Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』)   作:ふじやまさん

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第3話

 東京都奥多摩。市街から濃厚な葉緑に覆われた山道を一時間弱ほど進んだ中に、国立児童社会復帰センターはある。

 この場所は、元は昭和末期の箱物建設ラッシュに建てられた野外活動施設だった。子供たちが楽しく自然と触れ合えるようにと作られた、どの都道府県にも二つ三つはあるアレである。

 

 箱物行政の終焉と共に政府から切り捨てられて、長年売りに出されていたこの敷地を周りの山ごと、再び政府が拾い上げて義体の研究施設として改築したのだ。

 青少年健全育成施設の時代に作られたハイキングコースは全て取り潰されて入り、また猟区から外れているこの辺りに来る人間はまずいない。

 

 人目からの隠しやすさもさることながら、敷地自体は広大で、運動場や宿泊施設なども整っている。一から建物を作り直さずとも、リフォームと増築で間に合わせることが出来る。まさにお誂え向きの物件だった。

 

 山の斜面をほぼ正方形に切り開かれた敷地は、大きく分けて本部棟、研究棟、居住棟の三つの区画に分けられている。まず四階建ての研究棟があり、義体の研究開発設備や医療設備はここに纏められている。ここで義体は少女の身体から人工物の塊に改造されるのだ。

 

 その隣にあるのが五階建ての本部棟だ。青少年健全育成施設時代はサービス棟として、図書館やレクリエーション室など様々な施設を内包していたこの建物は、いま作戦部のオフィスも諜報部のオフィス、食堂も倉庫も独房もここに詰め込まれたセンターの本丸だ。

 

 隣り合った二つのビルディングから少し北に離れたところに、居住棟がある。ここはほとんど手を加えられてはいない。四階建ての建物が山の斜面に沿って東西に三棟並ぶ。職員も義体も全員がここで寝泊まりしているのだ。

 

 居住棟の内装や備品は、ベッドやデスクなどがそのまま使われていたりする。もちろん私物の持ち込みは許可されているが、義体たちが寝泊まりする寮は、特に流用品が多い。特に変える必要が無いということもあるが、そもそも彼女たちは模様替えをするほど物を持っていない。義体は担当官に与えられた物以外を所持できないのだ。

  

 居住棟の最東にある義体寮の二階。蛍光灯に白く照らされた寒々しい廊下に、秋葉原から帰ってきたばかりのモモがいた。返り血のついた深紅のセーターは脱いで手に抱えている。青白い蛍光灯の光のせいか、少し顔色が悪く見えた。

 

 

 ワンフロアに十部屋。同じ扉が並ぶ、その中の一室。二〇二号室が彼女の部屋だ。

 正確には彼女たち――四人が寝泊まりできるこの部屋には、モモの他にもう一人の居住人がいる。

 

「ただいまー」

 

「おかえり」

 

 二段パイプベッドと一対のクローゼット以外の家具が無い、生活臭のしない殺風景な部屋。モモに言葉を返すのは、シンプルな二段ベッドの上段で寝そべる少女だ。見た目の歳は十三ほど。ふわふわのくせ毛を肩口あたりで切り揃えている。やる気のなさそうな垂れ目をちらりと一瞬モモに向け、手にあるスポーツ雑誌に戻った。

 

 アザミというのが彼女の名前である。モモのひとつ前に作られた義体で、部屋が同じと言うだけでなく、仕事で組むことが多い。昨夜の東京湾での仕事で、モモたちを狙撃で援護したのも彼女である。

 

「アザミ、昨日の狙撃凄かったね! 銃を持った手に一発!」

 

「本当は銃だけを狙ったんだけどね」

 

 アザミがいたのは船からの荷物を下ろす、モモたちから200メートル以上離れたガントリークレーンの上だと聞いている。潮風の中で動き回る、こぶし大の目標に命中させただけでも大したものだろう。狙撃が苦手なモモにとっては当てただけでも神技だ。

 

 モモは空笑いしながらカーデガンを洗濯籠に入れた。中には昨日の負傷で破れた服以外の衣装と下着が詰め込まれている。明日は仕事が無かったはずなので、まとめて洗ってしまう。カーディガンの血が落ちるか不安だが、一応試すだけ試す。

 

「血の臭いがする。また怪我した?」

 

「うんん、敵の血。胸に撃ったら噴きだしてきちゃって。心臓に当たったんだろうね」

 

