこを掴んで助手席に詰め込み、その手で携帯を取る。
『蔵馬君、まずいことが』
珍しく、少し焦燥を滲ませた常盤の声だ。
「何だ!?」
『湾岸線のインターチェンジのほとんどで交通事故が起こった。敵が君たちをその道から降ろさない為に、わざと突っ込んで塞いだんだ。敵がそっちに向かってる』
「もう来てる!」
『ならなんとかそのまま深江浜インターチェンジ行けるかい? そこならもう警備が固められている。兵庫県警の公安が機動隊を連れて今から神戸側から応援に向かうそうだから、何とか持ちこたえてくれ』
「分かった!」
通話を切って、電話を隣の美希に放り投げる。
「鳴ったら出といてくれ!」
言うと同時、急ブレーキをかけて近付いてきた前のトラックを鋭いハンドル捌きで躱し、その側に回る。後部座席でモモたちが「せーの!」と声を合わせ、銃弾飛び交うサンルーフから再び攻撃を開始した。
二台目のトラックもタボールとMG4の一斉射撃を受けて、一台目と同じ道を辿った。
散った二台の戦訓を得て、残りのトラックは蔵馬らに横を取られないように、間を詰めて走り始めた。前からの射撃が疎らになったのを見て、モモは後ろの車群に銃口を巡らせる。
後方の車はどれも民間の普通車で、タボールの射撃に耐えうる防御力を備えているものはない。身体の半分を防弾車に隠しながら撃つモモにとって、射撃場の訓練とそう変わらなかった。一台一台、確実に運転席かエンジンを撃ち抜いて潰していく。
中にはモモの射撃を掻い潜って、突っ込んでくる車両もあった。
ちょうど白いワンボックスカーが、W221の真横に並走するようにして来た。その中にいる男たちと、モモの目が合う。そこにはまだ若い男も何人かいて、AKM小銃を握りしめながら、涙を浮かべている。初めから戦うのが厭だったのか、それとも次々に死んでいく仲間たちを見て怖気づいたのか。それはモモにとってどうでもよかった。
ワンボックスの後部ドアが開かれ出てきた小銃を構える男たちを、タボールのフルオートで迎える。五秒間ほどの連なる発砲音が止み、ボルトが下がり止まって弾切れを知らせる。ワンボックスの乗員は運転席を除くと、偶然仲間の死体が盾になって即死を免れた一人だけだった。モモと目があった男だ。運転席の仲間が撃てと叫んでいるが、男の戦意は恐怖で氷結してしまったらしい。ブルブル震えて呆けるだけだ。
モモは九つ目の空になった弾倉を車内に捨てて、ブレザーのポケットに差した替えの弾倉を装填。いまだに並走する障害を排除する為に、タボールを掲げた時、後ろの車群からまた一台、荷台に幌を掛けたピックアップトラックが飛び出してきた。
モモは目標の順番を変える。タボールでピックアップトラックを狙い、横のワンボックスには腰から抜いたPx4拳銃を向けた。弾丸を撃ち込まれ、二台はグワンと車体を左右にぶれさせる。生き残った男は、ここでようやく生存本能が恐怖を上回ったのか、絶叫しながらAKM小銃のトリガーを絞った。
照準も合わせず滅茶苦茶な方へ弾を飛ばす。モモは落ち着いて、その銃火に向けて拳銃弾を撃つ。AKM小銃の銃撃が止まった。
次いで運転席にも全弾放ち、ワンボックスカーはスピンしながら速度を落とし、後ろを走る仲間の軽トラを巻き込んで破砕した。
それを見送ったモモの耳元に、弾丸が掠った。髪が数房風に乗って散る。
その弾を撃ったのは、ピックアップトラックの助手席にいた男だった。
「……あれ?」
そのピックアップトラックは、モモが運転席にタボールの弾幕を浴びせたはずの車だ。弾を撃ち尽くしたPX4拳銃を弾倉と同じように車内に放り、モモは再度そのピックアップトラックにタボールで射撃を加え――その弾丸が全て弾かれるのを見た。
「――アザミ! あのトラックも防弾車です!」
「どれ?」
前のトラックを牽制していたアザミは、モモと一緒にピックアップトラックに弾幕を浴びせるが、火花を散らせるだけで装甲を貫くことが出来ない。恐らく、モモらが乗っているW221と同程度の防弾処理が施されている。
「クラマさん、あのトラック、なんか変です!」
「どう変なんだ!?」
