………まぁいいや!
1
ふと訪れた息苦しさに、古城は固く閉ざしていた瞼を開く。
窓の外はまだ日が昇りはじめた頃なのか、淡いオレンジ色の光がカーテンの隙間から漏れていた。
視線をカーテンからゆるゆると目の前に動かすと、誰かが古城に馬乗りになるように座り込んでいた。まだ本調子じゃないのか、視界はボヤけていて、それが誰なのかはわからない。
ボヤけていた視界がはっきりすると同時に、頭も回るようになってくる。
「………凪沙?」
古城の上に座っていたのは、部屋着を身にまとった凪沙だった。いつも一つに結わえられている髪は降ろされていて、いつもとは違う大人の雰囲気が醸し出されている。
──が、様子が何処かおかしい。
いつも笑顔が浮かべられている顔には、冷たくなるほどの真顔が浮かべられていて、半開きになった口から漏れる息も、古城のことを氷漬けにするかのような、冷たい息が静かに吐き出されている。
「おい、どうしたんだよ凪──」
その呼びかけは、最後まで紡がれることはなかった。古城の上に馬乗りになった凪沙が、華奢な両手を使い、古城の首を閉めはじめたのだ。
古城の体中から嫌な汗がドッと流れ出す。肺からせり上がった空気は首で凪沙の小さな手の平に制止され、代わりに声にならない声が古城の口から吐き出される。
両腕で何とか凪沙の手をほどこうと力を入れるが全く動かない。凪沙に首を閉められているという恐怖と絶望感のせいか、腕に思うように力が入らない。
腕が痺れ、力が抜けて行く。
頭がボーッとして、恐怖感もだんだんと薄れて行った。
「────」
何か、凪沙の恨みを買うことをしたのかもしれない。
考えても考えても思い浮かばないあたり、姫柊に言われた通り、馬鹿で鈍感なのかもしれない。
でも凪沙……俺を恨んでいるはずなのにおまえは──
──何でおまえは、そんなに涙を流してるんだ?
凪沙の涙が布団に落ち、小さなシミを作る。
そして、凪沙の手に力がこもり、古城の首の骨が────……………
†
「先輩、先輩?!」
姫柊の悲鳴のような呼びかけで目を覚ます。
古城は勢い良く上半身を起こすと、首に手を当てた。
「折れてない……夢、だったのか……?」
「あの、嫌な夢でも見ていたんですか……? すごく、うなされていましたが」
姫柊が心配そうに、古城の顔を覗き込む。
手の平を額に当てると、生暖かい汗がべっとりと付着した。
「ああ……ちょっとな。心配かけてスマン、もう大丈夫だから」
いいながら、重い頭を振る。
凪沙に隠し事なんてしてるから、こんな夢を見るんだ。それくらいのことを凪沙に黙っているんだし、仕方ない……と、自分に言い聞かせる。
「悪い、姫柊。着替えるから凪沙と先に、朝飯食っておいてくれ」
「……はい、わかりました」
姫柊はしばらく心配そうな表情を浮かべていたが、頷くと部屋を出て行く。
ため息をつきながら、窓の外を眺める。
目の前に広がるのは青空。日は昇りきっていて、太陽は力強い光を放っている。
「………夢、だよな」
にしてはやけにリアルで、夢と割り切れない自分がいる。
再び頭を振ると、夢のことを端っこに追いやる。考えても仕方ない。今は、今日の学校の事だけを考えていよう。
古城が部屋着を脱ぎ捨て、窓に背を向ける。それを見計らっていたかのように──
──窓の外で、黒い何かが、ベランダから飛び降りた。
2
時間は昼休み。
アレから授業中に何度かうたた寝することはあったが、あのような夢を見ることはなく、古城の中ではやっぱりあの夢はたまたま見たものだ、と片付けられていた。
「へえ、人に殺される夢ね……」
目の前の席に座り込んだ浅葱が、購買で買い込んだパンを咀嚼しつつ言う。
たまたま見たものだ、と解決したとはいえ、気になるものは気になる。浅葱なら何か知ってるんじゃないかと思って相談したわけだ。
「そうなんだけど……浅葱、何か知らないか?」
古城が問いかけると、浅葱は顎に指を添えてスマートフォンの電源を入れる。
「確か誰かに殺される夢って、良い夢なんじゃなかったっけ……ほら」
言いながら、スマートフォンを手渡してくる。
画面に目をやると、『殺される夢は願いが叶う知らせ!』といった見出しの記事が開かれていた。
