1
少し時間が早いからか、いつもは人でごった返しているモノレールも空いていた。
立っていないと寝てしまいそうだという理由でつり革に掴まり、古城がふあぁ、と間抜けに欠伸を漏らす。
「どうした、姫柊。浮かない顔して」
目尻に涙を溜めつつ、古城が問う。
確かに目の前に座った姫柊の表情は何処か浮なく、視線は古城の靴の先から動かない。
「……姫柊? おーい、姫柊ー?」
言いながら、目の前で手を振ってやると姫柊がハッとしたように顔を上げた。
「す、すみません先輩。どうかしましたか?」
「どうかしたか、ってのはこっちのセリフなんだけど……どうしたんだよ、姫柊? 浮かない顔して」
「いえ……今朝は凪沙ちゃん、何だか元気がなかったな、と思いまして……」
「凪沙が……そうか?」
頭をフード越しにかきながら、朝の凪沙の様子を思い出す。いつもと何ら変わらない様子だったが、姫柊には何かか見えたのか……? と、軽く首を捻ると、
「そ、そんなに深く考えないでください! ただの思い違いかもしれませんし……」
姫柊が、わたわたと手を振りながら言った。
「だよな。凪沙に元気がない、なんて、この島に雪が降るくらい珍しいことだからな」
「……先輩、それは流石に失礼だと思います」
じとーっとした視線を向けられ、古城が思わず息を詰まらせる。確かに今のは少しデリカシーが足りなかったのかもしれない。
「これだから先輩は、女性の方とのトラブルが絶えないんですよ……」
ボソッと何か呟く姫柊に、古城が首を捻る。
「なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです……先輩のバカ」
姫柊の文句は古城に届くことなく、モノレールのドアが開く音にかき消された。
†
姫柊と別れ、古城は補習の行われる教室の前に立っていた。
欠伸を噛み殺し、扉に手をかけ──
「おはよーっす、那月ちゃ──」
ん、と言いかけた辺りで言葉を止め、その場に屈み込む。さっきまで古城の額があった場所を、
「あ、危ねえ……死ぬところだったぜ……」
「別に貴様は死なないのだから何も心配することはないだろう、暁 古城?」
殺意の込められた、舌ったらずな声が頭の上から投げかけられる。
声の正体はフリルまみれの豪華なドレスを着た、小柄な女性。人形を思わせる美しい顔立ちをしていて、いつもの日傘はたたまれた状態で左手に握られている。名前は
「そりゃないぜ那月ちゃん……俺がいくら不死身だとは言え、痛覚はあるんだぜ?」
「教師をちゃん付で呼ぶなと何度も言ってるだろうが」
言いながら、左手の傘を古城の脳天に振りかざす。激痛が走り、古城の目の前に星が飛んだ。
「ってェ……体罰反対だぜ……」
「何を言ってる。これは体罰などではない、調教だ」
「調教!?」
「
「俺はペットと同じ扱いかよッ!!」
息を荒げながら、忌々しげに那月を見つめる。そんな古城を見ながら那月はため息をつき、そうだ、と前置きをして
「喜べ、暁古城。今日の補習は無しだ」
と言放つ。予想もしなかった言葉に思わず顔をしかめ、古城が問うた。
「……なんだ、何かあったのかよ?」
「もう一つの仕事の方で、な。ここ連日、魔族が数名行方をくらましていてな。おまえも気をつけるようにな、第四真祖?」
第四真祖、と強調するように那月が言う。
那月は英語教師だが、もうひとつ肩書きが存在する。
魔族特区の教育機関には生活保護のため、一定の割合で
「はいはい、わかりましたよ……でも魔族が行方不明とか、大丈夫なのかよ、それ?」
「なに、すぐに解決するさ。おまえが大人しくしててくれれば、の話だがな?」
