第終章『零崎常識』
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以上十三名、橙色の暴力により死亡。
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日本国内、某所。日本全国は愚か世界中のどこでだろうと見かけることができる、大手カフェチェーン店の一角にて、その二人は向かい合って座っていた。
片側は、男。決して高いとは言えない、あくまでも平均的な身長。端正な顔立ちに、赤銅に染めた髪を長く伸ばし、一本の三つ編みに束ねている。肉体は引き締まっているものの、細身。革のショートブーツに、デニム生地のオーバーオール。ありふれた白いシャツに、けれど異彩を放つのは、その両手の手袋だった。黒く、大きい。一体何が素材なのかもわからない、二の腕までをも覆う長大なそれが、男のシルエットを歪に歪めている。
もう片側は、女。長身。誰もの目を引く抜群のスタイルに——赤。赤いブーツに、白いパンツ。真紅のジャケット。ベルトまでもが赤く——その髪も、また。赤く、赤い。鮮烈に、強烈に、熱烈に。赤く、赤く、赤い、その彼女。その長さをアピールするように足を組んで、ソファの背もたれに肘を掛け、粗野に、けれどどこか気品を失わず、まるで一枚の絵画のように。座る様さえも、凛と、澄み渡る。
男と女。関係を疑いたくなる組み合わせに見えるが、しかし彼らは決して、恋人同士なんて甘い関係ではない。友人でもなくて。知人でもなくて。赤の他人——ですらもなくて。
言ってしまえば、戦友であり。
また立場で言えばきっと、敵同士でさえもある。
そんな関係だ。
零崎常識と——哀川潤は。
「——二度と会わないんじゃなかったっけ?」
煽るような口調で、彼女は言う。
哀川潤。人類最強の請負人。いつか、遠い過去、零崎常識が出会った、鮮烈なる赤。
「激辛カレー、ってあるだろうがよ」
そんな彼女に向けて、常識は嫌そうに言う。心底嫌そうに眉を寄せて、どこか少し、気恥ずかしそうに。
「あの手の商品ってのは、一度食べると
「ははーん、つまりあれか。病みつきってやつか」
「馬鹿言えよ。どっちかってーと、喉元過ぎればってやつさ」
常識は言って、紙カップのコーヒーを啜る。少し熱くて、舌を火傷した。舌打ちを一つして、常識はバツが悪そうに口を開く。
「まあ、あれだ。まずは——お前からの頼み事、果たせなくて悪かった」
常識は言った。哀川潤から依頼された、西東天についての情報は、完全に空振りだった。
足取りを掴む、どころか——
むしろ。
「ああ、それな。別に、気にしなくたっていいよ。あわよくば、お前が知ってりゃ儲けもんだな、くらいのつもりで聞いたんだし」
「そうか。まあ——そうだな。俺が知ってりゃきっと、もっと
多分——
「平和ボケしてた、んだろうな」
なんて。
常識はどこか、遠くを見つめる。
哀川潤は——何も、言わない。
「ちょっとばかし、聞いてくれるか」
常識は彼女へと問いかける。
「なんだよ」
言ってみろ、とばかりに顎をしゃくられて、常識は厳かに口を開く。
「俺はこれから——戦いに行く」
決意を込めた瞳で、常識は言った。
家族が——殺されていた。
零崎斬識。零崎鎖識。零崎妖識。零崎熱織。零崎逆識。零崎等識。零崎崩織。零崎錆識。零崎爪織。零崎糺識。零崎霆識。零崎立識。零崎能識。
十三人。
十三人もの家族が——殺されていた。
常識は。
零崎——常識は。
一賊の殺人鬼として、『
仇を、討たなくてはならない。
仇を討って。
これ以上の被害を——防がなくてはならない。
だから。
だから常識は、戦いに行く。
「ついて行こうか?」
なんて。
哀川潤はそんな言葉を、口にする。
まるで買い物にでも付き合おうかと言うみたいに。
どこまでも軽く。軽々しく。重みなんてかけらも感じさせず。ともすれば、「ああ、頼む」なんて返事をしてしまいそうなほどで——けれど。
「いいや、いい」
常識はそれを、断った。
