西風は何処へ吹く   作:黒鵜

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次回、少し時間が飛んで最終回です。


乙女の成就

 

「止まれ、野蛮人共ォ!」

 

 ピタリ。

 

 目にも留まらぬスピードで動き続けていた両者が静止した。

 揃って声を見上げる。

 メインストリート沿いの最奥。

 

 華風堂の看板が大きくかけられた木製の豪奢な建物、その二階にある窓辺に小さなサングラスをかけた禿頭があった。

 

「「?」」

「どこを見とるんじャ!」

 

 揃って小首を傾げた二人に、赤く染まる禿頭は拳を突き上げながら飛び上がって怒りを露わにする。

 

 頭が異様に大きな老人だ。

 

 頭にサングラスをかけ、その下にある自らの両眼にもまたサングラスをかけている。黄ばんだ白衣は汚れが散見され、研究者特有のだらし無さを持っているのだと伺えた。老人は怒りの表情から一転、嘲りの色を浮かべながら叫ぶ。

 

「女を探しにきたのだろう? 海兵君」

「……」

「アレはワシの可愛がってきた宝でのォ……お前の気持ちもよく分かる。お前、アレに惚れたな?」

 

 揶揄いの声を無視して、ウルフレッドは鋭い眼光を老人へと向けた。

 

「……ツバキを返して貰う」

「返す? アレは元々ワシの物じャ。売る気はなかったが、攫われてしもうてのォ……おいでや」

 

 猫撫で声の老人に応え、暗がりから現れたツバキは冴え冴えとした青白い顔を俯かせていた。別れた時の純白のワンピースとは異なる、豪華絢爛な着物を何重にも着込んだ姿はオリエンタルな美を感じさせる。

 

 静々と歩くツバキの細い手首を掴んで強引に近くへ侍らせた老人は低い背故にツバキを屈ませるように手を引いた。

 

「ほれほれ、動いたらツバキの命はないぞ?」

「……外道め」

「なんとでも言え盗人風情が」

 

 老人は杖を目の前の手摺りに数度打ちつける。

 

 カーン。カーン。

 

 乾いた物同士がぶつかり、甲高い音が響く。それを合図とするかのように、背の高い建物の間から白い影が現れた。

 

 影はメインストリートの中央に立つ二人を包囲すると、動けぬウルフレッドに飛びかかった。無抵抗に地面へと投げ倒された体を複数人でテキパキと縛り上げる。関節が動かぬようにキツく結ばれたそれは海軍式の捕縛術。

 

 ともなれば、やはり――

 

 すっかり動けないまま地面に頬を押し付けられたウルフレッドの耳に勿体ぶった声が聞こえてきた。

 

「遠路はるばるようこそ、はい」

 

 それは信じてツバキを託した筈のクランベリー基地長であった。ウルフレッドは驚きもせず、瞳に冷徹な光を宿しながらゆったりと歩いてくるクランベリーを睨め付ける。

 

「将校は皆海軍本部へ招集されているはず……否、気づいてはいた……」

「……」

「海軍の中には偶にいる。絶対正義を見失い、私利私欲に走る屑がッ!」

「貴様ッ! 無礼だぞ!」

 

 義憤に駆られた顔で叫ぶウルフレッドは背に膝を乗せる海兵に銃底で米神を殴られる。クランベリーは半笑いの顔を保ったまま、少しの間無言を貫いていた。静寂に満ちた一帯に鈍い音が数度響く。

 

「剣豪も縛られちャあ形無しだァ!」

「うわ痛そう……」

「マリア号の恨みィ!」

 

 騒めく観衆の真ん中で、クランベリーはゆったりと手を挙げた。海兵の暴行を止めると、穏和な顔つきを一転させた。

 

「チッ……センゴクの狗が、あまり調子に乗るなッ!」

「!」

「誰にでも親切丁寧なクランベリー、慎重な策士クランベリー、忠実な絶対正義の僕であるクランベリー……その一切全てが嘘、虚言、虚構、偽りの姿!」

 

 両手を広げて呵呵と笑うクランベリーに追従するように、包囲する白い影達も肩を揺らして低い嘲笑を漏らす。

 

「ハァーッハハハ! 間抜けなセンゴクは忠実な僕がお膝元を守っていると思い込み、私は金とアレを手に入れ! ……そして、お前は飼い主に背いて犬死だ」

 

 狂気的な笑いを上げていたクランベリーは一転して虚な瞳でポツリと呟く。それを見上げながら、ウルフレッドは口内に溜まっていた血を吐き出して言った。

 

