それはユアンが冒険者となる、少し前の出来事。
「タニア様の祝祭?」
「う、うん。その日は男の人と女の人で、花やお菓子を贈り合ったりするんだ」
「ああ、女神ヴァレンタニアの日だねぇ」
それを聞いていたアルニラム冒険者ギルド、ギルドマスターであるマリウスは相変わらずの赤ら顔で口を挟んだ。
ちなみにここは我の私室で、ユアンは仕事の休憩。ギルドマスターはサボりに利用している。
「ばれんたにあ?」
その名にピンと来なかったのか、ユアンは不思議そうに首を傾げている。
文脈的に同じ内容の祭りが違う名であるようだな。
「うん、同じ神様のことだよ。親しみを込めてタニア様って呼ぶところもあるらしい。ユアンの村はそうだったんだろうね」
「そうなんだ……。始めて知った」
「アルニラムではそこまで広く知られてないけど、僕が昔住んでいた所では…………。…………。この日のために、女性は普段より豪華なお菓子を、男性は花や花をかたどった装飾品を用意することが多かったかな。僕は木の実とはちみつがたっぷり入ったケーキが楽しみだった」
(ふむ……。神を崇める祭か)
人間たちが信仰する神は一言に神と言っても、その種類は様々。
崇める対象も地域によって特色があるようだ。
人間達の共通認識としては「全ての神々は繋がっている」らしく、どの神を信仰していようと自由らしい。
これは人間領で暮らし始めてから知った事である。
そのため、その神々と密接に絡む行事は非常に興味深い。
我ら魔族にとって神々とは、ただただ人間に手を貸す不快な存在としての認識しかなかった。
今の我にはそこに「魔王をも生み出した創造主」としての認識が加わるわけだが、忌々しいことに変わりはない。
……それでも、神々がいたからこそ生まれた人間の文化は別だ。
しかも聞いたところ、そのヴァレンタニアという神の祝祭は菓子などを交換するそうではないか。
「ユアン。わたしは花よりお菓子がいいです」
「あ、俺が贈り物するのは前提なんだ……」
なんだ、せっかく迷わず済むように要望を伝えてやったというのに。
「そのために話題に出したのではないのですか? ……ああ、贈り合う、でしたか」
「別に要求してるわけじゃなくて……その。エリーデルは、そのお祭りの事知らないんだよね?」
「? ええ。今初めて知りましたよ」
「そ、そう。なら、いいよ。えっと、お菓子だよね」
ユアンは我の言葉にどこかほっとしたような、残念なような顔でまごついている。なんだ、その妙な態度は。
それを見て何やら察したようなギルドマスターが、目を三日月形に歪めた。
「あ~。……えっとね、エリーデルちゃん。ヴァレンタニアの祝祭で贈り物をするっていうのは……」
「言わなくて!! いいから!!」
何やら言いかけたギルドマスターの口を、ユアンが飛びつくようにして塞いだ。
「……なにかわたしに知られて、まずい事でも?」
「別に、そういうんじゃないけど……」
「むごむごむごむごもご~(むしろ本当は知ってほしいんじゃないの~?)」
「ギルドマスターはちょっと黙っててください」
「…………」
我に隠し事とは生意気な……。
そんな我の視線から気まずそうに目を逸らすユアン。…………まあ良いわ。
要は我に菓子を献上したいがために話をしたのであろう。ならば疾くと供物を用意するがよい。特別に我も贈り物とやらをしてやる。
「わたしからは……そうですね。ちょうど昨日、花の砂糖漬けというものを買ったところです。あげるので、それを使ってお菓子を用意してください」
「それって結局エリーデルのお腹に納まらない?」
「一緒に食べるのでしたら贈り合ったのと一緒でしょう」
「……それもそうか。でも、お茶くらいは淹れてよね」
ふてくされたような声を出しているくせに、どうも嬉しそうな表情の小僧が奇妙である。
顔と声がちぐはぐだ。
それにしても……。この魔王に茶を淹れろ、だと?
舐めるなよ、小僧!
「当然です。甘い菓子にはお茶がつきもの。このわたしがぬかるとでも?」
侮られたものよ。この我がただただ甘味のみを漫然と食らうわけがなかろう。
時に菓子の甘さを引き立て、時に舌から甘さを洗い流し次のひとくちをまた新鮮なものとする飲料。我はそれにこの数年こだわってきた。
受付嬢の雑務に客への茶出しなどもあったゆえ、先輩に仕込まれ我の腕は一級品である。
料理はどうにも性に合わぬしユアンに作らせた方が早いが、こと茶に関しては我の方が上よ。
「あははっ。じゃあ、とっておきのお菓子を作るね。楽しみにしてて」
「ユアンくぅ~ん。おじさんの分は~?」
「今回は無しです」
「やっぱり?」
ヴァレンタニアの祝祭が「恋人同士」もしくは「恋人になりたい相手」へ贈り物をする行事だと知るのは、これより一年以上先の事である。