校長室に置いていかれたドラコは父の抱擁を一身に受けていた。
「ドラコ、すまなかった······すまなかった······!」
「いいんです、父上······」
父の背中にそっと腕を回す。震える体から伝わる熱に、胸が満たされる。この瞬間が永遠に続けばいいのに。
しかし、幸福は長くは続かなかった。
「なんだ?」
唐突に父の体がこわばる。
「私は一体、何を······!?」
次の瞬間、突き放される。思わず腕が宙を彷徨い、名残惜しさが胸を締めつけた。
顔を上げると、ルシウスは周囲を見回している。
「なぜ私はこんなところに?」
戸惑いの色を浮かべた瞳が、ドラコを捉えた。
(ツユリ······)
ドラコは察する。
(行ったのか──)
なのに自分は覚えている。
波長が近すぎたせい、だろうか──。
「うぅ、なに······?」
ルシウスの背後でパンジーが身を起こす。ドラコの背後ではスネイプが、ダンブルドアが立ち上がる。
「ドラコ、何かあったのかね?」
その声に振り向くと、ドラコと目を合わせた青い瞳が大きく見開かれた。そして、次の瞬間──そっと、ドラコの肩に手を置いた。
まるで、ドラコがこの部屋に放り込まれたときと同じように。
「どうしたのじゃ? 悲しいことでもあったのかの?」
ドラコは、静かに見つめ返す──なぜだろう? ツユリにも自分にも優しかった。敵対する立場なのに、彼にはそんなこと、どうでもいいのだ。
彼に頼ることができたら──しかし、それは叶わない。血を裏切る者だから。
(なんだか、窮屈だな……)
苦笑がこぼれた。
「いえ······」
ドラコは適当に誤魔化して立ち去ろうとしたのだが。
「ダンブルドア」
先に声を上げた人物がいた。スネイプ教授だ。ツユリとのゴタゴタの中でも気にかけてくれていた彼は、何やら呆れたような顔でダンブルドアへと歩み寄る。
「何をおっしゃっているのですかな? ついに耄碌しましたか」
ドラコは驚いた。
師はちらりとこちらに視線を向けると、ショックを受けたダンブルドアに咎めるような視線を向ける。
「共にルシウスを説得してくださると言うから苦労して連れて来たのですぞ? 生徒の成長に関わることなのですから、しっかりしていただかないと」
「なんと! 儂は······どうしたのじゃろう?」
不安げにルシウスとこちらを見比べるダンブルドア。スネイプは少し面白がっているように見えた。
(まさか、スネイプ先生も覚えて──?)
だが考える暇はなく、ダンブルドアは申し訳なさそうにこちらへ向き直る。
「すまんのう、ドラコ。儂はついにボケてしまったのかもしれん。しかし、君のために出来ることがあるのなら教えてほしいのじゃ。もう一度話してはもらえまいか?」
「あ······はい」
彼に、頼れと?
ドラコはちらりとスネイプに目を向ける。良い方法ではあるのだ。スネイプには話してきたが、ルシウス・マルフォイに意見できる立場にあるのは、むしろダンブルドアの方なのだから。
しかし、そんなことをすれば父がどう思うか──ためらっていると、スネイプはおもむろに口を開いた。
「ルシウスは成績やクィディッチの勝敗のことで、ドラコに異常なほどのプレッシャーをかけ続けているのです。ドラコ──去年の学年末試験の結果を受けた際には、ルシウスになんと言われた?」
ドラコは息を呑んだ。
言えと? 父の前で?
