魔物と呼ばれるものには、二種類の生まれ方がある。
既存の生物もしくは無機物に魔力が蓄積し魔物となったものと、魔族が眷属として生み出すものだ。
世界中に存在する魔物の多くは前者であるが、その特性から強い魔力に引き寄せられやすく……必然的に、魔族が作った
その強さは迷宮主である魔族の強さによって段階化しており、魔族の中でも最上級たる我の迷宮近くに強い魔物が集まるのも、また必然なのだ。
……だがその魔物になめられる事態は、我とて初めてである。
魔王城周辺の魔物もまた最上ランクであるが、この我を一目見れば震えあがり、敬いかしこまるというのに。
我は現在、我の首根っこを掴み飛翔するという無礼極まりない竜種に攫われ、空の上である。掴まれているのは服部分であるが、布が引っ張られて息苦しい。
見ればこの竜種、ギルドの分類で
(そういえば初めて人間領に降り立った時も、どこぞのドラゴンが寄ってきたな……)
今思えばあの個体も完全に我を舐め切って、食料を見る目だったように思える。
……まあ、それもさもありなん。
五年前より多少体力をつけたものの、一見すればこの身体は非力な少女。
そこに極上の魔力がつめこまれているとなれば、魔物にとってはご馳走でしかないであろうよ。
(……うむ。理解は出来る。出来るが)
気に食わないことに変わりはない。
なんださっきの絵面は。まるで我が港でカモメに奪われる旅行者の食料のようではないか。
今ここでこのドラ畜生を丸焼きにでも八つ裂きにでもすることは可能だ。
が、ここはアルニラム冒険者ギルド上空……ユアンを始め、多くの者がこちらを見ている。
よりにもよって、一番知り合いの多い場所で攫われたのだ。
我は魔王。受付嬢である。
そう、魔王だが受付嬢なのだ。
つまりただの受付嬢としては、この場では何もすることが出来ない。
ああ、そうであるとも。我はか弱い受付嬢であるからな。間違っても、ドラゴンを一瞬で屠るなどあってはならぬのだ。それをしたら、我の五年にも及ぶ努力が泡となるであろうが。
永い時を生きて来た我にとって五年など塵にも等しいはずだが、神の傀儡として生きて来た数万年よりも、【
まったく、皮肉なものだ。
(さてはて……どうしたものか)
腕組みをしつつ考えるも、選べるのは「待機」一択である。
どうもこのドラ畜生、すぐに我を食べるでも巣に持ち帰るでもなく、他の魔物に獲物を見せびらかすように上空を旋回しているようなのだ。
誰ぞが討伐するか、こ奴がアルニラム外に出るまで我に出来ることは無い。
強大な力を持つ我がこれほどに選択肢を絞られるとは。
うーむ……。これもまた、非力な人間という器を得た故の貴重な体験であると考えれば、趣深くもあるが。
そんな事を考えつつ、ふと下方を見やる。
現在かなり上空だが、我の魔眼をもってすれば地上の様子を見通すことなど容易いのだ。
(ほう)
目の前で我をドラゴンに攫われたユアンであるが……それはもう、酷い顔をしたおった。まるで凍てつく海の底に、重石と共に沈められたかのようである。
それを目にした我はふっと息を吐きだし……思わずぐっと拳を握った。
(このドラ畜生……良い仕事をしたではないか!)
我の中でドラゴンに対する評価がひっくり返った瞬間である。
そうだ……目の前で婚約者を、未だ討伐経験もない高位の魔物に攫われたのだ。
大事なものを次々と失い、次は自分が愛した婚約者。
あと少しで手の届く位置に居たというのに、みすみす目の前で攫われた小僧の胸中はどんなものだろうか。
当初の予定とは少し違ったが、勇者候補への刺激には十分なシチュエーションである。
おそらく我を助け出すために奮い立ち、成長の糧となるに違いない。
……そう思い、ユアンの様子をよくよく見るべく注視した我だったのだが。
(……む?)
師である
魔族への憎悪がくべられ燃え盛るようだった夕日色の眼には覇気がなく、泥を垂らされ濁った絵の具のようである。
青を通り越し白くなった顔色や硬直した体もあいまって、不細工な人形とみまごうばかりだ。
…………が。
それを見た我の中に、何故かふつふつと背筋を震わせる快感が湧き上がった。
……? 奇妙な事よ。
我はユアンの、幼いながら激しく憎悪と怒りが燃え爆ぜるような瞳を気に入っていた。絶望にうずくまるだけでない気骨を見て、勇者育成ゲームの試金石に選んだのだ。
ゆえにあのように絶望"のみ"に染まったつまらぬ顔を見れば失望すると思っていたが……なんだ? 今のは。
…………。
……………………。
………………………………。
(ああ、なるほど)
少し考え、理解した。
これは魔王としての我だけではなく、エリーデルとして過ごしてきた我だからこそ抱く感情なのだろう。
絶望一色となるほどに、我の存在が小僧にとって大きいのだと知れたからこその、ほの暗い悦び。
出会ったばかりの五年前と違い、確実に育っている我へ向ける心を何よりも生々しく実感できた。
エルンスト相手に嫉妬していた時以上に胸がすく。
たった一人の人間の心を絡めとっているにすぎないというのに、それが愉快でたまらない。
これが育成の楽しみ、というものだろうか。
身体的な成長とは別に、成果が目に見えるというのは気分が良いな。
ああ……実に憐れであるなぁ。
この魔王に墓標として見初められ、雛鳥のように我を好いて。
そうか、それほどまでに我を愛しているのか。
まるで道化そのものだ。
だが、それが妙に好ましい。
我の顔はユアンが慕う"受付嬢エリーデル"と取り繕うには無理がある、邪悪な笑みに歪んでいた。
……ドラゴンにぶら下げられている状態というのが、いささか間抜けであるが。
ええいっ。この、もう少し丁重に扱え。先ほどから旋回するたびにぶらぶらぶらぶら揺れさせよって……!
(く、ククククク。しかしユアンよ。そこで絶望するだけでは、やはり我はお前を見損なうぞ? 飛翔の術を持たぬお前がここまで来ることすら困難だとしても、無様にでもそろそろあがいて我を楽しませ……)
己の邪悪っぷりに鼻歌を歌ってやっても良いほどに上機嫌となった我が、一瞬反らしていた目を再度地上に向けようとした時だ。
燃えるような夕日色の瞳が、魔眼を通してでなく物理的に近くで我を見据えていた。
「エリーデル!! こっち!」
「え……は!?」
状況を把握する間もなく腰を掴まれ、次に感じたのは胃が持ち上がるような浮遊感。
「!?!?!?」
我本体の身体ではまず間違いなく味わう事など無い感覚に、咄嗟に近くのもの……ユアンにしがみついた。
な、小僧。我が目を離した一瞬でどうやってここまで……! というかだな、あの様子からの立ち直りが早す、
………………。
………………………………!!
まずい。
そんな事を気にしている場合ではなくなってしまった。
実を言うとこのエリーデルの脆弱な体、ドラゴンに振り回されたことでそこそこの限界が来ており……とどめにこの浮遊感である。
「うっぷ」
口をおさえるも、こみ上げるものを留めることはならず。
この日、我は魔王としての尊厳を少しだけ失った。