トレーナー君が欲しいシンボリルドルフ VS サブトレ時代のトレーナー君の相棒スピードシンボリ VS ダークライ   作:St. One is Stoned

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予想以上にミスターシービーのレースが長引いてしまった……


大地の震えは、どこまでも

 11月の或る日のことである。その日の京都レース場は、異様な気迫に包まれていた。

 異様とはいえ、原因は分かる。それは観客の熱狂であり、出走者の執念であり、OGの悲願でもあった。

 

 タニノムーティエはクループを発症し凡走。

 ヒカルイマイは屈腱炎を発症し出走を断念。

 カブラヤオーは屈腱炎、カツトップエースは脚部不安を発症、いずれも断念。

 

 ──シンザンを超えろ。

 その悲願でありスローガンは、神話になったまま余りにも長い時間が過ぎた。王手を掛けた者は居た。しかし万全の状態で、この京都に立てた二冠バは以降ついぞ現れなかった──この日までは。

 

 観客席に居る面子は錚々たるの一言に尽きる。セントライト、クリフジ、トキノミノル、シンザン、ハイセイコー、タニノムーティエ、ヒカルイマイ、カブラヤオー、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス、カツトップエース……ざっと見つかるだけでもこの具合である。レジェンドの一覧表を作って、それを頭から順に読み上げたら、一番正確に違いない。

 

 それだけの期待を背負いながらも、当の彼女は飄々として居た。名はミスターシービー。シンザンからおよそ20年、やっと現れた未来の三冠バ。

「彼女の才能は折り紙付きだと思っていたが、本当にここまで来るとはね」

 シンボリルドルフは、嫉妬混じりの感嘆の声でそう零した。三冠という偉業に王手を掛けたことは本心から称賛しているし、彼女なら神話にも到達できると信じても居る。しかし「ようやく現れた三番目の三冠バ」という称号は、丁度来年、彼女が目指していたものでもあった。

 と、そこにケラケラとした笑い声が響いた。二つ隣のスピードシンボリのものではない。それは後ろからの声だった。

「君は随分彼女にこだわっていたからな」

「これはウイナーさん。何故こちらへ?」

「後輩の顔を見かけたものだから。トレーナーに諒解を取って、少し話に来た」

 ニホンピロウイナー。ミスターシービーと同期のウマ娘である。2000mの皐月賞では距離適性もあって20名中ドンケツの20着。しかしそれ以降、マイルや短距離に転向してからは好調である。先の話になるが、マイルの皇帝とまで呼ばれるほどに圧倒的な実力を誇る*1

「妬いているのは私も同じだ。同期の活躍は誇らしいが、今の自分が情けなくもなる」

「そんな、マイルや短距離が実力で劣っているわけではありません。制度充実に日々邁進しておられる先輩が、それを一番ご存知でしょう」

 看過ならない言葉だった。生徒会書記、ニホンピロウイナー。シンボリルドルフが尊敬するウマ娘の一名だ。自身の適正を貫き、「裏街道」と呼ばれたマイル路線を選んだ覚悟。そこで腐らず、マイルのレースの充実に邁進する気高さ。シンボリルドルフの手が届かない場所で、代わりに手を伸ばす有り難さ。シンボリルドルフにとって、ニホンピロウイナーはそういう存在だった。

「短い距離なら誰にも負けない自負はある。それでもこれは、どうしようもないことなんだ。……いや、自分の弱さを外に求めている時点で、彼女には勝てない筈だが」

「そんな……」

「いや、愚痴だ。ミスターシービーが凄いんだ。彼女の走りは、何故かはっきりしないが、強く心を揺さぶるだろう」

 そう言われれば、シンボリルドルフにも返す言葉がなかった。言ってしまえば、彼女の奔放さに見切りをつけず、活躍の機会を与えようと拘ったのは、紛うことなくシンボリルドルフ自身である。そして今現在、こうして一観客としてここに居る。充分な状態で三冠目に挑める、それだけで久しぶりなことだから、と言い訳してみるも、うまくいかない。距離適性に問題があるとか、蹄に問題を抱えているとか、あの走りは邪道だとか(だからこそミスターシービーだし、正道を通って彼女がここまで来れるかと言うと言葉に詰まるが)、夏に風を引いたとか、前走は4着だったとか、挙げれば不安要素は無数にある。なのにここに居るというのは、そういうことなのだろう。

「お、良かった間に合った……と、ニホンピロウイナー? そろそろ始まるぞ?」

 外していた本田が戻って来た。コーヒー缶を持っている。微妙に不満げな顔からして、砂糖抜きのカフェオレは売っていなかったに違いない。

「ああ、有難う。流石に戻るか……トレーナーに小言を言われそうだ」

「それはまあ、仕方ないでしょう。恐らくレース中は中断して頂けますから」

 言外に含んだ「レース後に改めてお説教されるぞ」という言葉は見事に伝わったようである。ニホンピロウイナーは溜め息を吐いて、視線を微かに下に向けて帰っていった。

 入れ替わって本田は持っていたコーヒー缶の片方を、スピードシンボリに渡す。それは砂糖入りのカフェオレの方だ。それを渡してから、本田はスピードシンボリとシンボリルドルフの間の席に座った。

