Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』) 作:ふじやまさん
「くそ、ついてないぜ」
秋口を過ぎた深夜の空気は冷える。時刻は午前二時八分。闇は深まり月星が最も輝きを帯びる頃だ。冬季には必ず積雪するほど標高の高い位置にある、国立児童社会復帰センターの廊下はなおさらだ。
底冷えするガランとした通路を蔵馬と並び、愚痴を溢しながら行くのは、すこぶる人相の悪い短髪の男。そう、半端なく人相が悪い。短髪の名は初瀬伸一。ギンギンに尖った目に、薄くて細い眉毛。剥き出た尖った八重歯は、肉食獣か鮫を想起させる。
身長は蔵馬ほど高くないが、肩幅は同等。尋常ならざる筋肉量の持ち主だ。そんな男が不機嫌そうに悪態を吐く姿を見た者は、思わず目を逸らそうとする。そういう男だった。
特殊メイク無しで特撮の悪役を演じられそうなほどの悪人面の初瀬は、見た目に反して元は警察特殊部隊の元隊員であり、そして今は蔵馬や常盤らと同じ、タンポポと言う名の義体の担当官だった。
ピリピリと殺気立たせる初瀬とは対照的に、蔵馬はいつも通りの怠重そうな顔で火の点いていない煙草を咥えている。センターの建物内は喫煙所以外は全面禁煙なのだ。不機嫌な凶悪顔で口から白い息を出す初瀬を見て、エヴァンゲリオンみたいだなと蔵馬は思った。
「お前夜弱い方?」
「ゲームしてた」
「あっそ……」
二人は作戦部のオフィスである本部棟の三階にある、第一会議室に入る。広い室内にいるのは常盤の他に数人の屈強な男達。それぞれ適当に、壁際に積まれているパイプ椅子を出してきて座っている。一瞬蔵馬らに視線が集まったが、すぐに会議室の奥へ戻る。
そこの目の先にいるのは壮年の男と、眼鏡を掛けた若い女。この二人は会議室の上座に当たる場所に立っていて、蔵馬たちの姿を確認すると、女の方が手に持っていたプロジェクターのリモコンを操作し始めた。
「あれ、姐さんは?」
「石室はすでに現場に向かっている」
初瀬に嗄れた声で答えたのは壮年の男。彼こそが、義体と各政府機関から選りすぐりの捨て駒達を拾い集めた、国立児童社会復帰センターの実力部隊である作戦部の全権を掌握する最高責任者――作戦部部長の佐久間康夫だった。
還暦は過ぎているであろうが、未だに現役であることを感じさせる若々しさを全身から放っている。日に焼けた赤褐色の肌を着慣れないブラックスーツで包んだ彼の身体。その彼方此方に、日常的な事故や怪我では付きようの無い古傷が刻まれていた。
蔵馬や初瀬、ここにいる男たちと同じ、戦士の身体だ。故に彼らを従えることが許されるのだ。
「あいつ鹿狩りに行くって言ってたが……」
石室の所在に、蔵馬が疑問を呈する。
昼間、楽しそうに山に分け入って行く彼女に蔵馬は会っている。今頃奥多摩の密林で、ムラサキを枕にして獣の如く眠っているだろう。
「現場の近くにいましたから、そのまま向かってもらっているんです」
眼鏡の女が言った。彼女は坂崎咲という名のセンター職員だ。
日々テロリストや裏稼業の人間たちと戦う兵たちの中では異彩を放つ、何とも朗らかで温暖な空気を持つ女性だ。常に柔和な笑みをたたえ、暗く重くなりがちな作戦部に花を添えている。
坂崎は天井のプロジェクターを操作し、小脇に抱えていたタブレットとリンクさせる。
「どなたか部屋の電気を消してもらえますか? ……ありがとうございます。では状況を説明します」
暗い会議室に、プロジェクターの光が差す。
そしてホワイトボードに映し出されたのは、奥多摩の地図だ。その中の一点、多摩川の河川上に赤く印がつく。
「ここ、どこだか分かる人はいますか?」
「小河内ダムだね」
坂崎の問いに、常盤が答える。まるで小学校の教室のような光景だった。
