執筆活動とは孤独なものですが、公開して読んでもらえて、偶に感想を直接頂けると報われる気がします。私の癖にしか配慮していないのに…ありがたや…
男は船員たちの称賛を受けて手を挙げながらも、その双眸はしっかりとウルフレッドを見据えていた。男は幾度か拳を打ち鳴らすと、威嚇するように口の端を上げて口を開いた。
「……!」
「なんて?」
口上を高らかに述べていそうな姿に、しかしウルフレッドは大きく問い返した。聞き返された事に目を見開いた男は、もう一度息を大きく吸って口を開く。今度は口元に手を当てて、声が届くように気を遣っていた。
「……!」
「すまん、聞こえない!」
生真面目に謝るウルフレッドにあからさまにガビーン‼︎と落ち込んだ男は「ニューキャプテン!」「ボスになんて事を!」等と船員たちからバラバラの呼称で口々に集られ、慰められている。
「なんて事言うんだ! ボスは声が小さいのを気にされているんだぞ!」
「そうだそうだ! 海軍の癖にニューキャプテンの気にしている事を……貴様それでも正義の代弁者かァー!」
やいのやいのと騒ぐばかりで未だ遠くにいるオンボロ船に、ウルフレッドの後ろで眠っていたミホークが「斬るか」と呟く。疑問系でなく断言という点に慄きながら、ウルフレッドは後ろ手でそれを留めた。
「いや……私にやらせてくれ」
「そうか……」
少し残念そうな声を出して、ミホークは再び沈黙した。深い微睡の中に落ちていったのだ。それを尻目にウルフレッドは手に持つ剣をしっかりと握り直した。使い込まれたグリップが、まるで握り返すかのように手に馴染む。ウルフレッドは眼前に剣を構えると、双眸を鋭く尖らせた。
「――推して参る」
その言葉が合図だった。
ウルフレッドが強く跳躍すると、棺の船はグラグラと海面で大きく揺らぐ。それを遥か眼下に収めながらウルフレッドはまるで風を掴む両翼を持っているかのように軽やかに海原を飛び上がり、敵船の上へと到達する。それは海軍の用いる特殊な技がひとつ――飛脚とはまた異なる様子であった。飛脚よりももっと、風に乗ると言う方が近いようなそれに、オンボロ船に乗り込んだ船員たちは皆呆然と口を開いて見上げていた。
「見惚れてると痛いぞ……
「うあああああ!」
上空から落下するのに合わせて身体ごと剣を回転させ、擬似的な竜巻を作り出す技。ウルフレッドが持つ対集団戦かつ暴徒鎮圧に頗る役が立つ十八番である。何処からともなく巻き上がる風に、船員たちはなす術もなく巻き上げられる。汚い男たちの間にロープや木箱など船上の備品も幾つか見える。ウルフレッドはそのまま海の方へ剣をバットのように振るった。
竜巻もそれに導かれるように即座に向きを変え、そして海原の上で霧散した。バラバラと海面に叩きつけられる海の男たちの悲鳴を背に、ウルフレッドは眼前で仁王立ちする男と静かに相対した。
「やはり、一筋縄では行かないか」
自らの竜巻をものともしない男の姿に、想定内とはいえ苦々しい顔を禁じ得ないウルフレッド。
「ボス! やっちまってくだせェ!」
「憎き奴をめっためたに!」
立ち泳ぎをしながら船の上へと声援を送る船員たち。それを一切無視してウルフレッドの苦々しい顔を見下ろしながら、男は囁いた。
「お前は何も分かってない」
「何……?」
ウルフレッドの疑問の声に対する返答は拳であった。
黒い手袋に包まれた拳骨が間一髪飛び退いたウルフレッドの元居た場所を大きく砕く。甲板の悲鳴と共に木屑が舞い上がる。男はまるでスタンプでも押すように繰り返しウルフレッドを狙っては甲板を破壊して行く。
