西風は何処へ吹く   作:黒鵜

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一応短編です。


西風は何処から吹く
西風は何処から吹く


 

――西風は何処から吹く 開始――

 

 穏やかな海風が吹き抜ける、西の海《サウスブルー》の片隅。大半の島民は、のんびりと畑を耕し、牛やヤギを飼い、日が暮れたら酒場で愚痴をこぼし合う。そんな長閑な島に、ぽつんと建っているのが、海軍支部である。

 建物の規模は最低限。四階建ての凸型をした、マリンブルーの模様入りの小さな「正義の城」。

 ――その一室では、今日も訓練兵への教育が行われていた。

 

「航海において、最も重要なことは何か?」

 

 少将ウルフレッドが、教壇から未だ身体の薄い訓練兵たちを見下ろす。

 右腕は吊るされ、白い包帯が痛々しい。先日の昇格戦で負った傷である。だが、彼の視線は鋭く、訓練兵たちは本能的に背筋を伸ばした。

 

「帆の張り方でしょうか!」

「いや、やっぱり食料や水の確保だと思います!」

「船に乗る以上、海流の読みが最優先では?」

 

 口々に答える訓練兵たちを、ウルフレッドは静かに見つめた。

 そして――わざとらしく、長い沈黙を作る。

 

 数秒後、ウルフレッドは薄く笑った。

 

「概ね正解。だが……甘いな」

 

 訓練兵たちの間に緊張が走る。

 

「航海において最も重要なのは――上官の指示に従うことだ」

 

 どよめきが教室に満ちる。ウルフレッドは、それを見越していた。

 

「異論がある顔だな? ならば、想像してみろ――」

 

 彼は一歩、前へ出た。

 

 重く響く軍靴の音が、教室の空気をさらに張り詰めさせる。

 

「嵐の夜。船は遭難寸前だ。食料は尽きかけ、水も残りわずか。疲労と空腹に苛まれ、乗組員たちは極限状態にある。そんな時、お前たちは果たして、上官の指示を信じることができるか?」

 

 沈黙。

 

 ウルフレッドは薄く笑った。

 

「――否か?」

 

 低く、静かに。

 

 まるで沈んだ海の底から響いてくるような声だった。

 

「だがな、素人の諸君が勝手に動いたところで、船は前に進まん。いや、それどころか――命を落とすことになる」

 

 その言葉が、じわりと訓練兵たちの皮膚に染み込んでいく。

 ウルフレッドはそこまで言い切ると、教室後方部で仁王立ちしていた海兵を見た。海兵は深く被っていたキャップをグイ、と下げると洗練された動きで手のひらを額のあたりへ持ち上げた。見事な敬礼を見せた海兵は、珍しくも女であった。

 

 赤茶けたショートヘアの、生真面目かつ豪快な海兵だ。ウルフレッドが島を離れる際はその指揮権を一任されるほどに信頼の厚い彼の腹心の海兵で、海軍歴もそこそこに長いベテランである。海軍本部近くに位置するシャボンディ諸島出身であり、根っからの海兵っ子だ。

 

「マルシル、キミの所感を聞かせて欲しい」

 

 女海兵――マルシルは、ウルフレッドの言葉に「ハッ!」と短く応答をすると、キビキビとした動きで敬礼を外した。後ろ手に腕を組み、肩幅に足を開くと顎を引いて新兵たちを睥睨する。

 

「アタシの経験から言わせてもらうが――少将の言ってることは概ね正しいね」

 

 低く響く声。訓練兵たちが息を呑む。

 

「船は一人じゃ動かない。どんなに頭が良かろうが、どれだけ剣が立とうが、協力なしに航海は成り立たない。反骨心も大事だが、己の正義と、現場での“正しい判断”を履き違えちゃならんよ」

 

 教室に重い沈黙が落ちる。

 

「ありがとうマルシル。……今はまだわからなくともいい。決して珍しくない事だ。諸君らも一端になれば経験することもあるだろう。その際は私の言葉を思い出すといい」

 

 ゴォォォォン……!

