Gunslinger Girl - Birth of Ws - (旧題『あかつきの少女たち Marionetta in Aurora.』) 作:ふじやまさん
小河内ダム発電所。二基の巨大な発電機を囲む様にして、人質たちが数珠繋ぎに拘束されている。三十八人いた人質は、三十七人になった。全員が顔に麻袋を被らせられて表情は窺えないが、俯き震え、恐怖が全身の汗腺から汗と共に噴き出している。
彼らを取り囲むのは日本山林保護戦線が三人と、御堂が雇った密入国者が八人。そして御堂と、日本山林保護戦線のリーダーの相野という男。相野は唾を飛ばして御堂に詰め寄っていた。
「人質は極力殺さないと言っていたじゃないか!」
「だから一人しか殺さなかったじゃないか」
御堂が不思議そうな顔をするのを見て、相野はこの計画に乗ったことを後悔した。
そもそもこのダム占領計画も、御堂が彼らに持ちかけてきた話だ。
長年弱小団体として日本国内で燻り続けていた自分たちに、御堂は目も眩む様な資金と、大量の武器と、共に戦う人間。そしてダム占領計画とそれを実行する行動力を持ってきた。
爆破テロなど自分たちの手に余る。荒唐無稽だ。
初めはそう感じていたはずだった。
だが御堂と話をしているうちに、何故か自分たちには何だって出来るような気になり、そして崖から転がり落ちる様に現在の境遇にある。
まさに、口車に乗せられた。
御堂は蛇だ。巧みな言葉で、そして金で出来た果実で人の心を惑わせる。
気付いた時には、もう取り返しのつかない状況に陥っているのだ。
「一人殺しただけでSATを止められたんだ。割のいい抑止効果じゃないか。
これを渡しておく。ダムに仕掛けた爆弾の起爆装置だ。ここぞという時に使え。
テレビのリモコンみたいに失くしたりするんじゃないぞ」
御堂は安物の携帯電話を相野に手渡す。
これに登録されている番号にダイアルすると、仕掛けられた高性能爆薬がダムを吹き飛ばすのだ。そんな危険な物を、本当にテレビのリモコンのような気軽さで持たされて、脂汗を全身から滴らせる相野と対照的に、御堂は気楽そうに笑う。
「御堂さん、応急処置終わりました」
天城が、全身血まみれになって駆け寄ってきた。彼は今まで負傷者の手当てをしていたのだ。御堂は頷き、相野を置いて処置の手際を確認しに行く。
「どこまでやった?」
「止血までですね。内臓ボロンは手に余ります」
「それはもう助からんから放っておけ。お前はどうだ? 俺お医者さんの免許持ってるから怪我したなら診てやるぞ」
言われて、天城は自身の肩に、銃弾の擦過があることに気付く。あと10cm横にずれていたら、喉を貫かれて死んでいただろう。
「あっぶな……」
「まあ、死ぬ奴は何をしてても死ぬから気にするな。どうだった、初めての実戦は」
「怖いの半分、なんだこんな物かって気持ちが半分ってところです」
「ま、それが分かったならお前を連れてきた甲斐があったよ……お前包帯巻くの下手だな!」
ミイラの様にグチャグチャに巻かれた負傷者の包帯に、御堂は思わず突っ込んだ。天城には色々と戦場のイロハを教える必要がある。経験値を積ませるために衛生兵の役をやらせてみたが、これだと一人前になるまでに死傷者で一山築けそうだ。
「これからどうするんですか?」
「お前は包帯巻きなおしたら、撤退だ。今なら狙撃手も撃ってこない。教えた通りに山を抜けろ」
「御堂さんは?」
御堂は釣り糸を巻き上げる様な仕草をして、一笑。
「釣った魚を見てから帰る」
●
一人目の人質が殺されてから四十二分後。緊迫し、膠着した多摩湖周縁に動きがあった。初めに気付いたのは、浅間神社で特Ⅱ型輸送車の周りを警邏していたSAT隊員だ。
黒塗りのハイエースが二台、境内に入ってきたのだ。ガラスにはスモークが掛けられており、中を窺うことは出来ない。
「停まれ!」
停止命令に従い、ハイエースはSATが乗ってきた特Ⅱ型輸送車の前に停車する。SAT隊員はMP5を構え、すぐに発砲出来る様にセーフティを外し、トリガーに指を掛ける。
先頭のハイエース。その助手席の窓が開いた。中から伸び出た二つの手。右手には白い紙が二枚。続いてドアが開き、助手席にいた者が両手を挙げながら出てきた。