「おそらく敵方は、お前を避けている。もし俺がお前と行動を共にしていたなら、敵には永久に辿り着けないだろう」
それに——
「この戦いは俺の、俺たちの——零崎の戦いだ。こればっかりは、お前にゃ譲れねぇさ」
薄く笑って、常識は言う。朗らかな笑みだった。溶け消える寸前のアイスクリームみたいに、淡く。
「だからその代わりに一つ、頼み事をしたい」
「頼み事?」
「ああ」
もっと言えば——依頼だ。
請負人としての、彼女への依頼なのだ、と、常識は言う。
「もし、俺がこの戦いに勝って、帰ってくることができたなら——俺は、お前を殺してやる。命をかけて、魂をかけて、存在をかけて、全身全霊をもって、お前に挑み、お前を全力で殺してやる」
俺が出来る全てを、お前にぶつけてやる。
だから、代わりに。
「俺がこの戦いに負けて、死んだなら。どうしようもなく無様に、どうしようもなく無意味に、どうしようもなく無価値に——死に果てたのなら。俺の代わりに、あの橙色の暴力を——
真っ直ぐに。その果てしなく赤い瞳を見つめて——常識は願う。
「なんだそりゃ、あたしにメリットねーじゃん」
「いいだろ。今の熟し切ったお前相手に、本気でガチンコしてやるっつってんだぜ」
「遊びたいなら素直にそう言えよ」
「遊びじゃねぇよ」
遊びなんかではない、本気で——戦うと。
常識は、そう言っていた。
その瞳を見て、彼女は。
全てを、察する。
「……言っとくけど、お前の代わりに殺人鬼をやってやるつもりはねぇぜ」
「その辺は承知してるさ。やり方は、任せる」
「しゃーねーな。ま、お前からの初めての依頼だ。……いいぜ、今回ばかりは、ロハで——請け負ってやるよ」
請け負う、と。
その言葉を聞いて、常識は安心したように表情を緩めた。
「——ありがとう」
「感謝なんかすんなよ、きもちわりー」
「けはは、感謝しろっつったり感謝すんなっつったり、相変わらず爆笑なやつだぜ、お前は」
爆笑だ爆笑だと、一頻り笑って、常識は。
「そんじゃ、心残りも無くなったことだし、そろそろ行くわ」
言って、立ち上がる。
その右手には、一本の鎚が握られていた。尋常のそれではない。その柄頭には、まるで拳銃に付くそれのような撃鉄が付いている。何かを打ち出す機構のように見えて、けれど違う。先端にあるのは、まるで『炉』のようなそれで——それこそが。
零崎常識が、おそらくは人生最後の戦いにおいて、その手に選んだ武器だった。
「なあ」
去り行こうとする常識へ、彼女は問いかける。
「お前らさ。なんで殺人鬼なんてやってんだ?」
なんで——と。
彼女は問う。
零崎一賊。理由なく人を殺す、殺人鬼集団。
暴力の世界においては蛇蝎のように嫌われ、人ならぬ鬼として、怪物のようにさえ扱われる彼らだけれど——しかし。
哀川潤が知り得る限り。
彼らは皆、鬼である以前に——人間だった。
目の前の彼も、またそう。
零崎常識、殺人鬼。
そのプロフィールからは、とてもじゃないが信じられないくらい、彼はとても、人間らしい。
家族の死を悲しみ。
その無念に怒りを燃やし。
その記憶に——愛を抱き。
人間らしく、心を揺らしている。
そんな彼らが——どうして。
「どうして——人殺しなんてやってるんだ」
別に意味があったわけじゃない。ただ、なんとなく。彼女はそれを、知りたくなった。
問われて——常識は。
「さぁな」
なんて、ぶっきらぼうに答える。
「俺たちがなんで殺人鬼やってるかなんて、知らねぇよ。俺らが一番、教えて欲しいくらいだぜ」
ただ——そう。
思い出すのは、原初の記憶。
初めて人を殺した時の、その気持ち。
「俺たちは多分——人間が怖いんだと思う」
人間が。
人間という、生き物が。
多分、きっと。
常識は、恐ろしいのだ。
「人間って生き物は、恐ろしく強い。個人個人がって話じゃないぜ。総体として、って意味ですら、多分違う。強いていうなら、構造として、強いんだ」
人間は。
人間という、構造は。
恐ろしいほどに、強い。