 

 そこで定刻を知らせる鐘がけたゝましく打ち鳴らされた。訓練兵は運動場で稽古をする時間帯である。

 訓練兵たちは一斉に立ち上がり、ウルフレッドへ敬礼する。彼もまた、それに応じた。

 

「風は自由に流れているように見えるが――実は、ある種の規則に沿って世界を回っている。次回は“風の読み方”について教えよう」

 

 訓練兵たちはマルシルの背を追い、慌ただしく教室を出て行った。

 静かになった部屋で、ウルフレッドは軽く息を吐く。

 

 ――だが、彼の仕事はこれで終わりではない。

 

 彼の主な仕事は島や海の巡回、要は調整役である。島の治安維持を任されている海軍支部、とりわけ田舎の支部なんぞは島民からの支持を得るため島民に寄り添って悩みを解決するために奔走することが多い。例に漏れず、ウルフレッドもその類の海兵であった。

 

 ・

 

 彼が守る島は、四百人規模の村が二つ存在する、存外に広大な島だった。

 島の名はサウスウェンディ島。島中を山風と海風が交じり合いながら吹き荒ぶことから、そう呼ばれていた。

 

 島の中央には、どっしりとした大きな山がそびえ立っている。

 火山が噴火したのち、冷え固まった溶岩が地盤となったことは、地形を見れば一目瞭然だった。

 

 ここは長閑な島だ。

 

 偉大なる航路へと続く定番の航路から外れたこの地を、わざわざ襲撃する物好きな海賊などそうそういない。

 

 島民の気性も穏やかで、争いとは無縁の暮らしが根付いている。

 

 しかし、平穏とは薬でもあり、毒でもある。

 

 ウルフレッドは、刺激に飢えていた。

 

 剣の腕には自信がある。ならば、それに見合うだけの仕事をしたいと――はじめはただそれだけの思いで、本部勤務の切符を手にしようとした。

 だが、それも五年もの間、つかみ損ねている。

 

 そんな彼の仕事は、村々の見回りだ。

 

 午前と午後で巡回ルートを変え、ランダムに見回ることで治安維持に努めている。

 

 生真面目で、根が善良なウルフレッドは、島民たちにとっても頼りがいのある海軍支部長だった。

 

 今日も普段通り、島の南側にある比較的栄えた村のメインストリートを歩く。

 

 もっとも、メインストリートとは名ばかりだ。

 石畳のように整備された道ではなく、地面にはむき出しの土や石、絡み合う木の根があちこちに顔を出している。

 とはいえ、作物を積んだ馬車が二台は余裕ですれ違える広さだ。

 道幅の設計からしても、どこまでも農家ファーストな作りになっていることが伺えた。

 道の左右には牧場が広がり、その柵の向こうでは、放牧された大きな牛たちがウルフレッドをじっと見つめていた。

 黒々とした瞳が、まるで「何者だ?」と言わんばかりに興味津々と言った様子で彼の姿を追いかけている。

 

「今日もお早いですな」

 

 朝の空気を震わせるような、のどかな声が道の向こうから飛んできた。

 りんごが山盛りに積まれた荷台をガタガタと揺らしながら、ゆったりと歩く一頭の牛。その背には、農作業着に身を包んだ林檎農家の男がまたがっていた。

 

 ウルフレッドは足を止め、軽く手を上げる。

 

「おはよう。奥方は元気か?」

「ああ、おかげさまでな。少将さんが見つけてくれたおかげだ……あの時いなかったらと思うと、ゾッとするよ」

 

 男は、ほんの一瞬だけ言葉を切り、遠くの山を仰いだ。

 

 ――あの時。

 

 ウルフレッドが巡回中に見つけたのは、家の軒先で倒れ込んでいた男の妻だった。

 

 すでに臨月を迎えていた彼女は、ひどく衰弱し、息も浅かった。

 

 迷う暇などなかった。

 

