西風は何処へ吹く   作:黒鵜

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すっかり花粉の季節ですね。私は花粉症ではありませんが、くしゃみが止まりません。花粉症ではありませんが。


風の導くままに
酒好きの性


海軍本部から程近くに位置する、マングローブの密集地に出来たシャボンを吐き出す島――シャボンディ諸島。

 

 風光明媚な島としても有名で、世界貴族が()()()()()を探す際に利用することから世界単位で見ても中々に治安の良い島である。

 

 と言っても無知なものは騙され、海賊たちの登竜門として彼らが必ず立ち寄る島としても有名だ。

 

 そして何より職業安定所の存在が大きいだろう。人売りが平然として食い扶持を稼いでいる現状は、「民衆」を正義の柱としていたウルフレッドにとって耐え難いものがあった。

 

 それでも比較的アングラな場所というものはどこの島にも存在しているもので、彼が酒を煽っている酒場も穴場のひとつである。

 

 この店では海兵・海賊の垣根がなく、話を外に持ち出すことは禁止。常連客の紹介がなければ入店することさえ能わない完全会員制の店で飲む一杯は酒を愛する国に生まれたウルフレッドにとっては格別のものであり、海軍本部に立ち寄った後は必ず訪れるほど気に入っている場所でもあった。

 

 比較的珍しい酒を多く取り揃えた店主こだわりの店。ワックスで磨き抜かれた一枚板のカウンターでアブサンを煽ったウルフレッドは体の隅々にアルコールが染み渡る感覚を、目を瞑って楽しんだ。嗚呼、極上の酒だ。

 

「新しき友よ」

 

 ――隣に座っているのが鷹の目でなければの話だが。

 

「なんでお前がいる」

「? 何を言うか、貴様が全快するまでは共にいようかと思ってな」

「……友と呼ぶな、海賊」

 

 眉間に皺を寄せながら故郷の酒によく似た味を喉に流し込む。よく冷えた液体が喉元を通り、アルコールの香りが後を追いかける。ほのかに香る林檎の香りにホッと一息をつく。満足げに呼吸をすればすかさず隣の男が纏う主張強めのムスクがウルフレッドの鼻腔を貫いた。

 

「……最悪だ」

 

 嗚呼、本当に最悪なことだ。まさか、自分が王下七武海専任の監視兼同行員のファーストペンギンになるなんて!

 

 昨日、会議前に起きた一連の騒動を見ていたセンゴク元帥の発案で設立された部門は、クロコダイル除名を受けて設立されたものである。海軍にあるまじきスピード承認の背景にはセンゴク元帥お抱えの極秘部門であるというところが多く、ウルフレッドの働き如何では正式に採用されるのだという。

 

 急に降って湧いた話の重大性に腹を痛めつつも快諾したウルフレッドだったが、その後つるからの電伝虫で伝えられたセンゴクの心配に報いようと改めて気を引きめた。そんな彼がどうして酒場にいるのかといえば、全ては隣にいる男の所為だった。

 

「?」

「いや、なんでもない」

 

 隣でアップルパイを口いっぱいに頬張るこの男は海軍本部からシャボンディ諸島へ移動する間だけでも二隻の海賊船を「暇つぶし」と称して沈めているのだ。おかげで報告書やら賞金首の回収やらで奔走したウルフレッドは同行二日目にして今後のことを憂い、耐えかねて行きつけの酒場で酒を煽っていると言う次第であった。

 

 ウルフレッドはこの世界最強の剣豪に一言物申したいことがあった。

 

「主人、このパイは美味いな」

 

 ――なんてマイペースなんだ!

 

「世界一の強さはそれが秘訣なのか?」

 

 半ば茶化したように問いかけると、整えられたカイゼルヒゲにパイのかけらがついたままアップルパイを嚥下したミホークが真剣な眼差しで応えた。

 

「強き友よ、貴様も十分に強いではないか」

「……強くはないよ。後、友と呼ばないでくれ」

「何?」

 

 心の底からそう思っている表情に若干の後ろめたさを覚えた。彼の思う私と、本当の私はあまりにも違うのだから。

 

「私は、覇気が使えないのさ」

「不遇の剣豪、か……」

 

 諦観と空笑いとが織り混ざったような声だった。

 

 覇気の使えない凄腕の海兵といえば、誰が言い始めたのか、不遇の剣豪しかいない。「不遇の」とはよく言ったものだ。昇格試験に幾度も挑んでいるだけであるのに。

 

 ウルフレッドの言葉に口内で味わうように言葉を転がしたミホークは、椅子の背に掛けたテンガロンハットを被ると懐から取り出した札束をカウンターに放った。あっという間に店から出て行ったミホークに慌てた様子で椅子から立ち上がる。

 

 ここで聞いたものは全て無かったことに、との意を汲んだ店主は一人頷いた。

 

 店の外はすっかり夜も更け、冷え込んだ空気が肌を刺す。

 

 遠くのマングローブにある遊園地から漏れ出た光がシャボンを照らし、なんとも幻想的な光景を醸し出していた。酒気を帯びながらもしっかりとした足取りで人気のない通りを歩く。間に落ちる無言の空気を気にも留めない様子で、ミホークが口を開いた。

 

「貴様、オレと共に来い」

 

 ――仕事なので行くが……?

