鬱蒼と生い茂る草花に林立する木々の間を走り抜ける。背後からは木を薙ぎ倒して迫る音が聴こえる。
その背中には《妖魔》の僕である戌の影に集中的に攻撃を受けて血だらけの少女を護りながら駆ける。
「はぁっ!はぁっ!……くそぉ!!」
一瞬だけ顔を後ろに向ければ薙ぎ倒した木を踏みつけて迫る異形──戌の姿の《妖魔》が涎を撒き散らしながら獲物を追っていた。彼は自身の底から沸き上がる恐怖と悲鳴を圧し殺して歯を食い縛り、只管に走り続けた。
「ごめ……なさ……わたし……置いて……逃げ……て……」
「うっせぇ!!お前を置いて逃げられっかよ!!これでも男だからな!!諦められるかよ!!」
少年は己が弱い事を知っている。強くなろうと努力して努力して、《妖滅師》として正式に活動を始めて四年が経過し低級の《妖魔》を苦もなく討伐し、倒せるようになっていた。ほんの少しだが、自身の成長を実感していたのだ。活動を始めてからずっと一緒にチームを組んでいる同年代の女の子と共に低級の《妖魔》を束ねている主を倒したこともあり、自信があったのだ。今回だって《妖魔》を討伐して帰れると思っていた。
だが、そんな彼らの前に現れたのは中級に属し、示す危険度は竹。
彼らが相手を出来るのは精々、低級の松までだ。
「簡易術符の式神で救援は呼べるかッ!?」
「やった……けど……届いてる、かは……ゲホッ!……分かん……ない……」
何時までも逃げ続けられるかは分からない。よって採れる手段は他の《妖滅師》への救援を要請するだけだった。
「なら、それまで逃げられれば──あっ!?」
走り続けていた少年は右足に痛みを感じて転んでしまう。そのせいで背中に背負っていた少女を放り出してしまう。転んだ反動で放物線を描いて地面に叩き付けられた少女を助けようと起き上がるが、少年は自身の右足の違和感に目をやった。
視界に映る少年の右足が赤く変色し黒ずんでいたのである。痛みの発生源である足首を見ればそこにいたのは未だ噛み付いている白い鱗の蛇だった。
十歳になる前に散々聞かされていた"《妖魔》の持つ《魔力》は我々《妖滅師》にとって毒である。"という事を脳裏に過る。"弱い毒であれば身体の軽い麻痺の症状を引き起こし、強い毒であれば、侵された身体の部分が赤黒く変色して朽ちて崩壊していく。その場合は的確な処置をしなければ命の保障は出来ない"のだと。
「──ぐっ!くっっっっっそがァ!!」
少年は自身の末路を悟り、小刀でその蛇を斬って倒すと無理矢理身体を動かして倒れ伏す少女の元へと向かう。既に少女の周りには戌の影が集まっており、衣服を破り牙を突き立て若く瑞々しい少女を《魔力》で犯しながら貪ろうとしている直前だった。
「うあぁぁぁぁあああっ!!!」
自身を奮い起たせる為に声を出し、気力を振り絞る。納めていた刀を抜いて戌の影に斬り掛かり、数体を倒して散らせると護る様に武器を構えた。
それから少年は必死に闘って闘って。どれだけの時間をそうしていたのかを分からない程に我武者羅に刀を振り回していた。
その甲斐もあって、少年は群がる戌の影を倒しきっていた。
その少年の前には涎を垂らす眼の潰れた異臭を撒き散らす戌の《妖魔》が立っていた。
『──グルルルッ!』
涎が落ちる度に高濃度の《魔力》によって煙を上げて溶けていく地面に少年は刀を杖にして立っているだけで精一杯の満身創痍だった。既に少年の身体中に蛇の毒が回り、赤黒く変色していない部分は存在していなかった。辛うじて首から上だけが元の色のままだ。
「……ごめん。ヒーローに成りたかったんだ。英雄に憧れてたんだ………付き合わせてごめんな……」
背後で横たわる少女に向けて最期の言葉を伝えて玉砕覚悟で突撃しようとした直前──火の粉が舞う。
「──遅れてごめんね。だけど、あたしが必ず助けるから!」
少年の目の前に緑色の髪を頭の後ろで結い上げて靡かせ、焔を燻らせる身の丈よりも大きな薙刀を持った同級生の少女が立っていた。
