Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』)   作:ふじやまさん

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第21話

 正午過ぎの国立児童社会復帰センターの義体寮、その玄関にはラウンジが設置されている。丸テーブルを囲む、一人掛けのソファーが三つ。それが二対あり、壁際には四人掛けの長椅子がある。

 

 一人掛けソファーだけで現在の寮生の数を超えているラウンジは、基本無人だ。くつろぐなら部屋に戻るし、駄弁りたいなら誰かの部屋に行った方がいい。強いて言えばここにはテレビがあるが、映るのはNHKだけなのであまり集客効果を発揮していない。

 

 だが今はモモがいた。検査衣の上に白いセーター姿で、ラウンジに備え付けられた一人掛けのソファーに腰掛け、テレビを眺めている。画面に映るのは往年のプロレス試合だ。モモが初瀬に借りたDVDの映像である。

 

 覆面レスラーのフランケンシュタイナーを見つめるモモの脇を、外から帰ってきたアザミが通る。ブカブカのダッフルコートを着てなお寒さに凍えながらラウンジを通過し、チラリとモモを見て、そしてもう一度見直した。

 

「見覚えの無いブサイクがいると思ったらモモか」

 

「……………………」

 

 いつになくぽってりした唇を尖らせ、アザミを無視して画面に齧りつく。アザミの言う通り、モモの容貌は普段と少し違う。かなり浮腫んでいる。

 

 膨らんだ顔をテレビから話そうとしないモモ。無視を決め込んでいるようだ。そういう態度を取られると、からかいたくなる心理に駆られるのがアザミと言う少女だった。普段は平坦な口元をにぃぃと薄く吊り上げ、モモに寄っていく。

 

「ん? あれ? モモかと思ったけど、やっぱり見覚えの無いブサイクさんですか?」

 

「……放っておいてよー」

 

「いやいや、放ってはおけないよ。知らない人だったら警備員を呼ばないといけないし。ほら白状しな、ただの見知らぬブスかな? それともブスになったモモかな?」

 

「あーもー! 煩い!」

 

「はは、キレたブスの顔こっわ。それで、なにその顔」

 

 アザミは一しきり笑った後、モモの正面にあるソファーに座る。モモは無視を選択肢に一瞬だけ入れた後、益無しと判断して返事した。

 

「……薬の副作用です。じゃあ私もう行きますね」

 

「どこ行くの?」

 

「研究棟です。検査結果が出る時間なので」

 

 モモはテレビの電源を消し、傍らにあった赤い外套を羽織る。寮の玄関に向かうその背に、アザミが何故か着いてきていた。

 

「……何?」

 

「もうちょっとその顔を眺めていようと思って。暇だし」

 

「お好きにどうぞ」

 

 言って、溜め息。その息は玄関の外で白い靄となり、冷えた大気に散る。義体寮の外は、銀白の雪に覆われていた。

 

 今年は散発的な降雪はあれども積もるまでには至らなかった雪が、今頃になって本腰を入れ始めたのだ。今朝、積雪を初めて見たモモとタンポポはそこそこはしゃいでいたが、一時間もすれば飽きる。靴が濡れることを厭いながら新雪をサクサクと踏み、モモはアザミと研究棟へと入る。

 

 ここは青少年育成施設時代のものをそのまま流用した他の棟とは違い、かなり大規模な改装を受けた建物だった。会議室や多目的室は様々な機器が運び込まれ、あるフロアは手術室を設けるために壁ごと打ち抜かれて基礎から作り変えられている。

 

 五分もすれば芯まで凍えそうな外とは違い、研究棟の中は空調がしっかりと効いていた。空調はもとよりエアクリーナーが強く作動し、空気に匂いがあまりしない。強いて言えばオゾン臭と薬品の臭いが微弱だが漂っている。

 

 職員の質も本部棟とは異なり、一言で言えば研究畑風の人間が多い。白衣を着て、いつも難しい顔でコンピュータや紙面に向かっているかと思えば、時々突拍子もない言動を取る。

