でも14巻のシーンとか、カミキヒカルって完全にホストの顔してるよね。
僕が愛梨さんの紹介でホストクラブで働くようになって一年が過ぎた。
収入は今までの倍以上になって、カツカツだった生活に余裕が生まれて貯金も出来るようになった。情熱を籠めて真剣にやる役者の仕事よりも金のためにやる卑しい仕事のほうが高い給料が貰えるのはなんだか複雑な気分だったが、今となってはもうそんな葛藤は残っていない。
ホストの仕事なんて簡単だ。やってくる女性に対して共感し合うだけの会話を続けていればいい。
ホストクラブにやってくる女性のタイプは自己肯定感が低かったり逆に自己顕示欲が強かったり、日常生活にストレスを抱えていてそれを発散したかったりと千差万別だが、共通することはただ一つ。大切なのは、彼女たちの話を絶対に否定しないことだ。
男は理屈で物事を考えるが、女は感情で物事を考える。
彼女たちが欲しているのは僕ではなく、彼女たちの思い描く理想の男性。愛梨さんもよく言っていたが、人間相手ではなく「家畜の世話」だと思えば煩わしさを感じず仕事と割り切れた。豚の世話と猫の世話ぐらいの差はあるかもしれないが、そんなものは些細な違いでしかない。
愛されるために「嘘」で己を
今までと、何も変わらない。
子供のころからそうやって生きて来た僕がホストとして人気が出るのは当然の帰結だった。
ホストの仕事は順調で、生きていくだけならもはや役者を続ける必要はない。
それでも僕はまだ役者を続けている。
愛梨さん、清十郎さん、ニノ、リョースケ、そしてアイ。
僕が大切に思っている人たちは、みんな僕が役者を始めたことで縁が生まれた相手ばかりだ。
演劇は僕に残された最後の絆。他者に媚びいることでしか何かを得られない空っぽの僕が、唯一自分の力で何か価値あるものを生み出せる手段。
僕自身が
――それが全部、僕の思い上がりだったことに気づいたのは僕がすべてを失った後のことだった。
「カンパーイ!」
とある日の夜、僕の住んでいる安アパートに清十郎さんがアルコール持参で押しかけてきた。
「ヒカルー!お前最近羽振りがいいらしいじゃねーか!もっといい部屋に引っ越したらどうだよ!!」
「貧乏生活から抜け出しただけです。羽振りなんてよくなってませんって」
宅飲みでお酒をグイグイ呷りながら、清十郎さんが僕に絡んでくる。
この人はお金は持ってないけど、交友関係は広い。しかも他人に奢らせるテクニックまで備えているのでかなり厄介だ。僕が苦労して稼いだ金をあぶく銭扱いされてはたまらないのであまり贅沢はしていないと謙遜しておいた。
「そういやヒカルは酒はいける方か?ホストやってるんだから客から飲まされることも多いだろ?」
「まだ僕は19歳です。お酒は後1年ほど早いですよ」
「構わーん!俺が許す!飲め飲めー!!」
ホストクラブでたまに見かけるアルハラ客みたいな絡み方をされて、僕は渋々清十郎さんに差し出されたハイボールをほんの少しだけ口に含む。
…苦くて不味い。どうして大人たちはこんなものを喜んで飲むのだろう。
慣れない酒を飲むのも程々にして、清十郎さんと他愛もない話を続けていく。
相変わらず清十郎さんの役者の仕事は鳴かず飛ばずでパッとしないこと。愛梨さんが海外ロケで留守にしていること。大輝くんが小学2年生になったこと。世間話なのか愚痴なのかよく分からない話を取り留めなくだらだらと続けていく。
そして話題は演劇の話になり、そこから僕自身の話へと変わっていった。
「ところでさ、お前、これからも役者続けていくの?」
酒が回って思考が酩酊し始めた清十郎さんが、突然そんなことを切り出してくる。
「当然続けていくつもりですよ」
「いや無理。お前才能ないから」
僕の返答を、清十郎さんは容赦なく一刀両断に切り捨てた。
