「ゆえに、この一連の技術は、われらが先祖であるーーへの嫌悪とーーを込めた名である『魔術』と、そう呼ばれるようにーー」
ぽかぽかと暖かな木漏れ日に照らされての授業は眠い。
音楽ホールのような広い教室には、各席で舟を漕ぐ学生たちがちらほらと見受けられる。真面目に授業を聞いている学生ですら、少し気だるげそうだ。
「ーー。しかしこの大陸に国家が成立し、文明がーーする中で、この『魔術』はもっと普遍的なものとなっていきーー」
教壇にはこの講義の講師を務める細身の中年男性が立ち、軽い猫背で覇気のない声を出し、講義を進行していた。ハゲあがった頭には緊張ゆえか汗がにじんでおり、眠っている学生たちに注意をすることもしていない。
とにかくぱっとしない講師であるといえるだろう。しかしこの講義は必修科目。生徒たちが学園を卒業するためには必要不可欠だ。
さて。そんな講義の最前列で爆睡をかましている女子生徒がいた。あろうことが持参した枕の上でうつぶせになっており、これまた持参したであろう毛布にくるまっている。もはやまともに講義を受けるつもりがないのは明らかであった。
「リィンさん。お、起きてください。さすがに目に余りますよ」
講師は精一杯の声を上げてその少女を叱りつける。顔を伏せているため教壇からはそのふわりとした桜色の髪しか見えない。
彼女は顔を上げる代わりに、髪と一体化したように生えた、桃色の鳥の羽のような部位をひょいっと返事をするように動かすことで応えた。
周りの学生たちは「またか」といった呆れた様子でそれを見守っている。
「「「カーーン !カーン !カン !」」」
そうしているうちに講義終了を知らせる鐘が鳴り響いた。退屈から解放された生徒たちは、背伸びやあくび、雑談をしながら散り散りになって教室から退席していく。
もちろんくだんの少女、リィンもそんな学生たちと同じく、少し遅れて教室から退出しようと席を立ったが、先ほどまでずっと聞いていた、いや、聞こえていた声が彼女の背後からかけられた。
「ま、待ってください」
「講義についてのお話があります。あ、後で職員室を訪ねるように……」
それだけを伝えると、講師もすぐに退出していった。
その背を見送りながら、少女は少し口角を上げてから真顔に戻り、もう誰もいなくなった教室を出ていった。
~~~
ガラガラと音を立てながら、先ほどの中年講師が後ろ手で扉を閉める。ムダに広い職員室は日当たりが悪いようで薄暗く、その静けさもあいまってどこか不気味さを感じさせた。
目線の先には健康的な脚を見せつけるようにして組んでいるリィンが、講師のものであるはずの椅子に腰掛けて本を読んでいる。講師を見つけると本を閉じ、ニンマリと意地の悪そうな笑みを浮かべながら目線を向けた。
「せんせい遅すぎ〜。もしかしてワタシの時間を奪うプロぉ??授業がめっちゃ眠いのも、もしかしてワザとだったりする?」
くひひと嗤う声がやたらと静かな職員室にこだまする。
「いつもいつも私のことを馬鹿にするのは辞めてください……。あなたの単位を認定する権限は、こ、こちらにあるんですよ」
「へぇ……」
リィンは目を細めただけで、小馬鹿にしたような態度を改めようとはしない。
「ほ〜んとにワタシにそんなこと言っていいの……?せんせい学園に赴任してから日が浅いし、立場もヨワヨワだよね」
「………!!」
「まぁワタシはせんせぇがとことん『真面目に』お仕事やってますよ〜、っていうことを上――軍府にちょ〜〜っと脚色して報告すればいいだけなんだけどぉ」
「それでいい、ってことだよね♡」
「それは……!」
講師は歯噛みする。この学園の名は《天華軍府立学園》といった。巨大国家たるこの天華連邦の軍事を取り仕切る軍府の創立した比較的新しい学園であり、それゆえ学園自体が軍府と強いつながりがあるのも当然といえよう。
つまりリィンは軍府との何かしらのコネがあり、その力でいつでもお前をどうとでもできると言外に言っているようなものだ。このやりとりは数回前の講義からずっと続けられていた。
「しかし……!」
「まぁまぁ。いつもどおり見逃してよ〜。おあいにくさま寂しい寂しいせんせいと違って忙しくてさぁ、いっつも寝不足なんだよね〜」
よっこいしょ、と椅子から降り、リィンは教師の返答も聞かずに扉の方に向かってゆっくり歩いていく。やけに静かな職員室にわざとらしい足音が十数回分響き、扉に振り返らずにひらひらと手を振りながら、扉に手をかけた。
ガチャッ、ガチャッ。――――開かない。
「ちょっとせんせい――なんのイタズラ――」
瞬間、すさまじい打撃音が部屋を揺らす。残像を伴う移動とともに高速のナニカがリィンに打ち付けられたのである。爆弾が破裂したかのような衝撃が走り、部屋が大きく揺れる。その凶行をなした者は先ほどの講師だった。
防がれた……!!並みの術師なら防御ごと潰れるはず……!
