『ニノ』
本名、新野冬子。アイドルグループ「B小町」の初期メンバー。
アイがB小町に加入するのが少し遅れたため、実質アイの先輩であり最初期のスタートダッシュを成功させた立役者である。B小町の活動初期こそ人気メンバーだったが、アイの正式加入後は次第にターゲット層が被っていたアイにファンを奪われていく。
正確に言えばファンを奪われていたのはメンバー全員だ。アイを頂点とした完全なピラミッド。「B小町」とはそういう性質を持ったグループだった。
誰しもアイに思うところはあった。
なんであの子だけ。私も頑張っているのに。
「B小町」はローティーンの少女を集めて結成されたアイドルグループだ。一人だけ大人に依怙贔屓されているアイを見て、その不満を胸に隠したままアイドルを続けていけるほど当時の彼女達は大人ではなかった。
贔屓を受けるアイを見て、憎しみが沸かない筈がない。第二次反抗期を迎えた子供特有の残酷さと凶暴さがアイに向かったのは当然のことと言えるだろう。
控え室での陰口や舌打ちはいつものこと。ステージ用のリボンや靴がなくなるのは日常茶飯事。ライブの前日にアイの衣装がゴミ箱に丸めて捨てられていることもあった。自分たちの日常に入り込んだ「異物」を排除するために、彼女たちは剝き出しの悪意をアイにぶつけていた。
そしてニノもまた、アイに悪意を抱いていたメンバーの一人だった。
化粧品を盗んだり、メンバー間でアイの話である事ない事言ったりして直接アイに悪意をぶつけていた子はすぐにクビになった。斉藤社長の動きは迅速で、容赦がなかった。
だからそれを見ていたニノは、胸の内に不満を貯め込みながらもアイに対して行動を起こすことはしなかった。
「B小町」結成から僅か4年で、5人が卒業し、7人が新しく入った。
その4年で問題あるメンバーは淘汰されて、表向きはアイに対する虐めも陰口もなくなった。
ただ心の中で、みんな思うだけ。
「面白くない」と。
そしてニノは高校生になり、自分から少しずつ「幼さ」と「あどけなさ」というセールスポイントが失われていくことに焦りを感じていたところに転機となる事件が発生した。
そして、疎ましく思っていたアイの
このままではまずいと焦燥感を抱えていたニノが行動を起こすに足りる切っ掛けが訪れたことで、彼女は一発逆転を狙った賭けに出る。
そして、彼女は賭けに負けた。
賭けに負けた代償として、自分達とは何の関係もない医者一人の命が喪われた。
不幸中の幸いと言うべきか、リョースケの起こした殺人事件が世間に発覚することはなかった。そしてその翌月、アイはB小町に復帰する。
彼女の近くで死人が出る事件が発生していたというのに、狙われた当事者であるはずのアイは何事もなかったかのように平穏かつ充実した毎日を過ごしていた。
出産を終えた後も、アイはその輝きを衰えさせるどころか更に人気を爆発させていく。
アイの躍進は止まるところを知らず、どんどん高みへと上っていく。彼女を遮るものはもはや誰もいない。
そんなアイの姿を見て。
ニノの心は、折れた。
天性の才に恵まれて、皆の視線を集めるアイが羨ましくて。妬ましくて。
他でもない自分自身が、「アイは特別。自分とは違う」と気づいてしまって。
凡人である自分のすぐ隣に、唯一無二の天才がいる不運と幸運に彼女は絶望した。
アイが居る限り、自分にスポットライトが当たることはない。
敵対するのは愚の骨頂。だからといって、今更「友達になろう」なんて言い出せない。
そんな状況で、ニノが取った手段は「大人になる」ということであった。
アイと張り合うような激しい自己主張をやめて、プロデュース側のスタッフにとって扱いやすいメンバーとしての地位を確立する。B小町の最年長はカナンだが、彼女はB小町結成4年目に途中加入した新参のメンバーだ。年齢も自分と一つしか違わない。
B小町のセンターの座を狙うのは諦めて、自分は創設メンバーという立場を活かしてこの今にも空中分解しそうなこのグループを纏める影のリーダーの座を目指す。
夢を見るのはもう終わり。これからは自分が必要とされる役割をこなして生きていく。
――凡人の私は、一番星の引き立て役Bでいい。
そうしてニノは、完璧で究極のアイドルの舞台を彩る日陰者として生きる決心をした。
そしてその地道な努力は実を結び、B小町はついに東京ドームでライブを行えるほどのアイドルグループに成長した。
それなのに。
「アイがストーカーに刺されたって、どういうことよ!!!!?」
一足先に東京ドームに現地入りしていたニノが、アイがストーカーに刺されて死んだというアナウンスが会場に流れるのを聞いて大声を上げた。
ツィッター上ではすでに「アイ死亡」のニュースがトレンド入りして大騒ぎになっていて、ドームの外も泣き崩れたりスタッフを捕まえて問い詰めている人たちがひしめいて阿鼻叫喚の地獄みたいな状態に陥っている。
当然ドームライブは中止。斎藤社長の夢が、そしてニノたちB小町メンバー全員の夢が壊れた瞬間だった。チケット代の払い戻し額だけでも苺プロが受けた損害は3億円を下らないだろう。それ以上に事務所の一番の稼ぎ頭を突然失ったのだから、B小町だけではなく苺プロ存続の危機にまで発展しそうな状況であった。
そんな関係者全員がパニックになっている状況で、ニノの携帯に着信が入る。
携帯の液晶画面には、リョースケの名前が表示されていた。
「…もしもし」
『冬子……』
人気のないところに移動した後、ニノは通話をオンにする。携帯を通して、リョースケの弱々しい声が聞こえてくる。
ニノがリョースケと会話するのは数年ぶりのことだった。高千穂での事件の後から絶縁状態になっていた相手から連絡が入ってきたことで、ニノは嫌な予感をピリピリと感じていた。
この状況からして、彼が聞きたいのは十中八九アイの事件のことだろう。ニノは「今はそれどころじゃない」と言って通話を切ろうとした。
…しかし。
『俺…アイを殺しちまった……』
「はあ!!!?」
アイを殺した犯人が、よりにもよってリョースケであったことを知って思わずニノは素っ頓狂な声を上げた。そして同時に彼女の背中に嫌な汗が流れてくる。
中学校からの友人。
元交際相手。
そして――高千穂病院で起こった殺人事件の同行者にして、共犯。
「ふ…ふざけるなぁ!!!」
リョースケの手によって、事務所やB小町だけではなく自分まで破滅の危機に追い込まれてしまったことを理解してニノは怒りのままに怒鳴りつける。
寝る間も惜しんでレッスンやトレーニングを続けて此処まで頑張ってきたのに。嫌な仕事をオファーされても我慢しながら笑顔でこなしてきたのに。
なんで!どうして!?私は何も悪いことはしていないのに!!