 彼女を優しく、しかし手早く抱き上げると、ウルフレッドは自らの正義が土に塗れるのも厭わず、冷静に対処し、即座に医者を呼んだ。

 結果、母子ともに無事。

 

 その出来事は、ウルフレッドの名をさらに広めるきっかけにもなった。

 男はふっと息を吐くと、荷台から真っ赤なりんごをひとつ掴み、ウルフレッドへと放る。

 

「ほらよ、少将さん」

 

 ウルフレッドはそれを難なく片手で受け取ると、白いコートの裾で軽く磨いた。

 

「いつもすまないな」

 

 言葉とともに、りんごをポケットへと滑り込ませる。

 

「ああ、そうだ。この先の道に牛たちが待ち構えているから、荷物に気をつけなさい」

「またか!」

 

 男は肩をすくめたが、苦笑しながら牛の首をぽんぽんと撫でる。

 

「忠告ありがとよ、少将さん。巡回、気をつけてな」

「ありがとう。貴方に風の神のご加護があらんことを」

 

 ウルフレッドは胸に手を当て、静かに頭を傾けた。

 

 その所作はまるで、どこぞの宗教画から抜け出したかのような気高さを帯びている。

 

 清廉潔白。

 

 性を感じさせぬ美貌。

 

 神々しさすら漂うその姿に、男は「神、神ねぇ……」と、どこか複雑そうな顔をしながら呟くと、ゆっくりと牛を歩かせていった。

 

 ウルフレッドの言うところの()()とは、そのほとんどが巡回である。村々を回り、危険はないか、異常はないかを住民たちに聞くことで未然に事件を防ぐのである。よく海兵が歩いている村は犯罪抑止力が高く、事件が起こりにくいとの統計もある。ウルフレッドはひとりの時間を巡回に当てることで他の海兵が訓練に専念できるように、との心算でこれを請け負っているのであった。

 

 毎日村を回り、悩みや話を真摯に聞いてくれる若い男、それも端正な顔立ちとくればその人気は言わずと知れよう。

 

 村長宅への道すがら、畑作業をしているご婦人や作物を出荷する人々に挨拶をして、ウルフレッドは歩みを進める。

 

 サウスウェンディ島の人々は風と共に在る。

 

 かつては風を自由自在に操る長がいたそうだが、現在は風を操る技能は失われて久しい。しかし、島民はあちらこちらに風を感じさせるものを置くことで島を吹き巡る風に敬意を表している。

 

 村長宅は他よりも大きく、豪華な作りであった。巨木に寄り添うように作られた古風なログハウスで、巨大な織物がベランダはじめ窓や玄関にも架けられている。白地に黒と赤色の刺繍が施された複雑な紋様で、島に伝わるそれぞれの士族を表す、いわば表札のようなものである。

 ウルフレッドは慣れたように扉を叩いた。

 

「ごめんください、村長はいらっしゃるか!」

「はあい、今行くよ」

 

 少しして、扉の奥から出てきたのは浅黒い肌の老人であった。白地に赤と黒い模様の羽を紐に通した飾りを首元や腰、手足首につけており、目元は緑の塗料で塗りたくられている。村長であることを示す化粧である。風と共に在るサウスウエンディ島の南部の村は鳥に風を見出し、それを尊んでいるのだ。

 

 村長はキセルを吹かしながら少将に挨拶をした。

 

「今日も早いね」

「何かあっては遅いので。して、何か変わったこと、困ったことはありますか?」

 

 表のロッキンチェアに腰掛けた村長は少し考えてから空を仰いだ。

 

「そうさね……昨日から鳥が騒いでいるよ。嵐が起きたって」

「嵐? しかし、この辺りはしばらく安定した天気の予報ですが……」

「嵐は嵐さ。大きな時代のうねりさ。飛ぶ鳥がほとんど落とされるほど大きな、ね」

 