黒い戦闘服にタクティカルベスト。その下にセラミックの防弾プレートまで仕込んだ重装備。フェイスマスクで頭部を覆い、その上からメガネを掛けている。大腿には拳銃が収まったホルスター。所属組織を表すワッペンも見当たらない。
「何者だ?」
「政府機関の者です。機密に当たりますので、あなたとお話は出来ません。これが指令状。指揮官に通していただけますか?」
若い、柔和な女の声だ。
SAT隊員は銃口を黒衣装に向けながら、掲げられた紙を見る。
確かに警視庁公安部の証印が押されていた。
「待っていろ」
SAT隊員は一応銃を降ろすが、警戒は解かずに黒づくめの女に身体の正面を向けながら、輸送車のドアを叩く。
「どうした」
指揮官のSAT隊長がドアを薄く開く。
「おかしな連中が来ました。警視庁の指令状を持っています」
「来たか……」
倉内は顰み面を作る。そして渋面のままドアを開き、黒装束を車内に招き入れた。
「どうも。これが指令状です。ご確認ください」
「…………了解した」
黒く物々しい出で立ちに、何事かと訝しんでいた車内のSAT隊員たちは、
「では現時刻を持って、この現場の指揮権は我々に移ります。よろしいですね?」
女の言葉で熱り立った。
「お前、いきなり来て何を……!」
「止めろ!」
その一喝は血の気の多い特殊部隊の若人たちを抑え込んだ。それだけの迫力と、形相を倉内にあったからだ。どんな犯罪者にもテロリストにも怯まないSAT隊員を畏れさせる倉内の鬼面が、黒装束の女に向けられた。
「…………よろしく、お願いします…………!」
搾りたての苦虫の体液を千匹分飲み干した様な憎々しげな声で、錆固まったブリキ人形の様なぎこちない動きで、ゆっくりと頭を下げた。
「はい。これより小河内ダム及び多摩川第一発電所の奪還作戦を決行します。
時間が無いので手短に。我々が突入するので、SATは後続して援護をしてください。それ以外のことはしなくて結構です。後は現場の隊員の指示に従ってください。
今から十分後に行動開始です。急いで準備してください。以上」
女は最低限の説明を矢継ぎ早に言い、一礼。輸送車から降りて行った。
「……行動開始! 早く動け!」
倉内に怒鳴られ慌ただしく動き始めたSAT隊員を背後に、女はハイエースへ戻る。
そして女――坂崎はサムズアップでSATとの顛末を車内に伝え、二台の車両の戸を拳で叩いて降車を促した。
「作戦開始ですよー。降りてきてくださーい」
「うーっす」
間の抜けた返事をするのは、坂崎と同様の黒装備。
国立児童社会復帰センター作戦部の職員たちだ。
まず初めに、初瀬が降りてくる。
「うっすうーっす」
次に彼の担当義体、タンポポが毬のように跳び出てきた。
彼女の素体は11才の少女だったが、その歳にしては背が低い。小学校低学年程度の身の丈だ。亜麻色の波打った髪を肩ほどまで伸ばし、動くたびにふわふわと揺れる。そしてその小さな背中には、彼女の身の丈の半分はあるタクティカルアックスが結いつけられていた。
「これが神社かー!」
猫の様に丸い目で物珍しそうに境内を見渡し、足元の砂利を楽しそうに踏み鳴らす。
「あれがSATかー!」
今度はSAT隊員に好奇心を向け、よく見ようと近寄って行こうとする。その首根っこを初瀬は引っ掴み、膝を折ってタンポポの目線に合わせる。
「静かにしろ。今何時だと思ってんだ」
しゅんとして口を抑え、それから比較的大人しくなったタンポポの姿に、SAT隊員たちは唖然としている。テロの犯行現場に、まるで遠足気分の子供が現れたのだから当然である。
続いて降りてくるのはモモと蔵馬、そしてアザミと常盤だ。もう一台のハイエースからはセンターの後方支援要員が出てくる。全員揃いの黒い戦闘服。違うのは、各々の手にある装備類だ。アサルトライフル、散弾銃、PDW、全員が異なる種類の銃器で武装している。
皆が長物の銃火器を提げる中、唯一坂崎だけは大腿のホルスターにある拳銃以外の武器を持っていない。それは彼女が自衛目的以上の武器を持つ必要がない、この場の指揮官であることを意味している。
「ではみなさん、息苦しいのを我慢して、そろそろマスクしましょっか」