那月の言葉に思わず唸る古城。
古城は事あるごとに面倒ごとに首を突っ込んではいるが、別に好きで突っ込んでいるわけではない。
とは言え、そんな事を言っても言い訳に過ぎない。
渋々、「へいへい……わかりましたよ……」と言いつつ頷くのだった。
2
那月が去った後の教室でうたた寝をしていると、だんだん生徒が集まり始めた。
机に突っ伏しながら時計を見上げると、午前九時前──
欠伸を噛み締めつつ、窓の外に目をやる。
「凪沙の元気がなかった、ねえ……」
うたた寝している間も、引っかかっていた。あのいつも元気な凪沙が、元気がなかった……と。
よっぽどのことがあったのだろうか。シスコン、なんて言われる古城でなくても心配になることだろう。
「凪沙ちゃんがどうしたって?」
突然、背後から声をかけられる。聞き慣れた声なので確認することもなく、声の主はわかっていた。
「何か今朝、少し元気がなかった気がしたんだよ。何か知らないか、浅葱?」
言いながら、声の主の方に視線を向ける。
手を振りながら近づいてきたのは、
黙っていればそれなりに美人なのだが、常に顔に貼り付いたニヤニヤ笑のせいで、全てが台無しになってしまっている。
「へえ、凪沙ちゃんが? 珍しい。私は別に何も聞いてないけど……あたしがそれとなく聞いておいてあげよっか?」
「いや、いいよ。思い違いかもしれないし、何より
自分の家の問題に、他人を巻き込むわけにはいかない。そういう意味を込めて言ったのだが、浅葱は何故か不機嫌そうな顔をして、
「あっそ」
と、そっぽを向いてしまった。
「お困りかな、古城君?」
浅葱とは別の、憎たらしい笑みを浮かべた男が、ヌッと机の前から現れる。
「……いつから居たんだよ、矢瀬」
「凪沙ちゃんの話をしてる辺りから」
「最初からかよ?!」
「で、凪沙ちゃんが元気なかったんだっけか?」
「そうそう。何か知ってるのか、矢瀬?」
わずかな期待を込めて矢瀬に言うが、矢瀬は笑みを崩して、
「いや、知らん」
と言った。
古城は思わずずっこけ、咳き込む。
「し、知らねえのかよ!!」
「まあただ……」
「……ただ?」
「女の子が悩むことなんて……な、浅葱?」
言いながら、矢瀬が浅葱に視線を向ける。先程まで不機嫌だったはずの浅葱は、いつもの笑顔を取り戻していた。
「女の子が悩むことなんて、ね?」
「何だよ二人してもったいぶりやがって……」
「おいおい古城、ホントにわからないのかよ?」
同情の目を向けて来る矢瀬に、思わずムッとする。二人がわかって自分にわからないこと……考えれば考えるほどわからず、睡眠の足りていない頭はパンクしそうだ。
そんな古城を見かねたのか、浅葱が苦笑しながら答えを漏らす。
「恋よ、恋」
「…………え、は? 恋? 凪沙が?!」
「うわ、あからさまに動揺してるし……キモッ」
浅葱の軽蔑の視線を受けつつ、古城が頭を抱える。
「そうそう、凪沙ちゃんだって年頃の女の子なんだし、恋のひとつくらいはするぜ、古城?」
言いながら、矢瀬が自分の席へと戻って行く。
「凪沙が恋……んなわけないだろ……まさか、そんな。相手は……」
頭を抱えつつひとりで唸る。
凪沙が恋をしているかもしれない、という事で頭がいっぱいになり、睡魔も吹き飛んでしまった。HR開始のチャイムが鳴り響き那月の代理の教師が入ってきてからも、古城の思考は止まらない──
「嘘だろ……おい、嘘だろ……?!」
ため息をつきつつ、机に額をくっつけ項垂れる古城を、浅葱と矢瀬が満面の笑みで見ていた。
3
考え事をしているうちに眠ってしまったのか、あっと言う間に放課後を迎えてしまった。
机の中の教科書をバックに詰めている古城を見つめながら、姫柊が呟く。