 快晴の空を、小さな鳥たちが風を掴んで飛んでいた。

 村長は鳥の言葉がわかるのだという。そして、少し先の未来も。彼女の言葉が外れたことは、少なくともウルフレッドがこの支部に赴任してからの六年間では一度もない。

 

「あんたも気をつけるんだね。もっとも、あんたもその嵐の中にいるようだけれど」

「ご忠告、痛み入ります」

「後ね、あの子に伝言を頼むよ」

「はい」

「――」

 

 南の村長の予言は村の指針でもある。あの子というと、駆け落ちをした村長の一人息子のことだろうか。彼女の言葉はいつか必ず来る未来を指し示す。ともすれば、ウルフレッドは出会うのだろう。顔も知らぬ愛に生きる男に。

 

 素直に返事を返したウルフレッドは胸に手を当てて頭を下げ、その場を後にする。遠ざかる正義の背に、村長は助言めいた言葉をかけた。

 

「飛ぶ鳥はただ風に身を任せるだけ。あんたも自分の風に身を任せてみるといいさ」

「……」

 

 その意味は、まだわからなかった。

 

 ・

 

 東の村は漁師の村だ。

 

 魚でありながら空を泳ぐトビウオに風を見出し、それを尊ぶ。ウルフレッドは夕日に照らされた漁師小屋の群れを見た。東の村は村長の居場所が一見ではわからないようになっている。それは彼自身現役の漁師であるためであるが、ウルフレッドは毎日浅黒い肌の隆々とした老人を、似たような背格好の人々の中から探し出さなければならなかった。

 

 キラキラと漁師たちの合間で煌めく何かが見えた。

 

 村長だ。東の村の長は、トビウオの鱗で作った帷子に身を包んでいた。

 

「もし、村長! 何か変わったことや困ったことはありましたか」

 

 漁師に混じって獲れた魚を捌いている村長に半ば怒鳴りつけるような声を上げる。こうしないと耳に入らないのだ。村長はウルフレッドに目もくれず、作業を続けながら口髭をモニョモニョと動かした。

 

「……」

「はい?」

 

 ウルフレッドには到底聞き取れない声量であったが、長年共にいる漁師はわかるようであった。彼らはうんうんと頷きながら通訳をしてくれる。いつものことながら気の良い奴らだ。

 

「……」

「じい様は魚の動きが変だってさ」

「……」

「東の方で嵐があったからだって。オレらも感じたぜ? 風が違うって」

 

 ――また()

 

 村長は片眉を上げてこちらを見た。長い毛の奥から、存外に澄んだ緑色の瞳が覗く。

 

「……」

 

 ウルフレッドは妙な緊張感を抱いたまま、その日の巡回を終えた。

 

 終業後のお楽しみといえば、島で一軒の酒場で飲むことだ。ウルフレッドは清廉潔白な見た目とは裏腹に、大の酒好きである。規則と酒と、そして風をこよなく愛する、軍人におあつらえ向きの人材だ。

 

 今夜もウルフレッドは、副官のジンと共にエールを煽っていた。

 

 この島では冷たい風に晒される場所が多く、生ぬるい酒を出す店などない。

 

 ウルフレッドはサウスウェンディ島の、そういうところが好きだった。

 汗をかいたジョッキが目の前に置かれると、一息に煽る。

 喉を強炭酸が滑り落ち、冷えた液体が胃の奥でキュッと収縮する感覚。

 口に残るほのかな苦味と香ばしさに、ウルフレッドは今日という一日が終わったことを実感した。

 

「副官君、どうすれば本部に行けると思う?」

 

 ウルフレッドの問いに、ジンはすでに赤らんだ顔を上げる。

 

「またその話ですかぁ?」

 

 もう幾度聞かされたかわからない質問に、ジンはぼんやりと考え込む。

 その肩の上では、白いモモンガが主人を真似て小首を傾げていた。

 

「こんなに強い少将が本部に行けないのは……その、ハキってやつが使えないからでしたっけ?」

「うん。覇気が使えなければ、新世界に蔓延る海賊を捕まえることなんて夢のまた夢さ」

「さいですか……僕には縁のない話ですねぇ……」

 

