零崎常識の人間ストライク   作:忘旗かんばせ

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第三章『零崎曲識』 7

 ◆   ◆

 

「——なかなかやるなあ、爺さん」

 

 口の端から血を流しながら、少女は言った。

 元々ボロボロだった体をさらにズダボロにされて、ボロ雑巾のような有様になりながらも、しかし少女は楽しそうに笑い続けている。

 

「……強い」

 

 杖を構えて、老人は呟く。『泥人(デイビット)』肆屍骨壷——葬局のエースとして、玖渚機関の外敵を幾度となく虚空へ葬り続けてきた、歴戦の戦士。強い敵とは何度だって戦ってきた。しぶとい敵とは何度だって戦ってきた。恐ろしい敵とは何度だって戦ってきた。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは——未だかつて、一度として相対したことがなかった。

 

「初めてですよ——ワガハイが十人の()()を見せて、それでも打倒できない相手に出会うのは」

 

 言う老人の姿は——一つではなかった。

 十人——老人を含めれば、十一人。それだけの影が、立ち並び、同じように杖を構えて——赤の少女を、取り囲んでいる。本体らしき一つと違って、残りの十人は、そのどれもが、のっぺりとした黒色の、影のようなシルエットではあるけれど、しかしそれは実体のある影であり。

 

 十一対一の、純粋な戦力比が、少女と老人を拮抗させていた。

 

「泥人形——っつったっけか。はは、なかなか面白い手品じゃん。それ、どうやってんの?」

「企業秘密です」

 

 ぴしゃりと言い放ちながらも、しかし老人は背筋に汗をかく。この泥人形、強力なスキルではあるものの——断じて、コストパフォーマンスに優れた技というわけではない。一体作り出すだけでもそれなりに負担がかかるし、十体の同時展開ともなれば、猛烈な勢いで体力が消費されていく。無論、そんな情報を敵に教えていいことがあるわけもなく、表向きは余裕を繕ってはいるが——しかし。

 

 老人はすでに、限界に近かった。

 

 しかし——それは。

 

「いい加減、限界でしょう」

 

 老人に限った話ではなく。

 

 少女もまた、その無尽蔵に思われた体力を——使い果たそうとしていた。

 

「何言ってんだ、まだまだここからだろ。私は電気グルーヴ女の子だぞ」

「ケンタウロスのコスプレでもするんですか?」

「間違った、元気花丸女の子だぞ」

 

 そして暢気ポジティブ女の子でもある——なんて言って、にいと笑う。

 

「限界だからなんだってんだ? んなもん、超えりゃいいだけだろうが」

 

 言って——少女は拳を振りかぶる。

 

「あんたのその分身——理屈はわかんねぇが、確かに厄介極まるスキルだぜ。分身自体に思考能力はないようだが、その分あんたという指手に忠実すぎるほど忠実だ。一体に取り掛かってる間に、残り十人の完璧な連携にボコられちまう。多対一のセオリーである一体一体倒していくって戦法も、雑魚を無視して頭を狙うって戦法も、あんたの泥人形には通じないらしい。だがしかし——攻略法はある。一体ずつが無理だってんなら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 不敵な笑みを浮かべながら言われた言葉に、けれど老人は表情を崩さない。

 

「出来ますか? あなたにそれが」

「出来るに決まってんだろ、ばーか。ちまちまやるのは、元々性に合ってなかったんだよ。だから——」

 

 言って、少女は拳を高く振りかぶり——

 

「ぶちのめすのは、()()()()()()()()()!」

 

 それを思い切り、()()()()()()()()()()()

 

「な、ぁああああああっ!?」

 

 その瞬間、大地が——崩れる。ドカン、と、まるで大砲の砲弾でも——ミサイルでも着弾したかのような大音と共に、研究所の床がその基礎ごと叩き砕かれ、骨壷は、その十人の分身は、そしてそれを成し遂げた少女は、尽くが——落下していく。

 

「さあ行こうぜモリアーティ。滝壺じゃないのが残念だがな——」

 

 言葉と共に、二人は()()()()()()()()()()()()()。降り注ぐ瓦礫の滝の中、闇の底へと、叫びながら——笑いながら。

 

 ◆   ◆

 

「ロケットがどこにあるのかはわかりませんでしたが、しかし()()()は見つけることが出来ました」

 

 石丸小唄はそう言った。二人は廊下を駆けている。

 

