トレーナー君が欲しいシンボリルドルフ VS サブトレ時代のトレーナー君の相棒スピードシンボリ VS ダークライ 作:St. One is Stoned
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ヤマノシラギクとかはウマ娘にもしやすそうだと思うんですが、来てくんないかなぁ……見た目も綺麗で……戦績も個性があって……ヒーロー列伝にも載ってて……
「よっ、ライデン」
ぽんっといい音をして肩を叩いたのは、スズマッハである。
「……マッハか。そりゃあ、そうか」
「そりゃそうだろ。パレードもいるぞ」
その相手はニシノライデンで、その表情は疑問についての合点と、己の思考力不足への自嘲が入り混じっている。
「お久しぶり……と言うには、余り離れていないかもしれませんが」
ここに居る三名は、何れも今年の秋天に出走している。そこで顔を合わせているし、ギャロップダイナと対照的に、シンボリルドルフに届かなかったことを悔しんでもいる。
「今年は、俺達の誰も、あそこに立ってない」
スズマッハが口火を切った。
シンボリルドルフを除いた今年の日本勢は、一つ上のギャロップダイナとウインザーノット、二つ上のヤマノシラギク、一つ下のサクラサニーオー、地方勢のロツキータイガーである。ロツキータイガーとシンボリルドルフは同世代にあたるが、それは情けなさを煽ることしかなさない。
「実績だと、どうしてもルドルフが頭一つ……いや三つ以上抜けている。ルドルフを除いて、私達の世代は、まだ誰もシニアのG1を勝っていない」
それだけは、紛れもない事実だ。受け入れるしかない。ニシノライデンは暗にそう告げた。
そんなこと重々承知だ、スズマッハとスズパレードは内心反駁した。
「……このままでは、いけないんでしょうね」
スズパレードが自重するように零した。
「ああ。俺らはアイツに勝ちたいし、アイツだって、自分だけの世代ってのにはムカつくはずだ」
スズマッハの声音には力があるが、ぶつける拳には緩みがある。
このままで良いなど、誰も思っていない。しかし、どうにもならない。
一つ上の世代は、ミスターシービー以外にも、カツラギエースやニホンピロウイナーを筆頭に、相当数の実力者が居た。一つ下は未だ未知数だが、ミホシンザンとシリウスシンボリというクラシックを分け合った二名を筆頭に、サクラサニーオーなど群雄割拠の期待が持てる。
「……ミスターシービーの話は聞いたか?」
ニシノライデンがぽつりと零した。疑問形の体をなしているが、その実独白に近い。
「冬期から、ドリームトロフィーリーグに行くという話なら」
「そうだ。サマーシーズンから走っているカツラギエースと、そこで対決するらしい」
あの感動をもう一度──それは大々的にニュースになっているので、勿論スズマッハもスズパレードも知っている。これは説明のためでも確認のためでもなく、自分が吐き出すための語りである。
「もの凄く、盛り上がっている」
──果たして、自分達が行ったところで、これほどの盛り上がりはあっただろうか? いや、そもそも、ドリームトロフィーリーグに行くことは叶うのだろうか。
ドリームトロフィーリーグは、トゥインクル・シリーズに比べレース数が少ない。それは当然のことで、ピークを過ぎたウマ娘にとってトゥインクル・シリーズのレース密度は過酷なのである。
ピークアウトと言っても、必ずしも実力の衰えは意味しない。しかしウマ娘のパワーは、ヒトのそれに近い骨格で長期間耐えられるものではない。また人間同様の内蔵で維持できる筋繊維でもない。怪我のリスクは上がり、体力の回復は遅くなる。
だからそういうウマ娘は、レースの密度を落とさなければならない。同時にトゥインクル・シリーズ以上のサポートを受けなければならない。そんなものをビジネスとして成立させることが、如何に難しいかは明白である。強く、愛されている、ファンの多いウマ娘しか、養う余裕はない。
トゥインクル・シリーズはアメリカン・ドリームに例えられる。才能と努力と精神で、誰にでもチャンスが有る。才能も気迫も玉石混交、とにかく数の多い混沌。
ドリームトロフィーリーグはガラスの天井に例えられる。ここで生き残れるのは、強さとアイドル性を兼ね備えた一握り。歴史に名を残す名ウマ娘しか挑戦権は与えられず、しかも彼女ら同士が熾烈に蹴落とし合う魔境。
シンボリルドルフは、まず間違いなくドリームトロフィーリーグでも活躍する。数多いる名ウマ娘を蹴落として、永くそこに君臨する。──では、私達は?
