零崎常識の人間ストライク   作:忘旗かんばせ

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第零章『零崎常識』
第零章『零崎常識』


 

 ◆   ◆

 

 勘違いされがちなことではあるが、零崎(ぜろざき)双識(そうしき)は食が細いというわけではない。

 

 銀縁眼鏡にオールバックの髪型。トレードマークのスリーピーススーツの上からでさえわかる、細身の体。長身痩躯、なんて言葉ではまるで足りない、いっそ『針金細工のような』なんて人間に対するそれとは思えない比喩表現がこそ、むしろ現実を適切に表す形容になりうるような体格の零崎双識だから、当然というか必然というか、むしろ自然な推察として、あまり食べる方ではないのだろうと思われがちな彼であるけれど、しかし真実のところは別段そうでもない。

 

 無論、フードファイターよろしくの大飯食らいというわけでこそないけれど、しかし人並みには食べる。殺人鬼であっても。人間のように、食事はする。霞を食べて生きられるほど、彼は平穏な日々を送ってはいない。

 

 食事の内容だって、ローカロリーフードを好んで食しているなんてこともない。ジャンクフードから格式だったコース料理まで、どんな食事だって分け隔てなく食べるし、なんなら自分で料理をすることだってある。それについては、評判はいいとは言えないけれど。

 

 ともかくとして。

 

 たとえば今も、零崎双識は食事をしている。

 日本国内ならばまさしくどこにでもあると言って過言ではないミスタードーナツ。プレートの上に並べられたのは、オールドファッション、フレンチクルーラー、ポン・デ・リングの三銃士。極めてオーソドックスなチョイスに、ブラックのコーヒー。イートインのカフェカウンターで、双識はドーナツを頬張っていた。

 

「しかしまあ、このオールドファッションの素晴らしさったらないね。優しい甘さにミルクの風味。表面のサクサク感と、それを受け止める内側のしっとりどっしりとした生地の対比。最初の口当たりは軽やかに、飲み下す頃には満足感を与える。たった一口のドーナツにも物語があるわけだ。敬するしかないストーリーテリングだよ。欠点はカロリーが高めなことくらいだけれど、そこに文句をつけるのはもはや重箱の隅というものだろう」

 

 褒めちぎりながら、彼はドーナツを次々と口に運んでいく。

 

「君もそうは思わないかい、アス」

 

 眼鏡を直しながら、彼は隣の席に向けて問いかけた。

 

「……ドーナツ一つによくもまあそこまで盛り上がれるもんだっちゃ」

 

 もそもそとエンゼルクリームを口にしながら、隣に座る零崎軋識(きししき)は言った。

 

 双識に負けず劣らずの長身に、痩せた——というよりも引き締まった体つき。ノースリーブのシャツに、よれたオーバーサイズのズボン、履き潰されたサンダル。店内ゆえに頭にでこそないけれど、背中に下げられた麦わら帽子と、どこか牧歌的な印象を受けるファッション。

 

 しかしそれは断じて彼の本質を表した姿ではなく——むしろ。

 

 彼の本質は、その真逆。

 

 零崎軋識、殺人鬼。あくまで公式の記録ではあるが——零崎一賊に於いて史上最も荒々しく、最も容赦のない手口で、最も多くの人間を殺した殺人鬼であり、『愚神礼賛(シームレスバイアス)』の二つ名でも呼ばれる零崎三天王の一人。

 

 同じく零崎三天王の一人にして、一賊の長兄でもある『自殺志願(マインドレンデル)』零崎双識と、零崎軋識。一賊の二枚看板とも呼ばれる彼らがなぜドーナツショップの一角で並んで甘味を頬張っているかと言えば、それはもちろん二人が貴重なオフを共に過ごす仲だから——なんてわけがない。

 

 いや別段、休みの日を共有することがあり得ないほど不仲というわけではないけれど、しかしそもそも、『暴力の世界』に名高き殺し名七名の序列第三位、零崎一賊の最高戦力たる二人が、揃って休暇を取れるほど、今の『暴力の世界』は平和ではないのだ。

 

 まあ、暴力の世界に平和な時期なんてものが、過去一度でもあったかと言われれば、それは当然なかったのだが。

 

 しかしそういう意味で言えば、今の『暴力の世界』は、()()()()()なのだ。

 

 いつもよりも。

 ことさらに激しく。

 物騒で、危険で、不穏で。

 不安定な、時期なのだ。

 

「この忙しい時期にわざわざ直接会ってまでやることがドーナツ談義ってんなら、俺はもう帰らせてもらうっちゃ。ただでさえ、今は——『戦争』の真っ最中なんだから」

 

 戦争——と。

 彼はその言葉を、口にした。

 

 その戦争がいつから、どのような形で始まったのか。それをはっきりと、確たる形で示すことは、今となってはおそらくもうできないし、する意味もない。ただ一つ、わかることは二人がこうして呑気にドーナツを頬張っている今この時もなお、零崎一賊は戦いの真っ最中だということだ。

