◆ ◆
「はっはっは、感謝しろよおにいちゃん、私という命の大恩人にな」
少女は笑いながら、常識の肩をバシバシと叩く。痛い、痛い。痛すぎる。明らかに力加減を間違えているぶっ叩き方だった。
「ああ、感謝するよ、感謝するとも……ああ全く、爆笑にもほどがあらぁな」
煤けた顔で、常識は言った。
爆弾はギリギリ投擲が間に合い、常識は無意味な自爆を免れた。ただし、完全にはとはいかず——爆風と爆炎に煽られて、常識の顔は煤まみれだ。
それでもなお、命があるだけ幸運だ、と言わざるを得ない。下手をすれば、顔が丸ごとなくなっていた可能性だってあるのだから、それを思えば——だ。眼前の何者なのかも不明な赤い少女を、命の恩人と崇め奉ることだって、安い対価というものだろう。
「それで? 命の恩人さんよ。あんたは一体どこの誰なんだい」
後ろ頭をかきながら、常識は問いかける。空から降ってきた謎の女。まさかシータというわけではあるまいが、しかしならば一体何者なのか。遙か上空から降り落ちて巨大兵器を木っ端微塵にし、爆炎の内側から歩み出てなお平然と生きているような存在だ。やったことだけを列記するのならば、そもそもこいつは人間なのかとさえ疑いたくなるくらいだけれど。
「なんだ、あたしの名前を聞いたのか?」
少女は人間らしく笑って見せる。常識は肩をすくめた。
「そうだよ。あとで恩返しをする時に、名前もわからずじゃ困るだろ?」
それはほとんど冗談に近いつもりで放たれた言葉だった。正体が鶴や地蔵というわけでもない。恩返しに参るつもりなんてものはさらさらなかった。ただ単純に、目の前に現れた、
だけ、なのだが——
「恩をあとで返してなんていらねぇよ」
なんて、彼女は笑顔で言った。
なんだ、なかなか殊勝なことを言ってくれるじゃないか——と思った常識だったけれど、しかしその評価はすぐさま撤回することになる。
「今ここで返せ」
良い笑顔で言われた。無茶苦茶を。常識は頬が引き攣るのを感じた。
「いや、返せったってだな……今の俺は素寒貧だぜ。おまけに精も魂も尽き果てて、今にも息絶えそうな半死人のな。武器も使い尽くしたし、金なんざ鉄火場にゃ持ち込まん。今渡せるもんつったらそれこそ、着てる服ぐらいなんだが」
「誰がそんな汚ねぇ服いるか!」
殴られた。ぼかりと、頭を。たった今、死にかけてると言ったばっかりなのに。
「じゃあなんだよ、俺から何を取り立てようってんだよお前は」
尋常じゃない力で殴られた頭を涙目で摩りながら、常識は言った。本当に、なんなんだこいつは。命の恩人だからと多少の感謝はしていたが、今となってはその念も底をついた。あるのはとにかくこの場からさっさと逃げ出して、暖かいお布団で眠りたいという思いだけだ。あのモンスターマシン相手に五時間戦い通して、常識はもうとっくの昔に限界を超えているのだ。
「一回限界を超えられたんだったら二回でも三回でも超えられるだろ」
無茶言わないでくれ。
「まあ、別に、あたしだって鬼じゃねーさ。恩につけ込んで、おにいちゃんを奴隷にしてこき使おうなんては思ってねーよ」
やれやれ、とばかりに少女は言う。その表情をしたいのは常識の方なのだが、ともかくとして——少女は悪戯っぽく。言葉を続けた。
「ただ、ちょっとばかり——」
あんたの
◆ ◆
「——あんたさ、この戦争についてはどこまで知ってる?」
知識を貸して欲しい——と言われ、困惑の表情を浮かべた常識に対し、真紅の少女はそんなふうに切り出した。突然の話題変更に、常識はさらに疑問を深めるが、しかし一応は素直に答える。
「あ? 全然だよ。全然。まるでさっぱり何一つとして、状況なんか理解できちゃいねー。ただ、なんだかしらねぇが、四つの世界の全部を巻き込んでめちゃくちゃをやってる奴がいて——そいつがめちゃくちゃやってるのは、どーも『黒幕』をぶっ潰すためだ、ってくらいだ」