「はい、その通りです。先ほど、この小河内ダムがテロリストに占領されました」
そして小学校には似つかわしくない、言葉が続く。坂崎はタブレットを指先で叩き、動画ファイルを再生させる。流れるのは小銃を持った覆面の男と、数珠つなぎに拘束されたダムの職員たち。
「日本山林保護戦線と名乗る、エコテロリストのグループの犯行です。彼らの要求は日本にある全貯水ダムの解体と環境開発事業の凍結」
「アホじゃねえの」
誰かが呟いた。坂崎は微笑み頷いて、話を続ける。
「組織規模は不明です。弱小も弱小で、メンバーは十人もいなかったはずなんですが……」
犯行声明の映像には、映り込んでいる人数だけで十五人はいる。この他にも歩哨や撮影を担っているメンバーもいるはずだ。とすると、多ければ倍の三十人はいると見積もっていいだろう。
「大所帯じゃないか」
「ええ。そして彼らに取られた人質は、発電所と職員三十八名。もし要求が明日朝六時まで呑まれなかった場合と、この事件がマスコミに漏れた場合は人質ごとダムを爆破する、と」
「変だな。テロリストは目立ちたがり屋がなるものだ」
蔵馬の指摘に頷きを返し、坂崎は付け加える。
「おかしなところはまだあります。彼らはAK-47と高性能爆弾を所持している事が確認されています。これを用意する資金もコネも、彼らにはありません。どこから手に入れたのでしょう? 不思議ですね?
正体不明の飛び入り参加者に、出所不明の武器弾薬、そして意味不明の要求。不明な点が多い事件です。警視庁も動いてますが、マスコミに情報が漏れないように、SATを最小限の人数しか送り込めずにいるようです」
「ていうか小河内ダムって超近所だろ。諜報部気付かなかったのかよ」
「『自分たちはカウンターインテリジェンスだから国内の菜食主義者は担当ではない』、だそうです」
「クソうぜぇ言い訳しやがって……」
殺気溌溂な闘犬の様に犬歯を剥く初瀬に、苦笑を漏らす坂崎。そんな、緊張を保ちながらもどこか弛緩した室内の空気が、佐久間の一言で引き絞られた。
「事態は急を要する」
「……ええ、そうです。我々も急がないと」
「SATは犯人を基本皆殺しにするからね。それじゃあ困る」
「その通り、困ります。彼らは我々センターが把握していなかった銃器と爆薬を大量に所持しています。その出所を探らねばなりません。それが急ぐ理由の一つ。
二つ目ですが……先ほど警察が日本山林保護戦線の本部を家宅捜索して押収された資料が、こちらにも回されてきました。その中の通話記録に、先日常盤さんが扇動屋から押収した携帯電話の中にあった番号がありました」
「あの電話には、何の手がかりも無かったんじゃないのか?」
昼間、石室がそう言っていたはずだ。蔵馬の問いに答えるのは常盤だった。
「あの携帯にあった通話記録は、公衆電話からの物だけだったんだ。それも二度と同じ公衆電話は使われていない。
周囲の防犯カメラや聞き込みを諜報部がしてくれたみたいだけど、結局手がかりは掴めなかったはずだよ」
「今回のテロリストは、他のテロ組織と繋がっている可能性が高いです。
故に、SATがテロリストを全員射殺したり、彼らが自爆してしまう前に、身柄を押さえる必要があるんです。ここまでで何か質問は?」
沈黙を受け、ここから佐久間は作戦内容を告げる。
「今回は我々にも最少の戦力で作戦を行う必要がある。だから現場に向かうのはここにいるお前たち『義体班』だけだ。その代り、四人全員を連れて行け。十五分で支度して車庫に集合。以上」
全義体――マキナ3からマキナ6までの『義体班』の投入は、作戦部のおよそ半分の戦力を投げ打つに値する。どうしても後手に回りがちなセンターにとって、情報源の確保はそれほどに重要な任務だった。
