2025/6/28 「B小町」結成から4年間で5人脱退しているという情報を見落としていたので修正。
2025/10/9 アクアの誕生日が4月~5月だったので、日付を「2004年8月頃」から「2005年3月頃」に修正。
「ニノに推し変していたことがバレた」
リョースケが青い顔をしながら僕に会いに来たと思ったら、いきなり彼からそんなことを打ち明けられた。
「何やってんだ、コイツ」というのがその話を聞いた僕の感想だ。君たちの痴話喧嘩に僕を巻き込まないで欲しいんだけど。
何故バレたのかというと、ここしばらくの間に発売されたニノのアイドルグッズをリョースケが全く買っていなかったのが原因だという話だった。まあそのぐらいなら金欠を理由にすれば誤魔化すことは出来る話である。
推し変がバレる決め手となったのは、ニノのグッズはどんなものがあるのか全く知らなかったくせにアイのグッズについては妙に詳しかったことだった。
アイのアイドルグッズにはアイ考案のオリジナルグッズが混ざっていて、それと同じものをニノも売り出しているとリョースケが勘違いしたまま話を合わせようとした結果、それが致命傷になってしまった。会話中に色々と話が食い違ってる点があったことに疑惑を抱いたニノがリョースケを問い詰めた結果、芋づる式に彼の推し変が判明したという流れだ。
推し変するリョースケも悪いが、推し変されるニノの方にも問題があるんじゃないかと少し思ったがそれは言わなかった。僕も命が惜しい。
ニノとリョースケは元々
リョースケ曰く、「ニノの顔が鬼のように見えた。周りに殺意のオーラが漂っていて、殺されるかと思った」という話だった。そんな恐ろしい修羅場に僕を巻き込まないで欲しい。
そんなわけで、ニノがリョースケを許す条件として出した内容とは、音信不通の行方不明になったアイの居場所を探すこと。そんな無茶振りをされたリョースケは藁にも縋る思いで僕のところに来たというのがこれまでの流れだ。
…僕に相談しても無駄なのに。アイが僕に連絡をくれるなんて、DV男から逃げた女性が相手に連絡先を教えるぐらいありえない。そもそもリョースケと殴り合ったのはつい先日の話なのに、たった数日で僕達の状況が変わると本気で思っているのだろうか。もしそうならば僕はリョースケの評価を類人猿以下にまで下げないといけない。
流石にリョースケも無理筋だと理解はしていたようなので、僕はリョースケの評価をチンパンジー以下に下げるのを一旦保留した。彼の評価を下げる機会はきっとまた出てくるだろうから焦る必要はない。
結局僕は「アイから連絡が来たら教えてくれ」というほぼ無駄になる約束をリョースケとしただけに終わった。
…そう、思っていたのだが。
「もしもし、ヒカルー。私だよー」
「アイ!?」
8月のある日、発信元が公衆電話からの電話が僕の携帯にかかってきたと思ったら、なんとアイからの電話だった。
「アイ!今までどうしてたんだ!?今どこにいる!?身体は大丈夫!?お腹の子はどうしたんだ!!!?」
「そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよ」
矢継ぎ早に捲し立てる僕を宥めるように、優しい声でアイが言う。以前と変わらない、どこかのほほんとしたアイの声を聞いて僕は感情が激しく揺れ動く。
少なくとも、嫌われている感じの雰囲気ではない。それだけでも僕の心の緊張と身体の強張が幾分か和らいだ。
「今高千穂の病院から電話してるの。身体は母子共に問題なし!超元気だよ!」
「……高千穂って、どこ?何県?」
「宮崎県」
「遠ッ!?」
アイのアイドル活動休止の情報を見たときに「もう東京にはいないかも」とは覚悟していたけど、アイが僕の想定以上に遠く離れたところに潜伏していたので思わずツッコんでしまった。
…ちょっと待った。「母子共に問題なし」だって?
