西風は何処へ吹く   作:黒鵜

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短編なので巻いていきますが、二週間の間に様々なことが起きているでしょうね。短くも長い二週間ですから。


日常パート

 じっとりとした仄暖かく停滞した風が頬を不快に撫でる。

 薄く肌に膜を張るような、重い潮風だ。じんわりと汗ばむような鬱蒼とした島に粘着質な二つの足音が木霊する。黒く枯れた木々の合間からカラフルな顔つきのヒヒたちが見つめる先をふたりの男が歩いていた。

 

 

 一人は黒装束の男だ。

 

 身の丈以上もある剣を背負いながらも重さなど微塵も感じさせないゆったりとした歩みで湿地帯を進む。純白の羽がテンガロンハットの上でヒラヒラと揺らぎ、鷹のような眼光を瞼の下に納めながらブーツを泥濘に浸して歩く。

 

 その少し後ろを進むのは正義を背負う男だ。西洋剣を腰に差し、白い制服に泥を飛ばしながらぼんやりと歩いている。胸の前には目を瞬かせながら興味深く周囲を見回している女を抱えており、一歩進むごとに長く美しい黒髪がパサと頬にかかった。

 

 偉大なる航路(グランドライン)前半 クライガナ島には巨大な城がある。かつてこの地にあったシッケアール王国を納めていた国王の居住地であり、九年間続いた内戦で傷ひとつ付かなかった堅牢な石造の古城である。至る所に墓や仏と内戦の爪痕が残る島だ。未だ硝煙漂う地域もあるほどに血生臭い島だが、内戦勃発時には王族たちは国外に亡命していたことからも城は綺麗な状態で島を見下ろしていた。

 

 数年前から古城を拠点としているミホークは勝手知ったる様子で入り口の巨大な扉を押し開けると、入り口で泥まみれのブーツを軽く払い、泥が裾にこびり付いたコートを衣装掛けに放った。白いフリルシャツに黒のパンツというシンプルな服装だが島の気候的にもこのぐらいがちょうど良いのである。女を抱えたウルフレッドはミホークから泥落とし用のブラシを受け取ると手早く落としてから石畳を踏んだ。

 

 外の停滞した高温多湿とは裏腹に、分厚い石壁で遮られた古城内部は体の芯が震えるような底冷えを感じさせる。胸に抱き上げていた女性を暖炉前のカウチに下ろしたのを横目に、ミホークは手早く火を起こした。

 

 乾いた木を焚べられて勢いを増した火種が白煙を上げ、煙突が霞を飲み込む。時折パチパチと何かが爆ぜる音を聴きながら、ソファに放られた愛用のテンガロンハットを持ち上げた。軽く手で表面を祓い、形を崩さないために丸い頭をした帽子掛けに並べた。自室としている書斎には扉の脇に縦型の帽子掛けがあり、新品のそれが規則正しく整頓されているのだが、普段使いのものは専ら暖炉付近の壁に埋め込まれた壁掛けのホルダーに掛けている。

 

 同じ場所を通ってきたとは思えない綺麗さに若干の理不尽さを覚えながらも、ウルフレッドは泥がこびりつく前に、と汚れた衣類をカゴに纏めて席を立った。

 

 

 

 ――いつの間に眠っていたのだろうか。

 

 女はパチパチと爆ぜる薪の音に瞼を震わせた。ゆっくりと持ち上げられた瞼の下で水気を帯びた瞳がキラキラと輝きを見せる。

 暖炉でゆらめく火に照らされたオレンジ色の横顔に警戒を灯しながら、女ら瞳を忙しなく動かした。

 

「……目が覚めたか」

 

 それにいち早く気づいたミホークが腕を組んだまま声をかける。むっつりと不機嫌そうに結ばれた口から溢れた言葉は心配からのそれではなく、女が目覚めたことを友に伝えるためのものだった。

 

 暖炉から少し離れた床で白銀の愛剣の手入れをしていたウルフレッドは、荷物を広げたまま顔を上げた。

 

「気分はどうかな?」

「う……」

 