「なんてことしてくれるのよ!よりにもよってドームライブの当日に!!アンタのせいで!私も、B小町も、苺プロも全部おしまいよ!!!」
順調に進んでいたはずの道がいきなり崩落して、奈落の底に落ちていく。そんなイメージがニノの脳裏に浮かび彼女は恐慌状態に陥った。
その恐怖と絶望を怒りに塗り替えて、この事態を引き起こした元凶であるリョースケに叩きつける。
「昔からいつもアンタはそうだった!人の話を聞かなくて!思い込んだら一人で突っ走っていって!!私を巻き込むなこの人殺し!!!」
自分の積み重ねてきた努力も苦悩もすべて台無しにしてしまったリョースケに対して、ニノは収入こそ多くなったがそれ以上に気苦労も多くなったアイドル活動で貯め込んだストレスも込めて電話越しに怒りを叩きつける。
ニノは自覚していなかったが、ここでリョースケを執拗に責めたのはこのどうにもならない状況から現実逃避をするための無意識の行動だったのだろう。
このとき、彼女は怒りと興奮で我を忘れていた。
アイと対峙したリョースケのように。
「アイじゃなくて、アンタが死ねばよかったのに!!!!!」
――そのせいで、
『……ごめん』
リョースケはそれだけを言い残して、静かに通話を切った。
人気のない廊下に、沈黙だけが残される。
「はぁ…はぁ……少し、言い過ぎたかしら?」
ニノはしばらく荒い息を吐いていたが、興奮が冷めると同時にまともな思考力が戻ってくる。感情に任せてリョースケを悪し様に罵ったニノだったが、彼が自分を道連れに出来るネタを持っていることを思い出して赤くなっていた顔を今度は青くした。
高千穂で医者を殺したのはリョースケだが、自分も彼に同行して医者の死体を洞窟に隠したのを見てしまっている。つまり、殺人事件自体は無関係でも死体遺棄事件となると共犯関係だ。死体遺棄の時効は3年か10年かは知らないけど、アイのスキャンダルを求めて高千穂に向かったのが自分の提案だというのがかなり拙い。
アイはリョースケに殺された。そして自分はリョースケと親交があり、4年前に彼と一緒にアイをストーキングしたことがあるというのは揺るぎない事実だ。陰謀論好きな群衆や、他人の不幸がメシのタネである週刊誌の記者たちにとっては、同じB小町のメンバーである私が真犯人であったほうが刑事ドラマっぽくて楽しい展開になると考えるだろう。奴らは金と娯楽のために真実や倫理観を平気でドブに捨てる邪悪で残虐な悪魔みたいな存在だ。
そう考えると、先ほど怒りの感情の赴くままにリョースケを追い詰めたのは悪手だった。自己保身を考えるなら、上辺だけでもリョースケの味方の
「…ちょっとだけ、フォローしておこう」
リョースケに謝るために、ニノは着信履歴から折り返し電話をかける。しかし、数分待ってもリョースケが通話に出ることはなかった。
訝しげに思いながら、今度はSNSにメールを送るも結果は梨の礫。完全に音信不通となっていた。
「…まさか、もう逮捕されたの?」
アイ死亡の情報が出回ってからまだ1時間ほどしか経っていない。いくらなんでも早すぎると思うが、ありえない話ではない。
目まぐるしく変化する状況に理解と判断力が追い付かず、ニノの胸の中に焦りと不安が広がっていく。
ドームライブが中止になったので今日は完全にフリーになった。ならば、空いた時間を利用して直接リョースケの家に押しかけるのも一つの手だろう。
刻々と変化する状況に身を任せてじっとしていることに耐えられなくなった彼女は、ドームを後にしてリョースケの住む家へと向かった。
向かう先で、更なる悲劇が待ち受けているとも知らずに。