「えー……誰かに殺される夢は古い自分が死に、新しい自分へと生まれ変わる吉夢。願いが叶い、夢へと一歩近づくでしょう……か。へえ」
「そうそう、良かったじゃない。願いが叶うんだし」
ニヤニヤといつも通りの笑みを浮かべながら、新しく開封した焼きそばパンを頬張る浅葱。
浅葱にスマートフォンを返し、席を立つ。
「なに、何処か行くの?」
「ちょっと飲み物、自販機に買いに行ってくる」
「行ってらっしゃい。願いが叶ったら言いなさいよ。お祝いに、何か奢らせてあげるから」
「結局俺が奢るのかよ………」
肩越しに浅葱を見つめ、大きなため息をついて教室を出た。
†
「あっつ……死ぬ。死ぬ……」
容赦無く照りつける日差しを睨みつつ、重い足をひきづるように歩く。登下校時は人で溢れかえっている中等部と高等部を繋ぐ道だが、昼時は食堂や教室に集中するため人通りはない。
校舎内の自販機は軒並み準備中。何かの嫌がらせを受けてるのかと叫びたくなったが、堪えて外の自販機に向かっているわけだが──
「
とは言っても自販機まで残り少しだし、ここで帰るのも気が引ける。複雑な心境と戦いつつ、休憩がてらベンチに座り込み、空を仰ぐ。
「少しは涼しくなれっつの……」
太平洋のど真中に位置する絃神島。気温は一年を通して夏並みに暑く、吸血鬼の古城にはなかなかつらい。
今日も今日とて目が痛くなるほどの青空が広がっていて、思わず大きなため息をついた。
「………なんだ、あれ」
突然、青空に一つの黒い点が足された。
その点はだんだんと広がって行き──いや、その点は、古城に向かって落下してきている。
「なっ………!?」
咄嗟にベンチから転がり落ち回避。すると古城が座っていたベンチは、落下してきた黒い球体に押しつぶされた。
「っぶねえ……何だよこれ……」
落下してきた黒い球体を睨みつける。
それは見方によっては水銀のようで、触れるものすべてを飲み込むような闇のようだった。
──刹那、闇が蠢く。
球体から触手のようなものが四方に伸び、古城を襲う──!!
「
古城が右手を掲げ吠える。右腕から濃密な魔力が流れ出し、それは
が、強力すぎるが故に、操作が難しい。少し気を抜くと、辺り一面を更地にしてしまうことなんて造作もない。
細心の注意を払いつつ、四本の触手を雷で叩き落す。迫り来る触手は弾け飛び、べちゃりと地面へ落下した。
「いけ、〝
相手に休む暇を与えない。
古城が吠えると同時に、応えるように稲妻の獅子が吠える。
辺りに濃密な魔力と稲妻が走り、黒い球体本体に巨大な雷が落ちる。
『ギィィィアァァァァ!!』
球体は耳を塞ぎたくなるような、甲高い悲鳴を上げ弾け飛び、地面に大きな水溜りを作った。
「な、なんだったんだよ今の……」
荒い息を整えながら、水溜りを睨みつける。暫らく睨みつけたが何の動きもなく、安堵の溜息を吐いた。
眷獣の召喚を解き、額の汗を拭う。
「……そうだ、姫柊に報告しねえと」
古城にとっては未知であった今の現象も、姫柊なら何か知ってるかもしれない。
そう思って、中等部へ向かおうとしたのと同時だった。
黒い球体が弾けてできた水溜りに、音も立てずに赤い四角形の物体が浮かび上がった。遠目に見るとその四角形の物体の表面には魔法陣が刻まれていて、
そしてそれは高速で回転し、周りの水溜りが巻きついて行く──
「
眷獣を召喚しようとした時にはもう遅い。
水溜りから一本の触手が飛び出し、古城の腕に絡みつく。
「ッ……?!」
瞬間、古城の脳内に流れ込む無数の死のイメージと、負の感情。
恨み、嫉み、怨嗟、憎悪、自棄、破壊衝動──古城の意識を奥に、奥に追いやるように止めどなく流れ込み、頭を黒く塗りつぶして行く──
──その中に、凪沙の声を聞いた気がした。
古城の意識が、薄れて行く………。
3
高等部の方角から巨大な魔力を感知し、姫柊が思わず目を見開く。
「うん? どうしたの、雪菜ちゃん?」
「う、ううん。ごめん凪沙ちゃん、パン売り切れちゃうと大変だし、先に行ってるね!」
凪沙の答えを待たずに走り出す姫柊。その背後を見て、凪沙が首を傾げながら呟いた。
「……どうしたんだろ、雪菜ちゃん。変なの」
†
心の中に、負の感情が溢れかえる。
誰が気に入らない、誰かが殺された、誰かを殺したい、何かを壊したい、嫌だ、嫌いだ、嫌いだ嫌いだキライダ……そんな感情が休みなく流れ込み、吐き気が襲う。