言われ、みなは懐から坂崎と同様のマスクを取り出す。
「なんでみなさんマスク着けるの嫌がるんですかねー」
「タバコ吸えねえだろ」
蔵馬の一言に、皆が違いないと失笑を溢す。
「はい、それじゃあ打ち合わせ通り蔵馬さんと常盤さん達は発電所。初瀬さんはダムの上を制圧してきてください。生け捕りが目的ですので、間違っても全滅させないように」
「サキちゃんサキちゃん!」
手を挙げてピョンピョン跳ねるタンポポに、坂崎は膝を折って視線を合わせる。
「どうしたの?」
「一人残せばオッケー?」
「出来れば三人くらいは残してほしいかなぁ。あとテロリストのリーダーは絶対確保」
「オッケー! 了解!」
絶対に了解していなさそうな能天気な声でオッケーオッケーと連呼するタンポポの頭を、坂崎は優しく撫でる。そのまま黒い兵士たちに穏やかに、たおやかに、のどやかに言った。
「それでは行動開始です。お仕事がんばりましょう」
●
小河内ダム提頂天端は、テロリストが点けたライトに照らされ視界良好だ。
土のうが積まれたバリケードを眺めるのは、黒装備の二人組。ブッシュマスターACRを肩に担いだ男と、ベネリM3ソードオフを背負ったチビ。初瀬とタンポポだ。
この場を死守していたSAT隊員たちは、明らかに困惑していた。
この場を指揮するらしい二人組は、素性を明かさず、武器もバラバラ、そして一人は大人の半分ほどの背丈しかない。
「んで、どうすんのシンイチ。突っ込む?」
「そうだな……」
突っ込んでもいいが、ただ突っ込めば間違いなく死ぬ。何か一策講じなければ。
初瀬はSAT隊員に振り返る。そして彼らの手にあるバリスティック・シールドに目を付けた。無言で一つ手に取り、持ち上げて重さを確かめる。15kg前後くらいだろうか。
「これくらいなら大丈夫か。借りるぞ。おい、タンポポ」
初瀬はタンポポに盾を手渡す。義体の腕力は自身の体重の半分はある板を軽々と片手で受け取るが、しかし成人用に作られているそれを持って運ぶには身体が小さい。タンポポは盾を引きずりながら提頂の陰から、テロリストたちの射線上へと移る。
ガリガリ、ガリガリと湖畔の闇に盾が地を舐める擦過音が通る。徐々に近づくその音に、テロリストたちは固唾を飲んで、手汗で滑るライフルの銃把を握り直した。土嚢バリケードに仕込まれたライトが照らす提頂の先端。
バリケードの側から見ると、盾だけが独りでに歩いてきたようにしか見えないだろう。その陰には、盾で全身を隠したタンポポがいる。
「じゃ、行くよ」
そう告げ、疾駆。突進してくるタンポポに、テロリストたちは一斉に射撃を加えた。盾は火花を散らせて銃弾を弾くが、表面は削られ薄くなっていく。このままではバリケードに辿り着く前に、弾を防ぐ力を失うだろう。
だがその前に、タンポポの後ろからは初瀬とSATの銃撃が始まった。タンポポの頭上に弾丸が飛び交う。彼女に集中していた弾幕が分散され、盾に掛かる攻撃が多少だが和らいだ。その多少で十分だ。義体の脚力は数十メートルの距離を一瞬で縮めうる。
バリケードの寸前に到ったタンポポは、息を止めると脚に意識を込め、上に跳んだ。広がる視界。弾幕が、土嚢が、テロリストが眼下に滑る。そして擦れ違いに、M3散弾銃の散弾を放った。鉄粒の雨に降られ、一人が赤く飛沫をあげて肉微塵になった。
バリケードのすぐ後ろに着地し、踵で回る。遠心力を乗せて、ボロボロになった盾で横に薙いだ。盾の打撃を食らい、テロリストが二人まとめて吹っ飛ぶ。一人は運よく堤縁のコンクリート塀に叩き付けられ、失神しただけで済んだ。片方はダムの断崖に吸い込まれ、悲鳴を上げながら落下していった。
防壁の後ろを取られたテロリストたちは慌てて銃を反すが、タンポポに向く前にM3散弾銃の射撃。射撃。射撃。ソードオフされ絞りのない散弾は爆散し、テロリストを四人、瞬時に肉塊に変えた。残り二人だ。
敵の残数を視認し、ここでタンポポは唇の隙間から息を吐く。一息分の停滞にAK-47の銃口がタンポポに追いついた。タンポポは咄嗟に盾を構えて陰に潜む。だが既に盾には銃弾を防ぐ力は残っていなかった。貫通してきた7.62mm弾が頭上を掠める。
「このっ!」
タンポポは盾に向けて三連射。向こう側から貫通するなら、こちらからでも通る。