木片が頬を裂く。跳ねたロープが腹を打つ。
オンボロ船は痛々しい悲鳴を上げ、メインマストは甲高い声と共に横に折れた。海から顔を出す船員たちが顔を歪めながら口々に船の名前を叫んでいる。オンボロではあったが、長い事大事に乗られてきた船だった。
「やめてくれ! 俺たちの船を、マリアを壊さないでくれよ!」
「ニューキャプテン!」
「俺の親父の代から大事にされてたんだ! それを勝手に持ち出して大破なんて……許さねェ!」
船員たちの悲痛な声に、男は口をモニョと動かすだけであった。何を言ったのかは聞こえなかったが、男の歪んだ顔だけははっきりと見えた。
男は甲板を強く蹴り、ウルフレッドに肉薄する。瞬く間に懐に入られたウルフレッドはそのまま強烈な一打を腹に受けた。咄嗟に飛び退くことで衝撃を和らげようとするも、男の拳は想定以上のスピードであった。鳩尾から持ち上げられるように宙に殴り飛ばされると、飛び上がった男の大きな手に頭を掴まれた。
「グッ……⁉︎」
「あの女は呪われている」
「ッ、貴様……!」
囁き声に、身体の痛みも忘れて怒りの声を上げる。それに満足そうに笑みを浮かべた男は、そのまま体を大きく捻り、ウルフレッドを甲板へと叩き付けた。
「カハッ……!」
大破する甲板。舞い上がる粉塵はウルフレッドの白い正義を汚して行く。叩き付けられたウルフレッドは肺の中の空気が漏れ、喘ぐように咳き込んだ。
少し離れた場所に降り立った男は拳を打ち鳴らしながらウルフレッドを見下ろす。
「……!」
唇を動かした男は、チラリと離れた場所に浮かぶ棺船を見た。黒基調の船には世界一の剣豪と名高いミホークと、ひとりの女。ツバキは顔を青ざめながら睫毛を震わせる。
男はゆっくりと、足音を鳴らすようにウルフレッドに近づいて行く。甲板にめり込むような形で動けないウルフレッドの首元を掴むとそのまま目線の高さまで持ち上げた。
男は囁く様な声で言う。
「あの女と共に居れば待つのは破滅だとなぜ分からない」
男は、さらに続ける。
「あんな女、捨て置け。アンタが身分を危ぶませてまで助けてやる価値がある女じゃねェ……!」
男がそう吐き捨てた時だった。
雲ひとつなく晴れ渡っていたはずの空に暗雲立ち込める。何処からともなく現れた雨雲は見る見るうちに発達して行き、やがて大きな生物が移動しているかの様に雨がこちらへ移動してくるのが見えた。
ポツポツ……
冷たい雨粒が頬に当たる。
跳ねた水滴が睫毛に纏わりつき、瞬きと共に弾け飛ぶ。雨足はみるみる強くなり、数瞬間には数メートル先も見えない程に激しくなった。
グランドラインの変わりやすい天気か? 男は思った。
普段陸で借金の取り立て屋として身を立てる男にとって海とは未知数。しかし、瞬きの間に天気が逆転するというグランドラインの不安定さはよく耳にする話であった。
男は目の前にウルフレッドがいるのも忘れて数巡の間空を見上げていた。そこが、命運を分けた。
「っ、なんだ……?」
「私の好いた人を、貴様、侮辱したな……!」
ウルフレッドの怒りに震える声は途切れ途切れでありながらも言葉が孕む怒りの大きさが如実に伝わってくるものであった。
男は思わず目を見開いた。女を失ってから一ヶ月も経っていないというのに、この男はここまで入れ込んでいる。どうなってやがると口を戦慄かせる男は、ウルフレッドの瞳が雨のカーテンの向こう側で翡翠の色を帯びて光るのを見た。