果たして、自分達はそこで戦っていけるのだろうか。未来は誰にも分からないが、今のままでは不可能というのは、誰にも分かることでもある。
ジャパンカップに余裕を持って挑める同期の輝きは、誇りばかりではない。
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「やあ、ワカオ」
未だに脚の治らぬウマ娘が、ワカオライデンに声をかけた。
ワカオライデンは怪我でクラシックを棒にした。同様に眼前の彼女もクラシック級を──彼女の場合はそれ以降も──無為に過ごしたので、ある程度の交流があった。さながら一時のシンボリルドルフのようにである。
「なんでしょうか、ハーディービジョン」
例のごとく胡散臭い雰囲気を纏っている。ワカオライデンは若干の警戒を滲ませながら告げた。
「単に見かけたから、挨拶しただけだよ。ほら、あいさつには愛がある、とか言うだろう?」
とはいえ結局のところ、これは何らかの策謀によるものではない。単にハーディービジョンというウマ娘は、そういうキャラクターをしているという話である。これがコミュニケーションや自己承認のためのキャラ付けなのか、それとも素の人格なのかはワカオライデンの知るところではない。彼女らが交流を持ったのは怪我以降である。
「沈黙は金と言いますよ」
「思い立ったが吉日というし、雄弁も銀ではあるんだよ」
少なくとも口でハーディービジョンに勝てるものはそう居ない。不毛なので、早々にワカオライデンは反抗を諦め大人しく付き合うことにした。
「それで、結局何の用です? ここに来た理由の方です」
「勿論、ジャパンカップを見るためだよ」
「それだけじゃあ、ないでしょう」
「……目敏いね」
ハーディービジョンはこれ見よがしにため息を吐いた。ご丁寧に首を傾け、両腕は開いている。
「シンボリルドルフの応援に来た。君と同じだよ」
それはどこまでも怪しいが、恐らく正直な心情である。
「斎藤茂太*1に言わせれば、『他人に花をもたせよう。自分に花の香りが残る』そうだよ」
「……同期が活躍するのは、誇らしいことです。でも貴方からは嫉妬を感じない」
目標や理想を持ち、それを充分に達成できていない以上、悔しさは当然湧いてくる。加えて目標達成に成功した者が身近にいれば、それに嫉妬の念を抱くのは当然過ぎることである。それをまるきり話さないのは、不気味である。
「単に情けないからだよ。恨み言を述べたところで、何が変わるでもあるまいに」
「そんな真っ直ぐなタイプには、思いにくい言動なもので」
「何分性分だよ」
「……私だって、ルドルフが活躍するのは誇らしいです。でも、羨ましいですよ。それはおかしなことですか?」
「別に、君についてどうこう言うつもりはないよ。ただ……
そんなことをしている暇がない。ハーディービジョンは言外にそう告げた。
ハーディービジョンはクラシック級以来、全くレースに出ていない。それどころか、まともに練習できてもいない。
果たして、自分は今何処にいるのだろうか。視界は一寸先も霧、足元は合切光なき闇。おおよそ足元が頑丈なのかぐらついているかも不明である。己の位置など分かるはずもなく、己の未来など以ての外である。
何処に居るのか、分からない。
分からないが、信じるしかない。
「……今年こそ、勝てますかね」
ワカオライデンはぽつりと呟いた。
「勝つさ。……信じるしかない」
ハーディービジョンは揺るぎなく答えた。そこに主語はなかった。
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トウカイ家は旧家である。必定、シンボリ家とかメジロ家といった他の名家との繋がりはある。
「あら、久しぶりね」
トウカイローマンに声をかけたのは、メジロラモーヌである。今年の10月にデビューしたウマ娘で、デビュー戦ではおよそ20バ身差を付けて圧勝。次走では4着に留まったが、これはレース開始直後の衝突によってペースを乱されたからなので、実力不足を示すものではない。
「ええ。……貴方も来ているとはね」