テロリストは血をまき散らしながら千切れ飛んだ。
背後から銃声。
堤縁に叩き付けられて気を失っていたテロリストが、意識を取り戻して撃ってきたのだ。だが狙いも定まらない射撃はタンポポの遥か右方を通り過ぎ、AK-47は弾を撃ち尽くす。テロリストは慌てて替えの弾倉を装填しにかかった。
タンポポは振り向きざまにM3散弾銃の引き金を引く。が、何も出てこない。こちらも弾切れだ。リロードはAk-47の方が早い。
テロリストは勝ちを確信し笑みで唇を歪めた。
だがタンポポはリロードなどせず銃を手放し、腰の戦斧を抜いて投擲した。旋回し空間を裂く重い飛翔音の後、頭蓋骨が割れる硬い音。脳幹を叩き割られ、テロリストは笑みのまま死亡した。
「…………っふぅー」
内側に溜まっていた物を吐き出す様な、長い吐息。タンポポはギュッと瞼を閉じる。血と肉が四散する戦場に佇むタンポポに、初瀬が走り寄ってきた。
目を開いたタンポポは笑顔を弾かせ、テロリストの頭に刺さったトマホークを引っこ抜く。脳漿をボタボタ滴らせ、斧を振り回す。
「どうだったどうだった!? タンポポ格好良かった!? ねえねえ! 最後斧がいい感じに刺さった時は自分でも『格好いい~!』って思ったもん!」
はしゃぐタンポポの頭を乱暴に撫でながら、初瀬はインカムで坂崎に通信する。
「――こちら《マキナ4》。制圧完了。捕虜は……蔵馬さんか常盤になんとかして貰え」
●
多摩川第一発電所でも攻防が開始していた。バリケードは既に突破され、戦線はダム下部の発電所に移っている。発電所は背に切り立ったダムの提体があり、発電所の正面には橋が一本かかっている。発電所に向かうにはダム提頂展望塔のエレベーターから下るか、この橋以外に道は無く、故に防りが厚い。
「ほら、来たぞ。撃て撃て」
戦闘の指揮を執る御堂は、発電所に逃げ込もうとする雇いの密入国者を蹴り飛ばす。ここで背を見せたら一気に押し潰される。後退しながら撃ち続けるが、手応えはない。弾が空を切る感覚が、トリガーを引く指先から伝わってきていた。
先ほどから聞こえる銃声は、SATのMP5短機関銃に混じって、M4カービンとMG4機関銃の音が聞こえる。他にも混じっているが、聞いたことが無い。
「変なのが釣れたな……」
御堂が銃轟の中で呟いた時、発電所と対面の山腹からも二発の銃声があった。同時に逃げ腰だった外国人と日本山林保護戦線の一人が、頭を仰け反らせて崩れ落ちる。狙撃されたのだ。今の銃声はM24A2と、片方は未知のもの。
「この短時間であそこまで登ったのか……?」
銃火は見えなかったが、音から推し量るに、ダム提頂より高い位置からの射撃だ。ここの渓谷は両の傾斜が急で登りにくい。足元の不確かな夜間となると、その登攀にはかなりの時間を要するはずだった。
ともかく狙撃手がいるとなると、外にいるのはまずい。御堂は発電所の中まで退いた。暗い通用路を進み、すれ違う者々の肩を叩く。頑張れ、まだやれると口にしながら、御堂は既にこの戦場からどのタイミングで抜け出すかを思案し始めていた。
ダム提頂での銃声はまだ続いているが、突破されるのも時間の問題だ。
先ほどから聞こえる聞き知らぬ銃声。
今、この場に日本の警察にも自衛隊にも配備されていない銃器が持ち出されている。
つまり公ではない政府の組織が動いているという事だ。
御堂が起こした、このダム占拠作戦。
この男の目的はダムの解体でも、環境開発の阻止でも、国内の弱小組織の手助けでもない。政府が設立したと思われる、非公式組織が本当に存在するのか確認するためだ。
その為に、扇動家に連絡するのに使った、普段なら絶対に二度使わない公衆電話で日本山林保護戦線に連絡を取った。件の扇動家が『非公式な組織』によって身柄を拘束されたのであれば、扇動家との繋がりに気付いて、この事件に介入しようとするはずだからだ。
結果、思った通りにやって来た。
マスコミに情報を流させなかったのは、秘密裏に動きたいのであろう連中が出てきやすいようにする為。ダムに爆弾をしかけてタイムリミットを設けたのは、警察に時間をかけた包囲戦をさせない為。