 そっか、と相槌を打って、アザミは寝返りを打ってモモに背を向ける。気の無い態度だが、モモの負傷に一々気を掛け、仕事でもしっかりとサポートしてくれる。身体は小さくとも、モモにとっては立派な姉貴分だった。

 

 だが無論一切の不満がある訳では無い。対人関係に対するストレスはおおよそ、何気ない日常生活の一幕に潜んでいるのだ。

 モモはクローゼットから石けん洗髪剤に化粧落としが詰め込まれた洗面器を取り出し、そこに洗濯済みの下着を重ね、タオルと寝間着で覆う。入浴の支度を済ませたモモは、クローゼットからベッドのアザミに向き直る。風呂の準備はこれで終わりでは無い。むしろこれから始まるのだ。

 

「アザミ、お風呂行こう」

 

 ベッドの上で背を向けたままのアザミに声をかけた。

 

「……もう入ったよ」

 

「いつ?」

 

「さっき」

 

「さっきっていつ?」

 

「一時間……いや二時間くらい前……?」

 

 ふうんと頷き、モモはベッドの上段に半身を登らせ、アザミの髪に鼻を近づける。

 

「……硝煙臭い。どうせ昨日から入ってないんでしょ。茶番はいいからお風呂行くよ」

 

「……嫌」

 

 高速回転してミノムシのようにシーツを身体に巻き付け、ベッドに張り付くアザミを寝床から引き剥がす。彼女の不整頓に物が詰め込まれたロッカーから適当にタオルと下着とTシャツを引っ張り出す。

 懸命に抵抗を続ける往生際の悪いアザミを器用に抱えて、モモは寮の一階にある浴室へ向かった。

 

 アザミは水を極端に嫌がる。

 モモが聞いた話によれば、義体になる前に受けた心的外傷に寄るものであるらしい。“条件付け”を施せばこの症状も無くなるらしいのだが、その分脳に負担を掛ける。基本は“条件付け”は必要最小限しか行われずに義体の延命を図るのがセンターの方針だ。

 

 担当官の意向もあるが、それこそ昨夜モモがしたような、作戦遂行に影響を及ぼすようなことが無ければ原則“条件付け”はされないのだ。

 それが、日本の義体運用である。

 

 作戦遂行には影響なしと判断されたアザミの水恐怖症だが、任務に影響が無くとも私生活には影響がありまくる。放っておけば彼女は、いつまで経っても風呂にすら入らないのだ。

 

 いくら人工物だらけの身体とは言え基本構造の半分は人間のままである。汗だってかく。訓練や仕事で汚れだってする。要するに臭くなる。

  アザミがたまに敷地に潜り込んでくる野犬のような臭いを放ち出す前に、風呂へ連れ込み洗浄するのが、同室であるモモの役割なのである。

 

 その任を仰せつかった当初は殴られ蹴られ、大格闘の末に大根でも洗うかのような様相を見せていた風呂戦争が繰り広げられていた。一旦アザミの逃走を許すと、寮内のどこかに潜伏する彼女を捜索しなければならない。しかもやたら隠れるのが上手いので、一晩掛かりだ。

 

 さすがに面倒くさすぎるのでモモも必死になり、最終的に格闘の余波で部屋を一つをダメにして担当官とその他偉い人から叱られた以降は、二日に一度の入浴という条件で停戦条約が締結された。

 

 そこまで嫌がるなら“条件付け”で治したほうが良いのではないかとモモは思うが、彼女の担当官が「まあ別にいいんじゃない?」と言う以上はどうしようもない。

 アザミもいい加減水に慣れて来たのか以前よりは大人しくなっているので、モモとしては粛々とアザミの身体を洗浄するのみだ。

 

「別にさー、入らなくてもいいじゃんお風呂。どうせ定期メンテで皮膚ごと貼り換えるんだし」

 

「その作業をする義体技師さんに、マジ汚すぎて仕事する気失くすから洗えって言われたんでしょ」

 

「私の身体を綺麗にするのがあの人たちの仕事でしょ。職務怠慢だよ」

 

 ぶつぶつ文句を言うアザミの服を馴れた手つきでひん剥き、自分も服を脱ぐ。先にアザミの服を脱がせたのは、脱衣している間に逃げるのを阻止するためだ。一度それをやられて半裸で追いかける羽目になった際の戦訓である。

 

