「まったくさーーー!もやもやするよーーーー!!」
夜の会員制バーで飲んだくれてクダを巻いている女が一人と、それに付き添う男が一人。
「マスター!まるちゃんスペシャル追加で!!」
付き添う男というのは、
そして僕の隣にいる女性は仕事で蓄積した疲労とストレスを酒で洗い流すかのようにグビグビと飲み干し、空になったグラスを掲げてカクテルのおかわりを注文する。
バーに入って一時間も経っていないのに、すでに彼女の周りからはまるでキツい香水のように酒の匂いが漂っていた。
「まったく、今の貴方の姿をファンが見たらどう思うか…」
この酒臭い女の名前は、片寄ゆら。
芸能界に関わる人間で、彼女の顔と名前を知らない人はいないほどの売れっ子女優だ。
「今をときめく天下の大女優さんがこんなところで飲んだくれてるなんてね」
「だって仕事でストレスたまるんだもん。息抜きしなきゃもちませーーーんっ」
彼女はバーのマスターから新しく渡されたカクテルをグイっと呷って、可愛らしく鼻を鳴らす。
少し拗ねたような表情もアルコールが入って赤らんだ顔と合わさって可愛らしい。
…僕は鏑木さんから彼女がアイ役を打診されていると聞いた後、すぐさま彼女に接触した。
彼女との交友は、僕がまだ前の会社で働いていた時から続いている関係なのでそこそこ長い。僕は片寄ゆらのPRに随分と協力したので今では彼女もかなり心を開いてくれている。
断っておくが、僕と片寄ゆらとの間に肉体関係はない。今の僕はホストではないし、あっちもわざわざ僕なんかと火遊びしてマスコミにスキャンダルのネタを提供して喜ばせてやる理由もないから当然の話である。
…誰に向かって言い訳しているんだ、僕は。
「少し前にあった話なんだけどね。マネージャーが映画の仕事持ってきたんだけど、スケジュールだけ押さえられて何やるか決まってないんだって」
「あー。ドラマではよくある話でしょ?」
「でも今回は映画でそれなのよ。マネさんもPも私のこと雑に扱い過ぎ~」
ホスト時代に培った経験を活かして、僕は片寄ゆらに接待する。といっても彼女はホストに入り浸るタイプの性格ではないので普通に会話をするだけだが。
彼女と会話するときはホストの経験よりも役者の知識や芸能雑誌の取材で得た知識のほうが役に立つことが多い。
「作品ありきでこの役お願いしますって言われるなら分かるけど、先にスケジュールだけ押さえられて何やるかは分かりませんって結局私の知名度しか見られてない感じするし」
「そんなことないでしょう。ゆらさん可愛いし、芝居もここまで花開くとは」
「えへへ、ありがとーー」
女性が嫌いである僕だが、意外なことに片寄ゆらとは話が合う。お互いが求める知識のニーズがマッチしているので無理に話を合わせて媚びる必要がないのがストレスがなくていい。それでいて僕に色目を使わない彼女は僕にとって貴重な存在だ。
彼女にとっても職業柄、女性同士の付き合いは
いうなれば、無害なペット枠と言ったところか。僕のポジションは。
「やっぱ飲むならミキさんだわ!もっと飲も飲も!」
「うわぁ」
機嫌をよくした片寄ゆらは僕のグラスに度数が50%近くあるウイスキーの原酒をドポドポと注いでくる。
これを僕にストレートで飲めというのか。僕を殺したいのか君は。
「あのPの持ってくる仕事って原作付きで若い子向けのばっかでさー。私もう25だし制服はキツいって。ああいうのはホントの高校生にやって貰った方が良いよ」
ぐたぐたぐだぐだ。
くどくどくどくど。
この店で飲み始めて1時間以上経過しているが、まだまだ彼女の愚痴がネタ切れになる気配は見えなかった。
