夢で推しと絡んだら原作まで改変された件について 作:ももいっぷ
食事後、俺はわざわざ呼びに来てくれた寮母に連れられ部屋を案内される。さすがに女生徒たちと同じ階層にするわけにはいかず、一つ上の三階に決まっていた。
そこはリネン室や物置、管理人室等があって、使われていなかった一室に俺は充てがわれる。シオンの部屋に比べれば少し狭く使用感もあったが、どうせ寝て起きるだけだし何でも良い。
「……問題を起こさない限りはここに居させてあげる」
「ああ。悪いな、突然来たりして。初対面でいきなりボコボコにするのはどうかと思うが、こっちも反省してる」
「別にいい。あなたは信頼されてるみたい、だから」
寮母はそう言うと簡単な注意事項等を告げてから出て行く。俺一人が取り残され、狭いベッドの上に寝転んだ。
さて、このまま眠ってしまおうかとも思ったが。
「……あ」
そういえばシオンの部屋に荷物を置きっぱなしだったことを思い出す。しょうがない、取りに戻るか。
……部屋の戸を叩く音がしたのはその時だった。
「モミジくん、いれてー!」
シオンだ。扉を開けると俺の鞄を両手に抱えながらその場に立っていた。どうやら取りに行く手間が省けたようだ。
「えへへ。来ちゃった」
「わざわざ運んできてくれたのか。ありがとな」
しかし何だか頬が蒸気して見えるというか、制服ではなく寝間着のような格好をしているのが新鮮というか。やたらと良い匂いがするというか……ん?
……もしかしなくてもこれは、風呂上りなんじゃ?
「あれ? どうして顔を逸らしてるの?」
「ああいや……。今日は世話になったな。ゆっくり休めよ、じゃ」
慌てて戸を閉めようとしたところ、そこにはもう彼女の姿は無かった。いつの間にか背後に回り込んだかと思うと部屋へと突入されている。
「わあ、ここがモミジくんのお部屋かぁ~」
「お前……」
「もうちょっとお話したくなっちゃった。えへへ」
……まあ、元はと言えばシオンのおかげで貰えた部屋なわけだし邪険にも出来ない。しかし普通、その恰好で男の部屋に来るか? いくら警戒心が薄いとはいえ……。
「信頼、ね……」
さっきの寮母の言葉を思い出す。出会ってからまだ間もないものの、一緒に過ごした密度は高い。実のところ人と人との距離に時間の流れはそこまで関係ないのかもしれない。
「見てみて! ここの部屋、星が良く見えるよ!」
「星?」
一緒になって窓を覗いてみる。最上階だからだろうか、遮る建物は近くにほとんど無いため確かに空が良く見えた。……こんな時間になるまでここにいるとは。最近、夢で過ごす時間が増えている気がする。
そうやってしばらく星を眺めていると、突然シオンが口を開いた。
「……ねえ、モミジくん。ありがとね」
「ん? 別に何もしてないだろ」
「ううん」
シオンは首を横に振ると、星を見たまま隣にいる俺に話し続ける。
「わたしね、ここに来るまではずっと不安だったんだ」
「不安?」
「うん。だって、知らない土地に一人暮らしなんて緊張するし、友達が出来なかったらどうしようって」
意外だった。初対面から底抜けに明るかったシオンがそんなことを考えていたなんて。
しかし次の彼女の一言で、俺は気の抜けきった関節の節々が痛むほどに身体を強張らせることとなる。
「わたし、中学では友達いなかったんだよね」
「……え? 本当に?」
「うん。正確にはいなくなっちゃったみたいなんだけど」
「みたい?」
シオンの……物語の主人公の過去の話。それは原作でも一度も触れられていない。しかし、当時も意図して過去の話をしまいという空気が感じられた。
基本的に明るい流れの漫画だから、そんな空気もすぐ流されていたけれど。
けれどそれは、思っていたより深刻な話のようだ。
「……わたしね、二年生の時に事故に遭ったの」