「そこに——爆弾が仕掛けられてたってのか?」

「そこに、ではありませんわ。しかし、管制室から、限定的にですが発射設備のチェックを行うことが出来て——そこに、爆弾が仕掛けられていることがわかったのです」

 

 走りながら語り、彼女はため息をつく。

 

「現状では、ロケットを発射しようとした瞬間、ドカンというところでしょう」

 

 首を振る小唄に、常識は苦々しく表情を歪める。奪われるくらいなら消し飛ばしてしまおう、なんて、本末転倒にも程がある発想だ。

 

「ええ、全く、十全でないにも程がありますわ。しかし、だからこそ、助かりました。あなたという専門家がいなければ、わたくしはすごすごと撤退する以外に余地はなかったでしょうから」

 

 言いながら、彼女は曲がり角を曲がって——

 

「危ないっ!」

 

 常識を突き飛ばした。

 

 草臥れた体では突如の衝撃に逆らえず、常識はそのままごろごろと転がる。そして、己の体が万全でなかったことに感謝をした。

 

 一瞬前まで常識がいた場所を——巨大な鉤爪が通り過ぎた。ナイフのような、ですらもない。大鎌の如き、巨大な鉤爪。直撃していれば、間違いなく体が寸断されていただろうと断言できる獰猛な鉤爪が頭上を通り過ぎて、常識は肝を冷やす。そして同時に——

 

「なんだありゃ……」

 

 戦慄。

 

 曲がり角の向こう——そこにいたのは、()()()だった。

 

 まず間違いなく——尋常な生き物ではない。だって、そうだろう。この世のどこに——()()()()()()()()()なんて存在がいるだろう?

 

 黒々とした毛皮に包まれた、ねじくれた角を戴く山羊の頭。雄々しい鬣が輝く、四つ目の獅子の頭。毛が抜け落ち、絶えず涎を垂らす犬の頭。絡み合うような三つ首に、肉体もまた異形。熊の如き四つ足に、二本、追加で腕がついている。巨大な猿のようなそれは、先端に巨大な鉤爪の付いた五指を備え——それが、つい先ほど常識の首を飛ばしかけたものだろう——背中から長く伸びている。

 

 怪物(キメラ)。そう言うしかない、そうとしか言えない異形極まる生命体。これが、こんなものが、この世に存在するはずがない。存在、して良いはずがない——

 

「あは、おにーさんたち、アウグストゥスに見つかっちゃったんだ☆」

 

 言いながら——背後から。

 露出装の少女——肆屍俑子が現れる。

 

 その後ろには、巨大な狼と——六体。

 黒豹、ハイエナ、羊、山荒、鴉、大蛇——多種多様な猛獣たちが、付き従っている。

 

「アウグストゥスはね、とーっても強いんだよ☆ おまけに、人間を食べるのがだーいすき。ね、アウグストゥス」

 

 少女は問いかければ、答えるように、三つの首がそれぞれがなりたてるようなノイズを吐き散らかす。それはもはや、生命という概念そのものを冒涜しているかのような光景で——

 

「けはは、ビーストテイマーかと思えば、モンスターテイマーとはな」

 

 常識は冷や汗を垂らしながら笑う。

 先ほど、少女を雑魚と呼んだことは、撤回しなければならないだろう。これだけの怪物を従えることができるのならば、その戦力はあるいは、最強にさえ届き得るほどで——

 

「十全ですわ」

 

 と。

 石丸小唄は、弾む声で言った。

 

「え? どういう意味かな☆」

「相手にとって不足なしだ、と。そう言ったんですよ、お嬢ちゃん」

 

 言って——彼女は不敵に、笑って見せる。

 

「お、おい——」

「敵は私が引き付けます。その隙に、あなたは管制室へ」

 

 常識は震える声で言うけれど、小唄はぴしゃりと言い放つ。

 この曲がり角のすぐ奥ですわ——なんて続けて、さらに。

 

「心配ありませんよ。どれだけの異形であろうとも、所詮は獣。わたくしの命を奪うには、まるで足らない相手ですわ」

 

 と、どこまでも余裕たっぷりに、見せつけるように笑う。残酷な笑みで、果てしなく、人間らしく。

 

「……なんかさぁ、おねーさん、生意気じゃない? 今、追い詰められてんのあんたたちの方なんだけど、わかってる?」

「面白い冗談を言いますのねお嬢ちゃん。まさかあなた、この程度でわたくしを追い詰めたつもりだと言うのですか?」

 