「アイ…子供、産むの?」
「うん」
僕の問いかけを、アイは肯定した。
アイが、僕の子供を産む。
その事実に、僕の胸の中に複雑な感情が渦巻いた。
僕とアイとの絆がまだ残っているのは嬉しい。でも、シングルマザーになってでも僕を受け入れたくなかったアイの心境が未だに僕には理解出来ない。
いや、理解したくないと言ったほうが正しいか。
――アイの声は、別れる前と何も変わらないのに。
僕達の心の距離は、果てしなく遠い。
「アイ…僕達、やりなお」
「あっ、ヤバ!
僕が「子供を産むなら、僕達がやり直せる余地はあるんじゃないか」とアイに聞こうとしたところでガチャンと電話を切られてしまった。
本当に事務所の社長が来たのか、それとも「嘘の理由」をでっち上げて電話を切ったのかは僕にはわからなかった。
少しずつ、僕はアイが信じられなくなっていく。
着信履歴は「公衆電話」と表示されていたので、僕からアイに連絡することは出来ないし電話番号からアイが住んでいる住所の検索も出来なかった。
しかし、電話でアイが言っていた「高千穂の病院」を調べてみたところ、その町に産婦人科のある病院は一つしかなかった。
その病院に、アイはいる。
そこまでの情報を得て、それでもなお僕はアイに会いに行く決心がつかなかった。
ハードルは沢山ある。現役アイドルの妊娠という特大のスキャンダルを抱えている以上、アイが入院している病院まで行っても簡単には合わせてくれないだろうし、よしんば合わせて貰ったところでまたアイに拒絶されたらそれこそ僕は立ち直れない。下手すればストーカー扱いで通報されてめでたく前科持ちだ。
そんな精神的なハードルと物理的なハードルに加えて、それ以上にもっと切実な理由がある。
「高千穂町までの交通費、往復で25600円かぁ…」
宿泊費と食費まで含めたら、軽く3万円をオーバーする。
中学生の僕が準備するには、少し高すぎる金額だった。
「というわけで、アイは宮崎県の病院に入院しているみたいだ」
アイの居場所が判明したので、約束通りリョースケに
今回はニノも一緒だ。ニノはアイのことを嫌っているとはいえ、自分のアイドルグループが事務所ごと崩壊するような危険は流石に犯さないだろう。…ごめん訂正、ちょっとだけ、いやかなり不安だ。今更言うのもなんだけど、本当に信じていいのかなと少し後悔しているところだ。
ええい、ままよ。もうどうにでもなってしまえ。
「アイが入院している理由は体調不良じゃなくて、子供を妊娠してしまったからだ。これがバレたら苺プロの事務所ごとB小町が消滅することだけは理解しておいて欲しい」
「わかってるわよ」
そんな当たり前のことを今更言うな、とでも考えてそうな表情でニノが言う。
「それが分かってて、こんな危ない橋を渡るのか。君は…」
「アイの弱みを握りたいと思う気持ちはまだあるけど、今はそれ以上に斉藤社長の弱みを握りたいって気持ちのほうが強いわ」
悲壮な覚悟の籠った表情を浮かべてニノが言う。
「こないだ、またB小町から卒業するメンバーが出たわ。斉藤社長はアイを露骨に贔屓している。このままだと、私達は一生アイのバックダンサーとしてB小町の活動を続けていく道しかないのよ」
B小町が結成されてから3年が経過しもうすぐ4年になるが、この4年間ですでにB小町は5人のメンバーが脱退している。そして彼女たちがB小町を卒業
ニノの言葉には「嫌いな女の子をイジめてやろう」といった程度の低い志ではなく、「やらなきゃやられる」といった切羽詰まった感情が籠められていた。
「私だって頑張ってるのに!誰よりレッスンして真面目にやってるのに!アイがいる限り私たちはずっとあの子の引き立て役!!許せないよ!!」
「でも、アイがいるからこそ淘汰を免れている。アイがいなければ、きっとB小町は地下アイドルから上にのし上がることは出来ない」
「そんなこと、アンタに言われなくても分かってるわよ!」