動揺するドラコを、スネイプとダンブルドアがじっと待っている。父は後輩の裏切りに呆然としていて──今がチャンスかもしれない。
父に静止されれば何も言えなくなる。父が自分を愛しているのは分かっているが、だからといって
覚悟を決めた。
「『まさか将来は泥棒にでもなるのではあるまいか』と」
「なんと!?」
ダンブルドアが驚きの声を上げる。ルシウスも動揺に声を洩らすが、スネイプは構わず促した。
「クィディッチの試合。ハリー・ポッターとの一騎討ちで負けた直後、ルシウスになんと言われた?」
「『貴様はシーカーとしての器ではない』と」
「ルシウス······!?」
「ドラコ! やめないか!」
「挙げ句!」
ルシウスの静止を振り切るように、スネイプが声を強める。
「夏休み、キングス・クロス駅で再会した際にはなんと?」
「『何の結果も残せなかったお前に、私の息子としての資格はあるのだろうか?』と······」
「ルシウス······!」
ダンブルドアはドラコを庇うように前に出た。厳しくルシウスを睨みつけ、人差し指を突きつける。
「一体何が不満なんじゃ!? ドラコは昨年、次席を取ったではないか。クィディッチでも、ハリーには今一歩及ばなかったかもしれぬが、上級生のチョウやセドリックを圧倒しておった。これがどんなにすごいことか分からぬのか!?」
するとルシウスは激昂した。
「何を馬鹿な! “穢れた血”や英雄気取りの落ちこぼれに負けたのだぞ!? 由緒正しいマルフォイ家の跡継ぎとしてあってはならぬことではないか!」
「では······『すまなかった』と言って抱き締めてくださったのは嘘だったのですか?」
「知らぬ! 何も覚えていない!」
ルシウスはわなわなと震えていた。
パンジーの視線までが白くなり、父は四面楚歌だ。ドラコの心臓は激しく鼓動していた。
ふいに、パンジーがこちらへ歩み寄ってきた。
「大丈夫? ドラコ······」
ドラコの腕に手が触れる。
気遣わしげなそのウルフアイズにドラコは目を見開いた。ふわりと胸にあたたかさが灯り──ルシウスはカッとなって噛み付いてくる。
「なぜ関係のない生徒が紛れ込んでいるのだ!?」
ドラコはとっさに腕を上げて庇った。
「僕の付き添いです! 八つ当たりしないでください」
「ぬう······!?」
「ドラコ······!?」
ルシウスとパンジーが驚きの声を上げる。ドラコは気がついていた。ツユリは息をするようにしていたことを、自分がしたのが初めてだったことに。
スネイプがルシウスの肩に手を置いた。
「まずは座ったらどうだ?」
ルシウスはそれを振り払う。
「セブルス! 貴様どういうつもりなのだ!?」
怒り心頭で叫ぶが、スネイプはにべもない。
「どうもこうもない。ドラコは我輩にとって甥のようなものなのだ。ずっと話を聞いていた。助けてやりたいと思うことの、何が悪い?」
「ルシウス! まず、座るのじゃ」
「ぐぅ······!」
有無を言わせぬダンブルドアの命令に、ルシウスは従うしかなかった。スネイプが杖を振るうと3人分のティーセットが用意された。ダンブルドアは、ドラコにはやわらかく微笑みかける。
「ドラコ、よく勇気を出して相談してくれたのぅ。パンジーもじゃ。共に来てくれてありがとう」
するとパンジーもつられたように笑顔を浮かべる。ふたりはそれぞれ頭を撫でられ。
「ルシウスには儂とセブルスとで話をしてみよう。君たちは一旦戻りなさい。あとでまた声をかけよう」
「はい、校長先生」
ドラコが頷くと、パンジーは居住まいを正した。そして、深々と頭を下げる。
「どうか、よろしくお願いいたします」
「うむ」
そんなパンジーを、ダンブルドアは満足げに見つめていた。
※ ※ ※