 (かぶり)を振った女はこめかみに白魚のような手を当てて俯いた。陸の出身だからか船旅が随分と堪えた様だった。初めの方など青ざめた顔つきでろくに食事も取れない有様で、そんな日々を送っていれば足腰の筋肉も落ちようと言うもの。島の纏わりつくような泥に足を取られると危惧したウルフレッドによって、衰弱した女は半ば強制的に運ばれてきたのである。

 

「なるほど、良くはなさそうだ」

 

 ウルフレッドは少し待っているように、とだけ言って部屋を出た。残されたふたりの間に会話はなく、一方は気まずく、一方は歯牙にもかけぬと言った様子である。

 

 先日、遭遇した奴隷船から解放した人間達を例外なく故郷か海軍本部に近い政府加盟国で降ろした一行は、口が重い女と共に拠点であるクライガナ島へと帰還した。女は夢と現の間で意識を揺蕩わせて、ぼんやりと日常を過ごしている。食事も促されるまで摂ろうとせず、眠ればうなされる為限界まで眠ろうとしない。

 

 全てが受動的の女はミホークの嫌う()()()そのものだったが、ウルフレッドは真剣な眼差しで女の世話をした。

 

「彼女には役割が必要なんだよ。辛いことを直視せずに済むような役割がね」

 

 そう言って甲斐甲斐しく世話を焼く姿を見て何も言うまいとミホークは口を結んだ。いくら世界一の剣豪とはいえ、馬に蹴られるのはゴメンだった。

 

 ・

 

 ウルフレッドの朝は早い。

 

 軍隊仕込みの規則正しさで日の登る頃に目を覚ます。

 

 白いシーツを蹴飛ばして底冷えのする石畳に足をつける。冷たさに足の裏が攣りそうな感覚に、ウルフレッドは顔を顰めた。

 

 クライガナ島は常に分厚い雲で日が遮られ、窓を開けても風は吹き込んできない。ただ生ぬるい湿度の高い風が顔を撫ぜる。遠く聞こえる漣とヒヒたちの興奮した声にいつも通りの朝だと独りごちて傍に置いた剣を手に外へ出た。

 

 城から伸びる渡り廊下から見える、かつては庭園であっただろう場所は、今や畑が点在するのみである。最近になってミホークが畑にしようと生えていた薔薇の生垣を火に焚べてしまったのだ。風情のかけらもない男だとその時は思っていたが、いざここで生活する様になってウルフレッドはこの開けた土地を大変重宝していた。訓練にうってつけの広さなのである。

 

 ウルフレッドは上半身に纏っていたブラウスを近くの廊下に設置された手すりに引っ掛けると、黒いスラックスのみの姿で剣を振るう。

 

 男にしては長い金髪がパシパシと背を叩く。

 

 分厚い雲に阻まれて日差しこそないものの、じんわりとした熱気は体を動かすことで生まれる熱とはまた異なる暑さを感じさせる。

 

 一閃。

 

 白銀が風を切り裂いて鋭く振り払われ、かと思えば切り返して振り下ろす。まるで型のある踊りの様なそれは、ミホークが廊下の向こうから歩いてきたことで終わりを告げた。

 

「精が出るな」

「フー……っと、ありがとう」

 

 残心の構えを解いたと同時に放られる深緑の瓶。それを難なく受け止めて礼を言う。ミホークはいつも訓練がひと段落ついた頃に水分補給と称して水を放ってくれるのだ。それが言葉にはしないなりとも、彼なりの気遣いなのだとウルフレッドは共に生活をしている数週間の中で感じ取っていた。

 

 顎先を滴る汗を乱暴に腕で拭いながら、瓶のコルクを抜いて口をつける。冷たい水分が喉元を通って熱った身体を冷やしていくのを感じながら、視線だけで空を見上げた。風もなく、太陽もない。一日ならまだしもこれが連日の事なのだから、世界とは広い。そんな取り止めもない事を考えながら訓練を切り上げた。

 

 一汗流したウルフレッドが厨房へ向かう。厨房からはパンが焼ける香ばしい匂いがフロア一帯に漂い、空腹を刺激する。石造りの古めかしい厨房に入れば、控えめな笑みを浮かべていた女――ツバキが燃え上がる炎に横顔を照らされながらフライパンを奮っていた。

 

「おはよう」

「ええ、おはようございます」

 