んで、ここはちょっと前までその『黒幕』が隠れてた拠点、ってとこか——と常識は言う。
黒幕が何者なのかなんてことは知りもしない。そいつらがどんな目的を持ってこの戦争を起こしたのかすら分かりはしない。それを追っている
わからないが、誰が敵かはわかっている。
黒幕を潰せば、きっと。
この戦争が終わるであろうことも——と。
常識が言えば、少女は溌剌と頷く。
「なんだよ、結構わかってんじゃん。それだけわかってりゃ十分だが——一個訂正するなら、ここにその『黒幕』が隠れてたのはちょっと前じゃねーよ。だいぶ前だ。少なくとも、もぬけの殻になってから三日は立ってるだろうな」
瓦礫に腰掛けながら、女は言う。そういえば、結局名前を聞けていない。だがまあ、良いだろう。この状況で、今更名前なんてものがどれだけ役に立つものでもない。どのみち常識は死にかけで、生殺与奪の権は眼前の彼女にこそ握られているのだ。
「三日は前、か。チッ、そんなに古い情報だったのかよ……」
誰にも知られず黒幕を叩く——その目論見は、はなから破綻していたということか。
命を捨てる覚悟、差し違える覚悟でさえ、この場に訪れていた常識だが、それは完全な空振りだったと言うわけだ。
と、そこまで思って——
「……いや、待てよ。お前はなんでそんな情報を知り及んでるんだ?」
至極真っ当な疑問に、遅れて行き当たる。そうだ。常識ですら知り得なかった情報を、この女はどうやって仕入れたのだろう? 首を傾げた常識に、彼女は平然と返す。
「んなもん——このあたしがこの三日、黒幕の居場所に殴り込みをかけてたからに決まってんだろ」
ガラス窓一枚分ぐらいまでは行ったんだけどなー、叩き返されちまった。なんて彼女はあっけらかんと言う。
「黒幕の居場所にってお前——」
何者なんだ、と言いかけて——常識は思い至る。
かつて聞いた、とある噂を。
荒唐無稽に爆笑必至の、理解不能な夢物語を。
その噂に曰くして、それは『疾風怒濤』。それは『仙人殺し』。それは『砂漠の鷹』。それは『
財力を統べる四神一鏡を陵辱し、権力を敷く玖渚機関を陵轢し、暴力を司る殺し名呪い名十三名を蹂躙し、それらの表に位置する普通の世界にさえ嵐の余波を叩きつけ、四つの世界に混乱と混線と混迷と混沌を齎し催し設け尽くした、大戦争の主犯——常識が語ったところの、『黒幕』を追う
もう一度。その赤き少女を、見つめる。
「まさかとは思うが……四つの世界を巻き込んで
「ああ、それあたし」
なんて——赤い女は、何を隠すことでもないとばかりに平然と頷いて見せた。
「いや、おま、お前——!?」
「まあ、そんなことはどうでも良いだろ。それより、今は『黒幕』の方だ」
なんて言われて、いやいや、常識としては、この意味不明で最悪極まる大戦争をおっ始めてくれやがった張本人に、言いたいことの千や二千はあったのだけれど——少女はそんな常識を無視して話を進める。
「あんたは今こう思ってるはずだ。その黒幕の居場所ってのは、一体どこなんだ、とな」
いや、思ってない。正確にいえば思ってはいるが、だいぶ優先度が低い。そんな内情を、けれど口にする機会など与えられるわけもあるはずがなく——話は続く。
「黒幕連中は今、ちょっとばかし厄介な場所に居やがる。厄介なってのは、防御が堅いってのはもちろんのこと、そもそも、その場に行くまでが大変だ、って意味で——厄介なんだ」
そう言われて、常識は思い当たる。そういえば確かこの女は、空から降り落ちてきたのだった。
「なんだ、ヘリコプターでも使わなきゃ行けねーような場所なのか?」
それともあるいは外国だとか? そんな風に問う常識だけれど——しかし女は首を振る。
「いいや、ヘリなんかじゃ行けねーよ。ジャンボジェット機でもステルス戦闘機でも、空飛ぶ車でだって無理だろうな」
なんて肩をすくめる。なんだ、こいつが空から降ってきたのは、黒幕の居場所とは関係ないのか?