ドラコはひとけのない廊下をゆっくりと歩いていた。その隣にはパンジーがいて、どこか呆然としているようだった。
「ルシウス様──怖そうな人だとは思っていたけど予想以上だったわ」
「僕に言わせれば父上なんて、理不尽の権化さ」
ドラコが肩を竦めると、パンジーは神妙に頷く。あまりにも深刻そうな顔をしているので、ドラコは苦笑して付け加えた。
「だけど、僕のことは息子として愛してくれているんだ。口は悪いが、屋敷を追い出されたことはない。叩かれたこともな。だから、きちんと話せば分かってくれると思ったんだ」
するとパンジーは弾かれたように顔を上げた。
「きっと分かってくれるわよ! スネイプ先生も······」
そこで複雑そうに言葉を切るが、すぐに笑顔になって続ける。
「ダンブルドア先生だっているんだから!」
「ありがとう」
ドラコは微笑した。
パンジーは目を丸くして頬を染める。
ためらいがちに目を泳がせ、その場につと立ち止まった。
「ドラコ」
「ん?」
ドラコも立ち止まる。
彼女はじっと見つめてくると、おもむろに手を伸ばしてきた。
ドラコよりもやや色づいた、ぬくもりのある手の平が頬に触れる。
見開かれた薄水色の瞳には、涙に潤んだ瞳が映され──
「私はいつでも傍にいるわ。なんでも言って? 支えるから······」
「パンジー······」
ドラコは呆然としていた──彼女はそれを、やさしく受け止めている。
(僕は──彼女を見ていただろうか?)
ドラコは考えた。
いつでも称えるような目をして、自分に
ツユリのために、必死になっていたパンジー。
「──助けてあげて!」
唯一、彼女の救済を願い──
「──ツユは私の気持ちを分かってくれた──初めてだったの!」
魂の叫びを上げる彼女が、懸命にドラコとツユリの仲を取り持とうとしていたこと──
「──ドラコ! ねえ、ちゃんとツユと話をしてみて!」
それはドラコにとって、ただ迷惑でしかなかったかもしれないけれど、彼女にしてみればむしろ、ドラコの豹変こそが信じられない出来事だっただろう。
それでも見捨てようとはしなかった──声をかけ続けてくれた彼女の誠意を、自分は知ろうとしたのだろうか?
なぜ、ひとりぼっちだなどと錯覚したのだろう?
彼女はずっと、気にかけてくれていたのに──。
ドラコはそっと目を伏せた。
なめらかな彼女の手に手を添え、確かめるように目を閉じる。
(自分のことしか考えていなかった──)
独り善がりな父の姿が頭に浮かぶ。
(僕も、同じだった──)
そっと、彼女の手の平に口づける。
「パンジー、ありがとう」
赤くなる彼女をじっと見つめ、ゆるりと薄水色の瞳を細める。
「君がいてくれて、よかったよ──」
口元にきれいな半円を描くアルカイック・スマイルに、ウルフアイズが大きく見開かれる。
彼女はしばらくそうしてドラコを凝視していたが、やがて照れたように、嬉しそうににっこりと笑ってくれた。
「いいのよ、ドラコ!」
ドラコは笑みを深める──彼女がいる。
父も、母も、師も──十分じゃないか。
それらがどんなに得難いものであったのかを──彼はようやく、理解した。
※ ※ ※
それから数週間が経過した。
父とは冷戦状態だ。そんなドラコに、ダンブルドアやスネイプはたびたび声をかけてくれる。母は変わらず手紙をくれ、傍らにはパンジーがいてくれる。
ホグワーツの朝の風景は、いつもと変わらない。広がる青空の下、フクロウの群れが滑るように降りてくる。スリザリンのテーブルに座るドラコは、真っ直ぐに向かってくるエクリプスを迎えた。
「ご苦労様、エクリプス」
その姿にクラッブとゴイルは落胆の色を隠さなかった。ドラコに高級菓子が送られてこなくなり、意気消沈しているのだ。
