トレーナー君が欲しいシンボリルドルフ VS サブトレ時代のトレーナー君の相棒スピードシンボリ VS ダークライ 作:St. One is Stoned
独り言です。
過去編②。次からシンボリルドルフ編です。
やはり彼女には才能があったようで、夏を休養に充てたスピードシンボリは体調を見事に回復させていた。それは良いことなのだが、こうもあっさり回復されると、とある疑念が湧いてくる。それはチーフも同じだった。
「お前、あれが初めてじゃないだろ」
きっとコイツは裏で走り回っていたに違いない。
スピードシンボリは左手を腰に当てて、左目でウインクした。
「正直に言え」
彼女は目を逸らした。二人は激怒した。
どうやら彼女は──名家中の名家の出でありながら──結構宜しい性格をしているようだ。チーフもこれには密かに魂消ていたらしい。というのも、ジュニア級の頃は幼さと緊張が残っていたのか借りてきた猫のように大人しく、クラシックに入れば成績を残せず溝ねずみのように項垂れていたので、全く気付かなかったそうである。
しかし考えてみれば、お嬢様というものは礼儀作法を叩き込まれるものだろうが、同時に(良くも悪くも)ちやほやされてもいそうである。外面はよくても、内心に唯我独尊を持つのはある種健全なのかもしれない。無論、トレーナー二人の心労と負担を考えなければ。
とまあ、スピードシンボリの余罪が発覚したり、それでも前に比べればマシだから何も言えなかったり、本田が別にコイツほっといて良かったんじゃねえかと思ったりしたものの、大事なく夏を終え、調子を戻したスピードシンボリは、京王杯オータムハンデキャップ*1、セントライト記念*2に出走する。ここで彼女は、まず京成杯オータムハンデキャップにでシニア級に喰らいついて2着、更にセントライト記念でも3着と好走する。
これを受けたチーフは一つの決断を下す。それは本田をスピードシンボリの専属にしてしまうというものである。曰くスピードシンボリのことを一番掴めているのは本田だからとのことだった。しかし本田もスピードシンボリも、そこに何らかの裏があることは薄々察していた。
少し先の話になるが、菊花賞においてもスピードシンボリの人気は19名中13番と芳しくなかった。それだけ皐月賞と日本ダービーでの凡走は大きかった。そしてそれはシンボリ家でも同じようなもので、お世辞にも期待されているとは言い難かった。単に放任されているなら良い方で、「あんな出来損ないより才能ある奴に注力せよ」とでも言われたのかもしれない。少なくとも二人はそう思った。
しかし彼女は変わっていた。 今のスピードシンボリの、夏以前の彼女自身との最も大きな違いは、これを気にしなくなったことである。
そして迎えた11月、菊花賞。バ場は稍重で、レースはスローペースな展開。第三コーナーまでは有りがちなレースに思われた。
件の第三コーナーで事件が起こった。暴走かと思うほど早いタイミングで、とあるウマ娘が仕掛けたのだ。それは一番人気のナスノコトブキであった。
一瞬「掛かったか」とほくそ笑んだ。しかしそれは全くの間違いだった。というのも、ナスノコトブキは気性が荒く、じっくりとした戦いは苦手であった。そこで彼女らは早いタイミングで奇襲を掛けたのである。この早仕掛けは見事に決まり、彼女はゆうゆうゴールへ走っていた。
しかし「やられた」というには早かった。ナスノコトブキを追う形で、スピードシンボリが抜け出した。スピードシンボリの最大の強みは競り合ったときの粘りである。苦しいせめぎ合いでの我慢強さである。
ゴール直前にて、スピードシンボリはナスノコトブキを捉えた。しかし彼女も一番人気、ナスノコトブキも粘りに粘る。そのままもつれ合ってゴールに着くも、その差は肉眼では捉えられなかった。それどころか写真でも僅差だった。
本田たちは「負けた」と思った。対するナスノコトブキたちも「負けた」と思った。どちらも勝てた気がしなかった。
十数分に渡る判定の末、結局ハナ差でナスノコトブキが勝った。しかしスピードシンボリが得たものは大きかった。
次走、有マ記念。ここで彼女は14名中6番人気と、大きく人気を上げた。レースにおいてもクラシック級トップの3着。同時にナスノコトブキに先着し、菊花賞の雪辱を晴らした。
これ以降、彼女の評価は一変することになる。具体的にはこれ以降、彼女は国内のレースの殆どで、2番人気を下回ることがなかったのだ。そして彼女は、それに見合った活躍をした。
デビュー三年目。彼女は年明けから、天皇賞*3を含む大型レースを4連勝。加えて海外を見据えたレースの仕方*4にも成功し、自信をつける。
その後は渡米しワシントンDCインターナショナルに出走。9名中最低の9番人気だったが、優勝バフォートマーシーに8馬身1/4差の5着に付ける。これはかなりの惨敗に思えるが、当時からすれば余りにも大きな快挙である。というのもそれまで日本バは9回出走したが、揃いも揃って10バ身どころか20バ身以上千切られ、最下位を回避できれば御の字という有り様だった。勿論、ここに出走するのは日本を代表する世代最強格の名バ達である*5。
これを受け、スピードシンボリは年度代表ウマ娘と、最優秀シニアクラシックウマ娘*6に選ばれる。
しかし遠征の疲れが抜けず、少し戻って3年目末。帰国後の有マ記念で4着。
4年目も疲れを引きずり、幾分かか見劣りする成績。それでも有マ記念には出走し、不良バ場に苦しみながらも3着と地力を見せる。
5年目も現役続行。ここで彼女は、道悪のレースを3連続好走。これを受けた陣営は、ついにヨーロッパ遠征を決意する。