 

 社会の裏側で働く人間の巣窟である本部棟とは違った意味で、異空間な雰囲気を醸し出す場所だ。しかし、ここの職員は基本義体に優しいので、モモは研究棟が好きだった。

 

 四階建ての研究棟、一階には職員用の医療施設があり、二階から上のスペースは義体の運用・研究のために割かれている。目的地は三階の検査室だ。

 階段を登る途中、窓から見下ろす白い眼下。広い駐車場が見える。普段は職員の乗用車が多く並んでいるが、今は数えられるほどしか停まっていない。

 

 仕事で出ている者が七割、残りの三割は休暇だった。坂崎や佐久間の車すら無く、作戦部は開店休業状態である。

 

 モモは無意識で蔵馬のヴェゼルを探すが、黒い車体は見つからない。今朝から姿が無かったが、出かけているようだ。常盤の高級車や初瀬のデカいアメ車も無い。唯一石室のスポーツカーだけ、雪に埋もれている。

 

 モモの眉が微かに動く。担当官には担当官の都合がある。それは分かっているが、それでもなお、こんな日に、と思ってしまう。

 

 今日の暦は十二月二十五日。

 モモが大阪から帰った翌日であり、世の中はクリスマスであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京都赤坂区に『日月』という料亭がある。表には看板の類は一切なく、小柄な一軒家風の面構えをした古い建物だ。古いと言っても並みの古さでは無い。創業百年を跨ぐ、文久の時代より続く老舗である。

 

 幕末の騒乱、日清・日露戦争、太平洋戦争、そして戦後の混迷期。それら全てを見てきたこの『日月』だが、長く続いてきた割に、その存在を知る者は少ない。何故か。それはこの小さな飯屋が、歴史の大流の中――それも歴史の闇として葬られる、日本近代史の裏側に関わる場所だからだ。

 

 元は討幕派の志士が、密かに集うために時たま用いた空き家だったらしい。そのうちに、この土地が密会に向いた土地であると知った志士たちが頻繁に出入りするようになると、空き家のままではかえって目立つということで飯屋の体を取り繕うようになった。それが料亭としての『日月』の始まりだ。もっともこの頃は『日月』という名前すら無く「あの店」などと呼ばれていた。

 

 そのうち討幕派の時風が日本を取り巻き始めると、密会を要するような上方の志士たちはもっと上等な料亭などに出入りするようになる。『日月』は無関係の人間を店に入れないために、かなり高めの価格設定になっている。こうして『日月』は政治からも世俗からも離れた特殊な店となった。

 

 その特殊性が、この店を歴史の大渦に巻き込むことになる。

 一時は討幕派からも存在を忘却された故に、幕府、討幕派両方の監視の目から零れ落ちた『日月』は、本来なら会うだけでも互いに都合の悪い人間同士が顔を突き合わすのに、格好の場所となったのだ。ただ闇雲に争って共倒れしては本末転倒。幕府も討幕派も落としどころを探していた時期だ。

 

 現代においても、重要な会議は始まる前から結論が出ているものだ。それ以前に行われる事前会議で、幾重にも積み重ねられた事前準備と妥協案の応酬。それらの末に出た合意案を確認してハンコを押す。

 

 幕末の政治家たちも、その事前会議を進める為に、まず会議の会場を探していた。現代と違い、下手すると仲間に「敵と通じた」と誤解されて斬り殺されかねない時代だ。そういう経緯で使われることとなったのがこの店だった。

 

 『日月』という名前もこの頃につけられた。太陽と月の如く、本来同じ場所にいるはずの無い者同士が膝を突き合わす。そういう意味だ。

 

 そうして『日月』の密会の末に江戸城が明け渡され、明治時代が幕を開ける。その後も『日月』は本来会うはずの無い人間同士が偶然出会う場所、という立ち位置で常に歴史の大局に立ち合ってきた。

 