佐久間はブリーフィングを終え、会議室から出て行く。それに続いて職員たちも移動を始めようとした時だった。坂崎の懐で着信音があった。ただの携帯電話ではない。空が見えれば通話可能を謳う、高性能の衛星電話だ。
「石室さん? そちらの様子は?」
『坂崎、急いで』
親戚の近況を尋ねる様な口調の坂崎に対して、石室の声は緊迫と、静かに燃える怒気がある。その声色から、悪い方向へ事態が急転したことを坂崎たちは知る。
『あいつら早速人質を一人殺したわ』
●
センターの会議が始まるより三十分前。
奥多摩の山中。普段は獣と虫と疎らな観光客しかいない小河内ダムが、今人知れず未曾有の大事件の渦中にある。
小河内ダムは多摩湖の端を南北に塞ぐ提頂があり、北面には国道411号線が伸びている。その幹線には民家など人の気配がちらほらとあるが、対してダムの南面には行き止まりの山道が一本あるだけで、鬱蒼とした山森が広がる地理だ。
休日には観光客の姿も見えるが、深夜のこの時分に訪れる人間など肝試しにくる若者くらいだろう。その肝試しも、とっくにシーズンを終えている。人を見るより獣を見ることの方が多い。
そして、このダムへと至る唯一の道である国道411号線は、SATの到着と同時に封鎖された。これより小河内ダムは、常世から隔絶された異常空間――戦場となる。
そんな場所に小河内ダムに到着したSATは、部隊を三つに分けた。
一つ目は負傷者と共に司令塔としてダム北東にある神社に置く。二つ目は『突入第一班』として国道411号線から分岐した山道に入って、ダム提頂の下の発電所へ。三つ目は『突入第二班』となり、そのまま国道を進み、ダムの提頂を制圧する。
幾人かの負傷者は出たが、作戦実行に支障は無し。そう判断したのだろう。着々と十八番の奇襲作戦を進めるSAT隊員は、各々配置に付く。紺色のアサルトスーツの上から同色のボディアーマーを装着し、顔には黒色のマスクとケブラー製のヘルメット。闇に溶け込むような出で立ちの彼らの手には、ドイツ製の短機関銃MP5が握られている。
《こちら突一、発電所前のゲートに到着。犯人グループはゲート前に土嚢を積んでバリケードを築いています》
《こちら突二、待機ポイントに到着。こちらも提頂の展望塔前に土嚢のバリケードあり》
前線からの無線連絡を指揮車の中で聞き、作戦指揮を任せられた倉内というSAT隊員は、広く厚い顎を指で撫でる。犯人がテロリストであるとは聞いていたが、やはり普段の作戦とは勝手が違う。
バリケードとは、侵入を防ぐ受動的な防衛手段では無い。そこに身を潜め、迎撃のために備えられるものだ。先ほどの爆弾で身に染みたが、連中は建物の中に引き籠って来るな来るなと喚く立て籠もり犯と異なり、『戦闘』をしに来ている。
「……狙撃班各員、バリケード付近の様子を報告しろ」
《狙撃01、提頂のバリケードに複数の人影あり》
《狙撃02、ゲート前も同じく。しかし射線にはなかなか入って来ません。狙撃を警戒しているようです》
《狙撃03、展望塔で動きあり、誰かがエレベーターで下の発電所から昇ってきた。……ダメだ、見えない。あいつ、こっちの位置が分かっているのか?》
「ふむ……」
報告を聞き、倉内は低く唸る。やはり素人を相手にしている感じがしない。まるで怪物の巣穴の前に立ったかのような、重密な威圧感と殺意。それが現場から離れた指揮車の中からでもはっきりと感じ取れた。
だがしかし、弛まぬ訓練と幾多の死線を経験した彼らSAT隊員たちを畏れさせる、ダムの近辺に満ちる威圧と殺気。それらを放っているのはたった一人の男――御堂昭文だった。
御堂は暗視装置を頭に着け、提頂のバリケードから『突入第二班』が待機する辺りを眺めている。無論そこにいると知っていたわけでは無い。自分が指揮官ならそこに待機させる、という場所を見たに過ぎないが、案の定人の気配があった。
