「…………」
「…………あの、エリーデル。冒険者登録を……」
「本日の業務は終了いたしました」
「え!?」
「冗談です。何を信じているのですか。いつも見ているのだから、営業時間も覚えているでしょう」
「……エリーデルの、いじわる」
「わたしは、朝から、ずっと。……待っていたのですが?」
「うっ。ご、ごめんなさい」
やっと食堂の手伝いを終えて受付へ向かえば、そこで待っていたのは受付嬢からの非常に冷たい視線であった。
冒険者登録できるようになった晴れの日だというのに、さっそく心が折れそうである。
────五年前。
今よりもっと子供で、何も知らず……故郷と家族を奪われた憎しみだけで冒険者ギルドの扉を叩いたユアンに、手を差し伸べてくれた少女。
今のユアンにとって、唯一家族と言える存在だった。
最近は子ども扱いされたくなくて反発することも多いが、自身が最も心を許している存在はどうしたって彼女である。
流石に幼い頃と違ってもう同じ部屋、同じベッドで寝ることは無いが、エリーデルは今でもユアンの事をよく気にかけてくれている。
今朝とて身だしなみの整わないユアンの世話を焼いてくれたばかりだ。
子ども扱いされたくない気持ちがある反面、どうしてもそれを嬉しく思ってしまう自分もいた。
(けど、それじゃ駄目なのになぁ……。あー! もうっ! なんだって俺はこう要領が悪いんだよ!)
待たせるつもりは無かった。というより営業前からギルドに居たのだから、待たせる方が難しい。
だが現在は正午を回り、更に数時間後。……昼間よりも夕刻に近い時刻となっていた。
今まで世話になった手前、最後の手伝いのつもりで厨房に入った。
そのあと客が入り始め、どうも今日は少し忙しそうだぞ? と思ったらそのまま給仕を行っており……気づいたらこの時間である。
エリーデルが呆れるのも無理はない。
内心頭を抱えていると、今一番聞きたくない者の声が頭上からふってきた。
「貴様は何処までも愚かだな。エリーデルさんをお待たせするなど、何様のつもりかね? 彼女に比べれば貴様など、生きている事すら烏滸がましい矮小な存在であると自覚したまえ。このような愚行を犯すくらいならば、汚泥の沼に沈んで溺死でもすれば良いのだ」
「それが弟子の大事な日の前日夜遅くまで無理難題を押し付けてきた師匠が言う台詞ですか?」
「無理難題? あの程度が?」
ハンッとユアンを見下し嘲ったのは、一応五年間お世話になった魔法の師匠である。
ちなみに一応感謝こそしているが、尊敬は欠片もしていない。
この男……"フォルシス"は、五年前たった一人でアルニラムを襲った魔族を退けた高位の魔法使いだ。
命を救われたし、何も持たない自分に魔法の才能を見出し、弟子にしてくれた。
……そんな表面だけ見ればエリーデルやもう一人の師であるギルドマスター・マリウスに並ぶ大変尊敬に値する人物なのだが、ユアンにとってはただのクソ師匠である。
今朝とて昨晩ふっかけられた課題がなければ、エリーデルに子ども扱いされることも無かったはずだ。
これまでの総仕上げだと言われれば断るに断れず、きっちりこなしたわけだが……奴の性格を考えるに、純粋に嫌がらせだろうとユアンは確信している。
色々気に食わない所は多いが、この男……出会いがしらにエリーデルの手にキスしたことから始まり、五年間ずっと彼女に求愛をし続けているのだ。
ユアンにとっては、それが最も気に入らない。
自分を弟子にしたことだって、エリーデルにいい所を見せて、会いに来る接点を作るためだけの下心だったのでは? と疑っている。
何故なら「才能がある」なんて言っておきながら、偶然手にした精霊魔法という力はまた別として……実際の所、ユアンに魔法の才など欠片も無かったからだ。
それでも時々しか顔を見せないくせにやたらと厳しい課題を投げかけてくる師に屈したくなくて、やけくそ気味に修行をこなして
師匠には散々コケにされているが、何もできなかった頃に比べたら各段に強くなれただろう。
だから感謝はしている。しているのだ。
……ただ、目の上のタンコブとしての存在感の方が圧倒的に大きい。
食堂の手伝いでコツコツと小金を貯めていたユアンを尻目にエリーデルへ高価な贈り物を持ってきては財力を示したり、自分より遥かに大人で強くて学もある。
更には依頼こそ受けている所を見たことは無いが、登録時よりハイクラスの冒険者として認められていた。
そんなフォルシスの存在は、ユアンの心に確実に焦りを生んだ。
最初こそ三十代半ばほどのフォルシスが十歳のエリーデルに傾倒する姿は周囲に「幼女趣味」と揶揄されたが、成長したエリーデルと変態だが美丈夫なフォルシスが並ぶ姿は今では絵になる。
それに比べて、自分は未だにちんちくりんだ。
幸いなのは、エリーデルがフォルシスをそういう対象として見ていない事だろうか。
その件に関してのみ、ユアンはフォルシスの変態性に感謝している。
(まあ、あれを恋愛対象に見るのは無理だよな……。今のところは)
例えば、だ。
いつぞや雨が降って道がぬかるんだ時、エリーデルの前にうつぶせで滑り込んで「わたくしを踏んでお渡りください」などと満面の笑みで述べたのである。
それを当然のように踏んで渡っていた所を見るに、エリーデルにとっては都合の良い下僕がせいぜいだろう。
出会った当初はどこかズレているが優しいお姉さんという印象だったエリーデルが、実はかなりいい性格をしているとユアンはこの五年で知っている。
しかし、人間とはいつ心変わりするのか分からないものだ。