 そういう店だ。薄暗く人気の希薄な店内。その中に唯一ある座敷の奥に、中年太りを引きずったまま壮年に入った恰幅の良い男――竜木正太郎内閣総理大臣が分厚い座布団に腰を下ろして、上等な日本酒を熱燗にしてあおっていても、不思議では無い。

 

「竜木様」

 

 襖の向こうから琴の音の様な女将の声がする。竜木は手にあったお猪口を置いた。

 

「ただいま店内が大変込み合っておりまして、大変申し訳ございませんが相席の方にさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「構わんよ」

 

 襖が開くと、二人の男が身を傅かせていた。

 一人は国立児童社会復帰センター作戦部の部長、佐久間だ。その隣にいる細身の中年男性はセンターのもう一つの実働部署、諜報部の部長を担う男。工藤忠彦だ。

 

 佐久間がいかにも軍人然としているのに対し、工藤はスーツが似合うインテリ風だ。すっきりした鼻筋に、尖った顎。切れ長の眼は佐久間に劣らず鋭い。

 

「失礼します」

 

 二人は座敷の下座に並べられていた座布団に膝を付いた。

 

「……偶然だな」

 

「ええ、お久しぶりです、首相」

 

 工藤の言葉に、竜木は脂の乗った頬を笑みに歪める。

 

「直接会うのは二年ぶりか……あの時はまだ総理じゃなかったな」

 

 竜木は猪口を取り、一人酌で再び酒を飲み始める。

 

「どういう手管を使ってアポを取ったのか、正直驚きを通り越して恐怖すら感じたぜ。なあ、どうやったんだ?」

 

「総理、我々との相席は偶然ですよ」

 

 そう言って一応の会釈を見せるのは工藤だ。無論偶然などでは無い。ただ総理大臣相手であっても言えないだけだ。幾つものコネを潰し、とてつもない額の金を使い、法を掻い潜り見ぬふりをし、途方もない綱渡りを繰り返す。

 

 人生が百回は破滅してもおかしくない、そういう道の末に、二人は竜木との邂逅を果たしている。

 そうしてでも会わなければならない理由が、当時の二人にはあったのだ。

 

「ふん……。お前らはあの時、偶然、相席になった俺にテロリストだの工作員だの語り聞かせて、MI6みたいな組織を設立させてくれって頼みに来たよな。電波なスパイ映画オタクの集いに巻き込まれたのかと思ったぜ」

 

「あの時は我々も必死でして……」

 

「だからセンターを拵えてやった。……それで、今日はどんな話を聞かせてくれるんだ?」

 

「テロリストの首領が分かりました」

 

 無言を貫いていた佐久間が口を開いた。背筋を高く伸ばし、老兵の目はまっすぐ竜木を見つめる。

 

「御堂と言う名の男です。いとも簡単に大量の銃器や兵士を集める資金力。我々を誘き寄せる為にダム一つを占拠して、無事に逃げ切る大胆さと個人の戦闘能力。我々がテロリストの存在に気付いて数年が経ちますが、その間ずっと隠れ続ける賢さと敏捷さ。どれをとっても常人の域を超越しています」

 

「それで?」

 

「この期に及んで姿を見せたのは、隠れる必要が無くなった……つまり奴らにとっての準備期間が終えたことを意味すると考えられます。今の我々ではいずれ限界が来ます」

 

「つまりもっと金を寄越せって話か」

 

 竜木は熱燗を飲み干し、懐から煙草を出した。工藤はいつの間にか手にライターを取り、流れる手つきで竜木の煙草に火を点け、そして佐久間の代わりに頷く。

 

「率直に言うと、そうです。人材の確保、装備の拡張は必須ですが……」

 

 工藤は身を乗り出すようにして言う。

 

「なによりも義体。あれは使えます。一昨日の大阪での一件でも義体の優秀さを分かっていただけたかと思います。

 

