ヒカルの九路盤 作:九路星人
塔矢アキラとの九路盤での対局をヒカルの勝利で終え、喧騒さめやらぬ碁会所。ヒカルは碁会所に置いてある雑誌のバックナンバーを読んでいた。
そこには、歴代の九路盤のタイトルホルダーたちの名前が並んでいた。しかし。
(本因坊の名前が……ない?)
本因坊のタイトル。それはヒカルの知る世界では、囲碁界の最高位に君臨する由緒ある称号だった。しかし、この世界にはその名がなかった。
驚きを隠せないまま、子供の姿のヒカルは碁会所の主人に問いかけた。
「ねえ……本因坊っていうタイトル、聞いたことある?」
主人は眉をひそめ、首をかしげた。
「本因坊? そんなタイトルは聞いたことがないな」
ヒカルの胸がざわついた。
(やっぱり……この世界には本因坊のタイトルが存在しない……?)
ヒカルは盤の前に座り、しばらく考え込んだ。
(本因坊がいないなら、この世界の囲碁の歴史はどうなってるんだ?)
九路盤しかないこの世界では、囲碁の発展の仕方も違ったのかもしれない。
その時、背後から心に声が響いた。
(ヒカル、何をそんなに難しい顔をしているんです?)
佐為だった。
(佐為……なあ、お前は本因坊秀策って言葉、聞いたことあるよな?)
佐為は少し考え込み、首を振った。
(いいえ……しかし、その言葉には何か特別な意味があるのですか?)
(……本来なら、日本の囲碁界で一番古くて、由緒ある称号なんだよ。それに、お前と無関係の話でもないんだぜ)
ヒカルはそう説明しながらも、この世界にはその称号がなかったことに、改めて違和感を覚えた。
(じゃあ、この世界では誰が囲碁の発展を引っ張ってきたんだ?)
ヒカルは碁会所にある雑誌をめくり、歴代の名人たちの名前を追った。しかし、本因坊の系譜はどこにもない。その代わりに、見知らぬ名前がいくつも並んでいた。
「……まるで、歴史が変わってるみたいだな」
ヒカルは呟いた。
佐為が静かに言った。
(ヒカル、あなたが知っている囲碁と、この世界の囲碁は違うものなのかもしれませんね)
「……かもな」
ヒカルは九路盤を見つめた。この世界に十九路盤はない。本因坊という称号もない。しかし、囲碁を打つ人々の情熱は変わらずに存在していた。
(だったら……俺が、この世界に新しい何かをもたらすことはできるのか?)
ヒカルの目に、決意が宿った。
(佐為、打とうぜ)
(ええ、喜んでお相手いたします!)
二人は碁盤に向かい合った。ヒカルの石が盤に置かれると、佐為は静かに微笑みながら応じた。
(ヒカル、あなたの打ち方はやはり不思議です)
(そうか? 俺としては普通に打ってるつもりなんだけどな)
(いいえ。普通ではありません。この九路盤において、あなたは全く別の
ヒカルは一瞬、手を止めた。
「……それって、悪いことなのか?」
(いいえ、ただ……)
佐為は少し考え込むように碁石を見た。
(この世界の囲碁とは違う道を、あなたは歩もうとしているのでしょう)
ヒカルは盤を見つめた。九路盤しかないこの世界で、自分だけが十九路盤を知っている。自分の知る囲碁はこの世界では異端なのかもしれない。
しかし――
(だったら、この世界に俺が新しい囲碁を作ればいい! 佐為、もう一局!)
(ふふ、ヒカル、あなたは本当に囲碁が好きなのですね)
(当たり前だろ!)
消えた本因坊のタイトル。その意味を、ヒカルはこれから探すことになる。そして、九路盤しかないこの世界で、自分が何を成すべきなのか。その答えを求めて、ヒカルの挑戦が始まろうとしていた。