 

 内心そう返しながらも、訝しげな顔でミホークを見返す。彫刻のような横顔が月夜の下で青白く浮かび上がっていた。真っ直ぐに目の前を見つめていた猛禽類を思わせる瞳が、視線に気づいたようにこちらへ向けられる。ウルフレッドの顔を見てようやく自分の言葉が伝わっていないのだと気づいたミホークは「ム……」と眉を上げた。

 

「なまじなりにもオレは世界最強の称号を持っている。そのオレと共に在れば、貴様の些細な悩みも吹き飛ぶ()()があるやも知れぬ」

「それは……」

「貴様の思う()()がどのようなものかは知らんが、良き経験になるとオレは思う」

 

 ミホークの言葉はあまりにも魅力的だった。自分の正義を、強さとは何かを見失った海兵が、自分と向き直る口実としては、とても。

 

「……私はお前の専属同行員だ」

「フ……嗚呼、わかってるとも。我が友よ」

「だから友と呼ぶな」

 

 ・

 

 世界一の大剣豪ジュラキュール・ミホークの動向は非常に掴むのが難しいとされる。

 

 本人の気まぐれな性質故だとか強者故なのだと言う声もあるが、やはり大きな原因は目的の曖昧さにあろう。彼の目的とするのは「強者との出会い」である。王下七武海として承認されるまではそれだけを求めて海賊・海兵見境なく、「海兵狩り」の異名さえあったと言う。

 

 そんな男の同行員として行動を共にするウルフレッドはというと――

 

「なんでこんな帆船に乗っているんだ、お前!」

 

 ――遭難していた。

 

 否、遭難と言うと若干の語弊があるだろう。何せ、彼の船はいつも()()なのだから。進むべき航路を持たず、それ故海図やコンパスもない。動力は帆に受ける風のみではあるが、それもボートまがいの小さな船だ。受ける風の量も高が知れている。船室もない棺を浮かべただけのような小舟に成人男性ふたりが乗っているため人口密度も非常に高い。

 

 それもこれも、全てはミホークの所為である。

 

 ウルフレッドが乗っていた西の海(サウスブルー)からの軍艦を勝手に返してしまったのだ。

 

 初めの頃は棺の如き小舟で強者探しの旅、基漂流するミホークの後ろを軍艦が追いかける形をとっていたのだが、ミホークにとっては軍艦の建てる波が煩わしく感じられたのだろう。シャボンディ諸島を出て三日目にはウルフレッド不在の間に軍艦は消えていた。

 

 酒場で酒を飲んだ後、港に軍艦がないと気づいた時のウルフレッドの青ざめようときたら、それはもう凄かった。必死に部下たちを探すウルフレッドに真相を告げたミホークをグーで殴り、しかし同行員と言う任務から逃れられずに一緒の小舟で旅をしていると言う次第であった。

 

「見てみろ。海賊だ」

「聞け!」

 

 ミホークの指摘通り、彼の視線の先には巨大なガレオン船が一隻、新世界の海に揺られていた。上で靡く三つ編みが三つ生えた髑髏に見覚えはない。無名の海賊だ。そんな者たちの中に「強き者」がいるとは到底思えないが……。

 

 相手方も此方を認識したのか、ガレオン船の側面に備えられた幾つもの大砲口が小さな黒い帆船を見つめる。

 

 甲板に立つ男が何かを叫ぶのに合わせて、大砲は一斉に火を噴いた。

 

 幾つもの鉄砲が曲線を描き、帆船の周りに勢いよく着水する。水飛沫が二人の体を濡らす中、ミホークは常の如く背中から身の丈ほどの黒刀を取り出すと、力みもせずに空中で振り下ろした。

 

 その動作の無駄の無さといえば、ウルフレッドが僅かに身を乗り出して魅入ってしまうほどであった。性格は気に食わないが、剣技に関しては流石大剣豪と思えるものがあった。

 