人質を殺して脅しをかけたのも、事件の即応性を増して組織の出動に大義名分を作ってやる為。こうして散々金と人命を掛けて御堂が仕掛けた釣り餌は効果を発揮し、狙い通りの大魚を釣り上げたのだ。
政府の非公式組織が存在することは分かった。
想定よりも大分早い登場だったが、それだけ身軽な組織ということだろう。
後は釣った新種の魚がどんな姿をしているのかを一目見て、さっさと退散しよう。
「さあ、早く面を拝ませてくれよ、俺の敵」
●
そんな御堂の思惑など露程も知らない日本山林保護戦線の者々は、囮の羊にされた事にも気付かずに迫る敵と戦っていた。
「あああ……!」
相野の隣で銃を乱射していた古株のメンバーが、額を撃ち抜かれて絶命した。
戦闘員は相野を入れて、もう三人しか残っていない。
やはりダム占拠など無茶だった。
自分たちはしがない環境活動家として、細々と生きていれば良かったのだ。
御堂と関わったばっかりに。
御堂にさえ。御堂にさえ出会わなければ。
「くそ、くそくそくそおおおおおおお!! 御堂おおおおおおお!!」
戦いが始まったと思えば姿を消した男の名を、相野は憤怒に満ちた声で呼んだ。
しかし返事は返ってこず、来るのは敵の弾幕だけだ。
相野のAK-47が弾を切らした。同じタイミングで残り二人の仲間が弾丸を受けて冷たい床に伏した。
始めた時は三十人はいた仲間が、もう誰もいない。
もう負けだ。これ以上は戦えない。
このまま一人で戦っても、殺されるだけだ。
では降参するのか?
降参して捕まったとしても、自分はこの事件の主犯として拘束される。
殺人か、国家反逆罪か、とりあえず何かしらの罪で死刑になるだろう。
「う、ううううわああああ!」
相野は仲間が落としたAK-47を拾い上げ、弾を撒き散らしながら後ろに逃げた。
廊下を曲がり、階段を登り、とにかく施設内を逃げた。
そしてたどり着いたのは、発電所の屋上だった。
逃げ場はない。小銃の弾ももう空だ。
捕まったら殺される。
ダム占領前は死を覚悟したはずなのに、今は死ぬのが恐ろしくて堪らない。
何かないか。何か、何か……。
「動くな!」
相野を追ってきたのは、ドイツ製短機関銃MP7を構えた常盤だった。後ろにはSAT隊員が連なっている。
機関銃の照準を相野に合わせ、投降を促す。
「投降しろ。両手を挙げて、地面に伏せるんだ」
常盤の声に、相野はゆっくりと振り返った。
そして両手を挙げる。が、その右手には小さな箱状の物が握られていた。
安物の携帯電話。爆弾の起爆スイッチだ。
「お、おお前らこそ動くな! 動いたらダムを爆破するぞ! いいか、全員銃を捨てて退け! 出ないとダムごと全員爆は―――」
相野の言葉を遮るように、銃声。血飛沫。そして悲鳴。
携帯電話を持っていた相野の右手。その手首から先が撃ち抉られて飛んで行った。
痛みに膝から崩れて悲鳴を上げ続ける相野を、常盤は慣れた体捌きで組み伏せる。
ベストから出した手錠で左手と、右手が無いので左足首を繋ぎ合せた。
その様子を眺めていたのは、山の傾斜で一部始終を観察し続けていた石室とムラサキだ。
樹木の陰。人質が殺された時から寸分違わない座射姿勢。
一時間近く、延々同じ姿勢で、いつでのタイミングでも撃てる姿勢で、耐え続けていた末の一射だ。ムラサキが構えたステア―・スカウトの銃口からは、薄く紫煙が上っている。
「やるわね、ムラサキ。上手くなったじゃない」
「……うち狙撃好きやから」
●
蔵馬はモモとアザミを連れて、発電所を奥へ奥へと進んでいた。
残存の敵戦闘員はいないようで、一発も撃たないままタービンフロアに辿り着いた。
タービンを囲んで縛られた人質の一団は、見た感じでは無事なようだ。
「クラマさん、人質がいます」
ドイツの軽機関銃MG4を掲げたアザミが、人質に寄って行こうとするのを制する。
「アザミ。人質の解放はSATに任せて、残りのテロリストがいないか警戒しろ」
タービンフロアは天井が高く、水車と水が通る太いパイプ以外はすっきりとした造りになっている。
身を隠せそうな所は無さそうだ。
モモがフロアの最奥、外へ出られる裏口を見つける。
「裏口がありますね。ここから逃げたんでしょうか」
「この先はダムの壁と天端に続くエレベーターだけだ。上は初瀬たちが制圧したらしい。袋の鼠だな」