「何を言おうと、逆賊の末路は相場が決まっているものだ」

「ほざけ、首輪のついた狗に何ができる!」

 

 ガツン。

 

 視界がぐわん、と歪むほどの力で顎を蹴り上げられる。それでも、ウルフレッドの鋭い蒼眼は男を捉え続けていた。その力強さに一瞬たじろいだクランベリーは、自らに発破をかける様に気炎をあげる。

 

「……ッ、その目がいつも気に食わなかったンだよ!」

 

 ヒールの先が高く振り上げられ、空を裂くように振り下ろされる。それは鋭い音を立てながら、ウルフレッドの頬を掠め、硬い地面に突き刺さった。僅かな衝撃とはいえ、その余波は大きい。バランスを崩した彼の頭は、弾けたピンボールのように勢いよく地面に叩きつけられる。

 

 視界が揺らぎ、意識が一瞬遠のく。

 

 閉じられた蒼眼。

 

 耳鳴りが残る中、再びヒールが振り上げられる気配を感じた。

 

 クランベリーの殺意を孕んだ動き。

 

 次こそは、そう確信したウルフレッドは拘束された手にわずかに力を入れる。小さな覗き窓からこちらを見つめている両脇の店の女たちがきゃあきゃあと悲鳴をあげた。

 

 蹴る、蹴る、蹴る。

 

 これでトドメだ、と言わんばかりに一際高く挙げられた足。

 

 しかし――その足が振り下ろされることはなかった。

 

「貴様……どういうつもりだ?」

「……」

 

 大きな掌に包まれた血濡れの足は微動だにしない。

 

 俯くカンランが彼我の間に割り込んでいた。クランベリーの凄みにも動じずに沈黙を守るカンランの眼光が、赤い戦化粧の間から覗く。ウルフレッドと似たその光に冷や汗をかくクランベリーは恐れを振り払う様に叫ぶ。

 

「この行動が何を意味するか、理解しての行動だろうな?」

「……もう彼奴は動けん」

「それがどうした。私は何も無力化のために力を振るっているのではないぞ?」

「……」

 

 ぐったりと目を瞑るウルフレッドを庇い立てるような素ぶりに、クランベリーの口が嗜虐の形に歪んでいく。

 

「それともなんだ、愛する女よりもこの男を取るというのか? 故郷を捨てるほどに愛した女を!」

「……」

 

 呵呵と手を広げて哄笑する姿に、カンランはむっつりと口を結んで引き下がる他無かった。痺れの残る足を振るいながらクランベリーは厭らしく笑う。

 

「嗚呼、貴様の獲物を横取りした事が気に食わんのか。飼い犬には餌をやらんと。なァ、ドクター!」

 

 返事はない。

 

 訝しみながら顔を上げると、頭上から嘲りを含んだ声が降ってきた。

 

「ドクターってのは、このハゲチビのことかい?」

 

 乾いた笑いの持ち主を探して視線を彷徨わせる集団。その中で、ウルフレッドだけが血に濡れた口端を僅かに上げていた。

 

「少将……アンタの枷は解いたよ。見せてやんな、海軍一の剣豪たる所以を!」

 

 赤いショートヘアを靡かせながら、逆光に浮かび上がる影は高らかに手を挙げた。その手にはジタバタと踠く頭の大きな老人がひとり。騒めく海軍たちを尻目に、ウルフレッドは拘束されたまま軽口を叩いた。

 

「……マルシル、少し遅かったんじゃないか?」

「オッ、言うねェ! 島に乗り上げる時に事故ったのはアンタの所為だろう? 少将が風を強く吹かせた所為でトビコが吹き飛んだンだ」

「私の記憶が正しければ、君が島を見た嬉しさで手を滑らせたからだが?」

 

 答えはどっちも、だ。

 

 まるでホームのように気安く話す姿に呆然としていたクランベリーがハッ、として叫ぶ。

 

「女、その手を離せ! こちらには貴様の上官が――」

 

 部下たちが取り囲むそこを指差して、そして。

 

「――どうしたって?」

 

 そして、押さえつけられて居たはずの血濡れの男が筋骨隆々な巨漢の手助けで立ち上がっているのに気がついた。背後に控えていたはずの部下たちは軒並み伸されている。

 

「こッ、こんな事をしてタダで済むと……!」

「……思ってないさ」

 

 尚も脅すように言い募るクランベリーを遮ってカンランが呟く。その瞳にはもう怯えの色はない。あるのは意志の光のみ。

 

「――他者の威を借りる卑怯者がッ!」

「ッ!」

 