メジロラモーヌはティアラ路線を選択しているウマ娘なので、そういう意味でもトウカイローマンの後輩にあたる。同時に、早期から見られる才覚と、シンボリルドルフにも物怖じしない精神性は、将来の活躍を伺わせる。
「無垢で眩い、ウルトラマリンブルー。それが見れるのは、ここだけでしょう?」
かつて「青」は最も貴重な色だった。青を放つ顔料は数あれど、古来よりヨーロッパでは、ラピスラズリこそが最も美しい青色とされた。しかしラピスラズリは産地が非常に限られ、更に高純度にするには尚の事手間がかかる。ヨーロッパ近辺での産地というと、現代のアフガニスタン以外に存在しなかった。
そうして作られた青色は、地中海を渡ってヨーロッパに伝来した。海を超えたから、ウルトラマリンである。これほどの過程を踏むのだから、時には金以上の価値がつく。しかし同時にその美しい青色は、多くの芸術家を虜にした。ヨハネス・フェルメール*2は、ウルトラマリンを使うために、多額の借金をしたとも伝えられる。
「貴方は変わりませんね。これっぽっちも」
どこまでも、レースに純粋。そこそこ長く付き合っているから、それくらいは分かる。
トウカイローマンは、そこまで執心できなかった。トウカイ家は放任主義とはいえ、そこに属する面々の期待は確かに存在する。それに何より、トウカイローマン自身も、レース自体よりそこから得られるものを重んじるタイプである。
それこそシンボリルドルフは、期待とは威信とか感動とかを(全て現実になったかは別として)背負って走るウマ娘である。銘のトウカイテイオーも、無敗の三冠というトロフィーを夢見ている節がある。レース自体は手段に過ぎず、過程に過ぎず、その中で得られるものこそ、最も尊ぶ嫌いがある。トウカイローマンも、それに近い考えだ。
「……私は、自分も、育ててくれた家も、裏切る気はしない」
トウカイ家は、己をちょっと他所では手に入らない環境で育ててくれた。レースの勝ち負けの最中で見る景色は、勝敗の末のライブは、平常に過ごしていれば決して見ることが叶わないものだ。
「そう、つまらないのね」
その吐露を、メジロラモーヌは一蹴した。
「自分の思いを卑下すれば、どんなジュエリーも価値を無くすでしょうに」
まったく、その通りだ。トウカイローマンは独り言ちた。仮にメジロラモーヌが己の価値観を曲げない傲慢不遜の俗物なら、シンボリルドルフをある程度認めることはなかろうに。
結局のところ、強者と弱者の違いは、誇りにある。勿論、誇りがあれば必ず強者というわけではないが、幾ら才能があっても、誇りがなければそれを十全に発揮できないものである。
「貴方だって、まるで変わっていないわよ」
果たして、それは称賛だろうか。信じることも確かめることもできない時点で、負けているのではないか。一時を感じさせないほど持ち直した彼女を前に、トウカイローマンは疑念した。
「なら、私はどうでしょうか」
そこに居たのは、マリキータである。
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「久しぶりだね、本田」
ジャパンカップは国際レースである。シリウスシンボリの海外遠征の影響で飛び回っていたスピードシンボリも、この日ばかりは日本のレース場に居た。
「両手に花じゃないか」
スピードシンボリは、右腰に手を当てて、ウインクして言った。今、本田の隣にはマティリアルとボビンスキーが居る。どちらも本田が担当で、尚且つシンボリルドルフを尊敬しているので、全くやましいところはない。
「……どう受け取れば良いのか知らないが、ロワイヤルオーク賞*3は良いのか?」
24日のジャパンカップから3日後、27日には、シリウスシンボリが出走するロワイヤルオーク賞がある。
「だから、これを見終わったら、またフランスだよ。……尤も、今年のレースはそれで終わりだから、そうしたらひと息つけるかな」
スピードシンボリはネクタイを緩めながら言った。ワイシャツの第1ボタンは開いている。
「外に出る時は、きちんとして出ろよ」
「それくらいはするさ。……それで、彼女たちの調子はどうだい?」