言いながらクリアリングを完了させ、蔵馬を構えていたM4カービンを下げた。
どうやら常盤が追って行ったテロリストが最後だったようだ。発電所の外での戦闘で、既に二人のテロリストを捕縛している。後は警察に現場を明け渡して、作戦完了だ。
一応人質の人数確認だけしておく。
「人質は何人だ? 全員いるか?」
義体二人に尋ね、彼女らは二手に分かれて人質を数える。
「一、二、三………………三十五、三十六、三十七人です」
「三十七、三十七っ!?」
人質は事件発生時で三十七人。一人殺されて三十六人のはずだ。
一人多い。
「気付かれたか」
男の呟き。
声が耳に届き、蔵馬の眼がその主を探そうと巡る。
「ぐっ!」
しかし見つけるより先に、銃声と、胸と腹に重い衝撃が来た。
撃たれた。そう直感し、ともかく射線から身を逸らすために地へ転がる。
二発目の弾丸が蔵馬の傍を通り抜け、マズルフラッシュが暗いフロアの中で燃えた。
近い。十メートルと離れていない。
やはり人質の円の中。コルト・ジュニア拳銃を握っている御堂がいた。周りの人間と同じ青い作業着を着て麻袋を被っているが、目の部分に穴があけられている。
人質の中に紛れて、隙を突くつもりだったのだろう。蔵馬は、まんまとしてやられた。
「クラマさん!」
三発目から蔵馬を守ろうと、モモは猫のような俊敏さで二人の間に入った。そしてタボールを構える。
モモの指がトリガーに掛かるより先に、駆け寄ってきた御堂に銃身を蹴られた。タボールはモモの手を離れてクルクル宙を舞い、配管の裏に落下した。
蔵馬とモモを見下ろす御堂は、拳銃を二人には向けずにMG4で狙いをつけていたアザミに発砲した。
連続射撃の一発がアザミの頬を裂き耳を射抜く。
25口径の小さな傷だが、それでもアザミの射撃を一瞬遅らせるには十分だった。
「それでは失礼」
手の平サイズの拳銃で作ったほんの一瞬の隙に、御堂は身を翻して脱兎の如く裏口へ走り抜けた。
蔵馬の胸の一発が無線機を砕いてしまっていて、他の職員と連絡が取れない。
このまま行かせては駄目だ。蔵馬の本能が最大級の警鐘を鳴らす。
「追え!」
「でもクラマさん、撃たれて……!」
「行け! 命令だ!」
怒鳴り声に近い蔵馬の命令に、モモはそれ以上言わずに御堂を追った。
モモよりも数秒早くに逃走を図った御堂は、既に裏口に辿り着いていた。
ドアノブを捻りながら、作業着の裏に隠しておいた閃光手榴弾を二個取り出し安全ピンを抜く。
ドアを潜ると同時に、一つを宙高くに放り投げた。
約一秒後、強烈な発光が一帯の闇を白く塗りつぶす。外から発電所を見張っていたムラサキたちも、屋上で相野を拘束していた常盤とSAT隊員も、思わず目を覆った。
瞳孔の開ききった夜の眼に、この光は痛みすら呼び起こす。
外の人間の視界が奪われたこの数秒間。御堂は発電所の裏庭を通り抜け、二個目の閃光手榴弾を投げる。
こうしてムラサキたちの狙撃を躱し、ダムの排水溝上部にある通路に入った。この通路はダム内部に造られた、天端の展望塔に繋がるエレベーターに続いている。
薄暗く冷えた空気に満ちた通路を中ほどまで走った。あと数十歩でエレベーターホールだ。
「――!」
硬い足音が迫るのを、御堂の耳が捉えた。
首を後ろに捻ると、硬いブーツの裏が見えた。
モモのドロップキックだ。
「おっと」
御堂は闘牛士の如く身を翻す。寸でのところで蹴りを躱され、モモは御堂の前に転がるように着地した。蹴りを避けはしたが、御堂も体勢を崩して走りが停まる。
「派手なことするじゃないか」
「黙れ……!」
モモは腰を低くして、エレベーターへ続く通路を塞ぐ。彼女を排除しなければ、御堂は前には進めない。大の大人を素手でくびり殺す義体ならば、足止め程度容易い事のはずだ。ここで御堂を足止めしていれば、応援が駆けつけて作戦は終了だろう。
だが。モモはマスクの下で犬歯を剥き出して怒りを露わにし、御堂に殴り掛かった。
「よくも!」
大振りの拳は御堂のスウェーで簡単に躱される。
「よくも!」
当たらなくても、拳を振り続ける。よくも、と歯を軋ませながら、殴り続ける。
――よくもクラマさんを撃ったな……!