「人間は強い。同族同士で集まって、社会を作って、それを動かして、『人間』を自覚的にやっている。多くの人間は、生まれてから大人になるまでの間で、『人間』へと矯正されていく。社会というストラクチャが生み出す莫大なエネルギーが、生まれたての『人間未満』に圧力を掛けて、その形を変形させて、変質させて、変身させて——『人間』を作り出す。それらがまた社会の一部に加わって、その歯車となって回り出し、そのエネルギーが次の『人間』を生む」
世の中、右を見ても左を見ても、普通の人間ばかりだ。
それは。
それは決して、偶然ではない。
誰も彼もが、普通であることを強制されている。
人間であることを、矯正されている。
それが自然だと。
それが当然だと。
それが天然だと、思い込まされている。
「それはとても——恐ろしい」
そして。
歯車から外れた、何者かは。
『人間』になれなかった、何者かは。
その存在を、否定される。
人間という総力が、社会という総体が、人類という総身が。
ことごとく敵となって——お前はここにはいてはいけないのだと、圧力をかける。
「俺たちは、歯車に挟まった小石なんだ」
歯車になり損なった不純物。不揃いの醜い小石粒。
社会というストラクチャはそれを破壊しようと全力で圧力をかける。
いっそ、その圧力に対して、砕け散れたなら。
常識はきっと、楽に死ねたのだろう。
一人、孤独に。
何も思わず、死ねたのだろう。
けれど——けれど。
その死はきっと、寂しかった。
「だから、俺は砕けなかった」
砕けないまま、周りを砕いた。
己を圧砕しようとする歯車達を。
砕いて、砕いて、砕いて——その果てに。
同じような、醜く歪な小石たちと、出会って。
常識は。
「俺は独りじゃ、無くなったんだよ」
だからだ。
だから常識は、戦う。
戦うのだ。
愛を知っているから、戦うんじゃない。
戦っていたから、愛を知れたのだ。
きっとそれは、根本からの破綻なのだろうと思う。
どうしようもない倒錯なのだろうと思う。
意味不明な顛倒なのだろうと思う。
世界の全てがさえ、きっとそれを許さなくて——それでも。
それでも、それならば常識は。
そんな常識を許してくれた家族たちを、同じように許してやりたいと、そう思う。
そう思うのだ。
「そうか」
と。
彼女は静かに、頷いた。
「やっぱりあたし、お前らのこと嫌いだな」
「けはは。そうだな。そうだろうとも。それでいい。それで——いいんだ」
彼は言って——その肩に、
「じゃあな、哀川潤。お前のことは嫌いだが、俺はお前に会えて、結構嬉しかったぜ」
「じゃあな、零崎常識。あんたのことは嫌いだが、あたしはあんたに会えて、結構楽しかった」
言い合って——二人はそれっきり、そこで別れた。
かくして、零崎常識は橙色の暴力へと挑む。
それは天地が焼け爛れ、三界が震撼し、山河が滂沱の涙を流す、凄絶なる極限の戦いとなり——その果てに、零崎常識は壮絶な自爆の末、その命を散らすこととなる。
予言の通り、常識は死んだ。
どうしようもなく惨たらしく、どうしようもなく絶望的に、どうしようもなく無価値に無意味に、誰に看取られることもなく、ただ一人、零崎常識は死に絶えて——けれど彼は、決して独りでは死ななかった。
側におらずとも、遠く離れていても、死が彼らを分つともさえ、家族の絆は永遠であり——ゆえに。
零崎常識は、笑って死んだ。
熱く、烈しく、焼けるように、燃え盛るように、短くも輝かしく時を生きた、一人の殺人鬼。誰よりも家族思いであって、されど謎多くヴェールに覆われた彼は、けれどごくありきたりに、ごく当たり前に、ごくありふれて——他の同胞たちと同じように。
家族の愛に包まれて、人間らしく、笑って死んだ。
零崎常識の人間ストライク。
この物語は、だからここで幕となる。
その後。
零崎常識が、哀川潤に託した依頼が果たされるのは——それから約、一ヶ月後のことである。
SCORE——GUTTER
——GAME OVER
これにて幕となります。
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