「ぎりぎり間に合ったな。気を引き締めろよ、おい」
ここには日本山林保護戦線のメンバー二人と、働く当ても無く日本にやって来て、路頭に迷っていたところを雇った密入国者、合わせて十二人配置している。
それぞれにAK-47のコピー品を持たせてあるが、昨日今日初めて銃を触った連中だ。半日あればサルでも撃てるで誉れ高い銃だが、撃てると当てるは別問題である。戦闘力的には特殊部隊であるSATなどとは比べようも無い。
「その辺は気合と金でカバーだな……」
呟き、隣で蹲っている戦闘員を見ると、緊張と恐怖でブルブルと震えていた。他の者たちも似たようなもので、これでは戦いが始まった途端に瓦解してしまいそうだ。
流石にあと数時間は持ち応えてくれなければ困る。
御堂は周囲に察知されないほど小さく溜息を吐き、日本山林保護戦線のメンバーたちの耳元にそっと耳打ちする。その声は重低でありながら耳触りのよい柔らかさがあり、そして男の物であるにも関わらず、ずっと聞いていたいと思わせる色気のようなものがあった。
「どうした、君たちが望んでいた戦いが、もうすぐ始まるんだぞ、日本山林保護戦線の諸君。
思い出せ、君たちは何のために生きてきた。
何のために、今まで矜持を捨てずに生きてきた。
社会に無視され白い目で見られ続けてなお、何故君たちは信念を曲げなかった。
この日の為だろう? この機会をずっと待ち続けてきたんだろう?
この戦いで、君たちを無視し続けた政府にキツいビンタを食らわせてやるんだ。
俺たちの声を聞けと、奴らの耳元で叫んでやるんだ。
さあ、安全装置を外せ。照準器を覗け。引き金に指を掛けろ。
敵はあっちからくるぞ。君たちの敵が、やってくるぞ。その銃で、7.62mmの弾丸で撃ち殺せ」
そうだ、この日の為に生きてきた。もう後戻りはできない。敵が来る。敵が来る。
御堂の言葉に、彼等は無意識のうちに小銃のトリガーに指を掛ける。プライドと命以外に何も残されていない人間を御するのは容易い。その二つを突いてやればいいだけだ。
続けて密入国者たちに言う。
「一人殺せば百万円だ」
百万円。それを持って国に帰れば、一気に成り上がれる。十年は遊んで暮らせる。店を持てる。畑を買える。最底辺から抜け出せる。
密入国者の目の色が変わった。これで何とか戦えるだろう。
「おっと、来たぞ」
御堂の暗視装置を通した視界に、蠢く影が映る。数は見たところ十二人。こちらの戦闘員と同じ数だ。
提頂の入り口両端にあるコンクリートの塀。バリケードから数十メートル離れた位置から、ドイツ製のMP5短機関銃の銃口をこちらに向けていた。
「伏せろ」
状況が分かっていない周りの連中に命じて、御堂も土嚢の陰に隠れた。
連続した射撃音。MP5から発射された弾丸が、土嚢から頭を出したままだったノロマを二人、射殺した。
飛び散る脳漿の中、御堂はやれやれと肩をすくめて、死人の手にあるAK-47の弾倉を抜き取る。銃は粗悪品だが、弾はそこそこ良い物を使っている。アホの冥途の土産にするには惜しい。
そのままパラパラ飛んでくる銃弾を土嚢で塞いでいると、SATの銃撃が止んだ。
沈黙が訪れる。三十秒も経つと、こちらの戦闘員が待ちのストレスに耐えきれずに、土のうの向こうを覗こうとして、すぐに撃ち殺された。
「お前ら、俺が良いと言うまで動くな。一発も撃たずに死ぬ気か」
再びの静寂。今度は誰も動こうとしない。
三十秒待ち、一分待った。
御堂の鋭い聴覚が、金属の擦れる音と、コンクリートの地面の上で何かを転がすような音、そして布擦れの音を捉える。
SATが動き始めた。こちらの素人丸出しの動きを見て、一気に乗り込んできて制圧する判断をしたらしい。