 服を脱ぎ終わると、モモは浴室に顎をしゃくり、アザミを先行させる。これは油断して先に浴室に入った隙にアザミが逃げ出し、泣く泣くタオル一枚身体に巻いて追いかける羽目になった際の戦訓だ。

 

 刑務所の罪人連行の如くアザミをシャワーノズルの前に座らせると、モモはその背後に回り、持ってきた洗面器に湯をいっぱいに溜める。そこにシャンプーを溶かし、アザミの頭に流した。そうやって最低限の水で体を洗ってやるのが、怪我をすることなくアザミの清潔を保つ、これまでの経験の中で得た最も大切な戦訓だった。

 

 全裸になって余計小さく見える身体をさらに縮めて、微動だにせず洗われるのを待つアザミの背中。そこに今度は石けんを溶いた湯をかけて、ゴシゴシとタオルでこすってやる。そのまま全身を隈なく泡で包んだら、最後に再び頭から湯をかぶせて泡を落としてやる。

 

「お湯かけるよ」

 

「あー待って。タンマタンマ」

 

 アザミは震える指先を両掌に握り締め、胸に添えて乱れつつあった呼吸を整えようとする。水に触れると起こる動悸。これが限界に達すると、錯乱に陥り水から離れようとして身体が勝手に逃走に駆られてしまう。

 

 深呼吸をして、アザミは背後にあるモモの胸に後頭部を押し付けた。大きいとも小さいとも言えない膨らみに頭を沈ませ、自身の薄いあばら骨の浮いた胸を上下させる。

 

「どうしたの?」

 

「最近気づいたんだけど、人の胸って何故か落ち着く」

 

「何それ……」

 

 よく分からない理屈だが、アザミが落ち着くならそれでいい。

 胸中で震える小さな頭を抱いて、震えが収まるのを待つ。

 

「ねえ、やっぱり“条件付け”で治してもらった方がいいんじゃない?」

 

「……トキワさんが要らないって言うなら、しなくていい。それに治したら寿命が縮むと思うと、やっぱり、ね」

 

「そっか……そうだよね。ごめん」

 

 死は恐くない。そういう風に“条件付け”されている。戦闘人形である自分たちにとって、死への恐れは仕事の支障になる。人よりも近いところに予定されたその運命を怖がっていては、義体として生きていくのは苦しいだけだ。

 

 だが、それでも死ぬことが嫌だとは思う、そんな当たり前の感情だけは残されている。最も恐れるべき死を恐れることは許されず、人が生きる上で最も親しむ水を気狂わせるほど恐れることは許容される。つくづくアンバランスな存在だった。どうせ取り除くならば、いっそ全ての感情を奪い去ってくれたら余計な事を考えずに済むというのに。

 

「……うん、いいよ。流して」

 

 アザミの頷きを見て、モモは湯をその頭頂に注ぐ。頭から髪に、その毛先から肩に。身体を伝って爪先から雫となる、肌を舐める水の感触が過ぎ去るまで耐える。

 チクリと、アザミは腹が痛んだ気がした。

 

「終わったよ」

 

「ん……?」

 

 モモの声に四肢を弛緩させ、腹を撫でてみるが何ともない。子供というよりアスリートに近い、引き締まった腹筋があるだけだった。

 

「どうかした?」

 

「……どうもしない。もう上がるよ」

 

 アザミは立ちあがり、ぶるぶると頭や手足を振るって水滴を払い落としながら、浴室から出て行った。その背を見送り、モモはシャワーのバルブを捻る。湯を受け、一息つく。

 

 昨日は肩の治療の為風呂には入れなかった。二日ぶりの湯の熱に息を漏らし、その中で先ほどのアザミの言を思い出し、自分の胸をふよふよと触ってみる。なんてことない、ただの胸だ。これが人の物だと落ち着くのだろうか。よく分からないが、これが好きな人間が多い事は知っている。特に男衆。

 

 ……蔵馬もこれが好きだろうか。たぶん好きだろう。センター職員の中でも胸の大きな女とは何だかんだで甘いし、仲がいい気がする。

 蔵馬と言えば。

 

 モモは濡れた頭に手を乗せた。昼間、蔵馬は唐突に自分の頭を撫でてきた。それはいい。どんな理由があっても、行為自体が嬉しいのだから。

 モモが気になったのは、あの時の蔵馬の目だった。

 

 まるで自分を通して何か他の物を見ているような。自分の背後にある何かを見ているような。近くの物を見ているのに、焦点はどこか遠くにあるような。

 