担当官を撃たれた怒りが、モモの行動を単純化させる。
「何を怒っているんだ?」
単調な空振りの殴打に合わせるように、御堂のコンパクトなジャブがモモの顔面を穿った。
「人質を殺したことか?」
挑発的に言葉を重ねながら、モモの顔を滅多打ちにする。
「君の仲間……アザミとか言ったな。彼女を撃ったことか?」
脳を揺らされ、モモの動きが鈍る。
「それとも、あの男――クラマだったか? 彼を撃ったことか?」
的も同然となったモモの鼻頭に、体重を乗せた強烈なストレートがめり込んだ。
「っぷぁ!」
「ところで……」
御堂は鼻血を吹いて仰け反るモモのフェイスマスクを掴み、
「私は君たちの事が知りたいんだ。クラマに、アザミ。そして君の名前は何だ?」
剥いた。
つるりと艶やかな黒髪の滝が零れる。
赤く腫れ、鼻血を垂れ流した酷い顔でもなお、美しいと感じさせる端正な、そして十代にしか見えない未成熟な容貌が外気に晒された。
「…………は」
さすがの御堂も、子供の顔が出てくるのは予想外だったらしい。
虚を吐かれた御堂の、一瞬の停止。その意識の狭間に、駆け迫る者がいた。アザミだ。
御堂は背後からアザミのドロップキックを察知できずにモロに受けて、身体をくの字に曲げて前に吹っ飛んだ。
「モモ! 大丈夫!?」
「だいじょびだいじょび」
「全然大丈夫じゃないよ……立てる?」
アザミの手を借りて、モモは膝に力を込めて立ち上がった。マスクを脱いだアザミの顔も、半面が血で黒く濡らしている。
「そうか、モモと言うのか」
モモと連動するように、御堂もムクリと起き上がった。
アザミの蹴りの直撃は、しかし大してダメージを与えていないようだ。
「二人とも、もっとプロレスとか見てドロップキックの練習をしたほうがいい」
言って投げたのは、三個目の閃光手榴弾。
光と音の爆発がモモとアザミの眼を奪い、御堂はエレベーターに向かって駆け出す。
二人の眼が闇を取り戻した時には、御堂は既にエレベーターの中に入っていた。
階数指定のボタンが押され、エレベーターの扉はゆっくり閉じる。
しかし閉じきる前に、アザミの跳躍力が十数メートル離れた扉に一蹴りでたどり着いていた。明らかに、人の動きではない。生物の動きと言うのも憚られる、そんな挙動。
御堂は、強いて言うならバッタの跳躍を見たような感覚を味わう。
「…………っ!」
半開きの扉に体ごと突っ込んだアザミは、両開きの板を強引に開き、そしてその後ろからモモが御堂に飛び掛かる。義体の体当たりを受けて奥の壁に叩き付けられ、御堂の肺は押し潰される。
腹にしがみ付き、両腕で締め付けてくるその力は、まるで重機に巻き込まれたのかと錯覚するほどだ。やはり人の域を超えている。肋骨と背骨が軋みをあげ、内臓が圧力に激痛を生む。
モモを引き剥がそうと御堂がもがく間に、三人をまとめて腹内に収めたエレベーターは今度こそ扉を閉ざし、ダムの提頂へと昇って行く。
御堂は今日で一番の危機を感じていた。
ゴリラ娘にベアハッグされ、バッタ娘は腰のホルスターから拳銃を抜こうとしている。万事休すだ。
だから、少し本気を出す。
御堂は動く左足でアザミを蹴り、エレベーターの壁に押し付けた。
アザミが動きを制され銃を抜くのが遅れているうちに、モモの後頭部に両肘を振り下ろす。
「ぐぅ……!」
今の打撃で腕の力が緩んだ。アザミを押さえていた足を戻して強引にモモとの間に入れ、前蹴りの要領で蹴り放した。
銃を抜き終えていたアザミにモモをぶつけ、銃を向けさせない。
前蹴りで上がった左脚を踏み込みに使って半歩詰め、再度向けてこようとするアザミの拳銃を左手で払う。
そして右手ですくい上げる様に掌底をモモの顎に入れ、左手にあるアザミの腕を掴んで引き寄せ、腰を入れた右肘打ち。
側頭部にめり込んだエルボーがアザミの鼓膜を破いて耳から血が噴いた。
この肘打ちで御堂の全身に左回転がかかった。
その勢いを殺さず、右足を軸にして身体を左に回す。
右掌底と右肘打ち。右からの攻撃を受けていたモモとアザミはエレベーターの左側に寄っていた。
空いた右側のスペースに御堂は身体を滑り込ませる。