 

 戦いの。

 争いの。

 戦争の——真っ最中だということだ。

 

 その敵が誰なのか、あるいは何なのか。その正体は全くもって不明瞭だ。目の前の敵を片付けてもすぐさま次の敵が現れる。かと思えばその敵といつのまにか共闘していたり、敵自身なんのために戦っているのかすらもわかっていなかったりする。

 

 とにかく、わけがわからないのだ。

 このわけのわからなさは、ともすれば。

 いつぞや、彼ら二人が若き日に体験した『大戦争』にさえ、通ずるものがあると思えるほどで。

 

 この戦争の裏で糸を引いている相手が個人なのか集団なのか、組織なのか軍団なのか、一つなのか複数なのか、人間なのかそうでないのか、そもそも裏で糸を引いている誰かなんてものが存在するのか否か。全てが全て完全なまでに不明瞭で、不明瞭だからこそ、戦争は長引いている。

 

 戦いは連続して。

 争いは断続して。

 戦争は——継続している。

 

 今日に至るまで、ずっと。

 

「そうカリカリするなよ、アス。焦ったって、状況は好転しないだろう。この状況だからこそ、余裕というものは持たなくてはいけないよ。張り詰め続けた糸は切れるだけだ。張り巡らされた意図の内側にいるからこそ、私たちは余裕を失ってはいけないんだよ」

「余裕、ね。油断じゃなきゃ良いっちゃがな」

 

 言いながら、彼はコーヒーを口に含む。

 双識は肩をすくめた。

 

「油断なんて、それこそしていられる状況じゃあないさ。苦労自慢は恥ずべきことだが、しかしそれでもあえて口にするのならば、ここでこうして君と会うのだって、簡単なことではなかったんだぜ」

「そりゃあこっちも似たようなもんだっちゃよ。だからこそ、早いこと教えて欲しいところだっちゃ。そんな苦労を背負ってまで、俺と直接会いたがった理由ってやつを」

 

 急かすように言われて、双識はやれやれとばかりに首を振り——観念したように、話し出す。

 

「実は、()()()()()()を掴んだ……かもしれない」

 

 ため息混じりに言われた言葉に、軋識は首を傾げる。

 

「なんだっちゃそのあやふやな言い方は」

「実際、あやふやなのさ。ぶっちゃけていうと、君に伝えるべきなのかどうかも迷ったくらいだ。こんなにも曖昧な情報を、わざわざ伝えるべきなのだろうか、とね。だが、それでもやはり、()()()()()()()()()と考えるのならば、()()()()()()()()()()()()()()。だから、君に頼るしかなかった、というわけだ」

 

 持って回った言い方ではあったが、しかしなんとなく、その()()は伝わってきた。目の前のこの男は——零崎双識は、()()を掴んだのだ。この戦争を左右するかもしれない、重要な情報を。

 

「……それで、直接、だっちゃか」

 

 納得したように、小さく呟く。つまり、「その情報をこちらが知った」ということを、万が一にも相手方に知られるわけにはいかない。そう考えるがゆえに、傍受の可能性がある通信ではなく、直接のやり取りを目論んだというわけだ。

 

「それで、なんなんだっちゃ、その、お前が掴んだ()()()()()()『よくない情報』ってのは」

「まず先に言っておくが、これはあくまで、不確かな情報だ。裏取りなんてまるで一つもできていないし、できようもない。この情報自体がこちらを混乱させるための、混迷させるための、混線させるための罠かもしれない。それを前提として、落ち着いて、()()()()()()聞いて欲しい」

 

 過剰すぎるほど前置きをして、その上で双識は一つ、深呼吸をしてから、重々しく口を開いた。

 

「どうやら、この戦争の盤面に——匂宮が乗ったようだ」

 

 その言葉に、軋識は思わず目を見開く。

 

「匂宮って——おい、そりゃあ、()()()()()()()()()()()()()()ってことか?」

「まさしく」

 

 匂宮——その名は暴力の世界においては特別な意味を持つ。

 

 匂宮雑技団。暴力の世界に名高き殺し名七名、堂々の序列一位。相手が誰であろうと頼まれれば殺す『殺し屋』。分家を含めれば暴力の世界において間違いなく最大の戦力を誇り、ともすれば本家匂宮だけでもその他殺し名六名を相手取れるほどの力を持つ、殺戮奇術集団。まさしく『殺し名』という概念をもっともわかりやすく体現する軍勢であり、真正面からの戦争においては間違いなく最強と呼べる集団だ。

 

 これまでも、その分家とは散発的な戦闘があったが——その本家が本格的に戦争に参戦するとあれば——それは間違いなく『よくない』事態である。

 

「そりゃあ……お前が及び腰になるのも理解できるっちゃ。匂宮本家が直々に参戦するとなれば、この戦争もこれまで以上に激しさを増して——」

「違うんだ、アス。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 双識は沈痛な面持ちで首を横に振る。

 

 そこじゃ——ない?

