ヒカルの九路盤 作:九路星人
碁会所の一角で、ヒカルと塔矢アキラは向かい合っていた。九路盤を挟み、いつものように対局が始まろうとしている。しかし、今日は少し様子が違った。
「塔矢、囲碁ってのは、本当はもっと広い世界なんだよ」
ヒカルは盤に石を置きながら言った。
「広い世界? どういう意味だ?」
「……十九路盤があれば、もっと深い戦いができる。九路盤じゃ物足りないんだ」
その言葉に、アキラはわずかに眉をひそめた。
「十九路盤? そんなもの聞いたことがない。囲碁は九路盤のでやるものだ。大きすぎる盤では、ただ混乱するだけだろう」
「違う!」
ヒカルは身を乗り出した。
「十九路盤は、まるで宇宙みたいなんだ。広大で、無限の可能性がある!」
一瞬の静寂の後。
「……宇宙?」
アキラは鼻で笑った。
「そんなもの、ただの夢物語だ。碁盤は九路盤で完成されている。それを変えようなんて、無謀だよ」
その嘲笑に、ヒカルの胸の奥が熱くなった。
「ふざけんな……!」
両手の拳を握りしめたヒカルは、悔しさに震えていた。ヒカルには分かっていた。この世界の囲碁は九路盤が主流であり、十九路盤という概念は誰にも知られていない。しかし、ヒカルには確信があった。
(だったら……俺が作るしかない)
ヒカルはその夜、家に戻ると、机の上に図工で使う大きな画用紙を広げた。寸法を測り、慎重に線を引いていく。
「……たぶん……これでいいはずだ」
佐為が隣で興味深そうに覗き込む。
(ヒカル、それは……?)
「俺が知ってる囲碁を、この世界で形にするんだよ」
夜が更けるのも忘れ、ヒカルは黙々と作業を続けた。画用紙に線を刻み、星には点を打ち、碁盤を作り上げる。十九路盤の存在しない世界で、世界初の十九路盤を。
翌日――
「できた……!」
ヒカルは自ら作り上げた十九路盤を見つめた。画用紙とテープで出来たそれは完璧とは言えないが、しっかりと十九路の格子が刻まれている。
(佐為……俺たちはこれで打つぞ)
(……ヒカル、あなたは本当に不思議な人です。この世界には存在しない碁を、自ら作り上げてしまうのですから)
ヒカルは笑った。
「な? 俺って天才だろ?」
佐為は微笑みながら頷いた。
(では、記念すべき一局を打ちましょうか)
「もちろん! あ、コミは6目半な」
ヒカルは十九路盤の上に、そっと最初の黒石を置いた。この世界に、初めて十九路盤が生まれた瞬間だった。
(これが、俺の囲碁の始まりなんだ)
後に、伝説となる棋譜がある。それは白の敗北で終わる指導碁ではあったが、十九路盤での世界初の棋譜であり、やがて囲碁の教科書に載ることになる棋譜であった。
十九路盤での一局が、碁石の織り成す宇宙が、いま現世に顕現した。