 赤い戦化粧が深みを増した瞬間、波状の衝撃波が四方へと放たれた。

 モロに食らったクランベリーは腰を抜かしてその場に座り込む。腐っても将校である。気をやらなかったようだ。隣で支えられているウルフレッドもまた、肌がピリつくのを感じた。覇王色の覇気だ。頭がクラッと白み、傾きかけた体を、カンランの大きな掌がしっかりと支えた。

 

「すまなかったな……巻き込んだ」

 

 声の主は低く、だがどこか苦々しげだった。

 

「いいや、海軍の膿がここまで蔓延っているなんて思いもよらなんだ」

 

 ウルフレッドは息を整えながら答える。

 

「……奴らはドクターの研究成果を欲して、ある日突然取引を持ちかけてきた」

「研究成果?」

「死者の蘇生。人間の生を冒涜する研究だが、死を克服したい輩はどこにでもいる。その対象が自分であれ、他者であれ、な。奴の頭髪も、その一環で生えたものだ」

「⁉︎」

 

 ウルフレッドは無意識にクランベリーへと視線を落とす。歳の割には妙に元気な頭髪だとは思っていたが、まさか人工的なものだったとは。天使の輪さえ見えるピンクのツインテールが、項垂れるクランベリーの首元で揺れていた。死者蘇生の研究が一体どうなって、頭髪にたどり着いたのだろうか。

 

 最早打つ手無し。

 そう悟ったクランベリーとは対照的にドクターは往生際が悪かった。建物の二階から降りてきたマルシルの手元で短い手足で暴れている。

 

 ドン、と重たい衝撃がウルフレッドの胸を打った。直後、視界いっぱいに広がるのは漆黒の髪と、しなやかな肢体。

 ツバキが迷いなく飛び込んできたのだ。

 

「――ウルフレッドさんッ!」

 

 その声は夜気を震わせ、周囲の喧騒が一瞬だけ遠のく。

 

 細い腕が服を掴む。しがみつくような力。

 

 ウルフレッドは一拍遅れて腕を広げ、土埃まみれの体で彼女を受け止めた。

 

「――嗚呼、無事でよかった……ツバキ」

 

 息をつく間もなく、彼女の肩が震えた。

 

 華奢な体が、恐怖を引きずるように細かく戦慄く。

 

 やがて、囁くような声が、彼の胸元に小さく落ちた。

 

「……こわかった」

 

 鋭い針が、心臓の奥をグッと突き刺す。

 

 ウルフレッドの喉がかすかに震えた。

 

 この感情は何だ? 苦い後悔か? 違う。決して違う。

 

 ――かつて、救えなかった少女がいた。

 

 それを、ずっと気に病んでいた。後悔していた。ツバキを初めて見た時、助けを求める姿があの子の最後と重なった。

 

 ――アタシ、ジンさんの為なら残れるよ。

 

 恐怖で強張った無垢な顔が、血溜まりで虚になるのを見た。

 

 ――だから、アタシのことをどうか忘れないで。

 

 後悔は尽きず、背負うものは次第に多く積み重なっていく。はじめは後悔であった。だが、今は違う。

 

 この気持ちは、もっと、ずっと強くて、純粋なものだ。

 

「苦しい……」

 

 ツバキが弱々しく抗議し、彼の腕を叩く。

 

 はっとして腕の力を緩めると、彼女はくるりと体をひねり、ウルフレッドの顔を見上げた。

 

 月光にけぶるまつげ、水気を帯びた切れ長の瞳。ぷるんとした唇の隙間から、白磁のような歯が覗く。頬にかかった黒絹の髪を、ウルフレッドは荒れた指先でそっと掬い、小ぶりな耳へとかける。

 

 ツバキは一瞬、ぽかんとした。

 

 次の瞬間、名に違わぬ華のような笑みを咲かせ、頬を紅潮させた。

 

「キャアアアアッッ!!」

 

 突如、周囲の建物が爆発したかのような歓声。

 

 振り返ると、女たちが建物の窓から身を乗り出し、ドアの隙間から顔を覗かせ、大盛り上がりだ。

 

「きゃああ! なんてドラマチック!!」

「ツバキちゃん、幸せになるんだよ!!」

「いやぁあん、こんな恋、憧れるぅう!」

 

 ……強かな女たちだ。

 

 ツバキは羞恥に耐えかねたのか、顔を赤くして俯いた。

 

 ウルフレッドはバッと距離を取ると、咳払いし、目の前の喚き散らす男に向き直る。そして、ツバキを背に庇うように立ち、マルシルに拘束された老人を見下ろした。

 

 老人は、目を血走らせ、口角に泡を溜め、怒りに震えていた。まるで高圧の蒸気機関のように、今にも爆発しそうな勢いで唾を飛ばす。

 