「防弾処理がされていて……それに……まるで何かタイミングを窺っているような……」
蔵馬はサイドミラーで後ろを確認する。後方にはモモの言う通りピックアップトラックがいて、他の車と違って時々疎らに撃ってくる程度だ。
確かに妙だった。暴力団程度が防弾車を持っている事もだが、それよりも、幌に隠された荷台が気になる。蔵馬の戦場で培った経験が、その部分に警鐘を鳴らしていた。あの手のトラックは、今まで何度も見たことがある。
そう、中東の砂漠や市街で、民兵が乗っていた――。
「――ッ伏せろっ!」
ピックアップトラックが急加速したのを見て、蔵馬は咄嗟に叫んだ。まず隣の美希を座席の下に押し込む。ハンドルから手を放して脚で固定すると身を捩り、後ろの二人も車内に引き戻した。
ほぼ同じタイミングで、ピックアップトラックがW221の真横についた。そして荷台の幌が剥ぎ取られる。そこには、黒鉄の大銃身――航空機すら撃ち落とすDShk重機関銃の黒い銃口がこちらを向いていた。
銃轟が爆ぜる。
至近距離から放たれた12.7x108mm弾は厚く防弾処理された装甲を難なく引き裂き、防弾ガラスを貫き破り、無残に重機関銃の威力に蹂躙される。
破壊の嵐が巻き起こったほんの数秒で、厚い装甲の防弾車は走る鉄屑と化した。
だがしかし、エンジンは未だに熱を湛え、そして蔵馬たちもまだ生きている。
蔵馬はハンドルを回す。W221は銃撃を受けながらも、鋭く右に動いた。ピックアップトラックに体当たりを食らわせる。
時速100km以上の速度で走る自動車同士がぶつかると、中の人間は相当な衝撃を受ける。体を固定されていないDShk重機関銃の射手は大きくよろけ、銃把の担い手を失った機関銃は弾を吐き出すのを止めた。その隙を蔵馬は逃さない。
素早く体を起こし、腰のホルスターからP220拳銃を抜く。破砕した防弾ガラスの隙間、一瞬の視界に映った重機関銃の射手の身体を、三発の弾丸で撃ち抜いた。射手は血の帯を引いて荷台から落下し、背後に消えた。間髪入れず、再度ピックアップトラックに体当たりを決めた。さすがに怯んだのか、ほんの少しブレーキが入る。その速度の差がついた一瞬で、蔵馬はW221をピックアップトラックの前に滑り込ませた。そうやって頭を押さえ、拳銃からガンケースのM4カービンに素早く持ち替える。
そして足元に備え付けられている誘導灯を取り、窓から後ろに投擲した。クルクルと宙を舞う誘導灯が、ピックアップトラックのフロントガラスにぶつかる寸前。運転席の窓から身を捩り出し、M4カービンで誘導灯を狙う。刹那の照準、そして発砲――弾丸が着弾した。火薬の詰まった誘導灯は灼発し、眩い赤光がトラックの運転手の目を焼く。
視界を奪われた運転手は思わず急制動が掛け、W221との距離が一気に開く。
蔵馬はM4カービンの銃口を後ろから前に移す。蔵馬が見たのは、高速道路に点在する電光の道路情報掲示板だ。その基部に小銃のフルオートを放つ。掲示板はW221がその下を通過した瞬間の道路に落下し、後続の行く手を塞いだ。
ピックアップトラックは何とか停止に成功したが、他の後続車は次々に追突を繰り返して壊滅状態に陥っていた。
追走集団を引き離し、蔵馬は少女たちに声をかける。
「生きてるか!?」
「……生きてます」
「……なんとか」
「…………」
後ろの二人からは返事があったが、隣からは返答が無い。蔵馬は座席の下からシートに美希の身体を戻す。美希は白目を剥いて気絶していた。無理も無い。
「何ですかあれ……」
髪にまみれたガラス片を手で払い落しながら、モモは全身に負傷が無いか確認する。
「あれはテクニカルって言ってな。トラックの荷台に重機関銃とか無反動砲を搭載させる、手作りの戦闘車両だ。イラクで民兵がよく使っていた」
「重機関銃は反則だ……車がボロボロ。よく生きてたな私たち」
同じくガラス片で頭をキラキラ輝かせているアザミは起き上がり、W221の状況を見て顔を引き攣らせた。W221は半壊と言っても過言ではない有様となっている。窓はフロントガラスを除いて全て粉砕され、シートの背もたれも半分の高さまで千切れている。四隅のピラーもほとんどへし折りており、屋根部分がいつ取れてもおかしくない。