SATが移動する音が近づいてくる。彼我の距離はもう二十メートルほどか。
頃合だ。
御堂は土嚢のバリケードに紛れ込ませるように設置しておいた、ストロボフラッシュライトのスイッチを押した。
一斉に強烈な光の点滅が発し、彼らを包んでいた闇が掃われた。
五個あったライトはうち二個は壊れていたが、威力は十分だ。
現代の暗視装置は強い光で故障する、なんて事態には陥らない。許容量を超える光を受けると、保護機能が働き集光・増幅を遮断するからだ。
ただし、それは装置の故障を防ぐための装置であって、使用者の視力を護るものではない。強い光を受けている限り、暗視装置は作動せず、しかし装置を外すと強烈な閃光に目を焼かれる。
持ってきたのは写真スタジオなどで使用される大型フラッシュライト。普段目にするフラッシュライトの数十倍の光量だ。人間は光の無い暗闇の中では物が見えなくなるが、強すぎる光の中だと視力その物を失う。暗所に馴れた目には、絶大な威力を発する。
「撃て!」
御堂が叫び、土嚢から身を乗り出してAKMのトリガーを引いた。
フルオートで弾き出された破壊の礫。それはSATが構えていた盾に防がれた。
SATは先頭のポイントマンが防弾性に富んだバリスティック・シールド。AK-47の大型弾薬をも防ぐその盾は大きく重く、人が持って運べるものではない。
機動性を有するためにキャスターを取り付けられた盾は動く壁に近く、その後ろに他の隊員が続く。それが三列で進攻してきていた。遮蔽物が無い天端での戦闘の対策を、しっかり用意してきたようだ。
銃撃はシールドに防がれるが、構わずに撃ち続ける。
御堂に連れられて、他の者たちも射撃を開始する。
十のアサルトライフルから猛攻を受け、SATは後退していく。
SATを提頂の入り口に押し戻し、御堂は弾倉を入れ替えて、セレクターをセミオートに切り替え追射を続ける。これまでは敵を寄せ付けない為の攻撃。これからは敵をその場に縫い止めるための攻撃。
こちらの攻撃力を知れば、相手も迂闊には突っ込んではこない。SATがなにか策を講じるか――応援を呼ぶまでの間は時間を稼げるはずだ。
「……後は任せるぞ。下の様子を見てくる」
御堂は生き残った連中にもセミオートに切り替えさせ、撃ち続けるように命じた。
弾はまだある。彼らにはここでしばらくSATの足止めをしておいてもらう。
身を低くしたまま展望塔のエレベーターに入る。
下の方からも銃声が聞こえた。発電所ゲート前のバリケードには天城を置いてある。人数はこちらの倍を配置した。押し負けることは無いだろうが、念のために様子を見に行く。下が抜かれたらゲームオーバーだ。こんな時に、現場を任せられる下士官があと一人でもいればと思う。
しかし、難易度の高いゲーム。それはそれで面白い物だ。
それに、今回は戦闘の勝利がクリア条件では無い。御堂はコンクリートの巨壁を下りながら、鼻歌を歌い始める。
「もっと楽に勝ちたいだろう? ほら応援を呼べ。もっと強い奴を連れてこい」
●
小河内ダムの戦闘は、二か所同時に開始した。
一方はダム提頂部の天端で、もう一方はダムの下にある発電所に続く入口ゲートで。
どちらも土のうのゲートにライトを隠し、SATが近づいたら光を放って意表を突いたところに自動小銃で掃射という手で、テロリストがSATを追い返した。
単純だが、一応の効果はあった。
だが今はSATも一旦退いてはいるが、すぐに立て直して応戦を始めるだろう。
ダムを挟む渓谷の南斜面。その中腹に蓄えられた藪原に、微かに動く影と、双眼鏡のレンズがある。覗くのは女と少女。夕子とムラサキだ。
彼女らはつい先ほど、山を幾つか越えてここまで来たところだった。上手い具合に獲れた鹿を血抜きしていた途中に呼び出され、初瀬ほどではないが石室もご機嫌斜めだ。見下ろすダムの一帯は、テロリストが点けたライトで、遠くからでもよく見える。