 飛来した無数の鉄砲のうち、直撃しかねない物のみを的確に狙った斬撃は宙を切り裂き、丁度彼我の中央あたりで大きな爆発を見せる。

 

 彼方へ飛んで行った斬撃は途中に浮かぶ船を通り過ぎたようだ。

 

 二つに分かれたそれが泡を上げながらゆっくりと沈んでいくのが見えた。どうやら「強者」は不在のようだ。

 

 ……大抵は不在だが。

 

 蟻のようにワラワラと黒い影が海上へ上がってくるのを見て、ここから有人島への距離と海流、風の向きを脳内で計算した。弾き出した島の候補をいくつか上に報告せねば、と脳内で考えるウルフレッド。

 

 手始めに近海の海軍支部へ連絡せんと、ウルフレッドは軍服の内ポケットから電伝虫を取り出した。白く滑らかな殻を持つ電伝虫が、その小さな目を開き、周囲を見回すように触覚を揺らす。

 

 プルルルル……プルルルル……ガチャ……

 

 電伝虫の口が開き、機械的ながらもどこか緊張を孕んだ声が響く。

 

『こちら海軍G-三支部、海軍G-三支部』

 

 通話が繋がった瞬間、ウルフレッドは静かに口を開いた。

 

「もし、私は西の海ウィンドブロウ島支部少将、ウルフレッドだ。」

 

 一瞬の沈黙の後、電伝虫の向こうから戸惑いを隠しきれない声が返ってきた。

 

『サッ……西の海ですか⁈ それにウルフレッドって……』

 

 相手の動揺が手に取るように分かる。ウルフレッドは冷静に言葉を継ぎ、無駄なやり取りを避けるべく、用件を端的に伝えた。

 

「マリンコードの照合を願う。マリンコードは387……」

 

 彼の声には一切の迷いがなかった。電伝虫は微かにノイズを含みながらも、相手の息を呑む気配まで伝えてくる。

 

『す、すみません! すぐに照合致しますのでそのままお待ちください!』

 

 慌ただしい声の後ろで、書類をめくる音や金属の擦れる微かな音が聞こえる。ウルフレッドは短く息を吐き、周囲の様子を伺うように視線を巡らせた。潮風が吹き抜ける中、彼は電伝虫を持つ手に微かな力を込めた。

 

 一つ前に通り過ぎた有人島からして、今私達が漂っているここはG-三支部の管轄であろう。そう考えて懐の電伝虫を回した訳であるが、ウルフレッドの名乗れる称号は西の海所属の海兵というそれのみ。

 

 連絡の度マリンコードの照合が必要とされた。今回も聞かれる前に先んじて言う程にはミホークが海賊を戯れに攻撃することに慣れていた。

 

 ウルフレッドが現在従事している七武海同行員と言う試みが公なものであればもっと理解も得られたのだろう。

 

 

 電伝虫はしばらく沈黙したのち、ゆっくりとその顔つきを変えた。先ほどまでの若々しく緊張した表情は影を潜め、代わりに皺深い老獪な面持ちへと変化する。電伝虫特有の変化ではあるが、その顔つきを見ただけで相手の力量が伝わってくるのだから不思議なものだ。

 

 『……照合が完了しました、はい。お久しぶりですね、ウルフレッド少将。本日は何のご用でしょうか』

 

 低く落ち着いた声が響く。ウルフレッドは、懐かしさと共に、長年の付き合いで培われた信頼を感じながら口を開いた。

 

 「お久しぶりです、クランベリーさん。G-三支部近海で海賊船を撃沈した為、漂流している海賊共の回収を願います。」

 

 ウルフレッドの声には無駄な抑揚はなく、事務的に事実を伝えるだけだった。

 

 『近頃管轄に入った海賊船と言うと……はい、海賊旗には髑髏の頭に三つ編みが三つありませんでしたか?』

 

 クランベリーの声が落ち着き払っているのは、彼がすでに事態を把握し、思考を巡らせているからだろう。電伝虫の小さな目がウルフレッドを見つめ、まるで本当に目の前にクランベリーがいるかのように、微かに眉を寄せるような仕草をした。

 

 ウルフレッドは目を細め、今朝の戦闘で見た海賊旗を思い出した。砕けた船体と共に波間に漂う黒布には、確かに三つ編みが三つぶら下がっていたはずだ。

 

 

 海の波間に漂う黒い海賊旗は、確かに三つ編みが三つ、髑髏についていた。この海域では海軍がしっかりと目を光らせているようだ。ウルフレッドは感心したように頷きながら「確かに」と応えた。

 