 

 まさかとは思うが、匂宮本家の参戦が、話の()()であるとでもいうのか?

 

「まさしくだよ、アス。匂宮は匂宮でも、どうやら——『断片集(フラグメント)』が動いたようだ」

 

 その言葉に——がたりと。

 軋識は思わず、立ち上がった。

 

「『断片集(フラグメント)』——だと」

 

 軋識の驚愕を、けれど双識は当然のものとして受け止める。そうだ、そんな反応にだってなるだろう。盤面に、()()が現れたとなれば。

 

断片集(フラグメント)』——匂宮五人衆とも呼ばれる狂気の()()

 

 一つの精神によって五つの肉体を操ると噂される理外の魔人であり、現状の匂宮における文句のつけようがない最高戦力だ。

 

 それが、この戦争に参加する? それは一体、なんの冗談だ——

 

 と、ショックを受ける軋識に、けれど双識は、望まぬ追い討ちをかける。

 

「アス。残念ながら()()()()()()()()()()()()()()()。私が得たかもしれない情報には、まだ続きがある。それは——『断片集(フラグメント)』の狙いだ」

「狙い……」

 

 そうだ。匂宮の最高戦力。究極の芸術作品とも謳われるあの『断片集(フラグメント)』が動くのならば、そこには相応の理由が——目的がなくてはならない。

 

「『断片集(フラグメント)』はどうやら——()()に狙いを定めたらしい」

 

 その言葉に——軋識は絶句する。

 

「そ……それなら、こんなところで悠長にしてる場合じゃないだろうが! ()()()()()()()()ってのに——!」

「焦るなよ、アス。落ち着いて考えてくれ。私が君を頼った意味を」

 

 ぐ、と軋識は奥歯を噛み締める。双識が自分を頼った意味。不確かな情報。罠の可能性。

 

「……『断片集(フラグメント)』は、()()()()ってのか?」

「その可能性は大いにあると、私は見ている」

 

 匂宮の最高戦力たる『断片集(フラグメント)』が、()()()()()()()()()リル——『寸鉄殺人(ペリルポイント)』零崎常識(じょうしき)を狙うということの意味。それがわからないほど、軋識は間抜けではない。

 

「『断片集(フラグメント)』がリルを狙う。その情報がもしも真実であるのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と、そう思うんだよ、アス。零崎一賊を、それもなるべく大きな戦力を、()()()()()()()()()()()()。そんな気配を、感じずにはいられない」

 

 たとえば、零崎一賊の大戦力が『断片集(フラグメント)』とぶつけ合わされているうちに——()()()()()()()()()()とか。

 そんな計画だって、考えられる。

 

「だからこそ、私は君に頼りたいんだ、アス」

 

 双識はそこで初めて、軋識と視線を合わせた。

 

「私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。虎穴にはいらずんば虎子を得ず、だ。どのみち、家族を助けにいかないという選択肢はありえないしね」

 

 だからこそ——

 

「君には、背後の守りを任せたい。他の家族に対して、なんらかの策略が仕掛けられる可能性がある。それから家族を守れるのは、君しかいない」

 

 そう言われて、軋識は思わず、左胸を押さえかけて——

 

「……好きなことは好きにやれ、か」

「うん?」

「なんでもないっちゃよ。——わかったっちゃ。その役目は——俺が請け負った」

 

 トン、と。

 代わりのように、拳で以って、胸を叩いて見せる。

 

「頼もしい限りだね。だがまあ、そう気を負わなくても良いさ。結局は、いつも通りだ。家族のピンチを支え合うってだけのね。それに案外、警戒したは良いものの取り越し苦労だった、ということも十分以上にある」

「こっちの方はそうかもしれんが、レン、お前の方はそうもいかないだろう。なにせ、『断片集(フラグメント)』に突っ込むんだ」

「それだって、どこまで本当かもわからない情報を元に、だよ。それに——」

 

 言いながら。

 そこで双識は、小さく、けれど確かに、くすりと朗らかな笑みを浮かべて見せた。

 

「全てが真実だったとしても、案外、私の出番なんて一つもなかったりするのかもしれない。なにせ狙われているのは——零崎一賊史上、最強の殺人鬼なのだから」

 

 思いを馳せる。どこか遠く、今も戦っているだろう、己の同胞のことを。

 

 この物語は、つまり彼という殺人鬼を語るための物語だ。

 

 熱く、烈しく、焼けるように、燃え盛るように、短くも輝かしく時を生きた、一人の殺人鬼の物語だ。

 誰よりも家族思いであって、されど謎多くヴェールに覆われた彼の、その知られざる生涯を語るための物語だ。

 

 零崎常識の人間ストライク。

 

 この物語の始まりは、だからこそ何よりも熱く烈しい、眩いほどの爆炎によってこそ開幕を告げる——

 

 

 

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