そして身体を一回転させて遠心力が乗った右フックを、モモの左頬に叩き込んだ。
拳と壁に顔面が殴挟される。モモの咥内から血に混じって歯が数本吐き出た。
二人が仲良くエレベーターの左面の壁に衝突し、そして狭い戦場となっていた箱はダムの天辺に到着した。
上昇が停まり、扉がゆっくり開く。
モモとアザミは血まみれになってエレベーターの床に崩れて、動く気配はない。
御堂は優雅に歩いて、エレベーターからダム提頂の展望塔に降りた。
「では、また会おう。モモ、アザミ」
エレベーター内の二人に笑顔で手を掲げ、懐からRGD-5手榴弾を二個取り出した。これが最後の武器だ。
展望塔の外には、SATと黒い戦闘服を着た連中の姿が見える。まだ御堂がここに上がってきたことには気付いていないらしい。
先ほどの閃光手榴弾に気を取られ、多くは発電所を見下ろしている。
蔵馬の無線機が壊れたのは偶然だが、これが御堂の逃走を容易にしていた。運まで彼の味方であるようだ。
両手に持った安全ピンを抜き、外のSAT隊員たちに向けて投擲の姿勢を取る。
「ま……で…………!」
御堂の足首に、軽い衝撃。
ズタボロになったモモがしがみ付いていた。姿は弱弱しいが、膂力は健在。このままでは御堂の足首の骨が握り折られる。
「……。四秒だ。急げ」
手榴弾を片方、アザミがいるエレベーター内に放った。
レバーが外れ、信管が作動する。
一秒。
「ぐ――ッ!」
モモは御堂の脚から手榴弾に首を巡らし、手を放す。
二秒。
脳震盪が脚を上手く動かさせない。両腕で床を掻いて手榴弾を追う。
三秒。
人間離れの義体の筋肉は、辛うじて腕での跳躍を可能にした。モモの手が手榴弾に届く。
四秒。
エレベーターの外へ投げる。手榴弾は展望塔の窓を破って屋外に出た。
爆発が爆風と熱と破片を飛ばし、爆発音が小河内ダムに響いた。
展望塔の窓ガラスは、爆発に面した物全てが砕け散った。
爆音が外にいたセンターの職員とSAT隊員の視線を集める。
一連の様子を眺めていた御堂は、輝き散るガラス片の中で拍手と一笑をモモに送る。
「やるじゃないか」
そして、空いた窓からSATに向かって、御堂も手榴弾を投げてよこした。
精鋭らしく、彼らはすぐに手榴弾に気付き、殺傷範囲内から退避する。
だがその行動は、天端に警戒の空白を作った。
二度目の爆発に紛れて御堂は展望塔から外に出る。
その隙間を通って、御堂は天端を悠々と横切り、多摩湖に飛び込んだ。
水飛沫があがり、黒い水面が波打つ。そしてそのまま、御堂は姿を消したのだった。
●
戦場に来る時と帰る時の人数が同じであれば、指揮官の仕事が一つ減る。部下の名簿にKIAと書かずに済むからだ。その三文字を書かない為に、指揮官は小銃を抱えた厳つい連中にあれやこれやと指示を飛ばす。
その点で言えば、坂崎は今日その忌まわしい文字を見ずに済む。喜ばしい事だ。しかし帰路につくハイエースの車内は、軽口どころか話し声一つ無い。モモのすすり泣く声だけがあった。
少女の嗚咽を止めようとする者はいない。掛けるべき言葉が見つからなかったり、自分も泣きたいのを堪えるので精一杯だったり、何故泣いているのかを理解できていなかったり、寝てたり、そもそも関心がなかったり。
「……飲め」
重い沈黙を破ったのはモモの隣の蔵馬だ。懐のタブレットケースから青い錠剤を出し、モモに差し出す。眠気を誘発する鎮静剤だ。担当官の掌にある錠剤を指に取るが、その小さな粒は彼女の震える指先から滑り落ちて座席の裏へと消えた。
「ご、めんなさ……んむ」
言葉の途切れは蔵馬が錠剤を直接モモの唇に押し込んだからだ。
「飲め」
モモの喉が小さく動くのを確認して、蔵馬の指は義体の柔い唇から抜かれる。それから数分もしないうちに、モモの意識に分厚い靄がかかり始め、抗い難い強烈な眠気が襲う。
「……ク……さん……」
蔵馬に垂れかかる、見た目よりも重い義体の身体。人である部分は半分程度のその肉体から戦闘服越しに伝わる熱、それだけは確かに人の物だ。戦場の炎に火照ったか、熱い。
蔵馬は肩でモモを受け止め、
「…………」
そっと、押し返した。