「……あの眼は、嫌だな……」

 

 その降り注ぐ水滴の中で吐かれた呟きは浴室に薄く反響し、そして湿気に吸われて消えた。

 

 

 

   ●

 

 

 

「昨日モモから聞いたんですが、クラマさんが言うにはこの国は平和らしいですよ」

 

「ははは、蔵馬君らしいなあ」

 

 日本国内でも指折りの歓楽街、渋谷はいつにもまして騒がしい。

 渋谷駅前のビル二階に入った喫茶店、普段は人が途切れることのない繁盛店が、今店内にいるのは二人だけだった。窓際の席から街を見下ろすアザミと、アルマーニのスーツを着こなした青年だ。

 

 名は常盤大輔といった。国立児童社会復帰センター作戦部の職員で、アザミの担当官だ。彼ら二人のツーマンセルで『マキナ5』と呼ばれている。

 

 180センチを軽く超える高身長の肩や胸などが筋肉で膨らんでいるが、長い脚のお陰か細長いシルエットを持っている。

 そして適度に遊ばせてはいるが、しっかり整えられた髪に縁取られた柔和で甘いマスク。これで白い馬と華美な衣装を用意すれば世の乙女が妄想する『白馬に乗った王子様』を完全再現できるだろう。

 

 ワザとらしく組まれた長い脚も、高級品で統一された衣装も、他の人間がすれば一々鼻につくであろう気障ったらしい仕草も、常盤がすれば全て自然な、そうで在るべきものに見える。そういう男だった。

 

 対してアザミの服装は、そこらの格安衣類量販店で適当に見つくろった灰色のパーカーに濃紺のジーンズと至って地味だった。

 

「……これでも、平和なんですかね」

 

「これも、まあ平和な世の中じゃなきゃ出来ないことではあるよね」

 

 駅前スクランブル交差点に面したガラス張りの席に座る、二人の眼下。

 交差点内にひしめき合うデモ隊がひしめき合っていた。軽く見積もって千人は下らないであろう大規模デモだ。

 

 老若男女が、参加と離脱を繰り返し、人の波を作る。その流れを堰き止めるのは、警視庁から派遣された機動隊だ。このデモは渋谷駅前までしか道路使用の許可が下りていない。もしここより先へ行こうものなら、屈強な警察官たちが取り押さえにかかるだろう。

 

 しかしデモ隊の熱気は止まるところを知らず、それどころか次第に熱気から熱狂へとボルテージを上げつつある。

 このままでは、いずれデモ隊と機動隊の間に何らかの衝突が起こるだろう。

 それを察してか機動隊の隊員たちは殺気立ち、またその殺気がデモ隊を刺激する。

 確か平和とは言い難い光景だ。

 

 一触即発のスクランブル交差点を見下ろしながら、常盤は甘いホワイトモカを口に運ぶ。

 

「蔵馬君にとっての平和は、殺し合いをしていないってことなんだろうね」

 

「ならトキワさんはどう思っているんですか」

 

「元警察官の立場から言わせてもらうと、平和ではないね。機動隊にいた頃、あそこの彼らみたいにデモ隊の前で壁作った事あるけど、結構怖いよあれ」

 

「トキワさん機動隊にいたんですか?」

 

「少しの間ね。すぐに追い出されたよ。まあその後もずっとデモ隊の周りをうろちょろする仕事をしてた。だからデモ隊には詳しいよ、僕」

 

「へえ……ならこのデモはトキワさんから見てどうですか?」

 

「うーん……このデモ隊には扇動家(アジテーター)が混じっているね」

 

「アジ……何ですかそれ?」

 

「扇動家。一言で言うと盛り上げ屋だ。みんなをお祭り気分にさせるのが仕事だ」

 

 常盤の言うお祭り気分に飲まれたのか、デモ隊の一人が空き缶を宙に放り、それがアザミの目の前のガラスに当たった。

 

「アザミちゃん、これが何のデモか知ってる?」

 

 問われ、首を横に振る。

 

「イタリアのジャコモ・ダンテは?」

 

「はい」

 

 ジャコモ・ダンテ。

 義体の祖国イタリアで、数々のテロを敢行したテロリストだ。

 イタリアで義体を運用していた社会福祉公社の主敵である五共和国派を率いて、去年大規模爆破テロを伴う、一連の戦闘の後に身柄を拘束された。

 彼がイタリア闘争の烈火を点した張本人であり、彼がいなければ、イタリアは義体の運用に踏み切らなかっただろう。それほどまでにイタリア政府に大きな影響を及ぼした人物だ。