 軍艦がウルフレッドの前に到着したのは、それから二時間ほど経ってからの事だった。その頃には泳ぐ海賊たちは軒並み近くの無人島へ上陸しており、ウルフレッドとミホークは小休憩に、と後を追った形となった。最も、二人に復讐してやろうという気概を見せた者は居なかったが。

 

 兎も角、ふたりは上陸後早々に寛いでいた。

 

 砂浜に生える椰子の木の柔軟性を利用して上の方を強引に束ね、簡易テントを作り上げたのだ。

 

 事情を説明せんとするウルフレッドに付き合う形となったミホークは、日陰で寝転び、片手でワイン樽を持ち上げると、コルクを器用に抜いた。赤黒い液体が瓶に注がれるたびに、波間に揉まれた熟成ワインの芳醇な香りが広がり、潮風と混じり合ってウルフレッドの鼻腔を刺激する。

 

 ミホークは軽くグラスを傾け、深い紅の揺らめきを眺めたあと、無頓着に一口含んだ。

 

 「友よ、呑むか?」

 

 琥珀色の瞳が、わずかに笑みを帯びる。

 

 ウルフレッドは眉を寄せたが、ワインの香りがさらに鼻先をくすぐるのを感じ、無意識に喉が鳴った。

 

 「いや……職務中だからな……」

 

 そう言いながらも、視線はちらりとミホークのグラスに向かう。

 

 「ン?」

 

 ミホークは怪訝そうに眉を上げ、再びグラスを口に運ぶ。

 

 「……」

 

 沈黙の圧がじわじわとウルフレッドを追い詰めていく。

 

 「実に芳醇だ。良い出来だぞ?」

 

 ミホークが愉しげに喉を鳴らしながら飲むその姿は、見る者の酒好きの本能をくすぐるものがあった。ウルフレッドは唇を噛み、視線を彷徨わせた末に、ついに折れる。

 

 「〜っ、一杯だけ」

 

 差し出されたグラスを手に取るや否や、ワインを口に含む。その瞬間、舌の上で果実の甘みと樽の渋みが絡み合い、熟成された奥行きが広がった。

 

 ミホークの飲みっぷりは豪快で、見ているだけで気持ちが良い。無駄のない動作でグラスを傾けるたび、彼の喉が上下し、黄金色の瞳が静かに細められる。

 

 ウルフレッドもまた、生来の酒好きが疼いてしまった。

 

 一杯だけ――そのつもりだった。

 

 だが、根っからの酒豪である男が、一杯だけで我慢できるはずもない。

 

 次第に言葉の端々が滑らかになり、軍艦が無人島沖に現れた頃には、甲板にはすっかり酔っ払いが二人出来上がっていた。

 

 浜辺の風が心地よく吹き抜ける中、砂の上にはワインの瓶が無造作に転がり、静かに波の音が響いていた。

 

 沖に停泊した軍艦から手漕ぎのボートがいくつか降ろされ、砂浜へエッサホイサと近づいていく。足取り乱れぬ一団が次々に島の奥へと入っていく中、最後に上陸した一団が悠々と簡易テントに近付いてくるのが感じ取れた。見やれば、G-三支部の基地長 クランベリーが先頭にいた。ウルフレッドはワインの入ったジョッキ樽を後ろ手に持ちながら立ち上がる。

 

「この度は三つ編み海賊団の捕縛に手をお貸し頂き感謝の極みです、はい。G-三支部基地長のクランベリーと申します、はい。」

 

 基地長 クランベリーは小柄で痩せぎすな男だった。短パンに白タイツを合わせた服装は温暖な海域を担当する為だろうか。長い薄紅の髪をツインテールにしており、「はい」と言う度に小首を傾げる為毛先が揺れて視線を奪う。はて、この髪……こんなに長かっただろうか。

 

 久しぶりに会うクランベリーは酒を飲みながら日陰で寛ぐミホークに向けて挨拶を投げかける。

 

 返答はないが、はなから期待していないのだろう。気分を害する様子もなく、ツインテールをゆるりと揺らしてウルフレッドに視線を合わせる。

 

「クランベリー基地長、この度はお手数をおかけします」

「いやぁ、話には聞いとりますよ、はい。何でも試験運用の段階のそれなんでしょう? センゴクさんに可愛がられるのは大変ですね、はい」

「恐縮です。……三年ぶりですか?」

「そうですねぇ……君も強くなったものです、はい」

 

 しみじみとつぶやくクランベリー。二人はかつて海軍本部の、当時は中将であった赤犬 サカズキの下で同輩であった。海軍式の可愛がりを受けるウルフレッドと、ベテランのクランベリーという若干距離のある間柄ではあったものの、ウルフレッドは柔和なクランベリーをそれなりに信頼していた。