本田の渡した耳カバーを付けながら聞いたのは、マティリアルとボビンスキーのことである。どちらもシンボリ家から相当な期待を受けているし、フランスでのデビューを検討している以上、スピードシンボリとの関わりは重要になる。
「好調だな。本当に才能がある。デビューは来年の下半期あたりだろう」
「そう」
するとスピードシンボリは二名のほうを向いて微笑んだ。
「流石だね」
『ありがとうございます!』
「うん……でも、そこまで畏まらなくても良いよ。来年から長く付き合うんだから」
『はい!』
「うん。……まあ、いいか」
流石のスピードシンボリも、真正面から来られては話にならない。舐め腐ったり、或いは見下したりしてくるる相手との交渉は、百戦錬磨のスピードシンボリも、純粋に尊敬して話を聞かない子供の相手は苦手であった。
その覚束なさに、本田は微笑する。
「従順なのは良いことだろう?」
「……流石に、あの頃のことを混ぜっ返すのは性格が悪いよ。ルドルフにも言ってないのに」
「シリウスは強ち察していないわけでもなさそうだが」
大分宜しい性格になった本田に、スピードシンボリは苦笑する。現役時代の熱さは何処へやら。尤も、そうさせたのは、或いはそうならざるを得ない状況を齎したのは、紛れもなくシンボリ家だから文句も言いづらい。
「誰だって、忘れたい過去くらいあるだろう? 君にだって、ね」
「勿論あるが、間違いなくお前の預かり知らないところだぞ」
少なくともスピードシンボリがそれをネタにからかう日は当分来ない。
「それは残念だ……それで、今年の調子はどうだい?」
暗に昨年のような不始末をしていないかと聞いている。
「万全だ。兎に角堂々としている」
前走では惜しくも破れたシンボリルドルフであったが、彼女にとっては寧ろ秋天が例外である。いつも通りやればそれだけで盤石と言い切れる地力が彼女にはある。彼女は同距離同コースのダービーを勝っているし、しかも彼女が経験したダービーは寒波の影響で芝の状態が悪く、今日は雨のせいで芝は重い。
昨年はカツラギエースに遅れを取ったが、今年こそは、順当に行けば勝つ。そう確信させる強さがあった。
「それは嬉しいよ。ジャパンカップも勝てないようでは、海外遠征など夢のまた夢だ」
昨年の夏と、今年の夏、二度計画されたシンボリルドルフの海外遠征は、何れも取りやめとなった。三度目の正直、来年の春に海外遠征をする計画が、シンボリ家にはある。しかしジャパンカップにも勝てないようでは、力不足と言わざるを得ない。
レースはアウェイの方が不利である。それに当時のジャパンカップは国際的に格が高いかというとそうでもなくて、一流・表街道以外のウマ娘も結構参加していた。
逆にこちらが殴り込みに行く場合、言うまでもなく調子は万全、面子は盤石。対して我々は遠征の疲れと環境の違いをモロに受けながら戦うことになる。どちらが困難かは言うまでもない。
ジャパンカップは日本のレースだ。せめてジャパンカップくらい勝てねば、日本は弱すぎる。
海外から帰ってきたスピードシンボリは、それを痛いほど分かっていた。
贔屓目抜きに、今年こそ。
去年とは正反対の思いを背負って、シンボリルドルフは──今。
『スタートしました』
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レースは、日本勢3名が先手を争う展開になった。ジャパンカップはホームストレッチからスタートするため、スタートダッシュのタイミングで歓声をモロに受ける。特に地元の日本勢への声援は大きく、これが彼女らを押し上げるパワーとなった。
4枠7番、4番人気。虚弱体質ながらも、2000なら相当な実力を誇る、「2000mで2分を4回切ったウマ娘*4」ウインザーノット
6枠10番、14番人気。トゥインクル・シリーズ10のレース場を転戦した、「ティアラ旅役者」ヤマノシラギク。
2枠2番、12番人気。ミホシンザンと同世代で、皐月賞・菊花賞ともに3着と好走した、次世代のホープ、サクラサニーオー。
以上3名が先頭を争い突っ走る。それに介入するのは3枠5番、アメリカから来たゴールドアンドアイボリー。更に6枠11番、フランス産まれのバリトゥと続く。シンボリルドルフはというと、バリトゥから2バ身離れた6番手。