 こんな程度、危機のうちにも入りませんわ——なんて。

 常識が絶望した絶体絶命を、鮮やかにも笑って見せる。

 

「さあ、行ってください。実はわたくし、人生で一度くらいは言ってみたかったのですわ——「ここは任せて、先に行け」という名台詞を」

 

 言って、彼女は懐から何かを取り出す。爆弾使いの常識だからこそわかる。それは——閃光発音筒(スタングレネード)だ。

 

「クソッタレ——生き残れよ!」

「もちろんですわ、お友達(ディアフレンド)

 

 炸裂する閃光と爆音。その中、常識は遮二無二駆け抜け——怪物、アウグストゥスの真横を通り過ぎ、管制室へ向かう。

 

 開け放たれていた扉を潜り抜け、即座に扉を閉める。ありがたいことに、なんらかの防備を想定してか、単なるドアではない。猛獣の群れ相手にも少しは持ちそうな、分厚く、頑丈な扉を閉めて、常識は一息付いた。

 

「——やるしかねぇ」

 

 逃がされた。この零崎常識が。ひ弱な雑魚も同然に、庇われ逃がされ、ここへ来た。

 

 ならば——ならば、せめて。

 託された仕事は、完遂しなければいけない。

 常識は決意を固め、管制室の奥。巨大なディスプレイの前の、コンソールへと向かった。そして——

 

「……クソッタレ、笑えねぇぜ」

 

 悪態を吐いた。

 爆弾は——二重に仕掛けられている。

 

 コンソールからロケットを飛ばそうと操作する際に、段階的に爆弾が作動していく。爆弾は、普通に取り外そうとするとそのまま爆発してしまう。解除法は、おそらくない。このタイプの爆弾は、条件を満たさない限り確実に爆発する。そしてその条件とは——ロケットを飛ばそうとすること。つまり、言い換えれば爆弾を作動させること。矛盾しているようだが、つまり、ロケットに仕掛けられている爆弾は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……そして、肝心のロケットの場所は——」

 

 常識はコンソールをチェックする。

 

「やはり、地下か」

 

 地下。この三階建ての研究所の、その地下にこそ、ロケットは格納されている。おそらくは、あの吹き抜け。吹き抜けの真下にロケットがあり、発射時には床と天井が開いて道を作るのだろう。

 

 予測はしていたが、しかしそうなると。

 

「爆弾の解除は絶望的、か」

 

 言って常識は項垂れる。

 

 ここで発射の準備をして、その後に地下に向かっても、おそらくは間に合わず爆発する。そもそも、管制室の外には怪物たちが待ち構えているのだ。どうしようもない。

 

 詰み、か。

 常識は思って、目を瞑りかけ——

 

『——あーあー、おーい、誰かいるのか?』

 

 なんて声が、聞こえてくる。

 

「な、誰だ!?」

 

 咄嗟に、周囲を見回す。けれど、室内には人っこ一人居なくって——声が聞こえてくるのは。

 

『ん、お前か! 随分遅かったじゃん。待ちくたびれたぜ』

 

 マイク。

 コンソール付近にある、通信用のマイクから、その声は聞こえてきていた。

 

 見れば、画面。巨大なディスプレイに、分割して表示される映像の中に、一つ。

 ロケットのコックピットらしきものが表示されていて——そこに。

 

 赤い少女が——座っていた。

 

「お、お前、なんで!?」

『いやー、あの爺さんと戦ってる最中、色々あって床砕いてさ、地下に落ちたら——その先にあったんだよ、ロケットが』

 

 まさか地下に隠されてるとはなー、なんて彼女は呑気に笑う。

 

「……あるとしたら地下しかないとは思っていたが、しかし床を砕いてって、めちゃくちゃだな」

『あ? なんだよ、お手柄だろ? 見つけたあたしをまず褒めろよ』

「そうだな、すごいよ。お前らしくて——爆笑だ」

 

 常識は言って、コンソール前の椅子に座る。

 

「よく聞け。お前が今乗っているロケットには、爆弾が仕掛けられている」

『なるほど、それを積んで打ち上がった先で、黒幕どもを木っ端微塵にしてこいってことだな?』

「お前がそれでいいんならいいが、その場合、木っ端微塵になるのはお前もだ」

『そりゃ困るな』

「そうだろ。だから今から、爆弾の撤去作業をする」

『おう、よろしく頼むぜ』

「馬鹿。お前もやるんだよ。爆弾の本体が仕掛けられてんのはそっちなんだからな」

 