事故。もちろん知らない話だ。静かに続きを待つ。
「その日は友達と天体観測に行く約束をしてたみたい。だけど、妹もついて行きたいって聞かなくて……」
「お姉ちゃん子だったんだな」
「うん。すっごいわたしのこと好きすぎ! って感じ。けど、そういうのが嫌になっちゃってた時期だったんだろうね、わたし」
……何故だろう。どこか他人事のような話し方だ。
「結局その日は妹を置いていくことにした。でも、それは間違いだった。振り切るように家を飛び出したわたしを妹は追いかけてきたんだ」
「……」
「目的地は学校だったのかな。そこまで行くころには諦めるだろうって……思ってたんだね」
シオンの目が見つめているのは星ではない。それはもっとどこか、遠くを見ている。
「でも妹は諦めずについてきたみたい。だからわたしも全力で走って……それで、思いっきりこけちゃったの」
「……おっちょこちょいは変わらないんだな」
「えへへ」
シオンははにかんだ。
「その時は多分、かすり傷くらいだったんじゃないかな。でもね、そこに運悪く車が通ってきちゃって――」
「……まさか」
「……うん。えへへ、やっちゃった。……でも妹とはまだ距離があったらしくて、あの子に怪我が無かったみたいで安心したよ~」
俺はなんて言えばいいか分からなかった。シオンの顔も見れず、いつの間にか、ただじっと下を向いている。
しかし、この話には違和感があった。
シオンは自分の身に起きた事故のことを話しているはずなのに。まるで又聞きした情報を伝えられたかのように、他人事に聞こえてしまうところだ。
「シオン」
「うん」
「それは……お前の身に起きた出来事なんだよな?」
「……」
一呼吸おいて、何でもないかのようにシオンは首を振った。
俺は再び彼女の方を向く。その目は相変わらず星空を見ている。
……一瞬の静寂が空間を支配する中、すっかり聞きなれたいやに通る声で、彼女は困ったようにはにかみながら言った。
「――わたしの記憶、飛んじゃったんだ」
……言葉が出なかった。
聞き間違いではない。思い過ごしでも無かった。どこか他人事の様な過去の話。原作では不自然なくらい語られなかった主人公の過去。
それは……語られないんじゃない、語れなかったんだ。
「わたしは白い病室で目が覚めて、両親を名乗る人たちから色々言われたの。最初はよく分からなかったけどね。でも、部屋に日記があった」
「それじゃあ、今の話は……」
「うん。日記にあったのは今までのわたし。記憶は戻らなかったけど、そこからちょっとずつ『元のわたし』に近付けてきたんだよ。えへへ、本当は料理も一から頑張って覚えたんだ」
過去の記録から構築した今の自分。ということは、ここにいるシオンは今もなお記憶を取り戻せていないという事になる。
……記憶喪失。
そんな自分の周囲とは程遠いと思っていた単語が、まさかこんな身近に感じられる日がくるなんて。
「でも大丈夫! 両親はわたしのこと本物の娘だと思って接してくれてるし。友達だった子たちはその、うまく学校行けなくて疎遠になっちゃったんだけど。あはは、わたしおさぼりさんだったなぁ……」
それは当然だろう。記憶が無くなってしまっても家族は普通に接してくれるだろうが、友達は他人だ。家族ほどじゃない。事故で記憶を無くしたクラスメイトに……どう声を掛ければいいかなんて、分からない。もちろん、その逆も。それで少しずつ心が離れていく……。
「とにかく今のわたしは気にしてない。……でも妹はそうじゃなかったの。あの子は事故以来部屋に籠っちゃって。両親は気にしないでって言ってたけど、きっとわたしのことで悩んでる」
妹からしてみれば自分のせいで事故が起きたという気持ちだろう。その気が無かったとしても、起きたことは変わらない。
「シオンは、妹を許したのか」
