「ウソやん・・・・・・ッ!?」
やえは愕然としていた。
言わずもがな、この目の前の光景にであった。
飛び、廻り、蹴り、堂に入った構えを取る少年。
その背中を見る度に、やえは今まで見えていなかったものが見えてきていた。
「(なんちゅう大っきい背中してるん.....!?)」
背中、広背筋が服の上から、尋常ではないほど発達しているのが判った。
体躯は小さいながらも、その背中を前に一文字、浮かび上がる。
山
身にまとう学ランがふわりと、腰を抜かしたやえの前に落ち、シャツ一枚の状態となる。
歴戦───本物の筋肉、無数の疵痕、五体に備わる"技"。
何者なのか、そんなことは後回し。
今はこの状況を、目の前の少年に託すしかなかったのだ。
「さっ、やろうぜ。好きもん同士」
「───解せぬ.....我と相打つなど」
立ち上がる青鬼の見た目に外傷は見当たらない。
それはルールとして、青鬼を倒す方法は豆を当てることである事を意味していた。
尚も、少年は立ち向かわざるを得なかった。
どんなに打っても、蹴っても、倒せない敵....?
ホントにそうか、確かめてみたくて堪らなかったのだ。
ブンッッ
「ッ....っはは...」
放られた金棒を、しゃがみ込んで避ける刃牙。
しかしその一瞬の隙を見逃さず、青鬼の冷気の漂った左手が顔面を覆った。
「危ないっ!!───へ、あ...?」
***
高校生17歳、蓬莱やえはその時の光景を後にこう語っている。
「ウチね.....知っとると思うけど、三段跳びが大好きだった」
「勉強そっちのけで、三段跳びの練習ばっかやってた時期もあったくらい....でも」
「大会目前で、脚がビョーキかかってもうて....もう、陸上出来る脚じゃなくなっちゃったんだ」
「普通に陸上するメンバーを見るのが、ど~~しても耐えられんくて、そのまま辞めちゃった.....」
「悔しかった...もう跳べないことも、嫉妬してる自分も」
「......そんな時に、こんな変な所に来てもうたんよ」
「で、見てしもうたんや.....ウチと同じ歳くらいの、同じ身長くらいの男の子が、"跳んでた"頃のウチ以上に"飛んだんや"!」
「そんでもって、青い鬼の横っ面をこう.....蹴ったんよ。円を描くみたいに思っきり!」
「飛んでったよ。窓を突き破って.....10mくらい飛んだんじゃないかな?」
「もう、大方勝負有りか!と思ったんやけど....まだ追っかけようとしてたんだ、バキくんは」
「なんだか怖くて、止めたらさ.....ビックリやわ。え?何がって?」
「.....ウチも嬉しくなっちゃったんだ」
「バキくん、ほんまに楽しそうに笑ってたんやもん」
蓬莱やえの表情はまるで子供を見るような、暖かい顔であったにも関わらず、その瞳はどこか、羨望の人を見るかのような、初く純粋な色をしていた───。
***
「も、もうッ....ほっとこ、ね?豆も、無いしッ...!」
青鬼は落下して尚、暫くこちらを睨みつけていたが、すぐに別の獲物を見つけて走り去ってしまった。
ふる、ふる、と震えながら、窓の下を見つめている刃牙。
あぁ、きっと刃牙くんも怖かったんだ、そうに違いない、そう思い少しだけ安心しかけていたが、その時。
「やえさん....ッッ」
「へ?あ、はいっ?」
「...見たかよ、アイツ.....強ぇッ、強ぇよ、アイツ」
「え、えぇ....?」
「あの子供...神って言ってたよね...ッ」
「あぁ....そう言ってたけど....」
拳を強く、強く握り締め、脂汗もいっぱいに、尚も清々しいほどの笑顔で彼はこう言った。
「神は、神はどんだけ強ぇのかな....ッッ!?」
蓬莱やえはその時ハッと気がついた。
ウチはもしかすると、ごっついおかしな人と関わってしまったのではないかという、ちょっとした不安だ───。
「......強いとか、よぅ分からんけど....うん」
「とにかく、助けてくれてありがとうね!かっこよかったで!」
「!.....いえ」
何故か気まずそうに苦笑い、手を頭の後ろに当てる少年の姿を見て、ホントにおかしな人や、と小さくクスりと笑うやえだった。
「うわ.....なに、これ....」
渡り廊下の地べたに這い蹲る人の亡骸を前に、顰め面を浮かべるやえ。
異様な死に方をしていた。