「恋、ですか……」
顎に手を当てて考え込む姫柊の肩を、思わず古城が強く掴む。
「な、何か心当たりがあるのか、姫柊?!」
「落ち着いてください先輩……! 前にも言ったじゃないですか、凪沙ちゃんは異性からの人気もすごいって」
思わず古城が机の上で頭を抱え、「マジか……そうだなあ……」と呟くと、姫柊が困ったように溜息をつく。
「……そんなに気になるなら、気は進みませんが……凪沙ちゃんの後をつけてみますか? 恋じゃなかったとしても、何かわかるかもしれませんし」
†
道ゆく人が、姫柊と古城を怪しいものを見る目で見て通り過ぎて行く。
「……なあ、姫柊? これ、明らかに怪しすぎないか?」
場所は古城と姫柊が始めて話した、ショッピングモールだ。二人は道に植えられた大きめの木の影に隠れ、前方を歩いている凪沙を監視している。
「大丈夫です。これならバレたりしませんから」
「その自信はいったい何処の油田から湧いて来るんだ……?」
溜息をつきながら、横目で姫柊を見つめる。姫柊の表情は真剣そのもので、古城が思わず頬を緩める。
「……何笑ってるんですか、先輩?」
「いやほら、姫柊も凪沙の心配してくれてるんだなあ、って」
「あ、当たり前じゃないですか! 私は先輩の監視役であると共に、凪沙ちゃんの……友達、なんですから」
姫柊が、古城を見つめにっこりと笑う。それは監視役としての姫柊雪菜ではなく、
その笑顔に見とれていたことに気がつき、思わず古城が姫柊から目を逸らす。
「どうかしましたか、先輩?」
「いや、なんでもねえよ……ほら、姫柊。凪沙、店入ってったぞ」
二人で頷くと、木の影から出て後を追う。
凪沙が入って行った店は、食料品を取り扱った大きめの店。今日は凪沙が夕飯の買い物をしてくると言っていたし、別に特別な意味はないだろう。
半透明の自動ドアの目の前まで駆け寄って、思わず二人の足が止まった。
「なーにしてるの、二人とも」
買い物カゴを片手に、凪沙が唇をむーっ、と引き結んで立っていた。
「え、ええとコレは……」
「その、だな……」
あたふたと言い訳を絞り出す二人を見て、凪沙がため息をつく。
「まったくもう。尾行ごっこするなら、もっと上手くやってよね? それと雪菜ちゃん、今日一日凪沙に何か言いたそうにしてたけど……どうかした?」
突然話をふられた姫柊が、うっ、と息を詰まらせる。
俯き、目を左右上下に泳がせながら姫柊が言葉を探すが、凪沙が姫柊の顔を覗き込み畳み掛ける。
「友達の間で隠し事なんて、よくないよ?」
そう言われて観念したのか、姫柊がゆっくり、ゆっくりと言葉を
「凪沙ちゃん……朝から、何か……元気がなかったから。どうしたのかなあ、と思って……」
姫柊の応えを聞いて、凪沙はキョトン、として首を傾げた。
「そう? 別に、いつも通りだったけど……で、この際聞くけど、古城君は凪沙に隠し事、してないよね?」
隠し事──やけにその言葉が、古城の心に突き刺さった。
古城が数ヶ月前、第四真祖になったという事実を凪沙は知らない。凪沙はとある事件に巻き込まれて以来、魔族恐怖症なのだ。
にも関わらず、古城が魔族になったと知ったら────どうなるか、想像すらしたくない。
「……ああ、してないよ」
思わず凪沙から目を逸らす。吐き出された言葉は弱々しく、凪沙の耳に届く前に地面に落ちてしまいそうだった。
「……そっか。隠し事なんてしたら、古城君夕飯抜きだからね?」
「わーったよ。ほら、夕飯の買い物するんだろ? 行こうぜ」
これ以上この話をしていれば心がどうかなってしまいそうで。
古城は凪沙と姫柊の手を引き、店の中へと進んで行った。