「いやいや、関係大有りだぜ。なんせ、あたしが降ってきたのは、
「は——?」
常識は首を捻る。その角度はもはや九十度に近かった。
「なんだよそりゃ。黒幕の居城はラピュタよろしく空中にぷかぷか浮いてるってか?」
「惜しいな。空中じゃなく——もっと上だ」
空中、より——上?
「……それって、まさか——」
「ああ、その通りだよ」
そこで、赤毛の女は空を見上げる。立ち込めていた煙は晴れ、空が見える。雲ひとつない——星空が。
「黒幕は今、宇宙にいる」
◆ ◆
高度四百キロメートル。惑星地球の静止衛星軌道上に、それはあった。
人工衛星——『
支柱となる円柱形の本体に、周囲に広がるように配置された二十四枚の支翼。ちょうど地球に対して持ち手を向けて広げた傘のような形状をした、
「一般のレーダーはおろか、光学的な観測も不可能、か」
「不可能、ってわけじゃない。観測自体はできるんだが、その結果が改竄されるんだ。有機的非有機的限らず、光学的な観測装置に対する詐欺光線みてーなもんが、常に全身から放たれているらしい」
詐欺光線、とはなんともチープな言い様だが、しかしその恐ろしさは想像を絶する。光学的な観測に対し、光学的に『そこには何もない』という情報を送り返す。透明化よりもなお上の、事実上の認識改竄。一体いつから地球は二十二世紀に突入したのだと問いかけたくなるぶっ飛びにぶっ飛んだ未来技術だ。
「んで、その唐傘お化けから、お前は落っこちてきた、と」
「唐傘お化けじゃなくて蛇目傘な。ま、そーゆーことだ。目一杯暴れてはやったんだが、三分の一も壊せなかった。そのまま壊れたブロックの残骸ごと切り離されて、哀れ大気圏突入だぜ」
摩擦熱が辛いのなんのって——なんて笑って語るけれど、流石にそれは盛っての話だろう。生身で大気圏を突破して生きて地上に帰れる存在など、もはや人間ではない。
「いやしかし、それを聞かされて、俺にどうしろってんだ? まさかとは思うが肩車して届く高さだと思ってんじゃねーだろうな」
「あたしを馬鹿にしてんのかお前が単純に馬鹿なのか迷うようなことを言うんじゃねーよ。今時幼稚園児だって宇宙の高さくらいは知ってるわ」
ぼこ、と再び殴られつつ、しかし常識の困惑は治らない。
「じゃあ、俺に何をどうしろって言うんだよ」
出来ることなんて、何もないように思う。標的が宇宙だなんて話になるなら、それはもう一介の殺人鬼の出る幕ではないだろう。いくら殺人鬼の中では最強の称号を得ているとは言え、それだってどう贔屓目に見ても、通用するのは地球圏内が限界だ。
と、常識は困り果てて、眼前の彼女に降参のつもりで両手をあげるけれど——
「だから最初っから言ってるだろ? あんたには知識を貸して欲しい、って」
彼女は譲らなかった。
「知識ったって——」
宇宙の行き方なんて、常識が知るわけがない。そんな手段、個人が用意できるわけもないのだ。
「いや、手段自体は、ある程度なんとかなりはするんだよ」
「え?」
「つまりだな——あたしは、ロケットに当てがあるんだ」
ろ——
「ロケット——?」
そんなもんに、どう当てがあるって言うんだ。
困惑する常識に、彼女は言う。
「ちょうど、この近くの海の上に、表向きには存在しないことになってる人工島がある。そいつは元々は玖渚機関の実験施設だそうでな。そこに、あるんだよ——ロケットが」
その言葉に——戦慄する。猛烈に、嫌な予感がした。
「お前まさか、それを強奪しようってんじゃ——」
「強奪なんて人聞きの悪い言い方するなよ。ちょっと借りるだけだ、借りるだけ」