眉間や、顬、首から胸元などの重要機関に"風穴"を空けられていた。
外傷こそ少ないものの、目を開けたまま呆然と生命を枯らす人間の姿はおぞましいものだった。
口を抑え、喉奥から込み上げる物を必死にこらえて、やえはその道を通り過ぎようとした。
しかし少年は、倒れ伏す人々を壁際に寄せる。
「バキ....くん」
「....行こう」
「....うん」
その気遣いに、その優しさに、強く感心したのも束の間。
少年が触れようとした死体がビクッと跳ね上がった。
「わたしゃ死んでないヨッ!!」
「「うわッ」」
「この位置で狸寝入りしてれば、襲われる可能性は約15パーセントだったから....ね!」
女の子らしさの欠けた黒メガネを整え、埃をほろう。
金髪を一つに束ね、オーバーオールと出っ歯の前歯が特徴的。
小・中学生くらいの背丈のその少女に二人は安否を問いた。
「あー...大丈夫?」
「見ての通り今のところはね。アタシは『西野・スーザン・花』数字と共に生きる女ヨ!スージーとお呼び!」
「数字と共に...?」
「国際数学オリンピックアジア7位の称号を冠するアタシに解けない問題はないヨ!」
「「おぉ~.....」」
パチパチとまばらな拍手を送り、二人は稀有な少女と合流を果たす。
こんな死体の山に身を隠すなど正気の沙汰ではないが、数学的知能でそれを意に介さない強心臓は称賛物。
そんな彼女と二人は同行を共にし、自己紹介の後に再度この死体の有様についての議論が始まった。
「スージーさん、ここで何が起こったんです?」
「...突然、この道を通ってたみんなが前から順にひとりでに死んでいったヨ」
「ただ共通してるのは、死体のどこかに必ず、この小さな穴があるってことだネ」
解けないパズル、鬼の4匹のうちの一匹に特殊な攻撃を繰り出す者がいるということだろうか。
何か肝心な事に気がついていないような気がしていた。
そんな感覚がもどかしく、落ち着かなかった。
ピッ
「?.....うぇっ!?」
やえの首元で、何かを摘む少年。
目を凝らしてそこを見ると、そこにはいた。
『ちいさ~~い』鬼だ。
凶悪な顎に、血走った眼球は残虐な性格を物語る。
妖精のような羽は見せかけに過ぎず、獲物を捕える為の重要な移動手段。
それを容易く、まるで花に止まる蝶でも摘むかのように少年は捕らえた。
小さい鬼は声を出さずとも、混乱しているように見えた。
「やっぱり、小さい鬼だ」
「び...っくりした.....なにこれ?これも鬼?ちっこい鬼やね....てっきり4匹やと思ってたのに」
「なるほどね。ホントは合計で5匹いたってこと...ていうか、アンタはどうやって捕まえたのサ?」
「あ...ホントやわ。また助けられちゃった....あはは」
スージーは怪訝そうな面持ちで問いかける。
数学的に考えて、合理的に考えて、飛んでいる蜂の羽を捕まえるなど、並の動体視力では不可能に近いこと。
脳内で飛行経路を予測出来たとしても、肝心の体が動かねば本末転倒。
スージーにとって『公式を用いず、暗算で解いた』も同然だった。
「虫取りが昔から得意で....はは」
「むしとり?」
「そう.....ね」
「ふぅ~ん...にわかに信じ難いヨ」
張り付けたような苦笑を浮かべる少年を、やえは見つめていた。
後でまたお礼言わんとな、そしてもう助けられてばっかいられんな、自分の身は自分で守らな、と強く決心していた。
「───で、どうします?これ...」
「豆...は、もうないし...」
「マメってこれのことかい?」
スージーが懐から取り出したソレは確かにあの球体だった。
二人はホッと胸を撫で下ろしたが、球体の文字に何処か違和感があった。
豆───パカッと開いたその中には、確かにあった。
間違ってはいない、嘘も付いていないが、誰の目から見てもそれは使い物にはなりはしない代物であった。
「「「"一口ハム"じゃん.....」」」
***
その小さい鬼は、セイン・カミの手にあるコントローラーによって操られていた。
パワーからスピード、視界まで、全てその手によって操作することが出来るが、どれだけスティックを動かしてもビクともしなかった。
一つ、鼻から息を吐き、不気味な笑みを一人浮かべた。
「ナイスガイですね....」