正論を突き付ける僕を睨みながら、ニノが叫んだ。
元々B小町は、弱小事務所の中学生モデルたちの寄せ集めとしてスタートしたアイドルグループだ。中学生向けのファッション雑誌でモデルをしていたニノだって、どこに出しても恥ずかしくない自他共に認める美少女である。
しかし、成長期の女子は容姿の変化も激しい。
大抵の場合、あどけなさを失ったジュニアアイドルは、「普通」の女性になっていく。
高校生になって、「幼さ」と「あどけなさ」というセールスポイントが失われていって、それに代わる才能も人並みのものしか持っていないニノは今はっきりと焦りを感じている。リョースケの推し変発覚も、ニノに焦りを感じさせる原因となっているのだろう。
だから、ニノはアイの致命的なスキャンダルをネタに斉藤社長を脅すという強引な手段を企てた。
「何もお金を強請ろうとしているわけじゃない。自分の待遇を改善してもらおうというだけ。Win-WinというよりはLose-Loseの関係だけど、だからこそ妥協点はあるはず」
言葉を飾れば、ニノはアイと斉藤社長と運命共同体になろうとしているだけだ。
お互いを裏切れない関係にならないと安心できないという状況は末期感が漂ってるが、それぐらい芸能界は過酷な環境だということなのだろう。
…そう思わないと、やってられない。
「それじゃ、みんなで高千穂旅行と洒落込みますか」
一人だけ気楽な感じで僕達の様子を伺っていたリョースケが、話はまとまったと言わんばかりに口を挟んできた。どうして部外者みたいな顔をしているんだ、君は?
「旅費はリョースケのオゴリね」
「はぁ!?なんでだよ!!?」
そんなリョースケにニノの容赦のない制裁が襲いかかる。流石ニノ、僕には出来ない非人道的行為をいともたやすく簡単にやってのける。このぐらい図太くないと事務所の社長に喧嘩を売るなんてとても出来ないのだろう。
「私はリョースケがアイに推し変してたこと、まだ許してないわよ」
「いやいや、往復5万も俺が一人で払えるわけないだろ!?」
「もうすぐ春休みなんだから、今からバイトを増やせば間に合うでしょ。大丈夫、その分私のアイドルグッズを現物支給してあげるから損はさせないわよ?」
「鬼!悪魔!ニノ!!」
ファイトマネーを自分の試合の観戦チケットで支払われる新人のプロボクサーのような仕打ちを受けて、がっくりと項垂れながらリョースケが悪態をつく。
今は西暦2005年、就職氷河期と呼ばれる不況はまだ終わっておらず世間のバイトの時給は700円から750円程度しかない。おまけに新人研修の期間は更にここから10%ほど時給をマイナスされる極寒の地獄だ。
彼のニノからアイへの推し変の代償は、余りにも大きかった。これからリョースケは貴重な高校時代の夏休みをバイトに明け暮れて過ごすことが決定した。
「ぐぬぬ…わかった、でもニノの旅費は出すけどヒカルの分は出さないからな!お前は自腹で行け!!」
「流石にそこまで良介くんにさせるつもりはないよ」
流石に僕はニノと違って金欠の友人から笑顔でお金を巻き上げるほど人の心を捨ててはいない。とはいえども、アイに会える「かもしれない」というチャンスのためだけに大金を使うのは少し躊躇する。会うことが出来なければ、完全に死に金だ。
…いや、お金の問題は所詮言い訳に過ぎない。
僕は、
「僕はやめとくよ。お金もないし、どんな顔をしてアイに会えばいいのか分からない」
せめてアイの方から僕に会いたいと言ってくれたのならばお金に糸目をつける気はなかったのだけど、それこそあり得ない妄想だ。僕とアイの関係はもう終わってしまっている。それを僕が女々しくも認められないだけの話でしかない。
現実とは、僕の事情で動いてくれない。いつだって非情な存在だ。
僕は結局旅費を準備出来ないことを理由にして、リョースケたちと一緒に高千穂に行くことを断った。
――だから、高千穂の病院でリョースケたちが起こした事件のことは、