「神の怒りよ此処に――」
遠くでオオカミの遠吠えが聞こえた気がした。
「自由な風の神よ、北風の神よ、我が敵に怒りの鉄槌を与えよ!」
声に呼応するかのように巻き起こった竜巻が雨粒を引き寄せてカーテンが引かれる。
視界の晴れたそこには、ウルフレッドがいた。
その後ろに唸りを上げる翡翠のオオカミがいた。
オオカミが竜巻に飛び込むと竜巻は仄かに光を放ち、やがて大きな竜巻となったそれから飛び散る雨粒は周囲にいる者たちの頬を、身体を強かに打ち付ける。
「狼風――」
ウルフレッドが叫んだ刹那、竜巻はウルフレッドの持つ剣に大きく纏わりつく。
「――雨天」
言い終わるや否や、風の渦巻く大剣を大きく振りかぶる。飛ぶ斬撃と化したそれは海面を大きく揺らし、飛沫を巻き込んで真っ直ぐに飛んでくる。
男は再び目を開く。
強風に煽られた冷たい飛沫が身体中に降りかかり、光を帯びた斬撃が次第に視界の大半を占めていく。呆然とする男だったが、半ば反射的に拳を前に構える。
それは今までの人生で培った経験の結晶とも言えるものだった。
「うおおおおおおおお!」
男はカッと目を見開いて雄叫びを上げる。
目にも見えない凄まじいスピードで放たれた拳は次第にスピードを上げて行き、風を切る音が竜巻の合間に響く。
残像が見えるほどのラッシュに、拳は赤く、そして黒く変色する。
「ッ、ラァ!」
「覇気使いか……!」
ウルフレッドの驚嘆の声。
男の拳は遂に光を放つ竜巻を打ち晴らした。同時に頻りに降っていた雨はすっかりと無くなり、分厚い雨雲も瞬く間に霧散する。
男が眼光を光らせて漆黒の握り拳を胸の前で打ち鳴らす。それに合わせて拳の表面についた傷から血が飛び散り、男の頬を汚した。
ウルフレッドが警戒を高め、再び剣を眼前に構えた時だった。刹那の静寂を切り裂くかのように電伝虫の呼び声が海に木霊した。
プルルルル……プルルルル……ガチャ……
男は手の平をスッと前に出して制止を呼びかけると、ピチピチのスキニーを弄る。そして何処からか電伝虫を取り出した。受話器を取ると、その眠たげな顔は瞬く間に老人の顔つきになった。
『いつまでやってるんジャ……カンラン』
「……」
『ジジイ、ジャと?! 言い訳垂れとらンで、早よ娘っ子攫ってこいヤ!』
「……」
聞くに、電話の相手は男――カンランよりも上の立場の人間であるらしい。
語尾が若干訛った言葉遣いで、乱暴な物言い。アンダーグラウンドの元締め、と言ったところか。海というよりは陸の、恐らく地域のギャングかヒト売りの類だろう。
ウルフレッドはチラリと後ろを振り返った。
背後に浮かぶ小さな棺船。
その上で未だ眠る素振りの剣豪と、俯く女。黒絹の如き長髪が太陽に煌めき、白い肌や服に掛かって繊細な美を醸し出している。
『ここまで育つのに、金も時間も惜しんだことはなかった……心も折ったつもりだったが、とんだ食わせモンだった様ジャなァ……』
「ッ……」
ねっとり、と粘つくような声がツバキを詰る。肩が跳ねる様子を、頬が青ざめる様子を、涙も枯れ果てた様子を。ウルフレッドは遠くから見つめていた。
『父親に売られた可哀想なツバキ……ワシの大輪の花よ……戻っておいで……』
カンランがピクリと肩を動かす。
「……私、」
ツバキが俯いたままに呟いた。
顔をゆっくりと上げると、そこには笑みがあった。諦観の、笑みが。
刹那、ウルフレッドの脳裏に少女が血溜まりに沈む光景が浮かぶ。