まず渡英。インフルエンザの流行により前哨戦に出られないというアクシデントを乗り越えて、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスへ。序盤から好位につけ、一時は先頭にたったものの、後続に交わされ5着。
続いて渡仏。しかしドーヴィル大賞典では下から2番目の10着。最終目標の凱旋門賞では後方待機に賭けるも11位以下。当時は11位以下は順位を取らなかったので、正式な順位は不明。とはいえ最終直線で10名ほど抜いているので*7、未だ差はあれど凱旋門賞に出て恥ではないくらいの実力はあったと断っておく。
帰国後は一昨年同様に疲弊。しかし一昨年のノウハウと、チーフ・本田の尽力により有マ記念までに体調を立て直す。疲弊が心配され6番人気と、シニアの国内レースでは最低人気であったが、菊花賞バアカネテンリュウをハナ差で制し、見事優勝。4年連続4度目の挑戦にして、初の有マ記念制覇を達成した。
6年目。巷では引退やドリームトロフィーリーグへの移籍も囁かれていたが、結局トゥインクル・シリーズを継続。これは(諸事情により実現しなかったが)URAが計画していた国際招待レースへの出場を目論んだためであった。
ともかくスピードシンボリは6年目も現役継続。アメリカジョッキークラブカップと宝塚記念をレコード勝ちする。
しかしながら6月以降、ライバルの後塵を拝しがちになっていく。特にハリウッドターフクラブ賞*8では7着と、衰えの声も囁かれる。これを受け、当家・チームともに引退を決意。有マ記念をラストランに最後の調整に挑む。
そして迎えた年の瀬、有マ記念。一番人気は昨年ハナ差で交わしたアカネテンリュウ。二番人気は当時の秋の天皇賞ウマ娘メジロアサマ。スピードシンボリはこれに続く3番人気であった。
ここでチームアリオトは一計を案じる。それはダイナミックな後方からの「差し」であった。というのも、海外遠征以降、向こうの芝に慣れたスピードシンボリは、やや力みがちに走る嫌いがあった。当時は当然ながらノウハウなどなく、試行錯誤と独学の末の代物だったから、このクセと日本の芝との噛み合わせに苦労した。端的に言えば、日本においては悪癖だった。
そこで彼らはこう考えた。走り方の改善は現実的ではない。ならばパワーを活かしたレース展開をしよう、と。その結果の「差し」だった。
スピードシンボリは第3コーナーから進出を開始。ここで他が避けていた、荒れた内側を突っ切ることで一気に先頭へ。一時、荒れた芝に足を取られかけるも、見事ねじ伏せ一着。史上初の有マ記念連覇と、デビュー6年目での八大競走も制覇を達成した。
そして当初の予定通り、有マ記念を最後にトゥインクル・シリーズを引退した。
翌年には*9二度目の年度代表ウマ娘、最優秀シニアクラシックウマ娘に選ばれる。隔年で年度代表ウマ娘に選ばれた事例は史上初。次の達成はジェンティルドンナを待つことになる。(ちなみに、アーモンドアイも達成する)
重賞通算12勝、これは中央競馬平地記録最多タイで、これも史上初。次の達成はオグリキャップ。(後にテイエムオペラオーも達成)
有マ記念5年連続出走は当時最多記録。メジロファントム、ナイスネイチャと並ぶ記録で、更新はコスモバルク*10を待つことになる。
引退後も顕彰ウマ娘に選出され、殿堂入りを果たす。同時に選出された面子には、コダマ、メイヂヒカリ、テンポイントなど錚々たる顔が並ぶ*11。
客観的に言って、スピードシンボリの戦績「43戦17勝。うち着外16回」は他の殿堂入りウマ娘に比べ数段見劣りする。しかしデビューから6年間走り続け、衰えを囁かれながらも有マを獲り、海外遠征の先駆けとなったことは、評論家をして「無事是名馬の典型」と評された。
同時にこれらの輝かしい成績は、アリオトにも大きな影響を与えた。社会的な面では、レース界におけるシンボリ家の名は一躍有名になり、専属であるアリオト評価も大きく上がることとなる。加えてアリオトのチーフと、スピードシンボリの専属として活躍した本田の二人のトレーナーの名も大きく広まることになる。
個人的な面では、スピードシンボリは海外での挫折からURAの海外事業部を目指すことになる。後には海外事業部のチーフとなり、後の海外遠征を大きく助けることとなる。本田は日本と海外の差を痛感したことで、精力的に海外のノウハウの獲得に動き、これが後のシンボリルドルフ・シリウスシンボリの国際的な活躍の一助となる。
そして本田とスピードシンボリ、かつてのレースの相棒は、同じ「日本ウマ娘の海外での活躍」という目標のため、時に同じ、時に異なる場所で、ともに働く同志となる。
……チーフになったスピードシンボリが海外を飛び回りまくっていたせいで、シンボリルドルフが二人の関係に気付かず、これが後にある事件を引き起こすのだが、それはまた別のお話である。
ウマ娘の「ハナ差」って何なんですかね。『端差』?
続きます。
一話に丁度いい文字数は……
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5000字未満
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5000〜1万字
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1万〜5万字
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5万字より多く
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どうでもいい