 戦闘力は人の領域を遥かに上回り、姿形は女子供。あれがあれば、軍事だけでなく諜報も……それどころか世界が変わります。どうか増産のご検討を。イタリアは開発に消極的になり、アメリカが内輪揉めで後れを取っている今が、この技術のイニシアチブを得る絶好の機会です。義体技術は相当な外交カードになるはずですよ」

 

「あれか……」

 

 竜木の口から吐き出された煙はゆっくりと昇り、時間が染み込み黒ずんだ天井に染み込んでいく。

 

「分かった。だが義体に関しては少し待て。あれは少し慎重にやらなきゃならん。野党どころか身内にだって知られちゃマズい」

 

「ありがとうございます」

 

 佐久間と工藤は揃って頭を下げた。

 二人の頭を眺めながら、竜木は煙を吸い、口端から吐き出しながら頬杖をついた。

 

「科学は屍の上に築かれるもんだって言うが、義体にその価値があると思うか?」

 

「例え千人の子供の命を生贄にしてでも、完成させるべき技術です」

 

 断言する工藤。語気は威圧感を覚えるほどに強い。

 

「……義体、か。前に一度会ったきりだな。お前らが連れてきたイタリアの……おっかない顔した金髪の兄さんと禿のおっさんもいたな。名前なんて言ったか」

 

「クローチェとベリサリオです」

 

「違う、義体の名前だ。こう、小さくて金髪の、可愛らしい子だった。うちの義体もあんな美人ぞろいなのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっわ、モモどうしたの? 凄いブサイク」

 

「そうなんです、モモは唯一の長所を失ってしまったんです……」

 

「可哀そうに……浮腫みによく効く顔面マッサージを教えてあげるわ。これ坂崎がよくやってたやつでね、まず目尻を思い切りこう、にゅっと」

 

「利尿剤貰いましたから! 明日にはいつもの可愛いモモちゃんです!」

 

 検査室の外で、モモはアザミと石室に絡まれていた。検査を終えて薬を処方され、廊下に出たところで捕まったのだ。笑いを噛み殺して小芝居を打つ辺り、完全にアザミと同じタイプの人種だ。

 

 その様子を眺める者がいる。石室に連れ添っていた白衣姿の女だ。黒い長髪をバレッタでまとめ、切れ長の目元は無機質に義体を見下ろしている。歳の位は二十代の後半から三十代に入った辺り。

 

 彼女は義体の“条件付け”を担当する義体技師、名を庵原潮理と言う。

 モモたちを黙って観察していた庵原は、時々白衣のポケットから黒い粒を摘まみ出して口に運んでいる。それはポケットに直入れされた黒ゴマだった。変な人間が多い研究棟の中でも、ぶっちぎりで変人生態系のトップに君臨する女だ。

 

 ふと、庵原は急に思い至ったかのように、

 

「モモさん」

 

 庵原の喉から出たのは抑揚のない声だった。冷たいと言うよりは無感情。機械音声の様であり、そして耳朶を打った次の瞬間には、どんな声だったか忘れてしまいそうなほど無個性でもあった。

 

「炎はあれから見えましたか?」

 

 モモは質問の意味を少し考える。庵原が言うのは、大阪のホテルで一瞬だけ見た、炎の幻覚のことだろう。

何も焼かず、何も照らさない、ただ揺らめくだけの不気味な火炎。

しかしあれを見たことを、自分は誰かに話しただろうか?

 

「…………いいえ」

 

「そうですか」

 

 頷くと、それで用は済んだのか、庵原はゴマを咀嚼しながらするりと影のように立ち去って行った。

 

「あーちょっと待ちなって」

 

 石室も片手で会釈し、庵原を追って行った。残された二人はマイペースな大人たちに肩をすくめ、

 

「戻りましょうか」

 

「そだね」

 

 並んで歩く二人は、廊下の窓から表の寒々とした雪空を見上げ、そしてふり落ちる雪に沿って視線を下ろしていく。白粒を追う二人の目は交差することなく、言葉だけが行き交う。

 

「庵原先生、今日はゴマ食べてたね。前は煎り豆だったけど」

 