女性の話は長い。これは女性にとって会話とは感情の共有と共感を得るための行為であり、話を続けること自体が目的なので仕方がない。共感よりも結論を求めたがる男の理屈なんてホストにとって邪魔にしかならないので、女性との会話に生産性を求めるというナイーブな考えはとっくの昔に捨ててきた。
「不知火フリルもまだ現役高校生でしょ?それに最近で言うと、ほら。星野ルビー。めちゃくちゃ注目されてない?」
「ああ、あの子ね。僕も注目してますよ」
「やっぱり!今頃オファー行きまくってるんだろうなぁ。顔良い枠って結局需要あるから。
私も20歳ぐらいの時はそうだった!」
そう言って片寄ゆらはけらけらと笑う。
…女性の年齢の自虐ネタはどう頑張ってもフォロー出来ない話題だから勘弁して欲しい。「自虐はいいけど他人に言われるのは許さない」という見えている地雷を渡されても困る。
…僕は酒を飲みながら、先ほど片寄ゆらとの会話に名前が上がった星野ルビーについて思考を巡らせる。
星野ルビー。
星野アイの夢を受け継いだ子供。
アイの隠し子発覚のスキャンダルから始まったこの一連の騒動を計画した黒幕がアクアなのかルビーなのかはもはや僕にとってどうでもいいことだが、これだけは言える。
これは根拠などない、ただの妄想だ。
しかし、何事も薬が過ぎれば毒になる。
――この僕のように。
僕は虫が火の光に誘われて自ら焼け死ぬように、星野アイという強すぎる星の輝きに目を眩ませて道を踏み外して真っ暗な谷底に落ちていくルビーの姿を幻視した。
「本当はさ、向こうももっと若い役者使いたいって思っているはず。ただ看板張れるほどの知名度がある若手がいないから私を使おうとしてるっていうかさ。まぁ私はただの客寄せパンダにはなってあげないけどね~
…ん?どったの、ミキさん?」
「…ああ、どうやら少しアルコールが回ってきたみたいです」
片寄ゆらの言葉を聞いて、僕は妄想から現実に引き戻される。
「素晴らしい心構えですね、ゆらさん」
「んふふ、ありがとー」
僕はさっきまで浸っていた昏い妄想をおくびにも出さず、片寄ゆらの前向きな姿勢を評価してウイスキーの入ったグラスを傾けた。
その後も小一時間ほど彼女と一緒に飲んでいたが、僕があまり酒が進んでないのに片寄ゆらが気づいてそこでお開きとなった。
「私はね、もっと演技が上手くなって、もっと売れて、そーゆー大人の事情に巻き込まれない役者になりたい!良い作品に出まくって、いつか100年後も残る作品…その主演を張りたいの」
帰り道、東京の月夜の空に向かって片寄ゆらが自分の夢を語る。
「出来るかなぁ?」
片寄ゆらが振り向いて、僕の顔を見る。
片寄ゆらの瞳には、アイと同じ輝きが宿っていた。
「……貴方の才能は本物です。それだけの価値がありますよ」
認めよう。
僕は、だんだんと片寄ゆらに心を惹かれていた。
彼女なら、「星野アイ」を完全に演じられる。
それだけの才能が彼女にはある。
彼女の才能は本物だ。もしかしたら、近いうちに星野アイを越える逸材に成長するかもしれない。
――それだけは、絶対に許すことは出来なかった。
「来週山登りに行ってくるんだ。最近ハマってて。ほら、アプリで登った山管理してるの!」
「お一人で行くんですか?」
「うん」
「良いですね。僕も山、好きですよ。でも気を付けてください。山は、何か起きても見つけて貰えない事もありますので」
「――だから、登山の予定や状況を僕に教えてくれませんか?
『どの山に行くのか?』
『どのコースを通るのか?』
『入山/下山予定は何時か?』
この3つの情報を知人と共有しておくことで、遭難発生時の捜索精度が格段に向上するんですよ?」