ヒカルの九路盤   作:九路星人

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今日はエイプリルフール。


第1話「逆行するヒカル」

 目が覚めた瞬間、進藤ヒカルは自分がどこにいるのかわからなかった。

 

 天井を見上げる。見慣れた実家の天井。しかし、どこか違和感があった。自分の部屋のはずなのに、妙に感じる。身体を起こし、視界に入ったのは、古びた机と教科書の山。そして……

 

「……え?」

 

 小さな手。

 

 ヒカルは息をのんだ。手を握ったり開いたりしながら、信じられない思いで自分の腕を見つめる。どう考えても、今の自分の身体は大人のものではない。もっと幼い、せいぜい小学生くらいの姿になっている。

 

 鏡を見るために立ち上がると、足元がふらついた。体が軽い。まるで、時間が巻き戻されたかのように。

 

「な、なんだこれ……」

 

 戸惑いながら部屋を見回すと、卓上に置かれた碁盤が目に入った。ヒカルはその碁盤を見た瞬間、さらに衝撃を受けた。

 

「……九路盤?」

 

 そこにあったのは、見慣れた十九路盤ではなく、わずか九路しかない小さな碁盤だった。

 

「なんで……? 俺、昨日までアイツと十九路で打ってたよな?」

 

 記憶を必死に遡る。昨日までの自分は間違いなくプロ棋士として十九路盤の碁を打っていた。塔矢アキラとの対局、つばぜり合いするかのような一手、勝負の緊張感。すべてが鮮明に思い出せる。

 

 だが、今の状況はどう考えてもおかしい。自分が子供の姿になっているだけでなく、十九路盤がどこにもないのだ。

 

 不安を押し殺しながら、部屋を飛び出した。階段を駆け下りると、リビングにいた祖父の姿が目に入った。

 

「じいちゃん! 碁盤は!? いつもの十九路盤、どこに置いた?」

 

 祖父は新聞から顔を上げ、怪訝そうにヒカルを見た。

 

「何を言っている? 碁盤ならそこにあるだろう」

 

 祖父が指さした先には、やはり九路盤があった。

 

「ちがうよ! もっと大きいやつだよ! いつもの十九路盤!」

 

「……ヒカル、お前何を言ってるんだ。囲碁は九路盤で打つものだろう?」

 

 ヒカルは絶句した。

 

「……は?」

 

「囲碁といえば九路盤。十九路盤なんてものは聞いたこともないぞ?」

 

 冗談ではない。祖父の顔は真剣そのものだった。

 

 ヒカルの背筋に冷たいものが走る。

 

 この世界には、十九路盤が存在しない……?

 

 信じられなかった。ヒカルにとって囲碁は十九路盤で打つのが当たり前だった。プロの世界も、歴史も、すべてが十九路盤を中心に回っていたはずだ。

 

 なのに、目の前の祖父は、まるでそんなもの最初から存在しなかったかのように話している。

 

 ありえない。

 

「嘘だろ……」

 

 震える手で、()()()()()()()()()()()()()()を持ち上げる。何度見ても、小さすぎる。

 

 混乱しながらも、ヒカルは居ても立ってもいられず家を飛び出した。

 

 向かった先は、いつも通っていた碁会所だ。

 

 扉を開け、受付に500円を支払うと、中には見知った顔ぶれがいた。いつものおじさんたち、そして――

 

(ヒカル!)

 

 声をかけてきたのは藤原佐為だった。

 

 ヒカルの目が大きく見開く。

 

(佐為……!?)

 

 ずっと待ち望んでいた再会。何度も思い出した、懐かしい顔。しかし、佐為は当然のように九路盤の前にちょこんと座っている。ここでも、やはり九路盤だ。

 

(遅いですよ、ヒカル。今日も打ちましょう!)

 

(……佐為、色々言いたいことはあるが……お前、囲碁って何路盤で打つものだと思ってる?)

 

 ヒカルの思念での問いに、佐為はきょとんとした顔をした。

 

(それはもちろん九路盤です!)

 

 その瞬間、ヒカルの中で何かが崩れる音がした。

 

「……嘘だ……」

 

 信じられない。佐為ですら、十九路盤を知らないなんて。

 

 ヒカルはその場に座り込み、頭を抱えた。

 

 ここは、自分の知っている世界ではない。十九路盤の囲碁が存在しない、別の歴史を辿った世界なのだ。

 

(ヒカル、大丈夫ですか?)

 

 心配そうに覗き込む佐為。しかし、ヒカルは大丈夫とは答えられなかった。

 

 もし、この世界で十九路盤を知っているのが自分だけだとしたら?

 

 もしそうなら、誰かと十九路盤の囲碁を打つことは、そもそも不可能なのではないか?

 

 ヒカルが大きな衝撃から立ち直るには、もう少し時間が必要だった。

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