書き溜めのストックはなくなりましたが、完結目指して頑張りたいと思います。
「セックスって…」
突然過ぎるアイの提案を聞いて、僕は軽くパニックになってしまった。
どうやら人間とは自分にとってうますぎる話を聞いたときは逆に警戒感が働くらしい。僕は今この場でその事実を知った。
「ヒカルは私とセックスするの、嫌?」
「すごくしたいです」
僕は即答した。
すでに愛梨さんに嫌というほど
…今僕の中に渦巻いている感情は、どう表現するのが正しいだろうか。
性欲?独占欲?征服欲?
少なくとも、慈しみに該当するような感情を持てる余裕のある状況ではないことだけは確かだ。
「…アイは僕のこと、愛してくれているの?」
これがどういう意図を持った言動なのか不安になった僕は、思わずアイにそう尋ねていた。
少なくとも今の僕みたいに性欲が昂っているからそういう発言をしたわけではないだろう。男性は女性と比べて性欲を感じる視床下部が2倍以上発達しているというし、欲望で理性がパンクしかかってる今の僕とアイが同じ状態に陥っていると期待するのは流石に望み薄だ。
僕を選んでくれた理由が、僕を愛してくれているからと言ってくれるなら最高だ。僕を自分のものにしたいという独占欲と征服欲から来る行動でも構わない。
――だったら、僕は喜んで
「うーん…君には嘘が通じないから素直に言うよ?」
困った顔をしながら、アイが言う。
「分かんない」
苦笑と共に、そんな答えが返ってきた。
「…愛しているのか分からないのに、セックスするんだ」
「分からないから、色々試すんだよ」
僕の少しがっかりしたような言葉に対して、アイが言う。
僕にとってのセックスとは、求愛行動とマーキングを兼ねた行為だ。僕に対して愛情も欲望も明確に感じていないのに性行為だけを求められているというこの状況で、アイが何を考えているのか僕には未だに分からない。それでも「そのまま流されて負けちゃえ♡ざーこざーこ♡」と耳元で囁く悪魔の誘惑が止むことはない。
「ヒカルが私のこと『愛してる』って言ってくれたこと、本当に嬉しかった。だから、君に頼んでいるの」
アイの言葉を聞いて、悪魔が僕の理性を土俵の外に突き落とした。
決まり手、押し倒し。
「後悔、しない?」
「大丈夫だよ」
アイが僕に微笑みかける。もう限界だ。
僕は本能が赴くままにアイを押し倒し、彼女と濃密な夜を過ごした。
当然ながらアイは経験がなかったので、僕が色々と教えるような形になってしまった。愛梨さんにしっかり
ただその…行為の最中に「がんばれ♡がんばれ♡」と応援するのは…何て言うか、色んな意味で元気になってしまうから止めて欲しい。
この娘はそういう知識はどこから仕入れてくるんだろう。まさか天然?
そうして僕達は愛し合った。心も身体も結ばれたというには少し怪しい関係だったが、それでも僕達は「友達以上の関係」へと一歩踏み出した。
そこから、僕がアイに溺れるのは早かった。
このときの僕は間違いなく人生の中で一番幸せだった。
毎日爛れた欲望の視線に灼かれ、容姿にだけしか価値を認めない求愛を受け続け、愛してるという言葉が嘘にしか思えなくなって、自分の身体を差し出すことでしか人の愛を掴めない気がして。
そんな娼婦みたいな生き方をしている僕をアイは受け入れてくれた。愛してくれた。
僕らは同じだった。愛されない者同士、理解し合えた。
僕にはアイしかいないし、アイには僕しかいない。これからもずっと2人で支え合って生きていけば、この重みと息苦しさにも耐えていける。
――時よ止まれ、汝は美しい。
僕は「この幸せが永遠に続きますように」と神に願った。
そんなささやかな願いすらも分相応だと言わんばかりに、悪魔が僕の魂を奪いに来る。
僕の幸せは、わずか4か月ほどで終わりを迎えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アイは、妊娠検査薬の判定結果をじっと見つめていた。
結果は陽性。「当たり」だ。
生理が2月ほどこなかったので「まさか」と思って試してみたアイだったが、どうやら彼女はカミキヒカルの子供を妊娠してしまったようだ。
彼女にとって、自分が母親になることには恐怖はない。
怖いのは、もっと別のことだ。
カミキヒカル。自分のことを「愛してる」って言ってくれた男の子。
自分に負けず劣らず嘘吐きなくせに「アイとはもう会えない」と言ったときだけは全く取り繕えていなかった可愛い子だ。
私は彼のことが好きだ。「この人と、ずっと一緒にいたい」と思う感情が愛だと言うのならば、きっと私は彼のことを「愛してる」のだろう。
私が彼を好きになったのは、ぼろぼろに泣きながら「愛してる」って言ってくれたあの日からだ。彼は私のことを心の底から「愛してる」って言ってくれた。彼を好きになった理由は、そんな単純なものだった。
彼となら添い遂げても構わない――そう考えたアイだったが、そこで不安と恐怖に襲われた。
ヒカルと結婚する。それも選択の一つだ。
しかしそうしたとき、彼はどうなる?