腕が痒くなり、かきむしろうとするが腕が思うように動かない。
「──
瞬間、真っ暗だった古城の視界に一筋の光が走った。
光はどんどん広がって行き、視界が戻る。同時に体の自由も戻り、思わず地面に倒れこんだ。
「先輩……?!」
「す、すまん姫柊……助かった」
姫柊が駆け寄り、古城を抱き起こす。心配そうに古城の顔を覗き込みながら、姫柊が問う。
「強力な魔力の波動を感じて来てみれば……どうしたんですか、これ」
「俺もよくわからねえんだよ……急にあれが落ちて来たと思ったら攻撃して来て、気を失って……ひたすら汚ない感情を流し込まれたと思ったらこのザマだ」
言いながら、黒い球体を睨みつける。球体は姫柊からの攻撃を受けてから、こちらの様子を伺うようにジッとしていた。
古城と同じように球体を睨みつけながら、姫柊が銀色の槍を握り直す。
姫柊の手に握られているのは、〝
『ほう──〝
辺りに姫柊のでも、古城のものでもない声が響いた。それを聞いて、古城と姫柊は目を見開く。
『何、そう驚くことでもないだろう? つい先程、第四真祖の魔力を半分ほど頂戴したんだから、な』
声は、目の前の球体から聞こえているようだった。非日常な現象の連続に、古城は思わず苦笑する。
『このままの姿だと話しにくいか……仕方ない。少し姿を変えよう』
球体はそう言うと、形をどんどん変えて行く。四肢が生え、顔ができ、肌の色が黒から白く、人間に近くに変化していく。姿の変化が終わった瞬間、古城は目を見開いた。
「アヴ──ローラ……?!」
背中まで伸びる綺麗な髪を風になびかせる、彩海学園中等部の制服を着た少女。その姿は、古城の記憶にあるアヴローラ・フロスティーナそのものだった。
だが、よく見れば違う。金髪だった髪は太陽の光を反射して銀色に光っており、青かったはずのつぶらな瞳も真紅の怪しい光を放っている。
『フフ、貴様の魔力の一部からアヴローラ・フロスティーナの記憶を抜き出し、姿を借りた。どうだ、そっくりだろう?』
「おまえ……俺の魔力を抜き出したり、あんなに汚ない感情をひたすら流し込んだり……一体何者なんだよ!!」
アヴローラの姿をしたソレから目を逸らしながら唸る。
古城を見てソレは満足そうな笑みを浮かべると、歌うように語り出した。
『人は綺麗な感情ばかりを持っているわけではない。感情には裏と表がある物だろ? 会いには遭いがあるように、愛には哀があるように──誰しも暗い……負の感情を持つ物だ』
負の感情。古城の体に流し込まれた、無数の汚ない感情。
身を持って体験した古城は固唾を飲み、続きを待つ。
『だがそれは決して良い物ではなく、嬉しい物ではない。愛や嬉や楽などは無限に受け入れる器を持っているくせに、負の感情を許容する器は無限ではないのだ』
真っ赤な瞳が、まっすぐと姫柊に向けられる。貴様もそうだろ? と言わんばかりに。
『私の正体は人が抱えきれなくなって溢れかえった負の感情の塊。まあ、〝負の塊〟──とでも名乗っておこうか』
〝負の塊〟──そう名乗った少女の形をした何かは、愉快そうに口元を歪めた。その笑顔をみた二人の背筋に、冷たいものが走る。
綺麗に整った顔を歪め、姫柊が問うた。
「……貴女の目的は、何ですか?」
『目的……そうさね。吸血鬼や魔族から魔力をいただいて、ある程度の行動はできるようになったし──この島を壊して、溜まりきった負の感情を発散すること、ってところかな?』
答えを聞いて、思わず古城が拳を握りしめた。
それを無視して、負の塊は続ける。
『良いじゃないか。貴様らが抱えきれなかった感情を、こうして発散するんだから。むしろありがたいと思って欲しいものだね』
「ふざけんな!!」
古城が、相手の言葉を制止するように叫んだ。
「何が感謝して欲しいくらいだ。何が発散だ……俺に流れてきた汚ない感情。それはどれもこれも自分で解決しなきゃならねーものばかりだった! テメェのそれは、余計なお世話でしかねえ──ッ!!」
「人間はそこまで、弱くねえんだよ!! 負の感情の発散? なら俺がここでおまえを倒せば良いだけだ! そんなもの、島を壊して良い理由にはならねえ──ッ!! ここから先は、俺の
拳を構え負の塊を睨む古城の隣に姫柊が並び、槍を構え直す。
「いいえ、先輩──