「趣味で続けていくならいいけどよ。お前、中学卒業してから全然演技が上達してないんだわ。最近お前が出演したドラマ、見たぜ?あれ、事前に用意した演技だろ。感情が乗ってないから端々の反射神経が悪い。演技を全部事前に作っている奴の演技だ」
酒で赤く染まった顔でヘラヘラ笑いながら、清十郎さんは僕にダメ出しをする。流石僕よりも長く役者を続けている先輩だけあって、清十郎さんは僕の痛いところを的確に突いてきた。
「で、でも!多少感情のノリが悪くても僕は台本の内容通りにちゃんとやれてます!!」
「事前に演技プランをガチガチに組んできたり、なんとなくでこなしてる人も役者の中にはいる。でもな、そういう奴はいずれどっかで消えちまうんだ」
「…どうしてですか?」
「作品の質に貢献出来ない役者は要らねぇんだよ」
酒が入っているとは思えないほどに鋭い清十郎さんの眼光が、僕に向けられる。
「ここぞと言う時、作品の質が問われる瞬間、監督や演出の手が入る。ここをああしろこうしろ、もっともっとと指示されていくと今まで組んでいたプランが全部崩れて何をどうすればよくわからなくなる。お前のような全部頭で考えて動くお利口さん連中は、大体そこらへんで脱落だ」
「………っ」
清十郎さんに図星を突かれた僕は思わず絶句してしまう。今日の清十郎さんは容赦がない。なんだか僕は、僕に現実を突き付けることで役者を辞めさせようとしているような雰囲気を清十郎さんから感じた。
先輩面して余計なことは言わないで欲しい。僕の人生は僕が決めるものだ。清十郎さん
しかし僕の気持ちは彼に伝わることはなく、清十郎さんは酒の勢いのままに言わなくてもいいことまでどんどん口に出していく。
「――お前が感情演技が下手なのって、やっぱりあのアイドルの子に振られたのと関係あったりするのか?」
そして、清十郎さんが僕の地雷を踏み抜いた。
「お、図星か?もしかして自分も芸能人になれば彼女と付き合えると思ってたのか?残念だったなぁ!」
清十郎さんは何がそんなに面白いのか、ケタケタと笑いながら僕の失恋を馬鹿にしてくる。初めて見る彼の側面。清十郎さんとは4年ほど同居していたが、こんなに酒癖が悪かったとは知らなかった。
「高嶺の花だったんだよ。丁度よかったじゃねぇか!役者に拘ってもなんのいいこともねぇ!天職も見つかったことだし、ここらで潮時だな!!」
――みじめな自分を変えたくて役者を始めたこと。
――愛されたくて、自分の気持ちに蓋をして身体を売ったこと。
――初めて好きになった女性に僕の生き方を否定されて、捨てられたこと。
夢を否定されて。
恋を馬鹿にされて。
蔑んでいた
僕の根幹に関わることのすべてを虚仮にされた僕は、ついに我慢の限界を迎えた。
「清十郎さんには、言われたくないですよ」
「はぁ?」
売り言葉に買い言葉。
後で思い返せば、僕もこのときアルコールが頭に回っていたのかもしれない。
場の雰囲気と制御出来ない感情に振り回されて、僕までも言わなくてもいいことを口に出してしまう。
「さっき僕の演技の下手糞なところを指摘してましたけど、もしかしてそれって愛梨さんの受け売りなんじゃないですか?もしそれを本当に理解出来てるなら清十郎さんはもっと売れていてもおかしくないですよ」
「てめぇ…」
攻守逆転、今度は清十郎さんが絶句する手番となった。上手く反論出来ないのを見たところ、僕の言葉は彼の急所を突いていたのかもしれない。
調子に乗った僕は、彼に反論を考えさせる隙を与えないために更に清十郎さんを追い詰めていく。
「それに恋愛のことも馬鹿にされたくないです。清十郎さんは結婚した後もちょくちょく浮気してたみたいですけど、それを愛梨さんに見逃がしてもらえているのは『男の甲斐性』だとでも思ってるんですか?」
「…何が言いたいんだよ」
「少し考えたらわかるんじゃないですか?『お互い様』ってやつですよ。愛梨さんも色々と倒錯した趣味を持っていますしね」