第1コーナーを前にして、ニュージーランドのザフィルバートが急進出。シンボリルドルフの内を突いて、6番手まで地位を上げる。外に追いやられたシンボリルドルフは、距離の増加を嫌ってザフィルバートの後ろにつける。後ろに目を向けると、ギャロップダイナは後方集団、シンガリから数えて4番手と追い込みの体勢。さらにその奥、後方2番手には、南関東から来たロツキータイガーが控えている。
1コーナーを回って、2コーナー。その先の向こう正面を睨んで、ウマ娘の雰囲気とペースに緩みが混じる。
本日のバ場は重い。重いバ場はそれだけパワーとスタミナを要求される*5。下手にペースを上げると、終盤で息切れする。そのため何時もより意識して体力を温存しなければならない。特に、日本勢は。
日本と欧州では、芝の品種が違う。日本で採用されている野芝*6は匍匐茎*7を持つ。このお陰でグリップが効き、耐久性も高い。対して欧州では「洋芝」──具体的にはペレニアルライグラス*8やケンタッキーブルーグラス*9といった品種が採用されるのだが、これらは匍匐茎を持たない。故に耐久性が低く、グリップも効きにくい。加えて、もう一つの特徴として「マット層」という細い根の密集した層を作ることが挙げられる。この層は極めて水分を多く含むため、雨天時などは、それはもう抉れるようなバ場となる。
こういった相違から、傾向として欧州勢は日本勢より重バ場に強いと言われている。これは日本勢がいまいち海外で羽ばたききれない一因と言われている*10が、それは同時に、日本でも道悪ならば海外勢有利であることをも示している。全員揃って不利を被れば、有利なのは海外勢。よって日本勢は何時も以上に冷静なペース配分が求められる。
そして、そのために向こう正面はうってつけである。
2コーナーを回って向こう正面、この辺りは観客席から遠く、プレッシャーから解放されて一息つくには最適な区域である。平時でも、序盤で焦りすぎたウマ娘はここで立て直すことになる。なにせ向こう正面の後には、気を抜ける場所などない。3コーナーには坂がある。それを回って最終直線にも、もう一度坂がある。
ジャパンカップの正念場は最終直線である。二度の坂を超えた先、300mの平坦な直線での瞬発力勝負が、結局のところ勝敗を分ける。しかし、その前には二度の坂がある。ここでスタミナを使い果たすのはとてもまずい。
坂で抑えれば順位が下がる。坂で飛ばせばスタミナが切れる。さあ、どうするか。なまじ最終直線に全力投球できない前組は配分が至難である。
当然ながら、スタミナは残しすぎると無駄になる。また当然ながら、ペースを保ちすぎると脚がなくなる。そこに最適解はない。需要曲線と供給曲線の釣り合いのように、一点ドンピシャリがあるのではない。周囲のペースによって、最善手は目まぐるしく変わる。
ペースを上げてすり潰す? それも良し。
ペースを落としてスタミナを余らせる? それもまた良し。
平地で仕掛けるも良し。坂で仕掛けるも良し。コーナーで仕掛けるも良し。直線で仕掛けるのも勿論良し。
相手がペースを上げた時、こちらはそれを煽って自滅させても良し、軽く躱して最終直線に賭けても良し、正直に付き合って叩き潰すのもまた良し。相手がペースを落としてきたら? 位置取りを活用して前を塞いだら? 逆に背後に潜んで空気抵抗を抑えたら? 周囲の行動によってとるべき対応は変わり、こちらの対応によって周囲の行動は変わる。
向こう正面から3コーナー。ここで、どれだけ順位を保つか。どれだけスタミナを残すか。そこに、答えはない。
『3コーナーの坂を迎えます。今度はぐんぐんと、ゴールドアンドアイボリー行きました。ゴールドアンドアイボリー、先頭を抜かしまして2バ身のリード』
上りで仕掛けたのはゴールドアンドアイボリーである。ウインザーノットは付き合わず温存する選択。2バ身の差は射程圏内と睨んでいる。その後ろ、目一杯内ラチを突いて追走するのは、ヤマノシラギク。その外からは、バリトゥが外から機を伺う。
