僕は片寄ゆらと一緒に飲んだ翌日、ニノの住む家を訪れていた。
「久しぶり、ニノ。お邪魔するよ」
「カミキさん」
ニノは僕の顔を見た瞬間、ぱあっと表情が明るくなる。
「今日は何の用で来たのかしら。もしかして逢引のお誘い?」
「…僕と君との間でそんな色気のある話にはならないだろう」
「まあ、残念」
ニノがお茶と一緒に軽口を出してくる。そんなものはお茶請けにならないので引っ込めてくれ。
ご機嫌な様子でお茶を用意してくれたニノには残念な話になるが、今日の話題は明るい話にはならないんだ。
「前置きは無しにして、本題に入ろう。星野アイの人生をテーマとしたドキュメンタリー映画を役者を使って再現する企画が動いている」
雑談をする時間が惜しかったので、僕は最初から本題を切り出す。
僕の話を聞いた途端、さっきまで上機嫌だったニノの顔色がさっと変わった。
「君のところにその話は来たかい?」
「…まだ来てない」
鏑木さんは映画に登場する人物に名称使用許可を取っていると言っていたが、どうやらニノは後回しにされていたようだ。
…所詮はアイの引き立て役B。扱いが雑だ。
「どうにかしてやめさせられないの?」
ニノに取ってB小町の記憶はトラウマであると同時に彼女のアイデンティティそのものだ。何人たりとも近寄らせたくない神聖な領域を赤の他人に土足で踏み荒らされているのだから、ニノが今感じている苛立ちと不快感は僕以上のものだろう。
「無駄だよ。君一人が反対したところで君の役割が他のB小町メンバーの誰かに移るだけだし、僕に至っては最初から許諾を取るつもりすらなかったらしいからね」
そんなニノの複雑な感情に共感しながらも、今から映画の製作を中止に追い込むことは無理だと諭す。
僕とニノとの交友関係はそれなりに長い。
だから、ニノの譲れないポイントはだいたい理解している。
たとえ作中の自分の扱いに不満があっても、星野アイの物語から自分の存在を抹消されることのほうがニノにとって耐え難い苦痛だろう。
「プロジェクトは動き出している。もう止めることは出来ない。
しかし、僕達にも出来ることはある。いや、やらないといけないことがあるんだ」
僕は演劇で役者がやるように、身振り手振りを交えた大仰な動作で高まった感情をアピールしながらニノに語り掛ける。
僕とニノの関係は「共犯」だ。
友人でも、ましてや恋人でもない。
だからこそ、分かり合える想いがある。通じる想いがある。
「星野アイは永遠だ。なぜだか分かるかい?」
僕はニノに語り掛ける。
「伝説のアイドルの傍らに侍る引き立て役B」という神が彼女に与えた配役を
有り体に言えば、洗脳だ。
「それは、彼女はアイドルとして最高潮の瞬間に死んだからだ。
記憶の中の存在となったアイは、もう老いることはない。だからこそ、アイは永遠に完璧なアイドルでいられるんだ。
僕の絶望も、
全部アイを完璧のアイドルにするために必要なものだったんだ。
――僕達は、星野アイの物語に必要不可欠な
「星野アイは完璧で究極のアイドルである」という
人を洗脳する方法には、2つの手順がある。
まずは既存の価値観の破壊。近しい者の突然の死や挫折、生活苦や厳しい訓練等の過度なストレスをきっかけとして洗脳する相手が信じる「常識」「正義」「理念」「信念」を破壊する。
そしてその後に起こる新しい価値観の構築に介入する。このタイミングで洗脳する側にとって都合のいい価値観を刷り込んでマインドコントロールするのが洗脳のやり方だ。
「僕達が今まで感じてきたこの苦しみも、この悲しみも。全部星野アイに捧げられるために準備された花束なんだよ」
信仰とは、救いを求める祈りである。
理不尽な苦難に遭って心が折れた人が「あなたが経験してきた苦難にはすべて意味がある」と優しく言われれば縋り付きたくなるのが人間の心情だ。
あのホストクラブで僕とニノが出会った時、ニノはすでにもう壊れていた。
だから、折れた心を補強するための柱としてアイの存在を神格化させて刷り込んだ。
ニノを生かすために。
ニノを苦しめるために。
もうニノは、星野アイの呪縛から永遠に逃れられない。
「星野アイは永遠に最高のアイドルで居続けなければならないんだ。僕達が彼女の物語に関わったことを、そして彼女の人生を無意味にしないためにも。それは僕達の命をかけてでもやり遂げないといけない使命だ。
だからこそ、アイの物語を踏み台にしようとする奴らが許せない」
僕がニノに語った言葉は、すべて僕の本音だ。決して嘘でも、ましてや演技でもない。
僕は「嘘」は上手いが、演技の才能はない。風俗嬢の子に生まれて、異性に媚び入る才能だけ受け継いだだけの只のろくでなし。それが僕の本質だ。
僕は結局、僕以外の存在になれない。
幾多の女性を情愛に溺れさせて破滅させてきたように、僕はニノを信仰に溺れさせて破滅させようとしている。
今まで不可抗力で積み重ねてきた
今回は、自らの意志で犯す。
「アイが命を喪って辿り着いた境地に土足で踏み込むのを僕は絶対に許せない。アイの人気に
…それが、アイになんの縁もゆかりもない相手なら猶更だ」
そして僕はニノの肩に優しく手を乗せる。
今まで搾取してきた、僕がホストだったときに出会った女性と同じように。
「アイの尊厳を守るのに手を貸してほしい。アイを自分の人生の『引き立て役A』に仕立てようとする恥知らずを排除するために僕を手伝ってくれ。
…僕にはもう、ニノしか頼れる人がいないんだ」
アイが死んだあの日、僕がリョースケに言ったのと同じ言葉をニノにかける。
僕の縋りつくような目を見て、ニノは僕のお願いを快く承諾してくれた。