打ち付けられた二本の得物がミシミシと鳴る。金属でできたこん棒のような武器はまるでゴムでできたかのように弾性を保ったまま曲がっており、そこにかけられている馬鹿げた力を感じさせる。
教師――オーヂは瞬時に飛び退き距離を取り、手にした武器である二本の武器を構え直した。その佇まいからは、先に見られた弱々しさは微塵も感じさせない、百戦錬磨の戦士の気迫を放っている。
目を向ける先では、五体満足な少女がこちらを見つめている。
「ほんとうに驚いた。全く反応できなかったよ」
「思ったより簡単に釣られてくれたと思ってたんだけど、ワタシせんせいのこと諜報員かと勘違いしてた。――せんせいの役目は、刺客だったんだね」
「推定、戦略級魔術師。《魔弾の射手》とお見受けする。情報はすでに本国へ通達済み」
「――お命、頂戴する」
~~~
残像を生み出すほどの速度で部屋中を跳び回り、垂直の壁を駆け、天井を走り、さまざまな角度から殴打を浴びせていく。心臓、後頭部、右前腕、頚椎、左脚。一見乱雑に見えるソレらはいずれも本来致死の一撃。卓越した身体強化魔術と戦技に裏打ちされた殴打は、人体を容易く損壊させることができるし、今まで実際にそうしてきた。
死角が見つからん……。その上で硬すぎる。
尽くの攻撃が見えない壁に阻まれたように止まり、何度殴打を加えてもその壁は揺らぐことなくそこにあり続けている。
不可視の防御壁をつくる魔術はすでに知っている。かつて天華連邦において上澄みの術師と、戦場にて矛を交えた際に見た高等魔術だ。しかしここまでの強度はなかった。
魔術は術者の意識で編まれるもの。それゆえ慣れや癖から防御の一部、特に正面以外の部分に脆い場所ができることは多い。そこをついての攻撃が有効であることは、これまでの経験から導かれている。というのにどこにも揺らぎが感じられない。
「やけに静かだと思ったら、これ簡易的な結界かあ。部屋の角に配置した道具で一時的に張ってる感じ?物理的にも出られなさそう。くひひ、コワ〜イ」
彼女は初めの攻撃の後、部屋の中央まで移動してから一歩も動いていない。依然として無傷のままだ。戦闘中にもかかわらず余裕そうな笑みを浮かべているが、心なしか戦いの前よりもひどく恐ろしいもののように見える。そして、
一瞬前までいた空間に突如として爆風が発生し、付近の机をバラバラに吹き飛ばした。吹き飛ばされた机には鋭利な刃物で引き裂いたような大きな亀裂が残されている。
情報のない魔術。風を操っている?正体が分からない以上食らうわけにもいかん……。
「魔弾とやらは使わないのかね……?」
「なんのことかなぁ?」
少女の眉がピクリと動くが見える。――ブラフか?それともなにか使えない理由があるのか?あるとしたら――。
学園に被害がでるから使えない……。そんなところか。
『魔弾』、いまだ詳細のつかめない未知の魔術。2年前の西方戦線崩壊のきっかけになったこと。遠方から物理的な衝撃をもって大規模な破壊をもたらす、感知不能の魔術であったこと。その2点のみが広く知られており、その術者は
報告にあった『魔弾』を警戒して隙を作らないよう高速機動を続けていたが、体力的にこのままでは持ちそうもない。打開策が見つからない以上、一度引くべきだ。そのためには隙を作らねば。
オーヂは息を切らしながらちらりと後ろの壁を確認し、破壊可能であると判断する。
結界の発動者は問題なく外と中の出入りが可能だ。学園外に面した壁を破壊し、逃げるのがベストに見える……、が。
魔弾を使用しない理由が学園への被害の有無と言うならば下策。学園側の壁を破り、学生のいる場所を通りながら逃走する……!