「干しエビだった時期もありましたね。どういう基準なんでしょ」

 

 貧血対策だろうか、と首を捻るモモに、アザミは会話の続きとして、

 

「ところでモモ、炎ってなに?」

 

「…………」

 

 モモが急に口を噤んだことに、アザミは怪訝そうな目を作る。

 その目を覗き返し、モモは首を横に振った。

 

「……、何でもありません」

 

 言うか、少し迷った。結局口を噤むことを選んだのは、これ以上あの火について話したくなかったからだ。理由は分からないが、そんな心理が働いた。

 

 何か嫌な事があった気がする。あの火は、良くない火だ。思い出すと身を凍れさせる。脳のどこかがチリッと焦げるような感覚がする。

 だからこれ以上話題にするのは避けた。

 

「ん? あれ……」

 

 アザミから目を逸らそうとして眼下の駐車場に視線を移すと、そこには今しがた滑り込んできたランドクルーザーがあった。そのシルエットには見覚えがある。確か義体技師の正木の愛車だ。

 

 ランドクルーザーの運転席からは、やはり大柄な髭面が降りてきた。正木は後部座席から紙袋を二つ抱え、義体寮の方へと歩き出す。髭面の大男が袋を抱えて雪中を行く姿は、さながらサンタクロースの様だ。

 

 モモたちが研究棟を出ると、ちょうど正木が義体寮へ続く小道に入ろうとしているところだった。

 

「先生、なにか御用ですか?」

 

「ん? ……ああモモか」

 

 正木は振り返り、モモの顔を見て一瞬『誰だ?』という顔をしたが、ブスと言わなかったので許す。

 

「プレゼントを渡そうと思ってね。今日はクリスマスだろう?」

 

 正木は紙袋を開いて見せる。そこには赤ん坊程の大きさのテディベアが詰め込まれていた。その中の一つ、桃色のクマをモモに手渡す。

 

「あ……ありがとうございます!」

 

 モモにとって、これが初めてのクリスマスプレゼントだった。思い掛けない贈り物に、喜色を浮かべてヌイグルミを抱く。

 

「君らの趣味に合えば良いんだがね。これはアザミの分」

 

 アザミに渡ったのはショッキングピンクカラーの小熊だ。受け取り、テディベアのつぶらな瞳と正木の野獣系の熊貌を見比べる。

 

「これ先生の子供ですか?」

 

「いいや、一匹一万二千円で買い叩いてきた。俺の子供は……現代っ子らしく今頃ゲームでもしてるんじゃないか」

 

「先生、お子さんがいるんですか?」

 

 言葉に反応したのはモモだ。テディベアから関心を正木に移し、顔を上げる。

 

「……娘が二人な」

 

 紙袋を担ぎ直した正木は、獰猛な顔を弛ませ、少し疲れたように笑った。

 

「娘には何にもしてやらない癖に、君らには何を贈るか小一時間は悩むんだ。ダメな父親だよ」

 

 正木はもう一年近く、家族とは会っていなかった。連絡すらほとんど取っていない。妻と子供たちとは完全に別居状態。印を押していないだけで、離婚しているのとほとんど変わらない。

 

 義体の開発に携わる以上、プライベートを犠牲にするのは仕方が無い。そう割り切ってきた正木が義体に物を与えようとするのは、彼女たちに少しでも人並みの扱いをしてやりたい気持ちがあったからだ。

 

 そんな正木の自傷的な言葉を、モモはゆっくりと脳内で咀嚼する。

 飲み込み、分解し、意味を考え、そして返す。

 

「そうですね」

 

 モモは目尻の下がった、屈託の欠片も無い笑顔で頷いた。

皮肉や批判では無く、正木の発言に対する単純な肯定。前後のセンテンスや言葉のオブラートなど端から眼中にない、純粋に父親として是か非かというクエスチョンへの答えだった。

 