「ライトで目暗まし……考えたわね」
「SATは何で先に閃光手榴弾とか使わんかったんやろ」
「あいつらが持ってるやつは堪え性が無いから、土嚢を超える前に爆発するのよ」
「へー」
藪の中、季節外れのやぶ蚊に頬を噛まれながら石室の解説に相槌を打って、ムラサキは傍の木に立て掛けておいたステア―・スカウト狙撃銃を引き寄せる。急な斜面で器用に座射姿勢を取り、スコープを覗いた。
「……ゲートの敵ならここからでも狙えるけど、どうする?」
「まだ撃っちゃダメよ」
ムラサキはスコープから目を放し、頬に食っていたやぶ蚊を叩き潰した。血の粒が掌に付着する。
「……うちの血多分身体に悪いよ」
「殺してから言うのね……」
そう言って笑う石村の頭には、さっきからバッタが引っ付いている。そこを新たな寝床に決めたのか、動く気配はない。石室は頭の虫に意を介する様子も無く、ザックから衛星電話を出して、作戦部の佐久間へ通信を飛ばす。現状を報告し、待機を言い渡される。これからセンターの方で作戦会議が行われるらしい。
提頂の方では散発的な射撃が続いているが、入口ゲートの方ではテロリスト側にも動きがあった。どうやら彼らも撤退するらしい。戦線が移り、発電所からの増員を得てダム下での戦いは戦力が拮抗したようだ。戦闘に停滞が生じ始めた。
「……夕子、あれ」
ムラサキが、ダムの提頂を指差した。
そこにはニッカポッカを着た男が、ダムの絶壁際に立たされていた。
あれは人質にされていた、発電所の職員だ。
銃撃戦の後、テロリストが人質をあんな場所に立たせる理由は、一つしかない。
「……ちょっと待ちなさい……!」
擦れた石室の声。それは当然届くことは無く。
ぽん、と。
人質の男が、突き落とされた。
「~~~~~~~ぁぁ!」
悲鳴は山麓に響き渡り、そして肉が潰れる音。
小河内ダムに、厭な静けさが戻った。
虫鳴き。川のせせらぎ。それらがはっきりと聞こえる。
――と、
《あ、あー……聞こえるかねSATの諸君》
拡声器で増幅された声が、自然の声を掻き消した。
人質が立っていたその場所に、代わりにカーキ色の野戦服を着た大柄の男が現れた。
《君たちの上司に伝えてくれ。これより君たちが一発でも発砲すれば、そのたびに人質を一人ずつ殺す。また我々の要求に対する政府の返答が、今から一時間遅れる度にも一人ずつ殺す。そして明日六時に我々の要求が呑まれなかった場合は、全員まとめてダムごと爆破する。あと四時間だ……早くしろよ。時間は人の命と等価だぞ》
言うだけ言って、男は堤の陰に消えた。反撃せんと行動を始めていたSATは彫像のように固まる。そして、そろそろと撤退を開始した。こうなっては現場判断で動くのは無理だ。 ひとまず上の判断を仰ぎに指揮車へ戻るのだろう。
「……………………」
石室の奥歯がきつく噛み締められて軋む。
ブッと音を立て、石室の頭にいたバッタが飛び去った。単に居心地が悪くなったのか、それとも彼女の身体から溢れ出てきた怒気に生きると言う本能が害されると感じたのか。
石室は黙って、傍らのガンケースから一丁の狙撃銃を取り出す。M24A2、アメリカの兵士たちがこぞって愛用する、信頼と実績を重層に積み上げた対人狙撃ライフルである。夜間用暗視スコープを覗き、光が増幅された緑色の視界で、人質を突き落とした男の顔を覗く。
野禽の如き静かな野性を秘めた、総髪の男。顔の皺一本一本までを記憶に刷り込む様にして凝視する。
「…………その顔、覚えたわよ」
腹の底から出た、女の物とは思えない程低い声。
スコープから目を放し、衛星電話を手に取る。
「坂崎、急いで。あいつら早速人質を一人殺したわ」