「もちろんだよ! ずっと気にしてないよって言ってた。……返事は、一度も無かったけど」
「一度も?」
「うん。それでわたしは家を離れようと思ったの。わたしがいると、妹はずっと外に出られないんだって思ったから。それに、地元には知り合いだった人がたくさんいると思うと、ちょっと怖気づいちゃうし!」
それでこんなところまで来たのか。自分の記憶の無い中、さぞ不安だっただろう。でも、かつて自分を知っていた人から向けられる、哀れみの視線の方が怖いのかもしれない。
「……ごめんね。そんな顔させるつもりじゃなかったんだ」
いつの間にかシオンの目はこちらに向けられていた。その顔はなるべく笑顔でいようとしてくれている。
「わたしはね、お礼が言いたかったの」
「……俺は何もできてない」
「ううん。昔のわたしを知る人のいない土地とはいえ、不安だったから。ちゃんとお友達作って生きていけるかなって。でも、そこにモミジくんが来てくれた」
「あれは……偶然だろ」
さきほどまであれだけ遠くを見ていた彼女の意識は、今はこちらにある。
その真っ直ぐな瞳と屈託のない笑顔のまま。
「でも、わたしあれからずっと楽しいんだ。お友達が出来て、素敵な先輩とも出会えて、楽しそうな居場所まで出来ちゃった。ぜんぶモミジくんが引っ張ってくれたおかげだよ!」
「俺は何もしてない。それに、まだ会ってから一週間程度の関係なんだぜ、俺たち」
「でも『わたし』にとっては二年しかない記憶のうちの、大事な一週間なんだよ」
……はっとする。
そうか。俺にしてみればたった一週間、しかしシオンにしてみれば新しい自分が築いた貴重な時間なんだ。
「だから……ありがとう」
「……」
もう一度星を見る。
これまでの記憶がない彼女にとって、ここが新しいスタート地点の空なんだ。
それはもしかしたら……俺にも当てはまるのかもしれない。ここは俺を縛るものが無い、まっさらな世界なのだから。
「――こんな話をしたのはね、もうすぐ彗星がくるからなんだ」
去り際、シオンはそんなことを言う。
「彗星? なんかあったっけ?」
「来週末にこの水の街から見えるんだよ! でっかい彗星!」
「へえ……」
なんだろう。その話は何か知っているような、引っかかるような……奇妙な感覚だ。
「お医者さんが言ってたの。何かキッカケがあれば記憶を取り戻せるかもしれないって。でも、普通の星空じゃ効果が無かったんだよね」
「それで彗星か」
「うん! わたし、皆で見に行きたいなぁ。大切な人たちとそんな素敵なものを見られたら、きっと……」
――記憶が戻るかもしれない。
そう笑っている彼女はたぶん、この機会に賭けていたのだ。
……あの時も。
……現実に戻った俺は頭を抱える。
夢の世界ではところどころ記憶が曖昧になっていたらしい。戻って来て初めて、俺は彗星の話を思い出したのだ。
それは『ゆるかいっ!』の第二巻。シオンは同じように彗星を皆と見たいと願っていた。
けれど、あの話は……各々に用事が出来てしまい、中止。シオンは一人、空を見上げることになる。
当時の彼女は『この空を独り占めできるなんて!』と喜んだ様子を見せて話が締められたものの……本当はどんな気持ちだったのだろう。
「でも、だからって。俺は……」
これは生徒会に彼女たちが入らない問題と違って、原作通りの展開だ。もしかしたら、夢の世界でも全く同じ結果を招くかもしれない。
そうだとしても、俺はただ何もしないだけでいい。
みんなで彗星を見ることは叶わず、シオンはひっそりと気持ちを胸に仕舞って生きていく。
それが正しい世界なのだから。
「記憶、か……」
窓から空を見る。空は曇天で、ひどくどんよりとした暗い雲の中から雫が滴り落ち、星が見えることはない。
そこにはただ……ただ、いつまでも晴れない空が続くばかりなのであった。