逆にゴールドアンドアイボリーに付き合ったウマ娘も居る。彼女の名はネメイン。米国産まれで、このレースでは6枠10番。ぐんぐんと位置を上げて、2番手集団に合流する。
『1000m通過いたしました。これから3コーナーを下り切ります。さあ逃げますゴールドアンドアイボリーを巡りまして、今度はまたウインザーノット、またウインザーノットが来ました』
下りの加速でウインザーノットが差を詰める。ゴールドアンドアイボリーは振り切らない。上りで脚を使ったか、これ以上スタミナを使えば息切れすると踏んだか、ウインザーノットとゴールドアンドアイボリーが横並びになる。更に後続、ヤマノシラギク、ネメイン、バリトゥの3名も距離を詰め、先頭集団は団子のようにもつれている。シンボリルドルフは、相変わらず中団の外。
『第4コーナーのこれからカーブに入ります。内ラチゴールドアンドアイボリー先頭で直線。ゴールドアンドアイボリーが先頭ですが、2番手争いは激烈』
ウインザーノットは知っての通り、そこにネメインが乱入して二つ巴。とはいえコーナーで速度を出せば、遠心力を殺せず外に膨れる。それ4コーナーの先には二度目の上りと直線平地300mがある以上、ここでペースは上げられない。
シンボリルドルフは、ここに眼を付けた。
先程まで中団の外に居たシンボリルドルフは、ネメイン、バリトゥから更に後ろ、およそ2から3バ身の後方に居た。
先頭集団がコーナーに入った瞬間、ほんの一瞬、シンボリルドルフだけが加速できる瞬間が来る。もとよりシンボリルドルフは後ろにいる。先頭に並ぶには、外から回らざるを得ない。
『横一線ウインザーノット、ウインザーノット、ネメイン、ネメイン──シンボリルドルフ、シンボリルドルフが来た』
コーナーの一瞬で先頭に並んだ。後は、スタミナで勝つ。上位集団が駆け引きで使った分、丸ごとシンボリルドルフは残している。
「上は崩した。あとは、下から誰が崩しに来るかだ」
しかし、その差は隔絶している。
追い込み勢は、明らかに遅れてしまっている。ゴールドアンドアイボリー等の駆け引きが功を奏したのかもしれない。後方勢は揃ってシンボリルドルフに届きうる距離に居ない。かといって、先行勢は駆け引きにリソースを割きすぎた。
ウインザーノットはバ群に呑まれた。サクラサニーオーも、ヤマノシラギクも沈んでいった。ギャロップダイナは遠すぎる。ニュージーランドのザフィルバートが迫る。しかし遠い。
『シンボリルドルフ、シンボリルドルフ先頭。シンボリルドルフ強い、シンボリルドルフが先頭。後続とはざっと2バ身の開き……』
それでも、喰らいつく者は居た。
海外勢ではない。日本勢だ。しかし、ウインザーノットでも、サクラサニーオーでも、ヤマノシラギクでも、ギャロップダイナでもない。
ソイツは、地方からの刺客。
その日は、雨が降っていた。
秋の府中はこの二週間1mmの雨も降らなかったにも拘らず、その日の太陽は常に雲の影に隠れていた。8時頃から降り出した雨は、レースの始まる15時20分を目前としながらも、一時間におよそ1mmのペースで降り続けていた。
その少女は、ローブを羽織っていた。
藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗を思わせる濃紺のそれは、よく見ると裾の方に、布を継ぎ足した痕がある。クラシック級のころ急に背が伸びたので、それに合わせた代物だ。ここが地方と中央の違うところで、中央に比べて予算に乏しい地方では、勝負服は修理や改造を前提としてデザインされる。オーパーツじみた技術の使われている中央とは対照的である。
その日は、それでも観客が居た。
雨模様のレース場に詰めかけた観客は、決して曜変天目の少女を見るためばかりではない。寧ろ他の、彼女より余程良い成績を修めた者を見に来たものが大多数を占めている。
今年のジャパンカップは15名立てで、彼女は外寄りの7枠12番。地方勢というのが足を引っ張って、当日の人気は11番。とはいえそれは当然で、ロツキータイガーにとって芝は初体験のコース。芝とダートでは走り方も違えば、適性も違う。蹄鉄の種類だって違う。評価が落ちるのは当然であった。