「車体ではなくて窓の高さを撃ってたからな……ギリギリだ。次は俺たちがミンチにされるぞ」
今なんとか生きていられているのは、彼らの錬度不足があったからだろう。わざわざ目の鼻の先まで接近してから撃ってきたのも、距離が開くと当てる自信が無かったからだ。あるいは零距離射撃でなければ当たらないくらいに、銃の方にガタが来ているのか。
「今のうちに逃げるぞ。前塞いでるやつらを退かせ」
「その前に弾を分けてもらえませんか。さっきMG4のマグを使い切りました」
アザミにそう乞われるが、しかし余分に持ってきているのはSTANAGマガジンだけだ。MG4とは弾薬は同じだが弾倉の規格が合わない。
「分けるつっても……」
正面のトラックから飛んできた銃弾が、バンパーに当たる。二台まで減ったトラックは、一台が道を塞ぐ役割を担い、もう片方は攻勢に出る構えを見せている。今は何とか防げてはいるが、重機関銃の大口径弾を掠った今では、それもいつまで持つか分からない。
モモは咄嗟に窓から半身を出して応射する。蔵馬も武器を拳銃に持ち直し、窓から威嚇射撃を続けた。窓から手を出すなと自分で言ったばかりだが、そもそも窓が無いのだから無効だ。
「モモ、弾貰うよ」
アザミはモモのガンケースに残っていた弾倉を取り出し、弾をMG4の弾倉に入れ替え始める。だが、これが時間のかかる作業だ。
前方のトラックに乗ってAKM小銃の弾霰を降らせてくるヤクザたちは、蔵馬たちの弾幕が薄くなったことに気付いたのだろう。荷台に用意した遮蔽物に隠れながら撃っていたのが、いつの間にか大きくこちらに近づき、突き刺すようにして弾を撃ちこんでくる。
DShk重機関銃に蹂躙され、何十発もの弾丸を受けたフロントガラスが、ついに限界を迎える。一発の小銃弾がガラスを貫通し、車内に飛び込んできた。運よく誰にも当たらずに後部座席のシートを抉るだけで済んだ。だがこれは、最初の一発目に過ぎない。
「調子に乗りやがって……!」
蔵馬はW221を右往左往させて弾を避けるが、いつまでも通用する手では無い。早急に次の一手が必要だ。
「……ねえ起きて!」
その一手を放ったのはアザミだった。彼女は弾の入れ替えを中断すると、助手席にいた美希を再び後部座席に引き戻した。そして肩を揺さぶり、頬をパチパチ叩く。
「んぐ……」
乱暴に覚醒を促された美希は、苦しそうに意識を戻して瞼を開く。その目の前を、再度貫通してきた弾丸が通過してシートのクッションを食い千切る。
「ひっ」
「起きた? 起きたね? じゃあこれ弾入れ替えといて。やり方はモモに聞いて。じゃあよろしく」
涙と冷や汗をだくだく流す美希にマガジンを押し付け、アザミは懐のホスルターから抜いたHK45拳銃とガンケースのMP9短機関銃を両手に持ち、運転席の蔵馬に顔を近づける。
「あのトラックに近づけますか?」
蔵馬はアザミの提案に怪訝そうな顔をして、しかし彼女の手にある近接戦闘用銃火器を見て、合点がいったらしい。
「いけるか?」
「勿論」
アザミの返事を聞くや否や、蔵馬はW221のアクセルを蹴り飛ばす。急加速した車体にかかったGに、後ろのモモと美希がふぎゃあと悲鳴を上げて転がる気配がある。だがそれは一旦無視して、蔵馬はトラックに体当たりする勢いで突っ込んだ。
そして衝突する直前、W221のボンネットに躍り出る影。
サンルーフから飛び出したアザミだ。その影は山猫の如く俊敏に、そして柔らかく弾の雨の中を掻い潜る。そして敵を諸手の銃器で次々に屠っていく。
荷台の敵をアザミに任せ、蔵馬はトラックの分厚い双輪に拳銃のマズルを向ける。弾かれた鉛礫がタイヤのゴムを裂き、トラックの動きが鈍った。徐々に速度を落としていくトラックを追い抜くのと同時に、その運転席にMP9短機関銃の残弾をすべて注ぎ込んだアザミが飛び移る。サンルーフから車内に舞い戻り、一息を吐いた。
「助かった」
「お安い御用です」
返り血で真っ赤になったアザミは服の袖で顔を拭きながら、拳銃のマガジンを入れ替える。
「残り一台……!」