 

「彼の戦いを見て、死に体だったイギリスフランススペインにコロンビア、世界中のテロリストが我々もイタリアに続けと闘いを始めた。ジャコモのテロ自体は失敗したけれど、彼が撒いた火種は、着実に世界中に燃え広がっている。特に彼が一時期身を置いていた、中東地域でのテロ活動は彼の逮捕後一気に増加した」

 

 一旦区切り、コーヒーで舌を湿らす。

 

「中東でテロ組織が活発化したのがまずかった。中東のそれは規模が桁違いに大きい。ジャコモの腹心がイタリアの激戦を生き延びて中東に落ち延びた、なんて噂もあるね。どの国も出来れば無視したいけど、放っておけば中東の砂漠を飛び越してヨーロッパまで戦いが波及しかねない。

 

 何とかしないといけないけれど、英仏西は自分の国が忙しい。イタリアは五共和国派との戦いが終わったばかり。すると動ける大国はドイツとロシアだけだけど、ドイツは一国だけで行くのは嫌だし、ロシアだけを紛争地域に放り込むのも避けたい。欧州連合としては出来ればアメリカを引っ張り出したいところだ。

 

 一方アメリカは、今軍事費を削減している真っ最中。またイラクの時みたいな泥沼の対テロ戦争に突入するのは避けたい。とは言え中東のテロ組織は反米を謳っているから、野放しには出来ない。ではどうする?」

 

「わかりません」

 

「アザミちゃん考えようともしなかったね……。まあ、ドイツと同じだね。参加者を増やして自分たちの負担を軽くしようとした。そして、アメリカのスケープゴートとしていつも貧乏くじを引くのが、日本だ。

 

 日本は今年集団的自衛権の行使容認を認めたから、アメリカが戦闘に参加すれば、日本も一緒に行かざるを得ない。これまで資金援助と後方支援のみを行ってきた日本が、とうとう戦争に参加することになる」

 

 そして常盤は、外の群衆を指差した。

 

「これは、日本のPKO活動参加反対の人たちだね」

 

「話逸れた上に長いですね」

 

「ご、ごめん……」

 

 しょげる常盤を無視して、アザミは話を戻した。

 

「それで、扇動家がどうしたんですか?」

 

「ああ、うん。日本ではデモ行進ってあんまり派手にならないんだ。警察が取り囲んで監視してるから、みんな結構冷静だ」

 

「でも、私が知ってる限りでは、デモって暴動に発展しているの多いですよ?」

 

「それはここ数年のことだよ。もう針で一突きしたらデモ隊と機動隊の衝突が起きそうなくらい緊迫してる。少なくとも、ここ数十年はあんまり無かったことだ」

 

「つまり、扇動家がデモ隊を煽っているんですね」

 

「そういうこと。デモに参加する人たちは、多少の差はあれ心の中に怒りを持っている。扇動家は集団意識を利用してそれを突き、心のタガを外すんだ。これも一つのテロの一環だね。扇動家はテロリストに雇われているだけだけど」

 

「なるほど。今日の目当てはその扇動家なんですね。テロリストとの繋がりがあるから……あ」

 

 アザミが外を指差す。デモ隊の一人が、手に持っていたペットボトルを機動隊に向かって投げつけたのだ。

 これが引き金となった。

 それからはもう、デモ隊が手に持っていたもの機動隊に投げつけ、封鎖された道路へと流れ込もうとする。機動隊もそれに応じて動きだし、人の奔流は渦を巻いて騒乱となる。

 

「あーあ、始まった」

 

「ペットボトルを投げた人が扇動家ですか?」

 

「違うよ。扇動家は煽るだけだ」

 

 一瞬、常盤の目の雰囲気が変わる。森の全てを見渡す梟のような、動物的な目だ。

 

「…………いた、彼だ」

 

 人が入り乱れてごった返すスクランブル交差点を一望する常盤の目が、ある一人の男を捕えた。紺色のシャツにジーンズの、どこにでもいそうな痩せた中年だ。男は暴動から逃げ出すデモ参加者に混じって、道玄坂通りに入って行った。

 

「追うよ」

 

「はい」

 

 常盤はアザミの肩を叩いて、店外へ駆けて行った。アザミもそれを追う。

 二つのカップだけが、店に残されていた。

 