 家族を顧みないことは良くない。だからダメ。

 個人の価値観を排し、一般倫理に照らし合わせて導き出される、無感情な笑顔の肯定。まるで機械と話しているようだった。

 

 正木は一拍置いて、喉の奥を鳴らして乾いた笑いを発する。

 顔を見合わせるモモとアザミに、正木は両手にある紙袋の一つ差し出す。そこには紫色と黄色のテディベアが入っていた。

 

「ムラサキとタンポポに渡しておいてもらえるかな」

 

 そう言う正木の声色に含まれていたのは悲哀か、虚しさか。どちらにせよ、それを聞き取る耳を、義体の少女たちは持ち合わせていなかった。

 

 少女たちが見送る視線を背に受けて、正木は雪の中、センターの敷地を奥へと進んでいく。

 彼が行く先に何があるのか、モモたちは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京都目黒区の国立医療センターは夕暮の刻になっても盛況だ。冬が深まる年の変わり目、体調を崩す者が多いのだろう。玄関ホールには苦しそうに痰絡みの咳き込み、あるいは蒼白の顔で具合の悪そうにうな垂れる人々が散在している。

 

 その中に、生まれてこの方怪我以外の理由で病院に来たことが無い男がいた。蔵馬だ。受付前の長椅子に座って会計の順番待ちをする彼の手には、格闘技雑誌がある。年末のビッグタイトルマッチについて纏められたトピックに目を通す蔵馬の隣に、腰を落とす小柄な女の影。

 

「……どこか悪いんですか?」

 

 セミロングの茶髪を揺らす、少し不機嫌そうな黒縁眼鏡の女性――坂崎の問いかけに、蔵馬は雑誌から目を離さずに答える。

 

「人間ドック」

 

「何でわざわざこんな日に……」

 

「こっちじゃどうか知らんが、俺のところは年一で診断書を提出しないといけないんだ。……で、出してない事を昨日思い出した。今日受けないと今年中に診断書貰えん」

 

「相変わらずちょいちょいドジする人ですね。今日がクリスマスだって分かってますか? ちゃんとモモちゃんにプレゼント買ってあげてくださいよ?」

 

 坂崎は言葉混じりに溜息を吐く。センターにいる時の笑顔と相反する、眼鏡越しのじっとりとした目が蔵馬に向けられる。

 

「分かってるって……本当だ、もう買ってある」

 

「もしクマのぬいぐるみだったら違う物を買ってきてください。被ってます」

 

「……犬だったらセーフだと思うか?」

 

「アウトですね。モモちゃんは素体の年齢が高かったですから、他の子よりも根っこの精神年齢も高いんです。もうちょっと大人っぽい物を贈ったらどうです?」

 

「……くそ、義姉さんと話してる気分だ」

 

 呟き、蔵馬はようやく雑誌から目を離して坂崎を一瞥する。いつものスーツ姿では無く、タートルネックの白いケーブルニットにジーンズ。私服だった。

 

「家に帰るのか?」

 

「ええ、久々の連休です。蔵馬さんは帰らないんですか?」

 

「役所の職員じゃないんだ。クリスマスだからって帰してくれるかよ。往復するだけで二十四時間超えるんだぞ」

 

 受付で蔵馬を呼ぶ声がする。会話を打ち切り、会計を済ませる蔵馬を、坂崎は座ったまま眺めている。若干の居心地の悪さを感じる種の視線だった。蔵馬のことを責める様な、そういう刺々しさが背中に突き刺さる。

 

 支払いを終えて振り返ると、坂崎と真っ向から目が合う。放つ眼光に押し負けて、蔵馬はつい目を逸らす。ガンの飛ばし合いに負けた自分に情けなさを感じ、このまま坂崎を置いて帰ろうかとも考えたが、それはそれで恐い。

 

「……何なんだ」

 

 戻った蔵馬の言葉に、坂崎は舌打ちする寸前の表情を返す。

 

「……ここまで来たなら、どうして会いに行かないんですか?」

 