常識は絶望する。
いや、借りるだけったって、返せないだろ。ロケットって普通、使い切りだし。
て言うかこいつ、何平然と玖渚機関に喧嘩売ろうとしてるんだ? 玖渚機関ってあれだぞ? 『権力の世界』を支配する政治力の化け物だぞ? 一度でも喧嘩を打ったら地球上から居場所がなくなるとさえ言われる玖渚機関だぞ? それを相手に、ロケット強盗って、何考えてるんだマジで——
と、思い浮かぶ文句はそれこそ無限にあったけれど——
「……仮にだ。仮にお前がロケット強盗を」
「借りるだけ」
「……借用を、成功させたとしてだな。そのどこに、俺の知識が必要だ、って言うんだ? 言っとくけど、もしもその借用作戦を手伝えって言うんなら、俺は舌噛み切ってでも断るぞ」
常識は全力で眉間に皺を寄せて言うけれど、眼前の彼女は表情の変化などまるで気にしていないように話を続ける。
「別にそんなことを言いやしねーよ。ロケットを借りるくらいはあたし一人でなんとかなるし。ただ、なんとかならないのはその先だ」
あたしは——
「ロケットの飛ばし方ってやつを、全然全くこれっぽっちも知らないんだよ。乗り込んでからの運転自体は勘でやるにしても、一人で発射できるもんなのかどうかもわかってない。燃料だって、ガソリン入れりゃいいのかハイオク入れりゃいいのかもわかんねぇ。だから——」
だから。
「爆弾の専門家であるあんたの、手助けが必要なんだ」
「爆弾の専門家——」
「
そうだろう? と、彼女は微笑む。
「ロケットってのは、初めは軍事目的で開発された——敵地を爆撃するためのミサイルが、いつしか人を乗せて未知なる宇宙を貫く希望の星になったってわけだ。その歴史的経緯を思うなら、爆弾の専門家であるあんたになら、ロケットの一つや二つくらい、飛ばせてもおかしくねーんじゃねーの?」
なんて問われるけれど、無茶苦茶だ。
そもそも常識は爆弾使いであって、ミサイル使いではない。単なる爆弾とミサイルでは必要な技術も知識も全然違う。その上有人のロケットともなれば、もう完全にお手上げだ——と。
常識がただの爆弾魔でしかないのなら、そう言うしかなかったのだろうけれど——幸運にも。
あるいは常識にとっては不幸にも。
「それは無理だ」なんて言葉を——しかし常識は、返さなかった。
なにせ、常識は開発したことがある。
ミサイルを、開発したことがある。
結局は資金不足などで、完成には漕ぎ着けなかったけれど、しかし爆弾使いのハイエンドとして、爆撃のハイエンドであるミサイル攻撃にも手を出そうとするのは当然のことで、その最中で。
常識はロケットについての技術にも、触れている。
だから——思ってしまった。
己なら不可能ではないと、思ってしまった。
それを——
「出来るみたいだな」
見透かされて。
しかし常識は、問い返す。
「どうして、そう思うんだよ」
「だってあんた——笑ってるじゃん」
そうだろう? なんて言われて、常識は初めて、己が笑みを浮かべていることに、気が付いた。
どうして、高揚しているんだろう。こんな馬鹿げた作戦に。こんな——笑うしかないような夢物語に?
「……爆笑だぜ」
いいだろう。その話——乗ってやる。
言葉と共に、常識は彼女へと手を差し伸べる。
かくして、ここに異色の同盟はなる。
未だ最強ならざる真紅と、一賊最強なる爆弾魔。
赤き炎が揺らめくように、その道は交わり、やがて。
真紅の爆炎が、何もかもを包み込む。
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