200円ケチって2000円損する大失敗(´・ω・`)
「良介くん…どうして……!?」
SNSに流れた「アイ死亡」のニュースを見た僕は、考えるよりも先に自宅から飛び出していた。
確かに僕はナイフを隠した花束をリョースケに渡し、それをアイに届けてくれと彼に頼んだ。でもそのナイフを使ってアイを殺してくれと頼んだ覚えはないし、そもそもナイフを花束の中に隠していたことはリョースケには言ってない。
僕は確かにアイを恨んでいた。でも死んで欲しいとまでは思っていなかった!
少し怖い思いをして僕の絶望を理解して欲しかっただけなのに、どうしてこうなってしまったんだ!!?
僕がアイが死んだというニュースに気づいたときには、事件発覚からすでに1時間以上が経過していた。完全に出遅れてしまった僕だが、それでも最寄りの駅まで全力で自転車を飛ばして電車に駆けこむ。自転車を駐輪場に止める時間すら惜しかったので駅前に乗り捨ててきた。こんなことになるならオートバイの免許を取っておくべきだったと後悔したが、今となっては後の祭りだ。
何も考えずに行動してしまった僕だが、電車に乗ったことで少しだけ今の状況について考える時間が生まれた。そこで僕はリョースケに会って何を言うつもりなのかを自問自答する。彼がアイを殺したことを責めるのか、それとも僕がアイを殺す切っ掛けを作ってしまったことを謝るのか。焦りと困惑で考えがまとまらず、自分が一体何をしたいのかすらわからない。
何も結論を出せないまま時間が過ぎ、そして電車が目的の駅に到着する。僕は考えることを中断してリョースケの住むアパートに向かって走った。
何度かペースを落として息を入れながら走ること5分。ようやくリョースケの住むアパートの近くまでたどり着いた…と思った瞬間、
「きゃああああああああああ!!!!!」
アパートから、女性の悲鳴が響き渡った。
僕は最後の力を振り絞ってアパートに向かって走る。階段を駆け上がり、悲鳴を聞いて外に出て来た住人を押しのけて、酸欠でフラフラになりながらリョースケが住む部屋に近づく。
「…うぷっ!?」
リョースケの部屋のドアには鍵は掛かっていなかったが、ドアを開けた瞬間に不快な悪臭が漂ってきた。
腐った生ゴミの臭いではない。そもそもリョースケのアパートは昨日掃除したばかりだ。この鼻を突く悪臭はゴミの臭いではなく、掃除の行き届いていないトイレで感じる臭い…
糞尿の、臭いだ。
僕は鼻を抑えながら部屋に侵入する。すると、リビングの入り口に腰を抜かしたニノがいた。
「ニノ!?これは一体どういう状況なんだ!!」
「………!………っ!」
僕は先にリョースケの部屋に侵入していたニノに声をかけるが、彼女は声にならない悲鳴と泣き声を上げるばかりで会話にならない。
この先に、ニノが取り乱す理由がある。
見たくない。でも、見なければならない。
僕は歯を食いしばって、意を決してリビングの中を覗く。
――リビングの真ん中で、首を吊って死んでいるリョースケの姿が、あった。
「うわぁああああああああああああ!!!!!!」
鬱血状態で赤黒く染まった顔。
血走ってウサギのように真っ赤になった目。
死の苦しみに耐えきれず、零れ落ちた涙の跡。
首吊り紐で喉を締められて、だらりと飛び出した舌。
見るも無惨な姿になったリョースケの身体から、生命活動が停止したことにより全身の筋肉が弛緩して垂れ流しになった排泄物の臭いが漂う。
この臭いを死臭と呼ぶのは、余りにも哀れで、惨めだった。
吐き気を我慢しながらリョースケの死体から目を逸らすと、死体の傍の机の上に何かが書かれたルーズリーフが置いてあるのに気づいた。
僕はルーズリーフを手に取って、ルーズリーフに書き残された言葉を見る。
2枚のルーズリーフに、たったの二言。
それが、彼の遺した遺言だった。
「私が…私が……リョースケを殺したんだ………」
リョースケの無念が籠った遺書を見て呆然としていた僕の後ろから、ニノの嗚咽に混じって後悔の籠った呟きが聞こえる。