「ここはワシの島じャ!」

 

 耳障りな甲高い声が響き渡る。

 

「ワシが買った、ワシの所有物じャ! ワシのものをワシがどうしようと勝手じゃろう!」

 

 ドクターは手を振り回しながら尚も喚いた。

 

「人は、所有物たり得ない」

 

 静かに放たれた言葉に、ドクターの顔が歪む。

 

「それをお主が言うのか? 数多の民草が奴隷として酷使されているのを手助けさえしている海軍のお前が! 傑作じャ! ワハハ!」

 

 喉の奥から響く笑い声は醜悪だった。

 

「……連れて行け」

「ハッ!」

 

 冷たい声が響くと、即座にマルシルが動き出す。

 

『……待て』

 

 待ったをかける声に、騎士団仕込みの反応速度でウルフレッドが反応した。

 

 血が流れるのも気に留めず、ピンと背を伸ばして上官の言葉を待つ。それを見たマルシルもまた、相手が雲上人なのだと把握して敬礼をする。

 

『話をさせてくれ、ウルフレッド少将』

「ハッ!」

 

 懐を弄って取り出されたのは丸メガネをかけた電伝虫――即ち、海軍元帥 センゴクその人であった。

 

 指令に従って嫌な顔をするクランベリーの目の前へ運ぶと、電伝虫はウネウネと蠢きながら口を開く。

 

『残念だ、クランベリー中将』

「……センゴク」

 

 電伝虫を通じた声が、微かなノイズを孕みながら夜気に響いた。

 

『……お前の罪は把握している。人身売買、横領に詐欺恐喝……よくもマァ隠し通せたものだ』

 

 静かに、しかし絶対的な威圧を孕んだ声が響く。電伝虫の顔はセンゴク──海軍元帥その人の形相を宿し、クランベリーの歪んだツインテールを映し出す。

 

 クランベリーは、俯いたまま嗤った。乾いた唇が引き攣る。

 

「……俺は、海軍が嫌いだ」

 

 ポツネンと、静かな声。

 

 しかし、その奥底に滲む憎悪の深さは、地の底まで達するかのようだった。

 

「かつて南の海で起きた海賊王の落胤狩りで……俺は家族を失った。他ならぬ、お前の指示で、だ」

 

 電伝虫の沈黙。センゴクの気配が、一瞬止まる。

 

 クランベリーの口元が醜く歪む。

 

「お前たちが追っていたのは”怪物”かもしれんが……正義を成すために家族を失った俺の気持ちがわかるか……?」

 

 ウルフレッドは、その言葉に僅かに眉を寄せた。

 

 だが、その哀れみの素振りに気づいた瞬間、クランベリーの顔が怒りで歪んだ。

 

「……! 俺の怒りに同情するか、ウルフレッド少将!?」

「……いや、そうではない。ただ思うのだよ。別の道はなかったのかと」

「貴様……赤犬の下でそんな素振りが見せられたとでも?――否。 答えは否ッ!」

 

 クランベリーの手が懐へ飛び込む。

 

 ──咄嗟に、それに気づいたのは、カンランだった。

 

「……下がれ、ウルフレッド!」

 

 次の瞬間、世界が爆ぜた。

 

 ──轟ッ!!!

 

 爆炎が闇を裂く。

 血色の光が、木造の建物が建ち並ぶ通りを悪夢のように照らした。

 

 クランベリーが燃えている。

 

 否。

 

 彼自身が、自らの肉体に仕込んだ爆薬に火をつけたのだ。

 

「アア……アツイ……ッ、マリア……やっと会える……」

「待て! 何がお前をそうさせた! 誰が――」

 

 ウルフレッドが叫ぶ。炎の中で、黒く焦げたクランベリーの口から最後の声が絞り出された。

 

「……ア゙カ、イ゙ヌ」

 

 そのまま、肉片が爆ぜ、血が舞い、焼け落ちた骨が地面へ転がった。

 

 ──静寂。

 

 海風が、ようやく爆炎の残滓を攫っていく。

 

 ウルフレッドは、ゆっくりと口を開いた。

 

「赤犬……サカズキさんのことか」

 

 電伝虫越しに、センゴクが息を吐いたのが分かった。

 

『ウルフレッド少将』

「……」

『“頂上戦争”の開戦が決まった』

「……承知しました」

 

 電伝虫は参戦要請を告げてその瞳を閉じた。その背後では、マルシルが気絶したドクターを無造作に担ぎ上げていた。

 