器用に手の中で薙刀を回して構え、眼前の不倶戴天の敵、《妖魔》へその鋒を向けた。
『グルァァァァァァァアアッ!!』
威圧を籠めた咆哮が空気を揺るがす。地面を揺らし、圧が風圧となって襲い掛かる。
「戌っころが人間様に楯突くなんて甘いよ!行くよ、《鬼灯》!!」
その少女──鴨居白癒は臆すること無く《妖魔》へと駆け出す。手に持つ愛用の武器である薙刀、銘を《鬼灯》と名付けたそれを下段から振り上げて《妖魔》の頭を打ち上げる。強靭な《妖魔》の顎は砕け血が飛び散った。
その飛び出た血が火の粉によって燃え、鋒に付着した《妖魔》の血で薙刀の火力は更に強めていく。
振り上げた薙刀を一歩前へ足を踏み出し《妖魔》の真下へ潜り込むと身体を回転させ、《妖魔》の胴体を有り余る膂力で以て両断する。その切口から流れ出る血を糧に発生した焔が内臓を燃やして瞬く間に灰にしていく。
たった二撃。それも数秒の出来事だ。それだけで鴨居白癒の強さが判ると言うものだ。彼女は燃えゆく《妖魔》の死体を背にすると、ニッと笑みを浮かべた。
「怪我人はあたしが助けるよ!」
少年はその光景に何かを感じる前に意識が遠のくのを感じていた。
──蝋燭の火は最後の一瞬が一番激しく燃え上がるらしい。
救援を求める簡易術符で召喚される式神を頼りに助けに入って《妖魔》を討伐し、怪我人の女の子と重症患者の男の子を回収して治療を行った。
女の子の方は片眼が潰れて喰い破られた事による太腿の損失だけだったから完璧に治せたのは良かった。少しだけリハビリが必要ではあるけど確実に復帰する事は可能な範疇だ。再生させた眼は視界が戻るまでは不便だから介助してあげる必要はあるけどね。喰い破られた所の処置も片手間で治せる範囲だったから即座に治癒させている。身体中の傷痕も綺麗に出来たし将来にも困らないだろう。
ただ、問題は男の子の容態だった。正直に言うと、"手遅れ"だった。悔しい、また助けられなかった。
今、その男の子を小部屋に収容してあたしが調合した痛覚を鈍らせて呼吸を楽にさせる
安らかに胸を上下させる男の子は首から下が赤黒く変色していて、少しずつ朽ちて崩壊している。静かな空間の中で点滴の落ちる音が聴こえる位の静寂が嫌いだ。
椅子に座ってずっと眺めているのか呆けているのか分からない状態になりながらも、ただ男の子の腕を取って脈拍を測ったり、顔を綺麗にしたりを無意味に繰り返す。
そうして時計が日付の変わり目を差した頃に男の子は目を覚ました。
ゆっくりと瞼を開けて大きな吐息を一つした。
「気が付いた?」
椅子から立ち上がりベッドに腰掛けて男の子の額に手を当てる。風邪をひいた相手の熱を測る様に、まるで看病をしている様に自然に。
「いま、なんじだ……?」
「日付が変わった所だよ。気分はどう?」
声が震えてないと良いな。普段通りに明るく振る舞わないと未練残させちゃう。
「……あいつは?」
「……ん、無事だよ。護りきったの、あんたはさ。凄いね、カッコいい」
安心させる為に頭を優しく撫でて微笑む。胸が苦しい。痛くて傷くてたまらない。
「……そっか。護れたんだな……俺さ」
「うん。なぁに?」
「あいつの事、好きだったんだ。お前たちと比べると確かに可愛くは無いけど、でも俺にとっては誰よりも可愛く思えたんだ」
「あんた、自分で女の子相手に酷いこと言ってる自覚ある?本人に絶対に聞かせらんないよ」
「分かってる。けど、じじつだろ。名家なおまえや、たちばなとかはさ……みんな美少女ってやつだしさ」
呼吸を一つ挟む。朽ちていく。一つ一つゆっくりと。
最期の時間を引き伸ばす様に霊力を身体中に巡らせているのが解る。
「ありがとね。そう言ってもらえて嬉しいよ、
「おれの名前……知ってたんだな。普段呼ばないから知らないと思ってた」
覚えてるに決まってる。一人一人全員の名前は記憶してる。失いたくないから。忘れる事はしたくない。出来ないから。
