春休みが終わり、4月になった。
結局リョースケは春休みの間に高千穂までの旅費を稼ぎきれず、4月までバイトを続ける羽目になった。
ようやく旅費が貯まったと思ったら今度はB小町のスケジュールが忙しくなったため、ニノとの都合が合わなくなって高千穂遠征はまたまたお預け。忙しさにかまけてズルズルと先延ばしにしている間に、あっという間に暦は4月の下旬になっていた。
「…社長。アイの復帰っていつ頃になりそうですか?」
「んー、そうだな。来月ぐらいには復帰できるんじゃないか?」
B小町のライブの後にさりげなくニノが斉藤社長に探りを入れたところ、来月にはアイが復帰する…つまり出産をすることが分かった。
アイが出産を終えてしまえば斉藤社長を強請るネタはなくなる。アイの子を見つけたところで、親戚の子を預かっていると言えば終わりだ。
タイムリミットが迫っている。そのことにニノは焦っていた。
それでも、アイが妊娠している姿を撮って斉藤社長の弱みを握るという計画を断念する気はニノにはなかった。
――そして、ついにその計画が実行される。
「なんで東京より宮崎のほうが寒いんだよ!?」
春になって暖かくなってきた気温に合わせて薄着で高千穂までやってきたリョースケだったが、バスから降りた途端に湿った風を吹き付けられて身体を震わせながらそんな愚痴を吐いた。
羽田空港から熊本空港まで飛行機でひとっ飛び。そこからバスに乗り継いで待つこと2時間、彼らは高千穂に到着した。ちなみに高千穂までは宮崎空港よりも熊本空港から移動したほうが近くて早い。
「ヒートアイランド現象ってやつね。最近九州地方で大雨が降ったらしいから、その影響で余計に気温が下がっているのかもしれないわ」
「取り敢えず上着を買いにいこうぜ。なんか妙に風が冷たくてキツいって」
「目立たない色を選びなさいよ」
腕を擦りながらそんなことを言うリョースケに対して、にべもなくニノが言い放った。
ホテルのチェックインを済ませるには少し早い時間だったので、彼らはレンタサイクルで自転車を調達して先にショッピングモールに足を運んだ。当然ながらホテルは別室だ。一泊3800円で部屋を確保出来たのは金欠の彼らにとって僥倖であった。
そして金欠で少しでも出費を抑えたい状況にも関わらず寒さに耐えかねたリョースケがショッピングモールで買ってきた上着は、やや大きめの真っ黒で無地のメンズパーカーだった。
「セール品で安かったんだよ。誰かさんにタカられて金ないし、割とカッコいいデザインだしな」
そんなことを言いながらリョースケがパーカーのフードを被る。目立たない色ではあったが、フードを被ってしまうとまるでファンタジー世界の漫画に出てくる悪の魔術師のような姿になってしまってむしろ不審者度は上がっていた。
「なんか中二っぽい」
ニノの評価は、あくまでも辛辣だった。
上着を調達し、ホテルのチェックインを終えた二人はキコキコと自転車のペダルを漕ぎながら坂を上っていく。アイが入院している病院は山の上にあるので自転車だと中々しんどい。重力に邪魔されて速度の出ない自転車を必死に漕き続けて彼らが病院の近くまでたどり着いたころには、すでに夕方になっていた。
「産婦人科医は…雨宮吾郎、この人か」
病院の壁に医師の名前と顔写真の一覧が貼り出されていたので、アイの担当医であろう人物の
妊娠した年齢からして完全にワケあり患者であるアイなので、担当医は100%アイの味方だろう。友達だからアイに会わせてくれと言ったところで面会できる可能性は非常に低い。不審者扱いされて追い返されるのが関の山だ。
アイに会うためには、担当医のガードを掻い潜る必要がある。
なので、ニノ達は一計を案ずることにした。
敢えて担当医の前にリョースケが姿を現して、注意を引く。そして担当医をアイから引き離した隙にニノがアイを探す。つまり、
「この作戦ならもし失敗しても、リョースケがストーカーとして警察に突き出されるだけで済むわね」