勿論、それに怒るだけの誇りはある。これでも、仲間と競い、ライバルを蹴落とし勝ち取った挑戦権である。無為に捨てるつもりなど、これっぽちもなかった。
しかし、往々にして竦みというものは理性とか感情とは別のところからやって来るものである。それは本能と言っていい。昂り、怯え、謙遜、萎縮。その他十数個の感情をいっぺんに引きずり出すくらい、このレースには力があった。
だから、「いつも通り」に。いつものレース以上に、「いつも通り落ち着いた気持ち」で、レースに望もうとした。
先述のように、芝とダートでは蹄鉄が違う。しかし現在、彼女が付けているのは、ダート用の蹄鉄である。芝用に替えることも提案されたが、結局は「普段着」のほうが良いとなった。
事実として、ロツキータイガーの勝負服の生地は中央のそれに比べ数段見劣りする。やろうと思えば新規の勝負服を引っ提げて威風堂々馳せ参じることもできるが、見えだけ張ったそれより、普段通りの方が余程勝ち目がある。
その他地方から中央、ダートから芝への間には色々な違いがある。しかし、付け焼き刃の最適化よりも、多少相性が悪くとも慣れ親しんだものを優先した。そこには、地方勢を何にもまして阻む中央のプレッシャーがあった。まずこれを跳ね除けねば、どうしようもない。
だが、逆に。それを超えた先には。
『……ロツキータイガー、外からロツキータイガー2番手、外側から、ロツキータイガーが追い込んできた!』
その日のバ場は重い。だから重い芝に慣れた、パワーのある、海外勢が有利ではないかという話をした。
ところで、ローカルシリーズの主戦場はダートである。ダートは、当然ながら、芝よりグリップがない。芝より走るのにパワーが居る。芝より速度が出にくい。
『内ラチ沿いからはザフィルバート、ザフィルバートが2番手か。シンボリルドルフ先頭で、2番手にはザフィルバートとロツキータイガー、猛烈な2番手の競り合いになった。先頭はシンボリルドルフ2馬身のリード。2番手にはロツキータイガーが、ザフィルバートを捉えるかどうか……』
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結局、シンボリルドルフは勝った。2番手に1と4分の3バ身付けての盤石な勝利をした。悪天候の重バ場も、シンボリルドルフは無難にこなした。
これまで、ジャパンカップで優勝したウマ娘は、何れも1番人気ではなかった。シンボリルドルフは、史上初の1番人気でのジャパンカップ優勝を達成した。
シンボリルドルフは、観客に向けて指を掲げた。6勝目のG1である。片手では足りず、両手を掲げて、開いた手にもう一本指を当てた。
シンザンを、超えろ。そうとまで称えられたシンザンは、五冠を達成していた。今日、シンボリルドルフは、史上初の六冠ウマ娘と相成った。
そして、この年は、もう一つの偉業があった。今年のジャパンカップにて、名だたる優駿を退け2着に輝いたのは、ロツキータイガーである。
まず、日本のウマ娘のワンツーフィニッシュ。これは史上初の偉業である。昨年カツラギエースが初めてジャパンカップを勝ち、その時2着はベッドタイムであった。日本のレースで、初めて、1位2位を日本勢が独占することに成功したのである。
加えて、先述の通り彼女はローカルシリーズのウマ娘である。彼女の2着とは、ジャパンカップにおける地方勢の最高着順でもある。これは、後にもかのコスモバルク*11以外に並ぶことすら許されていない偉業で、しかもそれでも1着のゼンノロブロイとは3バ身の開きがあった。
地方からの刺客、ロツキータイガー。彼女は、確かに、強かった。
ロツキータイガー
得意なこと:南関東の交通アクセスに詳しい(大井・船橋・浦和・川崎の4レース場を使う故)
苦手なこと:成長痛
迫真の「地方馬」。日本馬初のJCワンツーに地方馬が絡むというのも、中々感じるものがあります
(地方馬の出走自体は83年のダーリンググラスが最初)
この世界線だと、ルドルフがオグリキャップをスカウトした理由の一つに入ってそうな気もする