 

 ウルフレッドがクランベリーと話している間、ミホークは影の濃い場所で黙々とワインを傾け、全く相手にしない様子であった。

 

「実は込み入ってお願いがありまして、はい」

 

 

 ちょいちょい、と声を潜めて手招きするクランベリーは、反対の手で島の中心の方を指差した。どうやら聞かれたくない話のようだ。それに頷き、白い砂にふたつの足跡を残して林の方へと歩く。潮風が木々の葉を揺らし、枝葉の間から陽光が斑に差し込んでいた。湿った土の匂いが鼻をかすめる。

 

 遠くで海兵に見つかったのか、逃げ惑う海賊達の怒声と足音が響く。そんな喧騒を背に、クランベリーはようやく足を止めた。小枝を踏みしめ、ゆっくりと振り返る。

 

「いや、実はですね……」と基地長は声を潜めながら、軽く喉を鳴らして続けた。「我がG-三が管轄するとある島で人攫いが横行しているようでしてね、はい」

 

 人攫い――その言葉を繰り返しながら、じっとクランベリーを見返す。海風とは違う、林にこもる生ぬるい風が頬を撫でた。

 

「その島は美しい髪の女性が多く、昔から人攫いが絶えずに困っているのです、はい」

 

 クランベリーの言葉に曖昧に頷きながら、足元の土を靴先で軽く掻いた。遠くで波が岩に砕ける音が聞こえる。

 

「ならば何故――」

 

 問いかけかけた言葉を、基地長は片手を上げて遮った。その目には、どこか含みがある。

 

「――何故君を頼るか、ですよね。かつての誼もありますが、何より彼の大剣豪は随分と放浪癖があると耳にします。随行する中でもし見かけましたら、ぜひ一報をお願いしたいのです、はい」

 

 クランベリーはわずかに眉を寄せた。森の静寂の中、遠くで鳥が羽ばたく音がする。

 

「一報ですか? 取り返すのではなく?」

 

「はい、一報で構いません」基地長はにこりと微笑んだ。「そこまでお手を煩わせる訳にはいきませんからね、はい」

 

 その言葉の裏を探るように、クランベリーはじっと相手の目を見つめた。木漏れ日がふたりの間に細い線を描いていた。

 

 お願いしますよ、と念を押されウルフレッドは漸く解放された。

 

 ビーチに戻るとミホークの姿がなかった。辺りを見回せば小舟に乗っている黒衣が視界に入る。ウルフレッドはブーツに白い砂粒を纏わせながら近づいた。

 

「もう戻るのか?」

「……騒がしいのは好かん」

 

 すっかり飲む気が失せたようで、ミホークは小舟の定位置である椅子に深く腰掛けていた。片手で帽子のつばを軽く押さえ、視線を水平線の向こうへと向ける。その横顔はいつにも増して無表情だった。

 

 「そうか」とだけ呟いて、ウルフレッドは小舟の縁に手をかける。足元の砂がじわりと水を吸い、波の音が途切れがちに響く中、ザブザブと海をかき分けながら船を押し出した。海面に映る陽光が細かく揺れ、靴底に冷たい感触が広がる。太ももの中程まであるブーツに海水が入らないうちに、素早く船に飛び乗った。

 

 風を孕んだ帆が大きく膨らみ、甲板が軽く軋む。船はぐんぐんと加速し、沖へ向かって滑るように進んでいく。ウルフレッドが舵を握る手に力を込めた時、不意に座ったままのミホークが口を開いた。

 

 「どうも、あの基地長は匂う」

 

 彼は顎をわずかに上げ、眉を寄せながらぽつりと呟く。その目にはまだ、遠ざかる島の影が映っていた。

 

 「酒か?」とウルフレッドが肩越しに問うと、ミホークはわずかに目を細める。

 

 「……海域に入っただけの海賊を把握しているのに、人攫いを把握していないことなんぞ、そうあるものか」

 

 風が吹き抜け、帆の端がはためいた。潮の香りが強くなる。ウルフレッドは片手で舵を軽く回しながら、あまり興味がなさそうに「そんなものか」とだけ応じた。

 

 ミホークは短く息を吐き、目を伏せる。

 

 「そんなものだ」

 

 波が船底を叩き、沈黙が訪れる。遠くで、海鳥がひとつ鳴いた。




キャラクター覚え書き
 クランベリー
 G -三支部基地長を務める、海軍本部中将。ピンクのツインテールと白タイツを愛用する変態染みた格好の真面目な男。かつて、赤犬の下で共に稽古をつけられた同輩であるらしい。
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