――アタシ、ジンさんの為なら残れるよ。
無垢ながらどこか恐怖の滲む笑みの少女。ウルフレッドの、忘れてはならない失態。かつて救えなかったあの子が、ツバキに被ってやまなかった。
「戻ります。皆さんの荷物になるだろうから、迷惑をかけるだろうから」
「――ッ」
「だから……」
ツバキが言葉を詰まらせたその瞬間、相対していたカンランが鋭く懐へと踏み込んだ。反射的に半身で僅かに避けたものの、黒く変色した鋼鉄の拳はウルフレッドの細身な身体を空へと打ち上げた。気が逸れた、その一瞬の隙をついた攻撃だった。
「ッ、ガ……!」
攻撃を受け流すことも出来ず、強い衝撃に息が詰まる。耳元でビュウビュウと海風が金切り声を上げた。殴られた勢いのまま元の帆船へ飛ばされたウルフレッドを、ミホークが目を瞑ったまま片腕で受け止めた。
「何をしているんだ、友よ。貴様が負ける相手ではないぞ」
「ッ……!」
衝撃で船が大きく揺れる。咳き込むウルフレッドに、呆れた声をかけるミホーク。必死に欄干にしがみつくツバキは飛沫越しに光を垣間見た。
「見るべきものを見て、斬るべきものを斬るのだ」
「斬るべきものを――」
剣豪の示す勝ちへの道筋を、ウルフレッドはひとつ呼吸を置いて考える。怒りで曇っていた視界がみるみる晴れ、彼の前に一つの勝ち筋が浮かび上がった。行け、と言わんばかりにミホークの腕が背を押す。跳ね上がる様に飛び起きたウルフレッドは眼前に剣を構えると深く、深く呼吸をした。
「――斬るッ!」
「ナニッ?!」
風を纏った斬撃は、見るものの背筋を冷やす程に冴え渡っていた。
無駄のない剣捌きは真空を断ち、風が斬撃に乗って海を裂いた。幾重にも重なった斬撃は、やがて一つの巨大なそれになった。カンランが上半身を武装色の覇気で強化し、腕をクロスさせて耐える姿勢を見せる。その姿をも飲み込んで、斬撃は壊れ掛けの船の胴体を穿った。
「マ……!」
「「マリア号がァ〜!」」
波間から頭を出していた男達が叫ぶ。
巨大なオンボロガレオン船は、横っ腹に空いた大きな裂傷から水を飲み込んでゆっくりと沈んで行く。そんな船の上で仁王立ちしながら、頭から血を流したカンランがこちらをひたと見据えていた。
「貴様……」
ミホークが珍しく眉を釣り上げ、威嚇のような笑みを浮かべる。
「覇気使いに一撃を――ッ!」
ウルフレッドは自分の攻撃が覇気使いの覇気を越えた手応えを以って、自らの可能性に胸が震える思いだった。届いたのだ。六年間焦がれたそこに、ようやっと指先がかかった。
覇気を使える事と覇気を越える事とでは若干の意味が異なる。
使える者は言わずもがな、自らにそれを纏わせる事で能力者への直接攻撃を可能にする。一方で覇気を越えた者は、相対する覇気使いに勝る覇気を持つという意味があるのだ。
つまり、ウルフレッドには強大な覇気の才が眠っている。その可能性が出て来たのである。
喜びに震えるウルフレッドを、静かな目で見つめていたツバキは内心で思う。
――あれは果たして覇気なのだろうか、と。
覇気というよりはもっと、法則の異なるチカラの様だ。幼き時分より覇気使いを間近で見て来たツバキだからこそ抱けた違和感。
そして、その違和感が正しいとツバキが知る時には全てが手遅れだった。
キャラクター覚え書き
カンラン
マリア号の用心棒兼ツバキを連れ戻しにきた大男。覇気が使える。声が果てしなく小さいので、かなりやる気を出さないと相手に聞こえないことも。