僕は愛梨さんに対して今までため込んできたものを、清十郎さんに向かって全部吐き出す。
とは言っても、僕が愛梨さんに抱えている感情はニュアンス的には恨みというよりも不満に近い。「伝説の教師」というドラマで「相手の悪いところを10個言えて、それでもまだ友達でいようと思えるならそれが本物の親友だ」というセリフがあったが、僕の愛梨さんへの感情もだいたいそんな感じのものだ。相手の良いところも悪いところもすべて受け入れて尊重する。それが親友であり、理想の家族の姿でもある。
そこまで考えて、僕は浮気を繰り返す清十郎さんのことを愛梨さんはそんなに嫌っていないということに気づいた。もしかしたら「お互い様」ではなく本当に「惚れた弱み」で彼の行いを許しているのかもしれない。
「…大輝くんが、本当に清十郎さんの子供だったらよかったのに」
一言だけ言わせてもらうと、僕はその言葉に対して悪気は一切なかった。
だがそれは言い訳にならない。
清十郎さんをやり込めたことで気が緩んでいだ僕は絶対に言ってはいけない言葉をぽろりと口にしてしまった。
次の瞬間、目の前に火花が散った。
口の中に血の味がする。目の前には荒い息を吐いている清十郎さんの姿があった。殴られた痛みでアルコールの影響で茹っていた頭が冷静さを取り戻し、遅ればせながら自分が致命的な失言をしてしまったことを理解する。
背中から伝わるカーペットの柔らかさが気持ちいい。このまま今起こったことを全て忘れて眠ってしまいたい誘惑に駆られてしまう。
鬼のような怒りの形相を浮かべていた清十郎さんだったが、殴られた後に大の字に寝そべって彼を見上げる僕の姿を見て状況を理解すると、表情を一転させて手を出したことを後悔するような渋い表情を浮かべた。
「ヒカル…俺はな…お前を傷つけたくてこんなことを言ったわけじゃないんだよ…信じてくれ……」
実際に手を出してから言っても説得力など皆無だが、後悔するぐらいならせめて顔を殴るのだけは止めて欲しかった。役者にとってもホストにとっても顔は商売道具で軽々しく傷つけていいものではない。
むしろ殴ったこと自体を悪く思っているのではなく顔を傷つけてしまったことを悪く思っている可能性が思い浮かんで更に気分が悪くなった。
「……僕も言い過ぎました。タクシーを呼びますから、今日は帰ってください」
「…いや、少しその辺を歩いて酔いを醒ましてから帰るよ」
これから飲み直すような雰囲気でもなくなってしまったので、今夜はこれでお開きだ。
僕は清十郎さんを見送った後、痛む頬を氷で冷やしながらさっきのやり取りについてぼんやりと考えていた。
あのときは清十郎さんに僕の生き様を虚仮にされたと思って頭に血が上っていたけど、一人になって冷静になって考えると彼の言った言葉の裏側に隠された別の意味が見えてきた。
清十郎さんは「役者に拘ってもなんのいいこともねぇ」は言った。もしかしてあれこそが彼の本音だったのではないだろうか。
僕が高校に進学せずに劇団ララライに就職すると言ったとき「清十郎を見てそれでもまだ中卒で役者になりたいと言えるなら、私は反対しないわよ?」といった愛梨さんの言葉を思い出す。あのとき清十郎さんは愛梨さんのブラックジョークを笑って流していたが、本当は笑顔の裏側で深く傷ついていたのではないだろうか?
何十年も役者を続けて未だに立身出世が叶わない清十郎さんが、実らない努力を続ける苦しみに耐えかねていたのだとしたら?
彼の「役者に拘ってもなんのいいこともねぇ」という言葉は、別の道があるならそっちを選んだほうがいいという彼なりの優しさだったのではないだろうか。
「…余計なお世話だよ」
僕は悪態を付きながらも、彼の不器用な善意に対して悪意で応じたことに心の中で深く恥じた。
次に会ったときはちゃんと謝ろう。僕はそう思いながら眠りにつく。
しかし、僕が清十郎さんに次に会う機会は永遠に訪れることはなかった。