それは違う。
リョースケを殺したのは、僕だ。
僕はリョースケの遺言が書かれたルーズリーフを元に位置に戻してニノに近づき、その身体を抱きしめる。
「だったら…僕も…共犯だ………」
最後の一押しをしたのがニノだったと言うのなら。
最初の一押しをしたのは、僕だ。
僕がアイを憎まなかったら。
ニノがアイを憎まなかったら。
僕達の物語の結末は、違ったものになったのかもしれない。
しかし、今更そんな「IF」の話をしても何の意味もない。
僕もニノも、お互いに縋り付くように身体を寄り添いながらリョースケの死体の前で一緒に泣き続けていた。
程なくして、同じアパートの住人が通報したのかパトカーがけたたましくサイレン音を流しながら近づいてきてアパートの前に止まる。
そして僕達は、死体の第一発見者として警察に連れて行かれることになった。
警察の事情聴取で僕が何を言ったかはほとんど覚えていないが、リョースケと最後に会ったのはいつかと警察の人に聞かれて「事件当日の朝10時」だと正直に答えたことと、リョースケの部屋にいた理由を聞かれて「リョースケがアイを殺したと思った」と答えたことだけは覚えている。
もうどうなってもいいや。そんな気持ちで警察からの質問にはすべて正直に答えた。
しかし人気アイドル殺人事件の共犯として逮捕されるかと覚悟していたのだが、結果は無罪放免。僕は任意同行だと思っていたのだが、警察は僕からリョースケの情報を聞き出した後あっさりと僕を解放した。
アイが僕の存在を完全に隠していたことで、僕にアイを殺す動機はないと警察は判断したのかもしれない。実際リョースケとの関係については警察に根掘り葉掘り聞かれたが、アイのことについては本当に何も聞かれなかったし、僕も余計なことを言わなかった。きっとアイに関する情報はニノから聞き出しているのだろう。
結局事件はリョースケの単独犯ということで決着し、僕というアイのスキャンダルの証拠がニュースになって世間に晒されることはなかった。
僕の悪意はリョースケの悪意だと解釈されて、リョースケへの非難が殺到する。
怒れる群衆たちは、死者にも容赦はなかった。
『ふざけんな死ぬなら自分一人で死ね』『人間性が腐ってる』『妄想クズ男過ぎて草』『警察マジで役に立たねーな』『アイドル相手にガチ恋するだけでもキモいのにもう最悪』『アイが可哀想すぎる死んで謝罪しろ。あっもう死んでるか』『アイドル相手にワンチャンあるとか勘違いしてる男は全員死んだほうがいい』『もう1~2人ぐらい殺してそうな顔してるな』『死んだぐらいで許されると思うなクソ野郎』『大学まで学費出してもらって人殺して自殺とか親が可哀想すぎる』『子供ガチャ大ハズレ』『賠償金凄い額になりそう』『一生一人でマス掻いてれば平和に生きられたのに』『やっぱり3次元ってクソだな夢も希望もねえ』『2次元はいいぞケンシロウ』『普通に考えて許されないと思います(ꐦ°᷄д°᷅)』『今年の中で一番不快な事件だった』
人間は、自分は絶対に正しいと思い込んだ時に最も残酷な事をする。それが人間の本性だ。
被害者であるアイですら、死者を玩具にして他人の注目を浴びたい連中に貶められていた。ましてや無辜の女性を逆恨みで殺害したリョースケへの反応は更に苛烈なものであった。
叩いても殴っても言い返さない、言い返せない悪人がすぐそこにいるのだから、正義の名の元に石を投げつけるのは彼ら彼女らにとっては当然の
僕はSNSに無責任に書き込まれる群衆の反応を確認した後スマホを投げ捨てて寝そべり、自分の部屋の天井を見上げた。
何故あのときリョースケは僕ではなく、ニノに連絡をしたのか。そんな考えが頭の中を過ぎる。
そんなことは決まっている。
リョースケがアイを殺したのは、僕のせいだからだ。
リョースケはアイを殺した罪を僕のせいにして糾弾することを拒み、僕の罪までまとめて背負って一人で黙って死んでしまった。
彼もまた、僕を愛してくれた人の一人だった。