彼の精神状態は危ない。大人に搾取されることが日常である人生を送っていたため、彼は自らの倫理観を他者の価値観に依存してしまっている。口癖のように彼が「そうするのが正しいから」と言っているのはそういう理由だ。彼の中に、確固とした善悪の基準は存在しない。
きっと彼は、
今の彼は、自分の
あれだけ愛されたいと思っていたのに、愛されることが恐ろしい。
彼の愛に対して、彼を正しく愛せる自信がない。
アイは鏡に映る自分の姿を見る。
鏡に映った自分の姿に、自分の母親の姿がダブって見えた。
恋人と娘の板挟みになって、結局どちらも手に入れることが出来なかった母。
恋人を失った恨みで娘を憎むようになり、私を捨てた母。
自分も、もしかしたら母と同じ道を進むのかと想像すると悪寒が止まらなかった。
今のヒカルと結ばれても、彼が搾取される対象が大人たちから私に変わるだけだ。
私は愛なんてよく分からないけど、搾取して虐げることは愛ではないと思う。
そんな醜悪な愛には、私は憧れない。
かつて姫川愛梨に投げかけた言葉が、アイ自身に重くのしかかっていた。
私は彼を「愛せる」自信がない。
それでも、私を「愛してる」って言ってくれた彼を失いたくない。
時間が欲しい。
私が「嘘」ではない、本当の愛を理解できるまでの時間が。
「せめて、子供が大きくなるまで…」
子供は確実に、彼の重荷になる。
自分の母がそうだったように、子供は自分たちの関係が破綻する原因になるかもしれない。
自分の子供に私と同じ苦しみを背負わせることだけは、絶対に嫌だ。
もしも子供が今の私と同じ年齢…15歳になる頃には私は30歳、ヒカルは29歳。
私がアイドルを辞めて彼と結婚するならば、ちょうどいい年齢だ。
…決めた、子供は私一人で育てよう。
私のこの判断が間違っていたかどうかは、きっと大人になった私の子供が判断してくれる。
そのときにはもしかしたら、私も「愛」というものを理解出来るようになっているかもしれない。
そのときは、私を「愛してる」って言ってくれた彼に相応しいとびきりの愛をあげよう。
アイは決心した。
彼に別れを告げる、覚悟を。
そしてアイドルとして全てをやり遂げた後、もう一度彼とやり直すことを誓った。
大丈夫、私は彼よりももっと上手に嘘が吐ける。きっと上手くいく。
このときアイはそんな風に楽観的に考えていた。
――カミキヒカルの愛と自分の愛が、全く嚙み合っていないことに気づかないまま。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――世界が壊れる音がした。
「えっ……どういう事?」
「…だから、うん。私達、もう会わない方が良いって」
なにもかんがえられない。
あしもとがふらつく。いまにもたおれてしまいそうだ。
「なんで…そんな事…」
「えっとね、妊娠した」
アイの言葉が頭に入らず右から左に流れていく中で、辛うじて「妊娠」という言葉だけを聞き取った。
そこでようやく僕はアイが陥っている状況を、ほんの少しだけ理解した。
「えっ…だってちゃんと……」
「そういう事もあるんだよ。保健体育の授業ちゃんと受けてた?」
…避妊の失敗は保健体育の授業とは何の関係もないと思うが、問題はそこではない。
「…そっか、じゃあ結婚しよう!」
子供が出来た。ならば、男としてその責任を取らなければならない。
「結婚して一緒に「無理!」
僕の言葉を遮るように、アイが拒絶の言葉を言い放つ。
「君は顔も良いし、適当に若者らしく付き合ってくだけなら別にアリなんだけど、君と一生一緒ってのは私には荷が重いかなぁ」
――ぼくは、君だけが傍にいればそれで良かったのに。
僕に優しくしてくれたのも、泣いている僕を慰めてくれたのも…全部「嘘」だったのか!?
「私知ってるんだ。大輝くんって君と愛梨さんの子供だよね?」
今まで優しかったアイの掌返しに激昂する僕だったが、アイの次の一言はそんな僕の怒りを氷点下に叩き込むものだった。
どうしてそのことを君が知っているんだ!誰から聞いたんだ!?
糾弾する立場から糾弾される立場に早変わりして、怒りで真っ赤になっていた僕の顔が真っ青になった。
…ああ、そうか。愛梨さんか。
愛梨さんが、僕がアイと別れようとしないからアイのほうから僕を捨てさせるように教えたのか。
「無理無理、流石にそれはキツいって!背負えないよ!子供も…うーん、私じゃ難しいかな」
アイが「勘弁してよ」という表情をしながら僕に言う。
その言葉を、僕は呆然としながらどこか他人事のように聞いていた。
結局、愛梨さんのほうが正しかった。
アイドルと付き合うなんてやめておけばよかった。お互いが苦しんで、10代で妊娠という消せない傷をアイに残しただけの最悪の結果に終わってしまった。
「もうおしまい」
今更後悔しても、もう遅い。
すべて、手遅れだ。
「――私は君を愛せない」
その言葉を残して、アイが去っていく。
何も考えられない。
考えたくない。
僕の意識が、真っ暗な闇の底に沈んでいく。
――僕はアイを失うという絶望に耐えきれず、床に倒れ込んだ。
だから僕は、ドア一枚を隔てた向こう側でかつての僕みたいにアイがぼろぼろ泣いていることに気づくことも出来なかった。