「アイツら、もう近くに居るみたいだよ」

「……話を聞かなければ」

「戦争へと片道切符か……俺も行こう」

 

 ウルフレッドが静かに告げると、隣に立つカンランが皮肉げに笑った。隣でツバキがわずかに肩を震わせる。

 

「キミはここに残ってくれ」

 

 ウルフレッドは、僅かに顔を伏せ、しかし強い意志を滲ませながら言った。

 

「ここに残って、ツバキを今度こそ守り抜くんだ」

 

 男は沈黙した。

 

 灯りの消えた瞳がゆっくりと揺れる。

 

 夜風が男の袖を揺らし、乾いた指先がわずかに痙攣したように動いた。

 

「……」

 

 彼は何かを言おうとしたのか、それとも言葉を飲み込んだのか。

 

 唇がわずかに開き、乾いた喉がかすかに鳴る。

 

「気付いていたんだろう?」

 

 ウルフレッドは鋭い視線を向けた。

 

「奥方はもう――」

「――言うな」

 

 男の言葉がかぶさるように、ウルフレッドの声を遮った。

 

 低く、苦しげな声。

 

 否定ではない、しかし受け入れることもできない。

 

「分かっていた。海賊王の落胤狩りで、俺は妻を失った……それから、彼女を生き返らせる為なら何にでも手を染めた。俺を騙した奴らはもうこの世にはいないが……今回が最後の頼りだったんだ……」

 言葉の端が震える。

 振り返るように一歩踏み出し、男は拳を握りしめる。

 

「父さん……」

 

 ツバキの声が、夜気を揺らした。

 

 か細いが、確かに届く声だった。

 

 男はゆっくりと顔を上げた。

 

 彼の瞳には、迷いと苦悩、そして拭いきれぬ悔恨が浮かんでいる。

 

「娘を売った俺は……父親失格だろう……?」 

 

 言葉が、まるで血を吐くように零れ落ちた。

 

 風が二人の間をすり抜ける。

 

 ウルフレッドは、その場に立ち尽くす男をじっと見つめた。ずっと抱いていた既視感の正体が、ようやっと分かった。

 

「言伝を預かっている」

「?」

「――いつでも風はお前を受け入れる、と」

「……ッ」

 

 潮風が吹き抜けた。遠くで波が砕ける音がする。

 

 ウルフレッドはそっと振り返る。

 黒髪の少女――ツバキが、真っ直ぐに彼を見つめていた。

 

 揺るぎのない瞳。その奥にあるのは、迷いではなく、決意だった。

 夜風が吹き荒れた。

 

 血と死の匂いを孕んだ風が、潮の香りに混ざりながら流れ去る。

 

 ウルフレッドは、静かに笑った。

 

 そして、彼女の華奢な肩にそっと手を置く。

 

「――どうか、私の為に残ってはくれまいか」

 

 ツバキの瞳がわずかに揺れる。けれど、彼女の足は微動だにしない。

 

「……共に、行きます」

 

 澄んだ声だった。

 

 彼女の覚悟が、迷いのない言葉となって空気を震わせる。

 

 ウルフレッドは、目を細めると、ゆるく微笑みながら首を振った。

 

「私の本分は騎士だ。騎士とは、護るものがなくては弱いのだよ」

「……」

「私の為に、どうか護らせてほしい」

 

 ツバキの肩が、わずかに震えた。

 

 しかし、それは怯えではなく、こみ上げる感情の揺らぎ。

 

 やがて、彼女は小さく息を吐き、顔を上げた。

 

「……ワガママなヒト」

 

 唇を尖らせながら呟くツバキに、ウルフレッドは肩をすくめる。

 

「キミほどじゃないさ」

 

 その瞬間、彼女の表情が弾けるように変わった。

 

「! なっ……ワガママなんて言ってないじゃない!」

 

 頬を膨らませ、反論するツバキ。

 

 ウルフレッドは、その様子が微笑ましくて、つい口元を綻ばせる。

 

「ハハ……それがキミの本当か。元気で愛らしいね」

 

 その言葉に、ツバキの眉がピクリと跳ねる。

 

「そんな、耳障りのいい言葉をかければ良いと思って!」

「……」

「……心配するのがそんなに悪い?」

 

 彼の沈黙に、ツバキはすっと目を伏せる。そして、小さな声で続けた。

 

「……分かったわ。でも、一つだけ約束して」

 




キャラクター覚え書き
 老人
 名も無き研究者。かつて天才に格の違いを見せつけられ、ひねくれてしまった。死者蘇生を研究対象としていたが、結果は芳しくなく、現状一番の成果は育毛技術のみである。この男にも救いたいものがあったのかも……?
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