「遅かったじゃないか」

 心の中がちくりとして、ほんの少し苛立たしげに声を掛ける。

「ブラックは嫌いだが、砂糖の入ったカフェオレも気に入らん」

 しかしご所望のブツは見つからず、悩んだ挙げ句にブラックで妥協したらしい。ご立腹な所作でプルタブを開け、不満げな面持ちで一口飲んだ。その顔のしかめ方が滑稽で、シンボリルドルフは軽く笑った。

 それが本田には腹立たしいようで、何とか話を逸らそうと頭を捻る。

「さっきニホンピロウイナーと何を話していたんだ?」

「ミスターシービーはすごいという話だよ」

「珍しいこともあるもんだ」

「何を言う。私のことを、他者を褒めない冷血漢とでも思っているのかい?」

「いや、ニホンピロウイナーがわざわざやってきて、生徒会でもなく個人的な話をするのが、珍しいと言っただけだ。でも気にすることはない。何せ君はミスターシービーに随分ご執心だったから、勘違いするもの無理はない」

 これは一本取られた。若さと甘さが露呈したのもあるが、その恥を本田の前で晒したというのが、尚の事妙に恥ずかしかった。

 そして恥で敏感になった神経は、本田の席の奥から聞こえた微かな笑い声を捉えてしまった。

「……スピードシンボリさん」

「いや、すまないね。ただずっと聞こえてきたもので、しかもウイナーにも言われたことと、寸分たがわず同じことを言われたものだから」

「さり気なく私の恥を更に引っ張り出さないでください」

 ええい、厄介なことになった。ここにマリキータが居ないのだけが幸いだった。彼女が居たらとんでもないことになっていた。そう思って、この情けない気持ちに蓋をしようとする。これでムキになって、キッと睨みつけでもしたら、更に恥ずかしい。

「すまない。二人共忘れるよ……それに、始まるからね」

 その言葉に、シンボリルドルフはピリッとした感覚を覚えた。彼女だけではない。本田も、スピードシンボリも、その他近くのあらゆる者が、一瞬にして目の色を変えた。このあたりは、流石である。

 ──いよいよ、始まる。

 固唾を呑んで待ち侘びる中、遂にゲートが開く。

 21名立て、ミスターシービーは一番人気。曇り空だがバ場は良、スピードが出やすいターフ。

 序盤は4番アスコットエイトが逃げて先頭。彼女が引っ張って全体的に速めな展開。シンブラウン、カツラギエース、リードホーユーが続く。ミスターシービーは最内後方、最後方からのレース。

 第1コーナーを過ぎても、第2コーナーを過ぎても、ミスターシービーは最後方。にわかにファンに不安が走る。曇りの低い雲に、陰りの混じった声が響く。

 とはいえ勝負は第3コーナーからであろう。昨年の菊花賞ウマ娘ホリスキーを真似るに違いない。第3コーナーからギアを一つ上げて、坂をゆっくり──しかし伸びよく確実に──上がり、そしてゆっくり下りる。そしてそのまま確実に先頭に立つ。菊花賞で追い込むなら、こういう風にやるに違いない。

 しかし第1コーナーを過ぎる頃には、アスコットエイトと二番手の間には7バ身ほど開いていた。リードホーユー、カツラギエース、シンブラウンに加えて、ドウカンヤシマも二番手争いに絡んでくる。そのまま第2コーナーを抜け、この辺りになるとアスコットエイトは沈みだし、前の集団はもつれてまんじゅうのように潰れてくる。しかしミスターシービーは最後方。ホリスキーも追い込みだが、いくらなんでも殿には居なかった。

 いくらあの末脚といえど、これは──理屈はやはり三冠は不可能なのだと囁いた。

 それでもあの末脚ならば、或いは──感情はミスターシービーに既に魅せられていた。

 何れにせよ第3コーナーだ。あそこでひとつ上げたギアがどれだけ持つか、どれだけ伸びるか、全てはそれで決まる筈。

 

 そして迎えた第3コーナー。結論から言えば、彼女は理屈も感情も裏切った。

 第3コーナーに入って、遂に彼女がギアを上げた。しかしそれは、一段などという生易しいものではなかった。正真正銘のフルスロットル、スパートである。最高速度で京都の坂に突っ込んだッ!