 ツバキは目線を上げずに応えた。ツバキはウルフレッドに媚びる事もしなければ必要以上に拒む事もない。しかし挨拶に返答が来るようになった。その事実が嬉しく、思わずにっこりと笑いながら流れるように手伝いに入る。その段階になると畑に水やりを終えたミホークが香りに誘われるように現れた。カラトリーやグラスを並べるミホークを横目にプレートに食事を盛りつけると、そのままテーブルに並べる。

 

「いやあ、今日も実に美味しそうな食事だ。朝食をありがとう、ツバキ」

「仕事ですので」

「さ、食べようか!」

 

 朝食は丸パンとスクランブルエッグにケチャップ、赤ワインと水が注がれたグラスであった。銀のトレーにバランスよく並べられたそれがツバキの座る窓際のテーブルに置かれた。

 

 ウルフレッドの読み通り、ツバキは役割を与えられてからそれに没頭することで精神が安定した。介護が必要なほど落ち込んでいたのが、自らの仕事――食事の用意や掃除など――を順序よく行うようになった。良い傾向だ。

 

 ツバキが手をつけ始めるのを不躾に見ないよう、ウルフレッドは視線を窓の外へとずらす。曇天の空の下で、ヒヒたちが駆け回っているのが遠くに見えた。今日も変わらぬ平穏な一日だ。

 

 ウルフレッドは気づかれぬようにそっと横目でツバキを見る。奴隷であったにしては美しい所作での食事に、彼女の出自に想いを馳せた。尊い血の持ち主か、はたまた教育の賜物か。どちらにせよ、彼女が心の奥底に抱える不安と恐怖は後者による物だろう。

 

「あっ……」

 

 力の入れ具合を誤ったのか。手に持っていたカトラリーが手から零れ、城の石畳に冷たい音を響かせた。こんなことは初めてだった。ツバキがウルフレッドの前で明確な失敗をしたのは。ツバキは次第に唇を戦慄かせ、顔を青白く染めていく。

 

「も、申し訳、ご、ございません!」

 

 椅子を降りて冷たい床に座り、許しを乞うその姿に、ウルフレッドは目を見開いた。思いもよらぬ行動に驚きながらも、ウルフレッドはすっかり座り込んだツバキの隣に静かに腰を下ろした。

 

「大丈夫。君を責める奴はもういない」

「……」

「君がそれでも恐れるのなら、私は君に害をなすものを全て打ち砕こう」

 

 ヒラヒラとした服の膝下を強く握り込んだ小さな手を優しく解きながら、ウルフレッドは手をとって言う。

 

「私の、騎士としての矜持を賭けて誓うよ」

「……騎士?」

 

 そこで、ツバキはやっと顔を上げた。黒い帷の下で、白檀の肌を濡らしながら、ツバキはさめざめと泣いていた。

 

「あなたは、海軍でしょう……?」

 

 幼子のような疑問の声ににっこりと笑みを返すと、ウルフレッドは力を入れすぎて白くなったツバキの手をそっと掬い上げた。

 

「私の名は、ウルフレッド。ウルフレッド・フォン・グンヒルド。かつては貴族であり、騎士であった正義の体現者。今は訳あって海軍に拾われたが、私の矜持と秘密をかけて、君を守ると誓う」

 

 貴族であり、騎士。特権階級には違いないそれだが、ツバキにとっては少し違う意味合いで伝わった。

 この男の思想は海軍で育まれたものではないのだ、と。

 ここまで言われて揺らがないわけがないじゃない、とツバキは目を伏せて笑った。それはウルフレッドが初めて見る、溢れるような笑み。鈴蘭のような静謐な美であった。

 

 手を取り合って立ち上がったツバキは、ウルフレッドのリードで再び席に着く。今度は気まずい沈黙はなく、辿々しくも互いを知ろうとする前向きな会話がポツポツと続いていた。

 

 手探りで前に進むツバキと、寄り添うウルフレッド。それを遠く見守る――興味がないとも言う――ミホーク。

 

 そんな安寧に満ちた揺籠のような生活が気づけば二週間も続いていた。

 

 

 




キャラクター覚え書き
 ツバキ
 ウルフレッドが奴隷から解放した女。黒く美しい髪を持つ。海軍が嫌い。常に何かに怯えた様子で……?
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