そのころニノは、リョースケから担当医を誘き出したという合図のメールを受けて行動を開始。高千穂の病院の中を探索していた。しかし、
「全然見つからない…」
病室の前に掛けられている入院患者のネームプレートを片っ端から調べていけばアイを探すのも楽勝だと思っていたら、「星野」という患者が入院している部屋はどこにも見当たらなかった。
偽名や匿名で入院している可能性を考慮してネームプレートだけではなく病室の中もチラリと覗いていくが、それらしき長髪の若い女性の入院患者は一人もいない。個室まで確認したが、成果はゼロ。「本当にこの病院にアイが入院しているのか」という不安がだんだんとニノの心の中で膨れ上がっていた。
苛立ち紛れにリョースケにメールを飛ばすが、相手は梨の礫。成果の上がらぬ探索を続けることで焦りと苛立ちを積み重ねるニノだったが、彼女の我慢が限界に達する直前で、ようやくリョースケから電話がかかって来た。
「返事が遅い!何してんのよ!?」
「…アイの担当医が崖から落ちて死んだ」
「はぁっ!?」
しかしリョースケの連絡は、彼女たちの事態をより悪化させるものであった。
「ひぃっ…」
病院の裏口からこっそりと抜け出しリョースケと合流したニノだったが、崖から転落した雨宮吾郎が頭から血を流してぐったりとしているのを見て顔を青くした。
「ほ、本当にこの病院にアイが入院してたの!?病室全部探したけどアイいなかったじゃない!!」
恐怖を誤魔化すようにニノが叫ぶ。
「大声を出すな!間違いなくこの病院だよ!この医者だってアイの名前に反応してたし、名札にアイのキーホルダーを入れて首からぶら下げてるじゃないか!!」
リョースケが雨宮吾郎が首にかけているカードホルダーを指差して反論する。ニノはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、ここで問答していても事態は悪くなる一方だと理解したらしく歯を食いしばって言葉を飲み込んだ。
「とにかく、死体をどこかに隠さないと」
「やだぁ…気持ち悪いぃ……夢に見そう………」
雨宮吾郎の遺体を埋めようにも、土を掘り起こす道具がない。ホームセンターにスコップを買いに行くにしても閉店時間までに間に合うか微妙だし、地元民でもない学生が夜中にスコップを担いでウロウロしている姿を警察に見つかって職質でもされたらそれこそ言い訳のしようがない。
不幸中の幸いといってもいいのか微妙だが、リョースケたちと雨宮吾郎は全く面識がない。つまり、彼を殺害するような動機は客観的に見て一切存在しない。
山の中に遺体を隠して東京に戻って、自分たちがアイを探して高千穂に行ったことを黙ってしまえば事件はそのまま迷宮入りだ。
2人は遺体を隠せる場所を探して彷徨っていると、雨宮吾郎が転落した場所から少し離れたところに何かの神様を祀った小さな祠の後ろに洞窟になっているスペースを見つけた。
奥行きは10mほど。遺体を隠すには、丁度いい場所だ。
「取り敢えずここに死体を運ぼう」
「で、でも。こんな子供が好みそうな場所、すぐに見つかるかも…」
「あんなところに放置するよりよっぽどマシだろ!?」
「でも」、「だって」ばかり言って建設的な意見を全く言わないニノをリョースケは一喝し、雨宮吾郎の遺体を後ろから抱きかかえて引き摺りながら洞窟まで移動させる。雨宮吾郎の遺体から漂う血の匂いに、リョースケは何度も嘔吐きそうになった。
必死の思いで遺体を運び、ようやく目的の祠までたどり着く。ひんやりとした夜の気温にも関わらず、リョースケの顔は冷や汗と脂汗でびしょびしょになっていた。
人が2、3人入れる程度のあまり大きくない洞窟の真ん中に雨宮吾郎の遺体を放置して、リョースケが顔の汗を拭う。そして2人は急いでその場を立ち去った。
「こんなとこ、来なければよかった…」
自分で計画して始めたことなのに、まるで被害者のように泣き言を繰り返すニノを見てリョースケは彼女に怒鳴りつけるのを必死に我慢していた。
「やっと…帰ってきた……」
羽田空港で飛行機から降りたニノが、安堵の息を漏らす。