 無論、こっちから指示はするが——と、常識はコンソールを見つめる。

 

「最後に頼りになるのは、お前の技術だ。経験はあるか」

『経験はねぇけど、自信はあるぜ』

「そりゃあ爆笑だ」

 

 イケてるぜ——と。

 言って、常識はコンソールを操作する。

 

 発射の手順を整え——同時に、爆弾の起爆スイッチを押す。そして、マイク越しに、赤い少女へと向けて、指示を出していく。厄介な爆弾だが、しかしこうなってしまえば、常識の敵ではない。こんな爆弾、不愉快にはまるで程遠い。爆笑なくらい、簡単だ。

 

 少女もまた、常識の指示に従って、的確に爆弾を解体していく。いっそ余裕とさえ言えるほど、その作業はスムーズで——

 

「……っ」

 

 背後から。

 扉を叩く音が、聞こえてきた。

 獰猛な、獣の吠え声と共に。

 

 よく持った方だ、と思う。彼女のおかげで、爆弾は解体できる。それまでの時間くらいは、扉が稼いでくれるだろう。

 

 常識はマイクの集音範囲を絞って、その音を少女に伝えまいとする。

 

 代わりのように、会話を。

 爆弾の解除作業を続ける少女に向けて、投げかける。

 

「なあ、お前さ。あの時なんでいきなり、俺を頼ったんだ」

『あ? どういう意味だよ。あの時っていつだ。覚えてねーぞ』

「忘れるには早すぎるだろ。一番最初、出会った時だよ。なんでお前、いきなり俺を、爆弾の専門家だなんだっつって、頼ったんだ」

 

 お前は——

 

「強いだろ。俺なんかより、ずっと。もしかしたら——人類最強なんじゃねぇかってくらい、お前は強い」

『人類最強か。はは、そりゃいいな』

「冗談じゃねぇぞ。それくらい、お前って存在は強いんだ。強すぎるくらい——強いんだ」

 

 常識は言う。背後の音は、激しく、強くなっている。

 

「俺は、自慢じゃないが。これまでは、最強だった。少なくとも仲間内では、ぶっちぎりに、ダントツにな。だからこれまで、なんでも一人でやってきた。一人の方が、都合が良かった。一人の方が、効率的だった。一人の方が、なんでもできた。だから、誰にも頼らなかった。頼るだけ、無駄だと思ってた。頼るだけ、巻き添えを増やすだけだと思ってた。頼るだけ——出来ることが減ると、仲間を庇わなきゃいけなかったり、仲間と馴れ合わなきゃいけなかったり、面倒なことが増えるだけだと、そう思っていた」

 

 なのに——お前は。

 

「俺より強いお前は、躊躇なく、人に頼った。人に頼って、笑っていた。もしかすればお前は、俺なんて足手纏いがいない方が、よっぽど上手くやれたかもしれないのに——それなのに、お前は俺を頼った。なんでだ? なんでお前はそう躊躇なく、他人と関われる。他人と関わって、怯えずいられる。最強ってのは、孤独だろ。自分の力が、()()を傷付ける可能性だってある。なのにお前はなんで、怯えず、怖がらず、笑っていられる?」

 

 答えてくれ——最強。

 常識は問いかけて——

 

『そうだなぁ』

 

 最強は、答える。

 

『最強ってのは孤独、か。確かに、それはそうなのかも知れない。一人の方が効率がいい。そうかもな。一人の方が仲間を巻き込まない。そうかもな。一人の方がなんでも出来る。そうかもな。でもさ——』

 

 彼女は言って、微笑む。

 カメラの向こうで、優しく、淡く。

 

『あたしはお前が、あたしのことを「仲間」と思っててくれて、嬉しかったよ』

 

 だから——そういうことなんじゃないか?

 なんて彼女は言う。

 

『一人でやった方が、上手くできるかもしれなくても——みんなでやった方が、楽しいぜ』

 

 楽しい。

 みんなでやった方が、楽しい——か。

 

『お前はあたしを高く見積もってくれてるけれどさ、あたしはこんな爆弾解体、一人じゃできねーぞ。お前がいなきゃ、まず無理だった。こんなちまちました作業、一人でやってちゃつまんなくって、やり切る前に自分から爆発させてたぜ』

 

 だから——今。

 

『お前がいてくれて、一緒にできて、あたしは最高に、楽しいね』

 

 頼った甲斐があったってもんだ——なんて、彼女は笑う。

 

「そうか。ああ——そうか」

 

 その言葉を、噛み締めるように。

 常識は笑って——「そりゃあこの上なく、大爆笑だ」なんて、つぶやく。

 背後の音は、今や轟音となって——

 

「……今のが、最後の爆弾だ」

 

 常識はつぶやいて、コンソールを操作する。

 最後の爆弾。それは嘘ではないが、真実でもない。ロケットに仕掛けられた爆弾は、全て解除し終えた。だから、彼女が飛び立つのに障害となるものは、もう、ない。

 だから常識は、マイクに向かって呟いた。

 

「コックピットに急いで戻れ。発射させる」

『オーケイ』

 

 短く答えて、彼女はコックピットに戻っていく。

 

 残っているのは——残されているのは。残されて行くのは、この島だ。

 人工島『飛燕』。その存在を秘匿するためだろう。仕掛けられていた自爆機構が、ロケットの発射と同時に作動する仕組みになっている。それを解除する必要は——もう、ない。

 

「操縦法はわかるな? 打ち上げたら、あとはお前が一人でやるんだ。俺はもう、助けてやれんぞ」

『ああ、わかってるよ。大丈夫。ここまでで十分、助かった』

「そりゃあ良かった。……発射まで、あと十秒だ」

 

 彼女がコックピットに戻ったのを確認して、常識は発射の最終手続きを完了させる。

 残り時間は、十秒。それはきっと、常識の命の時間でもある。

 背後の扉は、今や断末魔の悲鳴をあげている。

 

「お前とは短い付き合いだったが、なかなかに爆笑な時間だったぜ」

『なんだよ、湿っぽいな。もう二度と会わねーみてーじゃねーか』

「当たり前だろ。お前、キャラ濃すぎなんだよ。二度会うには、キツすぎる」

 

 肩をすくめて、笑って言う。残り時間は、あと三秒。

 

「だからさ、最後に教えてくれよ」

『あ? 何をだよ』

「名前だよ、名前。結局お前、一回も名乗ってねーだろーが」

『あー、そうだったっけ?』

「そうだよ。だから——聞かせてくれ、お前の名前を」

 

 背後の扉が、ついに。轟音と共に破られる。入り込んできたのは、三つの鳴き声。あの怪物が、常識の背後に、一歩一歩、迫ってくる。

 

 それを——常識は笑って、受け入れた。

 

 画面の向こうで——少女は、咲き誇るように笑う。

 

『あたしの名前は——潤。哀川潤だ!』

 

 この戦争が終わったら——

 

『あたしは、請負人になる。人類最強の——請負人にな!』

「そうか」

 

 ああ——そうか。そいつは豪気で、イケてるぜ。

 

「じゃあな、人類最強の請負人、哀川潤。お前と会えて、俺は結構、嬉しかったぜ」

 

 そして。

 ロケットが打ち上がる。競り上がった地下から、轟音と共に、炎と共に、真紅の爆炎と共に——遥かなる空の向こう側へ、蛇目の傘を打ち砕くため——ロケットは、飛び去っていく。

 

 それを最後まで見つめながら——常識は。

 背後の気配。振りかぶられた巨大な鉤爪が、自分の首を吹き飛ばすのを、ただ静かに受け入れて——

 

 

 

 ——————。

 

 

 

 美しい、旋律が。

 廊下の向こうから——響き渡る。

 

 それは、細らかな弦が鳴らす、麗しの音色。それが、高らかに、軽やかに、美しく、鮮烈に、響き渡り——鉤爪は。

 

 常識の首元の、薄皮一枚を切り裂いて——止まっていた。

 

「——危機的状況と判断して、助太刀に入ったが——いらぬ世話だったかな、常識さん」

 

 なんて、軽やかな。少年のソプラノボイスが響き——常識は振り返る。

 

 動きを止めた、怪物の向こうで。

 

 燕尾服を着た癖毛の少年が——竪琴を、引いている。

 

 その音色は、まるで、飛び立ったロケットを、祝福するかのようで——

 

「いや」

 

 常識は、笑う。

 

「——悪くないさ」

 





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