 

 

   ●

 

 

 

 騒然とする道玄坂通り。

 騒ぎから逃れそうとする者と、騒ぎを見物しようと近づいていく者。そうして出来た人の渦を、常盤はするすると器用に進む。一方アザミは人波に弄ばれ、思うように身動きが取れていない。

 

「ううう、トキワさん動けない……!」

 

「アザミちゃん、こっち」

 

 常盤はアザミが伸ばした手を掴むと、一気寄せて、そのまま引いて行く。

 背の低いアザミには周りがどうなっているのか把握出来ていないが、身長185センチの常盤は周囲から頭一つ飛び出しており、かろうじて目指す先が見えている。

 前方、30メートル先に、扇動家の男がいる。彼も常盤と同じように、慣れた身のこなしで人混みを避けていた。

 

「トキワさん、どうしてあの人だと分かったんですか?」

 

「まあ色々だね。例えば今だって、彼はこの混雑の中を滞り無く進んでいるよね。あれはこういった混乱の中を歩きなれている証拠だ。扇動家は一度場の空気が燃えたらすぐに姿を消さないといけないから、自然とああなるんだよ」

 

「いまの一瞬で探し出したんですか?」

 

「そんな訳無いよ。デモ行進中から目を付けてたうちの一人」

 

 道玄坂を半ばまで進み、扇動家は左の細い路地に入った。追って二人も路地に入り、ようやくすし詰めから解放される。人のいない路地の奥。この先は、

 

「入り組んだ路地だ。アザミちゃん、行って」

 

 命じられ、アザミは弾けるように走り出した。デニムのホットパンツから伸びる細脚が高速で回転する。

 辛気臭い細路地の突き当り。落書きだらけのその場所に、スクーターが一台隠すように停められていた。

 

「待て!」

 

 扇動家は駆けるアザミを眉一つ動かさずに一瞥する。何者か訝しんでいるようだが、動きは止めない。アザミを無表情のまま無視した。いち早くここから逃げることを最優先としている。

 扇動家は素早くスクーターに跨ってアクセルを回し、路地に入って行った。

 追って中に路地に入る。が、すでに先の角を曲がってしまい、姿は見えない。

 アザミは目を閉じて、耳を澄ます。デモの騒音に混じって、エンジン音が小さく聞こえた。三時の方向。まだ数十メートル先だ。

 

 瞼を開き、アザミは脇の塀を踏み台にして、縦方向に大跳躍。二階建ての建物に飛びついた。壁を蹴りあがり、屋根に取りつく。このまま屋根伝いに、スクーターを直線的に追うつもりだ。

 アザミは渋谷の地理に明るくない。このまま地表を走るよりは、巻かれる可能性が低いだろうという判断だ。

 

 屋根から屋根へ、ビルの谷間を跳び越える。

 屋上を四つほど跳び過ぎた辺りで、下の街道を走る扇動家を視界に捉える。このまま追えば先回りが出来る。テロリストに金で心を売り人の心を惑わす小悪党め。成敗してくれる。

 

「作戦勝ちー」 

 

 アザミは勝ち誇って純度百パーセントのドヤ顔を見せる――が。

 

「――へなっ!」

 

 扇動家は渋谷を首都高速方面へ南下して、ビルの間の街路から京王渋谷駅の隣にある、渋谷マークシティの東棟と西棟の間に開けられたトンネルに入った。あんなトンネルなどアザミの作戦には組み込まれていない。

 しかも低いビル群が立ち並ぶ繁華街は、マークシティの手前で途切れている。もう飛び移れる屋上は無い。

 

 アザミは最後の屋上でブレーキを掛ける。今いるビルの屋上から地面まではさすがに遠い。無理に飛び降りれば下手すれば死ぬ。かと言って今から呑気に階段を使って降りていては扇動家を見失うだろう。

 

 困った、どうするか――アザミは周囲を見渡す。このままでは取り逃がしてしまう。調子に乗って猿みたいな真似しなければ良かった。後悔と焦燥を奥歯で噛み締める。

 

 何か、何かと打開策を探すアザミの目に入ったのは扇動家が入ったトンネルの屋根部分。そこはマークシティの東棟にある高速バス乗り場と、隣の西棟を繋げる屋外ロータリーだ。距離は十メートル以上。しかも高さが屋上よりも上にある。

 ジャンプして届くだろうか。微妙なラインだ。

 しかし、ここで諦める訳にはいかない。

 