高千穂で雨宮吾郎が死んだ日の翌日、彼らは文字通り逃げるように東京に帰還した。ニノはある意味では自分のせいで死んでしまった人間の死体を見てしまった恐怖とストレスで全く眠れず、目の下に隈を作って髪のツヤを失ったアイドルらしからぬボロボロの姿になっていた。
東京に戻るまでの時間は、彼女たちにとって本当に生きた心地のしない時間であった。
リョースケは東京に帰ってすぐに、カミキヒカルに自分たちが斉藤社長を脅すネタを探しに高千穂まで行ったことを絶対に他人に言わないように約束させた。これで後はしばらく死体が見つからないことを天に祈るしかない。数年も経てば、自分たちが昨日あの病院を訪れていたことを覚えている人は自分たち以外に誰もいなくなるだろう。
それこそ、
翌月、アイはB小町に復帰した。アイはブランクを感じさせないパフォーマンスで復帰を待ち望んでいたファンたちを魅了した。アイドル活動を休止していたこの半年の間にアイが出産をしていたなどとは誰も気づかないだろう。
それから1年の間に何か心境の変化があったのか、一部のファンから「営業スマイル」呼ばわりされていたアイの笑顔が自然な笑顔になって彼女の人気はさらに高まっていくことになった。ちょうどB小町のライブ中に双子の赤ちゃんがサイリウムをブンブン振り回してオタ芸を披露する事件が起こったときぐらいからアイの雰囲気に変化が始まっていたが、その事件と何か関連性があるのかは不明だ。
そんなアイの躍進と裏腹に、ニノの存在は目立たないものとなっていく。
まずニノの激しい自己主張が大人しくなった。斉藤社長の指示に不満を示さず従うようになり、プロデュース側のスタッフにとって扱いやすいメンバーとして落ち着いていった。
その裏で、ニノとリョースケは疎遠になっていた。「アイドルに専念したい」というのがニノの言い分だったが、本音はリョースケが
もし殺人事件が発覚して、リョースケの交友関係を洗われてニノにまでたどり着いたときに「彼はただの中学時代のクラスメイトです」というための布石なのだろう。
「そうか。分かった」
ニノから別れ話を切り出されたリョースケは、何も言わずにニノの要望を受け入れた。
一時の激情に身を任せたせいで、金も恋人も失ってしまった。リョースケは、胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのような虚しさを感じていた。
リョースケは明かりを消した暗い自室で、スマホでB小町のライブ動画を見ていた。
落ちぶれていった自分たちと違って、画面の向こう側ではアイが飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進している。
ニノの自分勝手な都合で別れを告げられたリョースケだったが、長年付き添って情が移ったせいか彼はニノのことをあまり恨む気にはなれなかった。
行き場をなくした憎しみは、ニノと自分が転げ落ちる原因となった相手に向けられる。
「アイ…この嘘吐き……
せめて学生アイドルが子供を妊娠するなんていう
せめて
せめて別れた相手に電話をして自分の居場所を知らせるというわけの分からない行動を取らなければ、そもそも高千穂まで行かなったのに。
――せめてお前がいなければ、俺は人殺しの犯罪者にならなくて済んだのに!
『♪――頑張れ頑張れ大丈夫!キミは絶対大丈夫!!』
歌いながらカメラに向かって、愛嬌を振りまくアイ。
最近アイの笑顔から硬さが抜けたとの評判だったが、むしろリョースケはアイの浮かべる笑顔が自分を素通りして他の誰かに向けられているような錯覚を抱いていた。
ニノも、カミキヒカルも、当然自分もアイの視界には入っていない。
アイにとって、自分たちはただの
あれだけ憧れていたアイのパフォーマンスが、全て「嘘」に見えて仕方がない。
「…騙したな……」
リョースケの本質は激情家。
猪突猛進、思い込んだらとことん突っ走る性質だ。
恋人がいるのに推し変したり。自分勝手な思い込みで親友をぶん殴ったり。
――ほとんど八つ当たりみたいな理由で、人を殺してしまったり。
たった少しの歯車の狂いが、彼と彼の友人すべての運命を間違った方向に動かしていく。
そして高千穂での事件から3年後、ついに彼は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだった。