アーモンドアイに10バ身差つけられて負けてきたので投稿再開します。
僕が会社を立ち上げてから、2年の月日が流れた。
2年前にジャパンカップを勝利したアーモンドアイはその後史上史上2頭目となるジャパンカップ2勝を達成し、そしてこれまた史上2頭目となる天皇賞(秋)の連覇を達成。ドバイターフとヴィクトリアマイルの勝利を加えて、日本調教馬として初めてとなる芝GIレース9勝を挙げた。
彼女は名実ともに日本最高の競走馬となったのだった。
何故こんなことを僕が知っているというのも、アーモンドアイが出走するレースの日になると
大人を舐め腐った態度が少し鬱陶しく感じるものの、身体や容姿目当てで近づいてくる大人の女性から感じる気持ち悪さが彼女にはないので追い払ったりはしていない。手のかかる子供だと思って適度に相手をしながら適当にあしらっている。
競馬と小憎たらしい名無しの少女の話はこれぐらいにしておいて、そのほかにも僕にとって無視できない重要な出来事がこの2年のうちに起こった。
1つは僕とアイの娘、星野ルビーがアイドルとしてデビューしたことだ。
最近ひょんなところから「B小町」を名乗るアイドルグループが新しく結成されたことを知ったので、どんな馬の骨が集まっているのかと興味本位で覗いてみるとそこでかつての星野アイの面影を残す少女を見つけてしまった。
顔立ちは母親似。色素の薄い髪が僕に似ている女の子。僕は今まで一度もアイの子供達の顔を見たことがなかったが、一目見ただけで彼女が僕達の娘であることは分かった。アイの娘だけあって容姿のポテンシャルは申し分ないが、それは芸能界で成功を掴むための単なる前提条件であり彼女がこの先一花咲かせられるかどうかは五分五分と言ったところだろうか。顔だけで大成できるほどこの業界は甘くない。
そしてもう一人のアイの子供、星野アクアもどうやら芸能界に飛び込んでいたようだった。
僕の息子はどこで鏑木プロデューサーの目に止まったのかはわからないが、彼の息のかかっているドラマや番組にいくつか出演しているのが確認できた。2人のうちのどちらかが芸能界で頭角を現せば、いずれどこかで僕達が出会う日がやって来るのかもしれない。
そしてその日は、案外早く訪れそうだった。
「――お久しぶりです。金田一さん」
僕は古巣の劇団ララライに、今年の12月から来年の1月までの間に上演される「舞台『東京ブレイド』」の取材で訪れていた。
「…久しぶりだな、ヒカル。10年ぶりぐらいか?立派になったな」
「まさか。逃げて逃げて辿り着いた先で偶々こうなってしまっただけの半端者ですよ」
金田一さんの社交辞令の言葉に対して、僕は謙遜と本音が半分ずつ籠った返事をする。
僕が劇団ララライを辞めてから早13年、五十路の半ばを越えた金田一さんは10年前に見たときよりも少しだけ痩せていた。僕はその老いを感じさせる金田一さんの姿を見て哀愁を感じたが、今はセンチメンタルに浸っている場合ではない。時間が惜しいので、僕は早速金田一さんにインタビューを始めた。
「それでは…金田一さんはどんなことを大切に『東京ブレイド』の舞台化をしたいと思っていらっしゃるのでしょうか?」
「……原作の世界観を壊さないことだ」
金田一さんはムスっとした表情で僕の質問に答える。
「原作として面白いことと舞台化して面白いことが必ずしもイコールではない。だから、何を変えて何を削り何を残すのかの加減がとても重要だと思っている。今回は人気漫画を2.5次元化した演劇なので、ある意味では本当に観客の目が肥えている。舞台でやる演技や演出がすべて原作漫画の演出と比べられるわけだからな。
演劇を観た漫画のファンの人達が違和を感じたらそれは俺たちの失敗と言えるだろう」
まるですでに観客から酷評を受けた後のような表情で金田一さんが語る。元々あまり笑う人ではなかったが、ここまで露骨に不機嫌な表情をされると裏でどんなトラブルが起こっているのか少し聞いてみたくなってくる。まあ内輪のゴタゴタを出歯亀して告発文めいた記事の内容になってもお互いに不幸になるだけなので、余計なことを聞くのは流石に自重した。
