アイから「一度子供に会ってみない?」という連絡を受けてから一週間後、僕はリョースケの住むアパートに訪れていた。
スナック菓子とドリンクを持参しての来訪。酒類は買わなかった。あれは人を死に至らしめる毒だ。僕は酒の勢いで余計なことを口走ったせいで愛梨さんと清十郎さんを死なせてしまったあの日から、酒は絶対に飲まないと心に決めていた。
…仕事が仕事なだけに完全に禁酒は難しいかもしれないが。
酒の話は置いといて、僕がリョースケの家に行って最初にしたことは――
彼の部屋の掃除だった。
「すまないな。手伝わせてしまって」
「まあ、男の一人暮らしってこんなものだよね」
容量ギリギリまでゴミが詰め込まれたゴミ袋やレジ袋が部屋中に散乱し、足の踏み場もないような汚部屋を二人がかりで片づけながら僕はリョースケと会話をする。
ちなみにリョースケは東京生まれなので、彼が住んでいるアパートは通学のための下宿ではなく彼の実家だ。「実家で一人暮らしをしている」と言うと首を傾げる人もいるかもしれないが、僕程ではないが彼もそこそこ複雑な家庭環境で育っている。
リョースケが中学生の頃、彼の両親は離婚した。彼の母親は離婚後すぐに別の男の元に身を寄せたこともあり、連れ子になることを嫌った彼は父親に着いて行くことを選んだ。
そして彼の父親は不況の煽りを受けて会社からリストラか中国への単身赴任かの二択を迫られることになり、結局中国で働くことになった。まあリョースケも今では二十歳を越えた成人男性なので、親のいない生活に不満を覚えるほど子供ではないだろう。
「サンキュ、お前はきっといい嫁さんになるぜ」
「僕は良介君のお嫁さんになる気はないよ?」
「隙あらば俺をホモ扱いするの、いい加減に止めろよな!!?」
彼と付き合っているうちにいつの間にか定番になってしまった
我が物顔でリョースケの部屋を占拠してリビングまで侵略しようとしていたゴミたちを集積所に追放し、自分をカーテンだと勘違いしている洗濯物を折りたたんで片付けようやく人間の住処としての姿を取り戻したアパートの中で一息つく。部屋の片づけをしているうちにいつの間にかお昼になっていたので、冷蔵庫の中にあった冷や飯と玉子と持ってきたスナック菓子を使ってチャーハンを作って二人で食べた。そして自分の作った手料理を男に食べさせているというこの色気のない状況を自覚して何とも言えない複雑な気分になった。
僕はチャーハンを食べながら、さっき片付けたばかりのリョースケの部屋に視線を向ける。
かつて彼の部屋には、アイやニノのポスターやアイドルグッズが所狭しと飾られていた。それが今では段ボールの中に片付けられて、部屋の隅でひっそりと眠っている。
数年前にニノと別れたとリョースケは言っていたが、ニノだけでなくアイのポスターまで片付けられているということはもはや彼にとってB小町は忘れたい記憶なのかもしれない。
…いや、僕にとってはそっちのほうが好都合だ。彼がまだアイのファンを続けていたなら、憧れのアイドルに刃物を送り付けたという汚名をリョースケに着せることになる。僕の悪意をアイに届ける運び屋の仕事を頼むのだから、彼にとってB小町に関わった記憶が苦いものであったほうがまだ頼みやすい。
覚悟を決めろ。
アイと決別する、覚悟を。
「今日はさ、リョースケに頼み事があって来たんだ」
「あん?」
ポテチの入ったチャーハンを食べる手を止め、リョースケがこちらを向く。
「こないだ、アイから連絡が来た。『一度子供に会ってみない?』って話だった」
「へぇー…よかったじゃん」
「その上で『縒りを戻すとかそういう話じゃない』と断りを入れられた」
「はぁ!?なんだよそれ!!」
僕がアイから受けた仕打ちを聞いて、憤慨したリョースケが大声を上げた。
…君は僕に同情して、怒ってくれるんだね。
僕には「
アイと違って、リョースケは僕のことを理解ってくれる。
これならば、僕の
「アイは嘘吐きだ」
僕はアイに対して抱えている鬱屈した想いを、リョースケに吐露する。