「お前本当に人の心ないよな!?」
「人の心?何それおいしいの?」
リョースケの言葉をニノは馬耳東風と言った感じに聞き流す。
お人好しというべきか、惚れた弱みというべきか。彼らはずっとこの調子で過ごしてきてまだ別れていないのだから、なんだかんだ言って2人の相性はいいのだろう。
そんな感じで、彼の抗議も空しく無常にも囮作戦は決行されるのであった。
リョースケは病院の外で担当医が外に出てくるのを待ち伏せし、ニノは病院のトイレの個室に籠って潜伏。リョースケからのメールを合図にアイの病室を探す作戦だ。
その状態で、待つこと1時間。ついに
「あんた、星野アイの担当医?」
真っ黒なフードを被った不審者スタイルの状態で、リョースケが雨宮吾郎に声をかける。産婦人科医は複数人いるので彼がアイの担当医とは限らないだろうが、それならそれで何か情報を引き出せるかもしれない。彼はそんなことを考えていた。
「………彼女が受診する際は偽名を使っている。病院で見かけたにしても、なんで公表されてない彼女の名字を知ってる?」
「星野アイ」の名前を出すと、雨宮吾郎は大きな反応を示した。
アタリだ。コイツがアイの担当医で間違いない。
「関係者か?名前を聞いていいか?」
リョースケは雨宮吾郎の質問に答えず、木々の生い茂る山道に向かって走り出した。
「おい!ちょっと待て!」
リョースケがチラリと後ろを見ると、雨宮吾郎が慌てて自分の後を追いかけて来るのが見えた。追跡されずに病院に戻って110番通報されるのが彼にとって一番嫌なパターンだったが、どうやら囮の役目は果たせたらしい。
リョースケは事前に本文を入力して準備しておいた合図のメールをニノに送信し、雨宮吾郎に追いつかれないように全力で走る。
まだ夜の7時にもなってないのにすでに辺りは街灯の明かりが必要なほど暗くなっており、空には星が輝いていた。そんな暗い山道を走っていたせいでリョースケは途中で木にぶつかりそうになったが、なんとか激突を避けて駆け抜けていく。途中で獣道を抜けてまっすぐ突き進んでいくと、その先が崖になっている行き止まりにたどり着いた。
これ以上は逃げられない。リョースケの脳裏に、そんな考えが思い浮かんだ。
「くそ…こんな山道走らせやがって……」
雨宮吾郎の声が近くで聞こえたので、さっと木の後ろに身を隠す。
見つかったらどうなるのだろうか。アイの妊娠というスキャンダルを追いかけて東京から宮崎まで来たのだから、悪質なストーカー扱いで警察に突き出されるのは確実だ。
初犯なら厳重注意で済むのだろうか。前科はつかなくても、アイドルライブを出禁にされるかもしれない。きっとニノは他人のふりをするのだろう。
…そこまで考えたところで、リョースケは今の状況になんだか腹が立ってきた。
時給700円で3週間も働かされて。もらった給料は全部
――なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだ。
リョースケを取り巻く環境と理不尽過ぎる仕打ちに、ついに彼の怒りが限界を超えた。
彼の視界に、スマホのライトで辺りを照らしながら自分を探している雨宮吾郎の背中が見える。
気づいたら、リョースケはその背中を強く押していた。
「あっ……」
雨宮吾郎が崖から落ちていく。
リョースケはせいぜい4〜5メートル、2階の窓から地面ぐらいまでの高さの崖だと思っていた。
しかしそれは、暗さで崖の下に生い茂る木々の葉を地面に生えた草木と見間違えていたせいだった。
木々に巣を作って眠っていた烏たちが、突然の落下物に驚いて一斉に飛び立っていく。
崖から落ちた雨宮吾郎がどうなってしまったのかは、リョースケが立つ場所からは確認することは出来なかった。
リョースケ「ついカッとなって殺った」
結局これしかゴロー先生の殺害動機が思いつかなかったんですけど。