「原作の世界観を忠実に再現するだけでは二流、そこにプラスアルファ出来て一流という演出家や脚本家もいるが、何を変えて何を削り何を残すのかを見誤って失敗する例はごまんとある。原作者との歩み寄りは大切だ。
…今回は漫画の原作者にも脚本の制作に
「なるほど、それでは…」
「俺の話ばかり聞いていても面白くないだろう」
続けて質問を続けようとする僕の言葉を遮るように、金田一さんが口を出してきた。
「…そんなことはないですよ」
「俺たちは所詮裏方、刺し身のツマみたいなものだ。雑誌としても、俺みたいな華のないおっさんの写真とインタビューを掲載するよりも若い役者の顔を載せたほうが喜ばれるだろう。…稽古に参加している役者を呼んでくる。少し待ってろ」
そう言って金田一さんは席を立った。
確かに金田一さんのインタビューだけでは宣伝として弱いというのは僕も理解している。だから僕も金田一さんだけではなく今回の舞台の主演である姫川大輝にもインタビューを取り付けるつもりでここに来た。
姫川大輝。本名、上原大輝。
…僕が親愛の情を抱いていた愛梨さんと清十郎さんの実の息子であり、そして僕の嫉妬と羨望の対象だ。
彼が愛梨さんに「正しく」愛されていたこと。彼が役者として成功を収めたこと。僕にないものを持っている彼がどうしても妬ましい。
彼に対して含む気持ちは本当に山程あるが、だからといって仕事を投げ出して逃げるほどではない。その点についてはここに来る前に僕は覚悟を済ませている。
僕が不安に思っているのは、姫川大輝だけではなく他の役者…具体的には星野アクアを金田一さんが連れてくるのではないかということだ。
僕はまだ、アイの子供たちに対してどんな顔をして会えばいいのか気持ちの整理が出来ていない。母親が死んだ後も今まで放置し続けていた子供たちから歓迎されることは100%あり得ないだろう。
一度も顔を合わせたことのない父親なんて血がつながっているだけのただの他人だ。僕がアイが死ぬ原因を作ってしまったことを知らなかったとしても、僕が彼らの立場なら何故親の責任を果たさなかったとあらん限りの悪意を込めて罵倒していると思う。
父親の顔を知らないという点では僕も同じ境遇だが、ろくでなしだと思っていた父親と同じことをしている自分に自己嫌悪を感じてしまう。少し前までホストをやっていたことを含めて、どうして僕は悪い部分だけ親に似てしまうのだろうか。
「連れてきたぞ」
「…ちわっす」
僕がウジウジと心の中で悩んでいるうちに、金田一さんが戻ってきた。
金田一さんが連れて来たのが大輝君1人だったことを確認して、僕は胸を撫で下ろす。
「こんにちは。…13年ぶりだね。僕のこと、覚えているかな?大輝くん」
「ちゃんと覚えていますよ。ヒカル
僕が大輝くんに最後に会ったのは愛梨さんの葬式のとき。彼がまだ6歳だったころの話だ。
僕と違ってまともな方向に成長した彼は、今では僕とほとんど背の高さが変わらないぐらいの立派な姿になっていた。
「インタビューするんですよね?早く始めましょう」
「そうだね」
大輝くんに促されて、僕は彼にインタビューを始めた。
…彼の話を聞いた感じでは、大輝くんの演技のやり方は思ったよりふんわりしているというか、思っていたよりも感覚と雰囲気で演技をしているようだった。普通の役者ならどこかで壁にぶち当たって消えていくやり方なのだが、それでも彼は彼の流儀を極めることで生き残ってきた。
「役者同士は動きだけで語り合える」
それが大輝くんの持つ自論だった。僕たちみたいな凡人からすれば「それが出来れば苦労はしねぇ!」と言いたくなるような発言だが、「劇団ララライ」の看板役者であり月9主演俳優にして帝国演劇賞・最優秀男優賞受賞者である彼の言葉だと思えば重みが違う。彼はそれを実行出来るからこそ凄いのだ。
――お前のような全部頭で考えて動くお利口さん連中は、大体そこらへんで脱落だ。
今更になって、清十郎さんが言った言葉を思い出してしまった。