「ファンの前ではいつも『愛してる』って言ってるのに、僕には一度も『愛してる』って言ってくれなかった。――嘘でも、『愛してる』って言ってくれれば満足出来たのに」
僕はアイのことを愛している。
なのに、アイへの恨みが次から次へとこみ上げてくる。
「一生一緒に過ごすのは無理だと言ったくせに、気分が向いたら僕に連絡してきて。それでいて用が済んだら帰れとアイは言う。…結局アイにとって、僕はタダで遊べるホストでしかなかったんだ。遊びで自分が求める分には構わないけど、僕がアイを求めて縋り付くのを裏ではずっと鬱陶しいと思っていたんだと思う。当然だよね。一方通行の愛なんて当人からすれば純愛でも相手からしてみればストーカーだ。僕はこんなにもアイのことを愛しているのに、僕の愛は彼女にとって迷惑そのもので、無価値なんだ。
僕は何も悪いことをしていないのに。…凄く心が痛いよ、良介君」
愛梨さんにも色々酷いことをされたけど、今のアイほどに恨みと憎しみを抱えたことはなかった。僕と愛梨さんとの愛はすれ違っていただけだったけど、アイは僕の愛を踏み躙って、まるでゴミのように捨てていった。
愛していたのに、信じていたのに。
――可愛さ余って、憎さ100倍だ。
「僕はアイが憎い。…アイに愛されている、アイの子供たちが憎い」
父親の顔を知らずに育つ自分の子供の情緒を心配する余裕はあるのに、僕に与える優しさはどこにも存在しない。
アイの家庭に僕の居場所はない。分厚いガラス越しに、その幸せを眺めることしか許されない。
苦しいよ、愛梨さん。清十郎さん。
助けてよ、ニノ、リョースケ。
僕はこんなに頑張ってるのに。
僕はこんなに苦しんでるのに。
――僕の絶望を、アイは知ろうともしてくれない。
「アイドルの女の子を好きになることって、そんなに罪深いことだったのかなぁ」
僕の中で渦巻く怒りと憎しみの感情がそれを超える絶望で染め上げられて虚無感に変わり、テンションが下がったところでリョースケの表情を確認する。
リョースケの表情には怒りと悲しみが満ちていた。彼は僕の感じていた痛みと苦しみをまるで自分のことのように受け止めてくれたようだ。彼は感受性が強く、友人と認めた相手に対する情が深い。それが彼の持つ美徳である。
…今なら僕の無茶なお願いも、快く聞いてくれそうだ。
「リョースケに頼みたいことは、僕の代わりにアイにプレゼントを届けて欲しいんだ。僕の想いが籠った、アイにとっては迷惑極まりないプレゼントを」
ここで僕は本題を切り出す。僕はリョースケを騙して運び屋にするつもりはなかった。僕がアイを恨んでいることを理解して、僕の抱える苦しみに共感してもらった上で彼に協力して欲しいというのが僕の本心だ。
ここでリョースケを味方に出来ないようでは、僕の主張を聞き入れてくれる人などこの世に一人も存在しないだろう。
「明日の午前10時、駅前で待ってる。もしも良介君が僕のことを可哀想だと思ってくれているのなら。『嘘』の笑顔で人を騙し続けるアイに対して義憤を抱いてくれるなら。どうか僕のお願いを聞いて欲しい」
そう言い残して、僕はリョースケのアパートを去った。
明日はB小町のドームライブが開催される日だ。
午前中なら、きっとアイはまだ自宅にいるだろう。僕の悪意が魚の小骨のように喉に刺さって、調子を崩して何万人もの人が注目しているライブで醜態を晒してしまえばいい。僕はその程度の小さな傷を与えるつもりでアイへの復讐を計画した。
しかしこのとき、僕は大きな間違いを犯していた。
僕の悪意と絶望を、リョースケがどれだけ深刻に受け止めていたのかを全く考慮していなかったのだ。
持ち前の感受性の高さにより、リョースケは僕の悪意の深さを
そして僕の悪意にリョースケ自身がアイに抱く悪意が加わって、悪意は憎悪に変わる。
僕とアイとのすれ違い。
僕とリョースケとのすれ違い。
そして、ニノとリョースケとのすれ違い。
ほんの少しのすれ違いが積み重なって、愛を知らない不幸な少女のシンデレラストーリーが誰も幸せになれない