「女は度胸……!」

 

 アザミは今いる屋上の隅まで下がって助走距離を稼ぐ。

 息を吸って、吐いて、そして屋上の汚い床を蹴った。

 助走を消費して身体に速度を乗せ、そして跳躍。

 

 アザミの体は弾丸のように宙を鋭く飛んだ。カコっと股間の辺りで異音がするが、気にしてはいられない。

 辛うじて片足がロータリーの淵に掛かった。着地で勢いを殺さないように衝撃を膝から逃がし、疾駆。コンクリートを踏み割らん勢いで地を蹴り、加速する。

 

 雑踏の中、スクーターのエンジン音が微かに聞こえる。若干右に逸れた。右折する気だ。

 アザミはロータリーから次の着地点を探すが、次に跳べそうなビルは二十メートル以上離れている。

 

「げっ」

 

 難易度がさらに跳ね上がる。やっぱり普通に走って追いかければよかった。

 しかしもう止まれない。やるしかない。

 もう一度強烈に踏み込み、加速を重ねる。脚の筋繊維がブチブチ千切れる感覚がある。帰ったら間違いなく修理だ。

 二度の加速で勢いを得て、そして三度目の踏み込みで跳ぶ。

 

 遠く離れた向かいのビル。眼下にはデモの騒動から逃げ惑う人々がいる。彼らもまさか頭上で少女が飛び跳ねているとは夢にも思わないだろう。

 しばしの浮遊。徐々に落下して高度を落としながら、しかしギリギリ目標のビルの壁に届いた。べたりと壁に叩き付けられ「ぐえ」とカエルの様な呻きを漏らしながら、ずり落ちる前に壁を足場にして再度飛ぶ。今度は地面へ降りる為の緩やかな跳躍だ。

 

 空中で眼下を見下ろす。運良くこの道は人が疎らだ。ちょうどスクーターがトンネルから出てきて、アザミが降りようとしている道路に入ってきていた。

 猫のように空中で体を回して姿勢を制御し、スクーターの真ん前に着地。

 

「なっ!?」

 

 さすがに空から少女が降って来られては、その鉄面皮は守れなかった。

 扇動家は驚愕の声を上げてブレーキを握るが、制動が効くよりも先に、スクーターがアザミに激突した。が、アザミは、

 

「ぐっ……!」

 

 スクーターのレッグシールドに掴みかかって、唸りながら踏ん張りを掛けた。義体の膂力が50㏄の馬力を上回る。走行を真正面から止められ、扇動家は逃げることも忘れて口を開ける。

 

「な……なんだ……?」

 

 何が起こったのか理解が追い付かない扇動家の胸倉を引っ掴み、地面へ投げ飛ばす。頭部を固いアスファルトに打ち付けて、扇動家の男は見事に失神する。

 アザミとスクーターの激突音を聞きつけて、周辺の飲食店から何人かが顔を覗かせた。

 

 デモ行進、暴動、轟音、少女、スクーター、地に伏す男。

 誰もが、血生臭い事件を連想する。

 

「きゅ、救急車!」

 

 居酒屋の店主が、慌てて店内の従業員に指示を飛ばす。

 

「大丈夫です、もう呼びました」

 

 そう言って場を収めたのは、やっと追い付いた常盤だ。

 

「アザミちゃん大丈夫?」

 

「はい。ただ、ちょっと脚が」

 

「分かった。帰ったらお医者さんに診てもらおう」

 

 常盤はそうアザミに笑いかけながら、扇動家の体をまさぐる。

 傍から見れば、男の具合を確かめているようにしか見えない手つき。そしてズボンのポケットから、携帯電話を抜き取った。

 

「よし行こう。人が増えてきた……すみません、この人をお願いします!」

 

「あ、ああ……」

 

 突然の非日常に面喰っている店主に扇動家を押し付け、常盤はアザミの手を引いてこの場を後にした。

 デモ隊の暴動から逃れた人々が、新しい事件を見つけて集まってくる。

 この事件は、世間にはただの交通事故として扱われ、デモ隊の暴動のニュースの陰に隠れることになるだろう。

 

 渋谷の街を覆う、怒声と悲鳴。

 それらが、常盤達の存在を綺麗に掻き消した。

 

「……トキワさん」

 

「どうしたの?」

 

「脚が折れました。歩けません」

 

「え? あ、膝が逆方向に。隠して隠して」

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