「おまえ何やってるんだミスターシービ―――ッ!」

 何者かが絶叫した。ファンかもしれないし、彼女のトレーナーかもしれない。ひょっとして競争中のウマ娘かもしれない。例えばアテイスポートというウマ娘は、万全のミスターシービーを叩き潰すために、敢えてホリスキーを紹介したいきさつがある。

「私達をコケにしているのか? 少なくとも、こんなバカをやられて勝ったところで、誰も嬉しくないぞ……それとも負けを悟ったから勝者の栄光にドロを塗るつもりか?」

 アテイスポートに限らず、レース中のウマ娘の心境はこんなところであっただろう。観客席も悲惨なものだ。絶叫する者、憤慨する者、呆れ返る者──とにかく、皆揃って絶望していた。予想を裏切られるとは思っていた。しかし、期待も裏切られた。奴はどこまで自己中なんだ。本田も、シンボリルドルフも絶望した。

 しかし、それは間違いだった。

『4コーナー、早くもミスターシービー先頭で直線に向きます』

 下りをハイペースで下りたミスターシービーは、第4コーナーで既に先頭に居た。本来追い込みとは最終直線で先頭に立つもので、最終コーナーで先頭に立つものは厳密には 捲り(まくり)と言う。捲りは派手で強力だが難易度が高く、中々お目にかかれない。

 ともかく捲りで一気に先頭に立ったミスターシービーであったが、当然ながら他のウマ娘がこれを追う。ドウカンヤシマを抜き去っても、ビンゴカンタが着いてくる。シンブラウンも追いすがる。最終直線にして、今度はミスターシービーが追い込みを喰らう側となる。京都レース場、最終直線403.7mがミスターシービーに襲いかかる。

 京都の坂を飛ばしたんだ、スタミナは既に空っケツだ。我先にとウマ娘は追い込み、追い込み、追い込み……届かない。

「……マジか」

 誰ともなくそう呟いた。

 坂を登って、下って、それでもミスターシービーは衰えなかった。いや、むしろ、更にペースを上げていた。追いすがるも、追いすがるも、届かない。否、近付けない。

 喰らいつく者は居た。それでもと抗う者も居た。でも届かなかった。弾むように走るミスターシービーは完全に独走状態だった。

 いつの間にか観客席の雰囲気は熱狂へと変わっていた。ウマ娘はとんでもないものを見る目でミスターシービーを見ていた。実況も興奮していた。三冠まであと200m、100m、50m。やはり彼女は衰えない。衰えない。

『大地が弾んでミスターシービーだ! 史上に残る三冠の脚! 史上に残るこれが三冠の脚だ!』

 もはや観客席からは絶叫が聞こえ、実況は完全に応援と化していた。最後尾からの大捲りで、定石を無視したタブーの一手で、菊花賞の一着を勝ち取った。そしてここに、およそ20年ぶりの三冠が現れた。

 デビューから三冠まで、全て一番人気。無敗ではない。完全でも無欠でもない。そんな脆さを抱えながら、三冠までずっと一番人気で走り続けた*2。ターフの偉大なる演出家は、曇りの11月13日、遂に三冠を達成した。

 

「凄まじかったな」

 未だ興奮冷めやらぬ観客席で、シンボリルドルフが零した。とはいえこれが彼女である必要はない。本田も、スピードシンボリも、同じ気持ちだった。

 ……いいや、訂正しよう。シンボリルドルフ、彼女もまた凄まじいウマ娘である。

「嫉妬しているね」

「……まあ、多少は」

「あれに嫉妬できるだけで大したものだぞ。お前は大物の器だ」

 自分の未熟なところを指摘されて、しかもそれを褒められて、どうにもこそばゆい。シンボリルドルフは頬を掻いた。

 すると徐ろに、本田がこんなことを言った。

「2週間後にはジャパンカップがあるが……果たしてミスターシービーは出ると思うか?」

「流石に出ないだろう」

 ただでさえハードスケジュール過ぎる。無茶苦茶な走りをしたのだから、尚の事休息は必要だ。

「ああ、流石にな。とはいえ国内外から不満は出るはずだ。『なんで日本で一番強い奴が出てこない』ってな」

「しかし、仕方がないことだろう」

「ああ、仕方ない。だが不満は消えない。そしてその不満は別のところへ行く。……チャンスって奴だ」

 要領を得ない喋りだ。しかしやけに自信満々に喋る。ミスターシービーの走りで興奮していたのもあって、シンボリルドルフはあっさりと引き込まれる。

「何が、言いたい」

「見せつけてやれ、シンボリルドルフ。日本にも強い奴は居るんだって。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ──ああ、ずるい言い方だ。

 高揚していた。感動していた。嫉妬もしていた。それがぜんぶ。

 ぜんぶ……走りたくなってきたじゃないか。

*1
とかなんとか言っておきながら、2年後の天皇賞・秋(2000m)で、しれっとギャロップダイナ、シンボリルドルフに次ぐ3着に入ってたりもする

*2
デビューから三冠までずっと一番人気を維持したのは、ミスターシービーとディープインパクトのみ




レースは一人称の方が書きやすい気がしてきた。次は試してみよう。

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