「普段はお調子者で、いっつも俺は英雄になる!ヒーローになるんだ!って叫んでたら、知らない人でーす。ってなるって」
「男の子ってのは……さ。憧れちゃうん、だよ……かっこいい、だろ。そう言うの……」
脈拍が弱くなっていく。もうすぐ命の灯が消えていく。それを強く理解して喉が詰まる。
「なにそれ……かっこよくない……それで死んじゃったら、駄目じゃん」
嗚呼、駄目だ。出さない様にって抑え込んでいたのに、目の前の悟った様な顔に我慢が出来なかった。あたしと同い年の男の子が受け入れていることに我慢出来なかったのだ。
「なんで……なんであんたは、そう受け入れてんの……?あたしは……あたし、はっ!」
「──鴨居。俺たちって、
妙にはっきりした言葉だった。さっきまで弱々しく上手く口が動かなかったのに、今はとても明瞭に言葉を発していた。
「俺たちは、何れだけの能力があっても、何れだけの才能があっても、どうしようも出来ない時はある。死ぬ時は簡単に死ぬし、助かる時は助かる。とてもシンプルで良いじゃねぇーか」
「お前がさ、わざわざ前線に出てまで他の傷付いた人たちを助けて回っているのはスゲェって思ってる。助けられた奴らも皆感謝してる。勿論、俺もそう思ってる」
やめて。やめてよ。あたしは誰も助けられてない。死なせてばかりの無力な存在なのに。
なのに……
なのに──
「──なんでそんな風に笑ってるのさぁ……!」
「嬉しいからだよ。俺は此処までだけど、短い十四年の人生だったけど、最期に俺の為に泣いてくれる女の子が居てくれるんだぜ?」
そんな価値は無いのに。ただの自己満足でしか無いのに、皆が感謝していると言う。そんなのあたしは認められなかった。
「────だからさ、鴨居。あいつもそうだけど、ついでにお前も、俺の分まで長生きしてくれよ。幸せになって俺に報告に来てくれ」
「分かった……グズッ……絶対に長生きする。そしてあんたに……大智に報告するから。だから……だからさ」
その顔はとても穏やかだった。開けていた瞼が閉じていて、生きているのか死んでいるのか解らない位にとても安らかだった。視界が歪む。
「…………
「……そっか……よかっ、た……つかれたから……ねる……じゃ、あ……な」
全身の力が抜けて身体中を巡っていた霊力が抜け落ちる様に消えた。最期まで動いていた脈拍も完全に沈黙した。 そして身体が朽ちた樹木の様に崩れ落ちて遺されたのは、何かの赤黒い灰の様なモノだけだった。
「──ぐ、うぅぅぅぅぅっ!」
嗚咽が漏れない様に歯を喰い縛る。あたしはこうして力足りずに死に逝く人を看取る事が多い。慣れることはない。慣れたら駄目だ。当たり前だと思ってしまったら、あたしは立ち上がれない。
ごめんなさい。ごめんなさい。助けられなくて、ごめんなさい。
もっとあたしに力があれば、きっと助けられた命だ。死なせてばかりのあたしよりも価値のある人を助けられなくて、ごめんなさい。
topics:《妖魔》
人間を喰らう事を目的としている不倶戴天の敵だね。
彼らには雌雄の概念は存在しないんだ。《妖魔》が分泌する体液は自らの《魔力》を獲物を自身に馴染ませやすくするためのソースみたいな物だ。
基本的に悪意の塊なので、いたぶる事を目的として喰らう個体が多いね。
《妖魔》は人間の多くの悪意や下卑た欲望によって生まれ、力を強めてきた。なので実質的に滅ぼす事は不可能な存在だ。滅ぼす=人類の消滅となっているから仕方ないよね。
そんな《妖魔》が最も力を強める為に効率的なのが強い霊力を持った存在を喰らうことなんだ。その中でも女性が霊力の総量が多いのもあって狙われる事が多いんだよ。
女性にとってただ喰われることが〝まだ〟良い方であり、凌辱され穢された末に喰われるのが〝最悪〟な終わり方であると女性妖滅師全員の共通認識となっているんだ。
生きて無事でいたいなら、死に物狂いで頑張るしかないのが現状さ。