 誰に、という主語は省かれていた。それが無くても通じる、二人に共通する相手の話だった。

 蔵馬はどう言葉を作るか迷い、そしてぽつりと囁くように言った。

 

「……あいつは俺のこと嫌いだろうが」

 

「会いに行かないから嫌われるんです!」

 

 腰を浮かせ、声を大にした坂崎に衆目が集まる。

 自己の暴発に気付いて、坂崎は一度口を閉ざした。そして少し浮かせた腰をそのまま持ち上げる。蔵馬の隣に立ち、今度は静かに言った。

 

「正確には、会いにも来ず、立ち去りもしない。そういう中途半端な未練タラタラの態度が、あの子をイラつかせるんですよ」

 

 言い返す言葉も、示す態度も見つからない蔵馬を置いて、坂崎は病院を後にする。声が届かなくなる寸前の距離で、彼女はこう言い残した。

 

「私もイラつきます」

 

 蔵馬は小さくなっていく坂崎の背を目で追う。だがそれ以上の動きは無く、ただ見送るだけだった。

 

 立ちつくす蔵馬に、声を掛ける者がいた。長椅子の斜向かいに座る、ガートル台を携えた寝間着姿の翁だ。二人の会話を盗み聞きしていたらしい。

 

「兄さん、カンカンになって帰る女は追いかけてやらにゃ、もっと怒るぞ」

 

「……もうとっくに天辺に来てるんですよ、あいつは」

 

 苦笑いを浮かべる蔵馬に、老人は大げさに肩をすくめてみせる。

 

「バカ、本当に天辺に来てる女は、話し掛けても来ねえよ。あれは『私に構って』って合図だ。可愛らしいねぇ」

 

 言われ、一瞬の間の後、蔵馬は老人に軽く頭を下げて病院から足早に出る。

 外は夜かと錯覚するほど暗く、曇天からチラチラと雪が降り始めていた。

 雪衾の中、坂崎の姿はもうない。正面玄関の前で蔵馬は足を止め、

 

「は」

 

 腹の底から出た自嘲を発する。

 そして煙草を咥え、駐車場の愛車へ戻った。すっかり冷えたヴェゼルの車内。エンジンを入れて、紫煙を深く吸う。その一吸いで短くなった紙巻きを灰皿にねじ込み、肺の煙を吐き出す。

 

 車内が一瞬白に満ちる。その中で、蔵馬は助手席に置いてあった大きな包み紙を掴み、後部座席に放り投げようとし、しかし直前で思い止まった。

 

「……もう一つ何か買えばいいか……」

 

 次の煙草の煙と共に呟き、少しくたびれた様にシートに背中を預けた。

 そうやって思い出すのは、去り際の坂崎だった。憎らしげな表情には、懐かしさがあった。

 あの表情にでは無い。感情を露わにする坂崎に対してである。

 

 蔵馬と出会ったころの彼女は、それしか顔を持っていないかのように、常に笑みを携えている人間では無かった。もっと直情的で、怒ったり、悔しがったり、泣きそうな顔を良く見せた。全てを受け入れるような柔和な空気も纏っておらず、息を詰まらせるほどの苛烈な殺気を眼鏡の奥に籠らせることも無い。

 

 むしろ人よりも感情的で、お節介焼きで、クサい詩的な事を時たま言ったりして、少し押しに弱いが結構大胆なところもある。そういう女だった。

 

「……中途半端で未練タラタラ、か」

 

 坂崎の言葉が泥のように脳裏にへばりついて離れない。

 煙草の煙で掻き消そうと一気に吸い込み、二本目も灰皿で揉み消す。

 灰皿に伸びていた左手が、大きな包みの下に突っ込まれた。

 

 包みから出てきたその手には、手のひらサイズの小箱があった。これも丁寧な包装を施されているが、大きな包みの多少華美なそれと違い、シックなデザインをしていた。

 

「……………………」

 

 蔵馬はその箱をしばらく見つめた後。

 無造作に後部座席へと放り捨てた。

 


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