 ジンはエールをひと口飲み、天井を仰ぐ。

 

 西の海は荒れてはいるものの、「強者が支配する世界」 ではない。

 お互いが牽制し合いながら形成された不文律のもとで闇の勢力が蠢いており、ある種の棲み分けがされている。新世界とはまた異なる類の悪辣な世界だった。

 

 そういう環境で育ったジンは、人心掌握に長けている。

 武の才はそこそこだが、内政においては類を見ない才能を持つ。そばかすの散った素朴な顔立ちとは裏腹に、支部の海兵たちから頼られる参謀役なのである。そんな彼だからこそ、ウルフレッドも腹を割って話せるのだ。

 ジンは目の前のピザをぼんやりと眺める。

 焼き焦げのついたキノコ、その周りをちょろちょろと動き回る白モモンガの小さなお尻。

 

「そもそも、少将はどうして本部へ行きたいのですかぁ?」

 

 ウルフレッドはジョッキを傾け、ゆっくりと目を伏せる。

 

「海兵としての自分に、かくあるべしと突き動かされるのだ」

 

 強くあれば、信ずる規則を貫ける。

 かつては刺激を求めて挑んだ昇格試験も、今や自分の理想を貫き通すために必要な要素となっていた。

 

 ウルフレッドはそこまで言い切ると、目の前のピザに手を伸ばした。

 故郷に残した昔馴染みの好きだった味。

 今はもう味わえない、彼女特製のキノコピザ。

 それもあってか、酒を頼む場ではついピザを探してしまう。

 キノコの乗った、あの味を。

 

 感傷に浸るように、ウルフレッドは静かにエールを煽った。

 

「信ずる規則……?」

 

 ジンはエールを片手に、ウルフレッドの横顔を覗き込む。

 

「よくはわかりませんが、僕は少将がこの支部に来てくれて、とても助かっています。島の人たちもみんな少将を信頼していますし、海兵たちも論理的な貴方の教育に尊敬の念を抱いています。……そんなに焦らなくとも、いつか――」

「いつかでは遅いのだ」

 

 ウルフレッドの言葉が、テーブルの上に落ちる。

 

「今この瞬間も傷ついている民草がいる。それを、私は助けたい。そのためには力が必要だ。物理的にも、権威的にも」

 

 それ以上、ウルフレッドの口から語られることはなかった。

 ジンは酒を呷りながらも、上官の内に秘めた焦燥が顔を覗かせたのを、静かに見つめていた。

 酒と風と規則を何よりも愛する、生真面目な男。

 いつか、彼が抱えているものを少しでも自分たちに預けてくれる日が来ることを、密かに願いながら。

 

「……そう言えばキミ、マルシルとは進展したのか?」

 

 静かにエールを煽っていたウルフレッドの問いに、ジンは思わずジョッキを置く手を止めた。

 

「エッ?! か、彼女はそのう……」

 

 酒精の熱が回った頬が、さらに赤くなる。モモンガが肩の上でモゾリと動いたが、ジンはそれどころではなかった。

 

「何か手助けできることがあれば言うといいよ、副官くん」

 

 ウルフレッドは半眼でジョッキを傾ける。氷が解けかけたエールが、琥珀色に輝いて揺れた。

 

「たっ、ただの同僚ですから!」

 

 ジンの声がひと際酒場に響いた。周囲の客が一瞬こちらに目を向けるが、すぐに各々の談笑へ戻っていく。

 酒場の片隅では、農家の男たちがカードを切る音が響き、別のテーブルではバイオリンをかき鳴らす流しの音楽家が男たちの合唱を誘っていた。

 

「はあ……」

 

 ウルフレッドは深く息を吐き、エールをまた一口。

 

「呑んでいないで僕の話を聞いてください! 少将!!」

「ング……ぷは」

 