あの日、清十郎さんの語っていた理想の役者こそが姫川大輝という人物そのものだった。
…彼の才能が、彼の成功がどうしようもなく妬ましい。
僕に大輝くんほどの演技の才能があれば、陽の当たる世界で堂々と生きていられたのかと思うと悔しさと情けなさで胸がいっぱいになる。
そんな汚い気持ちを「嘘」の仮面の下に押し隠して、僕は姫川大輝へのインタビューを続けていた。
「今日はありがとうございました。それでは、失礼しま…」
「待て」
大輝くんへのインタビューを終えて、そそくさと帰ろうとする僕を金田一さんが呼び止めてくる。
「お前、姫川に何か言いたいことがあるんだろ。ちょうどいい機会だ、ここで少し話していけ」
「そんなことは別に…」
「ストレスを抱えているときほど完璧な愛想笑いをする癖、昔とちっとも変わってないな」
「嘘」の仮面のことを金田一さんに指摘されて、僕は内心でドキっとした。
演出家をやってるだけあって、金田一さんは中々勘が鋭いところがある。僕の拙い「嘘」もお見通しということだったのだろう。
「血は繋がっていなくとも家族なんだろう、お前たちは。少しは歩み寄れ。あとになって後悔する前にな」
「………」
金田一さんが言った「血は繋がっていなくとも家族」という言葉があまりにも滑稽で僕は毒気を抜かれてしまった。
事実とは完全に真逆、「血は繋がっているのに家族ではない」のが僕と大輝くんの関係だ。知らないからこそ言える残酷な言葉を聞いて、僕の感情が限界に達した。
「…僕はずっと、大輝くんに嫉妬していた」
10年以上も前からずっと溜め込んできた昏い想いを、反吐のようにぶちまける。
どうせこれ以上失うものなんて何もない。もうどうにでもなってしまえとばかりに投げやりな気持ちで大輝くんに感情を静かに叩きつけた。
「大輝くんは僕にないものをすべて持っていた。演劇の才能も、愛梨さんの愛も、僕の欲しかったものをすべて君が持って行ってしまう。10年以上も前から、君さえいなければとずっと思っていた。…僕は大輝くんのお兄さんにも、家族にもなれなかったんだ」
鬱屈した積年の想いをすべて吐き出した僕だったが、それで気分が晴れるわけでもなくむしろ自己嫌悪が増しただけだった。
長年抱えていた恨みの想いを吐露した僕をしばらく困ったような顔で見ていた大輝くんだったが、やがて決心したように口を開く。
「…俺は子供心ながら、親父が嫌いだった。多分、お袋もあまり好きじゃなかったと思う」
僕の本音を聞いた大輝くんは、ならばこちらもと言わんばかりに彼自身の想いをぽつぽつと語り出す。
「両親の葬式のときも、俺は自分がこれからどうすればいいのかの心配しか出来なかった。アンタがお袋の遺体の前で大泣きするのを見てようやく涙一つ流していない自分の薄情さに気づいたぐらいだった」
両親の死を思い出した大輝くんが、まるで痛みを我慢するかのような表情をする。しかしそれは悲しみを思い出して堪えている表情ではなかった。
大輝くんの顔に浮かぶのは、自己嫌悪と後悔。
僕にとって、嫌というほど慣れ親しんだ感情だ。
「…涙を堪えながら、歯を食いしばってお袋の棺を運んでいたアンタのほうが俺なんかよりずっとお袋の息子してたと思うよ」
「…………!」
大輝くんのその言葉を聞いて、僕の目から涙が溢れて来る。
感情が抑えられない。彼に対する長年の嫉妬と羨望が氷解して、涙と共に流れ落ちていく。
こんな感情は、僕は知らない。
――愛を他者から認められることが、こんなにも嬉しいだなんて。
「お前の愛想笑いの癖、姫川愛梨から聞いたんだよ」
「愛梨さんから…?」
「お前が思っているよりも姫川愛梨はお前のことを案じていた。…俺の目から見れば、お前はちゃんと姫川愛梨に愛されていたぞ」
金田一さんの言葉を聞いて、僕はとうとう我慢できず机に突っ伏して嗚咽を漏らした。
こんな情けない僕でも愛を人に伝えられたことに対する喜びと、愛を伝えたかった人がこの世にもういない悲しみという両極端な感情に翻弄された僕は、もう何も考えられずただ泣き続けることしか出来なかったのだった。