『撥条』『瞬極』『硬極』『剛極』。複数の身体強化を重ね合わせ、武器の安全装置も解除する。
「ゆくぞ」
瞬間。足元の床が踏み込みにより砕ける。急加速した身体は1本の矢のように鋭く少女に肉薄し、
「――――!?!?」
リィンはこの戦いにおいて初めての驚愕を表情に浮かべ、攻撃と同時に脇をすりぬけてゆく敵に追撃を放とうとしたが、いつの間にか無造作に放り捨てられた1本の鐧が紅く光り、爆発とともに煙幕を起こした。
視界がふさがれる。魔術師にとって相手を見失うということは、相手が攻撃の射程圏外になるということを意味する。
「フゥゥ……!!」
残ったもう一本の武器を構え、壁に向かって走る。これで壁を破壊して逃走、周辺地域に待機している仲間と合流し、国外への脱出。そのルートはすでに確保されているはずだ。
そのとき、オーヂは無造作に呼吸を行った。何の変哲もない呼吸だ。
武器を振るう手に力を込めるために。それは特に重要ではないが――
「ぅ……?」
――事実として、オーヂはそのまま昏倒した。何が起こったのか考えることもできず一瞬で意識を刈り取られ、その勢いのまま「ドカンッ」と大きな衝突音を立てて壁にぶつかり、動かなくなった。
その一連の様子を眺めていた元凶、少女リィンはホッとしたように顔をふにゃふにゃとゆがめた。
「あぁ〜焦ったぁ〜〜」
「念のために罠張っておいて良かったよーほんと」
その顔からは戦闘前に見せた人を小馬鹿にしたような笑みも、戦闘中に見せた余裕の表情も伺えない。
「あ〜まずは結界かな」
彼女は周囲に視線を向け、指をくるくる回した。すると部屋のそれぞれの角に8つ、見えにくいように仕掛けられていた装置が1つ1つ抉れたように吹き飛び、この部屋を断絶していた結界が解除される。
次に床に倒れているオーヂに視線を向けると、その体はふわりとひとりでに浮き上がり、彼女のあとに続いた。
「さて、と」
彼女は両手で顔をパンパンと叩くと、『イメージ通り』の軽薄そうな笑みを作り直した。
~~~
扉をガラガラと開けると、側にこの学園の女子学生の一人が待機しており、リィンに向かって敬礼を行った。先ほど講義を受けていた中で見かけた顔だ。
「工作員の対処、ご苦労さまです」
「別に苦労ってほどじゃないし……。一応、たぶん殺してない。気絶させてるから、けっこうキツめに拘束しといた方がいいよコイツ。思ってるより強かった」
「ハッ!拘束ののち尋問し、詳しい素性を吐かせます」
「あとさぁ……」
リィンは一瞬職務を疑うことにためらいを感じたが、それを無視した。そして矢継ぎ早に質問を投げかける。
「なんでワタシみたいなやつがこんな任務やってるの?ワタシの魔術は殺さずに捕縛とか、そんなに向いてないし。諜報活動のやり方もよく知らないんだけど。なに?この采配したヤツの頭はザコなの??」
「それに、今回は相手が簡単に誘いに乗ってくれたからよかったケド、正直ワタシ自身でも雑な仕事してるな~って思ってたよ」
「それは……」
学生、いや、軍府に所属する学園の諜報員は言葉に詰まり、怪訝そうな顔をした目の前の年若い少女から顔を逸らした。その態度は理由を知っているが、それを言いたくないもしくは言えないと、そういった印象をリィンに抱かせた。彼女は目を細め、顔を近づけて不平を伝えるが、諜報員は顔をより大げさに逸らすだけだった。
「はぁ、まぁいいよ」
「どうせ上から口止めでもされてるんでしょ〜?権限とかロクにないザコ諜報員だもんねっ!本部の上司と現場の上司の板挟みなんて、苦労しててカワイソ〜〜♡」
急にテンションを上げ、このままでは得るものがないだろうと会話をぶった切ったリィンは、話は終わりだと言わんばかりに気絶しているオーヂをそのまま押し付けた。諜報員は慌ててキャッチし、「失礼します!」と去っていく。
それを「お仕事がんばってね〜♡」と応援しながら見送った後、誰もいなくなった廊下で真顔になり一人呟く。
「あの教師の授業の単位、どうなるのかな」
その問いに答えるものは、もちろんだれもいなかった。