パンジーは心配そうにドラコが手紙を開く腕に触れる。彼がナルシッサからの短い手紙を読み終えると、気がかりそうに問いかける。
「どう? ルシウス様から何か来た?」
ドラコは肩を竦めた。
「いや。母上からも、当たり障りのない内容ばかりだ」
「そう······」
パンジーは目を伏せる。ドラコはそんな彼女の頬にかかった黒髪をそっと耳にかけた。
「大丈夫さ。父上は威張り屋だからな。反対意見に慣れていないんだ。少し拗ねているだけだろう」
そう微笑みかけると、パンジーは頬を染めた。
「そうね······気に病んでも仕方ないわ」
「いいんだ、僕には君がいるから」
「ドラコ······」
パンジーが微笑むと、周囲のスリザリン生たちが「おっ?」という顔をする。
「まあまあ!」
ダフネが目を輝かせる。
「お二人はいつの間にそんな関係になりましたの?」
「隅に置けないな、お二人さんっ」
ザビニが茶化し、クラッブとゴイルも目を丸くする。ドラコとパンジーは同時に赤くなり、
「ふん、羨ましかったら、お前も特定の相手を探すんだな」
「うふふ、私の真心の勝利よ」
それぞれ得意げに胸を張った。目を合わせてくすくす笑う。
そんなやり取りを眺めていたエクリプスが、ドラコの肩へと飛び乗る。ドラコはエクリプスの羽を撫でた。いつものように笑ってそれを見ているパンジーに、ふと目を向ける。
「君も撫でてみるかい?」
「えっ?」
思いも寄らない申し出に、パンジーだけでなくエクリプスも琥珀色の目を丸くする。
「ホゥ?」
エクリプスが不思議そうに鳴いた。ドラコはそんなエクリプスを宥めるように声をかける。
「いいだろう? いつもお前に水を用意してくれる子だぞ?」
するとエクリプスは首をきょときょとと動かし、パンジーを見つめた。
「ほら、手を出して」
ドラコが促すと、パンジーはおそるおそる手を近づける。
エクリプスはその手を思案するように見つめた。そして「どうぞ」とばかりに頭を差し出す。
パンジーは目を輝かせた。そっとエクリプスの頭を撫でる。
「ふわふわ······!」
気持ちよさそうに目を細めるエクリプスを見て、パンジーは「可愛い!」と嬉しそうに笑った。
ドラコはその笑顔を見て思わずにはいられなかった──パンジーの方が可愛いと。そうして、彼女の頭に手を触れようとするのだが。
「ケッ! 朝から見せつけやがって」
最後からロン・ウィーズリーの声が飛んできた。さっとパンジーを庇うように肩を抱いたドラコの後ろを、数人のグリフィンドール生が通り過ぎるところだった。
ハリー・ポッターは焦ったように「やめなよ、ロン」と注意し、ハーマイオニー・グレンジャーは「いいから行って!」とふたりを急かす。ドラコは彼らがいなくなるまでじっと警戒していたが、やがてパンジーを気遣わしげに見つめた。
「大丈夫かい、パンジー?」
するとパンジーは不思議そうにドラコを見つめていた。ドラコが「どうしたんだ?」と首をかしげると、パンジーはポッターが去っていった方向を半信半疑で指差す。
「いいの? 今のポッターよ?」
問われてドラコは苦笑した。確かに、ドラコはいつも彼らを目の敵にしていた。ポッターが自分の差し出した手を取らなかったから。ウィーズリーが血を裏切る者の代表的存在だから。
でも、それがどうしたというのだろう?
幻想を追いかけたって仕方ない。求めても手に入らないからと、ポッターに怒って何になる? ウィーズリーに関しても、嫌っているのは父であって自分ではない。
「君とエクリプスの方が大事だ」
きっぱりと言うと、パンジーは驚いたように彼を見つめた。
そして、嬉しそうに微笑む。
エクリプスの羽を撫でるふたりの指は、さっきよりも、ずっと優しくなっていた。
これで完結となります。
お付き合いいただき、ありがとうございました!