食堂で働いていると面白がった冒険者たちが、ユアンに色んな話を聞かせてくれる。その中には色恋の話も多い。
そのためユアンはいくら変態師匠が奇行に走ろうとも、「顔が良い。
エリーデルもそうだとは限らないが、冒険者の荒くれたちが「結局顔と金かよクソがッ!!」と失恋に滂沱の涙を流した姿……ユアンはそれを忘れない。
早く強くなりたい。
早く大きくなりたい。
それらの望みは、最初こそ復讐の為だった。
しかし今はそれにもうひとつ、理由が追加されている。
ユアンはきゅっと胸元の衣服を握りしめ……深呼吸してから、改めてエリーデルに向き合った。
「……では、冒険者登録を行います。準備はよろしいですか?」
「! うん……いや、はい!」
「承りました。只今より冒険者ユアンの冒険者登録及び、冒険者証の発行を行います」
いよいよだ。
踏み出せていなかった一歩が、ようやく進む。
今日を始まりに歩んでいけば、焦りも自信で塗りつぶせる。
そしてきっと、いつかこの想いも……。
「あ……。ですが、その前に」
しかし決意を新たにしたユアンを前に、出鼻をくじくようにエリーデルから待ったがかかる。気合が入っていただけに、少々ガクッとした。
もとより来るのが遅れて出鼻をくじきまくったのは自分の方なので、文句など出てこようもないが。
「はい、どうぞ」
そして実にさらっとしたいつもの調子で、エリーデルはカウンターから身を乗り出してユアンの首に"それ"をかけた。
至近距離にある朝焼けの空に似た色合いの瞳。
揺れた前髪から、ふわりと花のような香りがユアンの鼻をくすぐった。
「えっ」
「君にしては機能だけでなくセンス良く装備をそろえたようですが、胸元が寂しいですからね」
ユアンの胸元に光るのは、エリーデルの瞳の色によく似た結晶が輝く首飾り。
形状からして、おそらく
「エリーデル、これって……」
「冒険者になるお祝いも兼ねていますが……。今日は、君の誕生日でしょう? 今朝は君のだらしない恰好が気になって、渡し損ねてしまいました」
「!! もらっていいの?」
「そうでなければ渡しませんが?」
ツンっとすました顔でユアンを見るエリーデルであったが……それがふいに、柔らかい笑顔へと崩れた。
「ユアン、誕生日おめでとう。未来の勇者様に、ささやかな贈り物です」
それを見た途端、ユアンの中で何かが決壊した。
("いつか""きっと"? ……馬鹿か!!)
冒険者になってから。
強くなってから。
大人になってから。
エリーデルに頼られるようになってから。
色んな「から」を積み上げて、先送りにしていた想いがある。
だけど駄目だ。こんなに素敵な人が、それまで独り身でいるわけがない。
これから冒険に出て様々なクエストをこなし、アルニラムに居ることは少なくなる。
もしその間に誰かが……考えたくも無いが、今真横から贈り物をもらったユアンを射殺さんばかりに睨みつけている師匠みたいな男が彼女の心を射止めないとも限らない。
これは絶対、今言わなければいけないことだ。
「エリーデル!!」
今度はユアンの方からカウンターに身を乗り出し、エリーデルの両手を自身の手で包み込む。
小さな手だ。子供の手だ。だけど大きくなった。これからだって成長する。
だから。
…………だから!
「俺が魔王を倒して勇者になったら、俺のお嫁さんになって!!」
一拍。
しばしの静寂の後、ギルド内に喧騒が戻ってくる。
「んなっ!!? 貴様!!」
「え」
「おお!?」
「今!?」
「ひゅーう! やるねぇ!」
「まっておじさん聞いてない」
多くのざわめきがギルド内を埋め尽くす。
視界の端でフォルシスがギルドマスターに羽交い絞めにされているのだけ見えたが、あとはエリーデルにのみ視線をそそぐ。
自分の顔はこれまでにないほど火照っていて、耳まで熱い。
エリーデルにとって自分は弟がいいところだろう。その相手からの突然の告白に、返される言葉は想像がつく。
それでもいい。とにかく自分の気持ちを伝えたかった。
何も言わないまま誰かに横からとられるなんて、まっぴらだ。
「あの……」
「エリーデルにとって!」
自分とは対照的に落ち着いた様子のエリーデルが口を開きかけたが、ユアンはそれを遮るように叫ぶ。
「俺なんてそういう対象に見れないことは、わかってる! でも、好きなんだ! だから俺が魔王を倒して、エリーデルの勇者が本物の勇者になれるまで、待っててほしい! 誰にもエリーデルをあげたくない!」
激情のままに、とんでもなく恥ずかしい台詞を言っているような気がする。
だが口に出したこと、それは素直が取り柄な自分の紛れもない本心だ。
断られるのは分かっている。
それでも、今だ。今、ほんの少しでもユアンがエリーデルの事をそう想っていると知ってもらえたなら……いつか気持ちは届くかもしれない。
これはユアンにとって一生をかけた覚悟だ。
魔王を倒して勇者になれたら。それをユアンは本気で口にしている。
そうでなければ、自分を勇者にすると手を差し伸べてくれたエリーデルに告白など出来ようはずもない。
ユアンは口から飛び出そうになるほど強く鼓動を刻んでいる心臓のままに、今度はエリーデルからの言葉を静かに待った。
「…………えーと」
首を傾げて一瞬考えるように目を瞑ったエリーデル。
そして。
「いいですよ。魔王を倒せたら、結婚しましょうか」
「そうだよね。無理なのはわかって……え?」
にっこりと、実にあっさり。
冒険者ギルド難攻不落の受付嬢は、ユアンのプロポーズを受けたのであった。