 ウルフレッドは喉を潤した後、ジンをちらりと見やる。その表情はどこか愉快そうだった。

 

「ン、そう言えば副官くんはマルシルと遠乗りに出かけたと聞いたが」

「ま、まァ……遠乗りね……ええ、行きましたよ」

 

 ジンは遠い目をする。まるで戦場を思い返すかのような表情で、ジョッキの中の泡をじっと見つめた。

 

「海の中でしたけどね」

「ふーん」

 

 ウルフレッドは相槌を打つだけで、それ以上何も聞こうとはしない。ジンは、若干頬を引きつらせながら、身を乗り出した。

 

「アッ、興味ないでしょう⁈ どデカいトビウオにニケツしたんですよ! ボク!」

 

 彼の必死な訴えも虚しく、ウルフレッドはただ静かに酒を飲み続ける。

 店の扉が開くたびに、潮の匂いを含んだ夜風が入り込み、蝋燭の火をゆらゆらと揺らした。

 

 外では波が遠く砕ける音がする。

 

 与太話を聞きながら、ウルフレッドの意識は夢現に揺蕩い、やがて薄れていった。

 

 昼頃から何度もかけられていた言葉通り、嵐がウルフレッドを巻き込んでいく――。

 

 それは深夜も過ぎた頃のことだった。

 

 酒がすっかりと抜けたウルフレッドは底冷えする体を摩りながら海軍支部の建物内に設けられた仮眠室でうつらとしていた。

 

 水を一杯飲んでから眠ろうと固いベットから立ち上がった時、隣接する執務室から電伝虫の鳴く音が聞こえてきた。

 

 普段使いのものとは違う、少し低めの音にウルフレッドは飛び上がった。それは海軍本部直通の電伝虫だった。

 

 明かりがなく、濃紺に染まった執務室を慣れたように進んでいき、書類の影から這い出てきた電伝虫をそっと持ち上げる。手の上からこちらをじっと見上げつつ、早く受話器を取れと催促しているような、呆れた顔つきで片眉を釣り上げた。

 

 恐る恐る受話器をとったウルフレッドは、耳を疑った。

 

「こんな時期に移動命令? 先日本部昇格試験に落ちたばかりだぞ、何かの間違いでは?」

『ええ、急なことで大変恐縮です。なんでも、スモーカー大佐が任務地を放り投げて独断行動を行なっているようでして。貴方はスモーカーの訓練見届け証に署名なさっているので、元帥よりその対処を一任するとのことです』

 

 訓練見届け証――つまりは訓練兵が海兵に昇格する際の最終試験において、その人物の人格や言動を現役の海兵が保証する制度のことである。

 

 言動に問題ありと見做された場合は保証人が現れず、万年訓練兵ということもあり得る。

 昨今の人材不足に伴い廃止された制度ではあるが、擬似的な師弟関係を築けると言う点において有用であったと言えよう。

 

 不文律などを教える親身な教育係がそれぞれに付くような物なのだから。

 

 そして、ウルフレッドが最初で最後の保証人となった海兵が件のスモーカーであった。

 

 白髪強面の骨太とした男で、名前の通り重度のヘビースモーカー。

 

 海楼石を先に取り付けた対能力者用の十手を得物とし、自然系(ロギア)悪魔の実 モクモクの実を使いこなして若くから頭角を顕にした優秀な次世代である。

 

 上層部の覚えもめでたく、海軍大将 ”青雉”クザンの派閥に属して各地を転々としていると風の噂で聞いた。なんでも、次期海軍幹部へ押し上げたいと青雉の意向で、経験を積んでいる最中のことだった。

 

 出立は明朝。

 

 軍艦一隻と小隊を指揮下に、スモーカー確保の任が幕を上げる。

 




キャラクター覚え書き
ウルフレッド
 海軍西の海サウスウエンディ島支部の少将。赤犬の弟子。五年間本部への昇任の為、試験を受け続けているが……
 覇気を使えないが、剣術の腕はピカイチ。
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