そんな大切なことを、彼が生きている間に気づかなったことを悔やんで、僕はまたぼろぼろと涙を零した。
悔しい。
僕が愛した人たちは。僕を愛してくれた人たちは。
みんな死んで僕の前からいなくなってしまう。
僕がどんなに悲しんでも。僕がどんなに苦しんでも。
この世界の神様は僕達を助けてくれることはない。
そのことが、悔しくて悔しくて仕方がない。
まるで「おまえたちはわるいやつだから、しあわせになってはいけないんだ」と神様に言われているような気がして、ずっと涙が止まらなかった。
社会を震撼させた殺人事件も、3日も経てばアイの死亡というコンテンツは消費され尽くし、少し早い雪が降り交通網が麻痺というニュース以降話題に挙げられる事もなくなった。
世間を煽るタイミングを逃した週刊誌が「熱狂的なアイドルオタクの異常性、幼少期の母親との関係が影響か!?」という見出しでリョースケの生い立ちをリークしていたが、世間の興味はすでに次のコンテンツに移っていて大きな騒ぎが起こることはなかった。
眩いほどの輝きで日本中の注目を集めた
もういいや。
僕も、死のう。
考えることに疲れた僕は自宅に引きこもり、寝転んだまま自分の命が尽きるのをじっと待つ。
自殺をするにしても、しばらく食事を抜いて身体から宿便を吐き出しておかないとリョースケのように汚物塗れの惨めな死に様を晒すことになる。
生きる希望を失った僕だったが、それでも彼のような惨めな死に方はしたくないという願望が残っていた。
喉が渇いてきた。断食を初めて半日も経っていないのに僕の身体はまだ生きたいとSOSの信号を出してくる。自分のせいで優しい人たちが何人も死んでいるというのに、まだ生きようとしている自分の浅ましさに自己嫌悪を感じてしまう。
アイも、リョースケも、死ぬべき存在ではなかった。
僕が死ねばよかったんだ。それに気づくのが遅れたせいで、何人もの人が犠牲になってしまった。
流す涙も枯れてしまった残り滓みたいな状態の僕だったが、そこで僕のスマホから着信音が鳴った。スマホのディスプレイを見ると発信先は僕が働いているホストクラブからの番号だったので、僕は最後の後始末をするつもりでその電話に出た。
「…もしもし」
「
通話をオンにした瞬間、電話の向こう側で大声を上げるホストクラブの店長の叱責が飛んでくる。「リョースケ」という言葉を聞いて僕は一瞬間違い電話かと思ったが、その言葉の意味を理解した瞬間空っぽだった僕の心にじわじわと熱が戻ってくるのを感じた。
ああ、そうだ。
リョースケは、僕の
――だからお前が背負っていくんだ。2人の想いと、2人の命を。生きてるお前がこれからもずっと
僕は金田一さんの言葉を思い出す。
僕はまだ死ねない。
僕が死んだら、リョースケが本当は優しい人だったことを覚えている人が誰もいなくなる。
僕はリョースケとアイを殺した。
だから僕は、2人の想いと2人の命を背負っていかなければならない。
僕は、ホストクラブのエースの「リョースケ」だ。
僕が生きている限り、リョースケは僕の中で生き続ける。
このとき僕は、ようやく「命の重みを背負う」ということの意味を理解した。
枯れていたはずの涙がまた僕の目から流れ落ちるが、今、僕が流している涙は悲しみで流す涙ではなく喜びの嬉し涙だ。こんな僕の命でもまだ価値があることがたまらなく嬉しかった。
神木輝は今死んだ。ここにいるのは神木輝を愛してくれた僕の親友、菅野良介だ。
僕はこれからずっと、優しくておっちょこちょいな「菅野良介」を演じて生きる。それが僕の
僕は店長に謝罪して、明日からは今まで以上に真面目に働くと返事して通話を切った。
――こうしてカミキヒカルは【推しの子】の物語の表舞台から姿を消し、彼は人気ホストの「リョースケ」として7年の時を過ごす。
しかし彼を見守る「やさしくないかみさま」は、彼がこのまま平穏に生きることを許さない。
星野アイの死はプロローグの終わりに過ぎない。【