僕は、片寄ゆらが登山する予定の山を一人寂しく歩いていた。
彼女を言いくるめて登山コースと入山・下山予定の時間を聞き出した僕は、そのコースを辿りながら彼女を待ち受けるのに適した場所を探してひたすら歩き続ける。
彼女の登山ルート上にあり、人気が少なく、高低差のある崖とその崖の下に硬い岩があって、近くに遺体を隠しやすそうな場所があるところ。
それが僕の探しているポイントだ。
半日近く歩いて、ようやく僕はそのスポットを見つけ出した。
崖の真下には苔むした岩がゴロゴロと転がっているのに、そのすぐ近くには木々が生い茂る土の地面があってしかもその先は湿った草木に覆われて簡単に掘り起こせそうになっている絶好の場所を。
僕はその場所を見て、この世界を支配している悪魔のような神様が僕が地獄に転げ落ちるまでの道のりを嬉しそうに舗装している姿を想像してしまった。
相変わらずこの世界の神様は、性格が悪い。
そして、片寄ゆらの登山日当日。
僕とニノは先日下見しておいた場所まで移動し、そこに片寄ゆらがやってくる前に最後の打ち合わせをする。
「ニノはここの木の陰に隠れて待機。僕が崖の下から片寄ゆらの気を引くから……後は君の思うままにすればいい」
「…殺せ、とは言わないのね」
「それを決めるのは君だ」
僕はニノに冷たく言い放った。
「君が彼女を殺したくないというならそれでいい……いや、そのほうがいいと思う。
断っておくが、僕は良介君に『アイを殺して欲しい』なんて一言も言ってない。あの事件は全部彼が考えて、彼が選んだ結末だ。
……もし君が過去と決別して全てを忘れて生きることを選ぶのなら、僕はその決断を尊重する」
僕が望むのは、アイが死んだ日の再現。
僕の友人が、僕の望みとは裏腹に僕の大切な人を殺すという悪意に満ちた脚本の再現だ。
これから僕は、ニノを道連れにして罪を犯す。
アイの尊厳を守るために。
そして、僕の中に残るアイの
僕はもう、止まれない。
だけど。
――ニノがもし片寄ゆらを殺さないという選択肢を取るならば、それはそれで救いになるんじゃないか、とも僕は思っていた。
もしここでニノが正気に戻って片寄ゆらの殺害を断念し、アイへの確執を捨てるというなら。
僕如きが小細工したところで他人の人生を左右できる器ではなかったと諦められる。
……アイの死は、僕のせいではなかったと信じられる。
それでも僕は、その救いを受け入れるわけにはいかない。
受け入れてしまえば、星野アイの物語はそこで「過去」に変わる。
どんなに眩い星であっても、時が経てばその記憶は人々の中から色あせ、剝がれ落ちて、劣化して消えていく。
このまま何もしなければ。
アイの記憶が、
アイの輝きが。
アイの「代役」で塗替えられて、上書きされて、消える。
僕の中から、星野アイが消えてしまう。
怖い。
悲しい。
だからこそ僕はやらなくてはならない。
たとえまた
星野アイの物語を終わらせないためにも。
ここで片寄ゆらは、死ななければいけないんだ。
どうやらニノの選択は、僕にとってのターニングポイントにもなりそうだった。
「……アイの記憶に囚われながら生きるか、決別するか。選ぶのは君だ」
そう言って、僕は運命の選択をニノに丸投げした。
アイが死んだ、あの日のように。
……待つこと一時間、ようやく僕達が待ち伏せしている場所に片寄ゆらが現れた。
「おーい!ゆらさーん!!」
崖の下から、片寄ゆらに向かって声をかける。
「あれ?ミキさんじゃん。ミキさんもこっちに来たの?」
「ええ、ゆらさんと話をしているうちに僕も行きたくなって!いいですよね、ここ!空気も綺麗だし、緑も多いし!!」
高低差が10メートルぐらいある崖の上に立っている片寄ゆらにも聞こえるように、腹式呼吸を使って大きめの声を出す。
ホストの時といい、若い頃に覚えた演技の技術をロクなことに使っていない気がしたが今更だ。自分が下衆なのは自分が一番よく理解している。
「思ったよりも人少ないですね!この山!!」
「そだね!この山に生えてる木って紅葉しない木ばっかだし、観光目当てで来るタイプの山じゃないよね!緩急きつい斜面もあるし!!」
彼女は崖の手前でしゃがみ込んで僕のほうを見ながら雑談に応じてくる。
好都合だ。これなら彼女に気づかれずにニノが接近出来る。
「そういえばこの山で面白い写真が撮れたんですよ!今からメール送りますから、見てもらえませんか!?」
僕は片寄ゆらにメールを送るふりをして、ニノにメールを飛ばす。
『チャンスだ。選べ』
本文にそう書きこんで、送信ボタンを押す。
あくまで結果はニノに選ばせる。彼女が判断を迷い過ぎて片寄ゆらが逃げてしまえばそれまでだ。でもどんな結果になろうとも、僕はそれを受け入れる覚悟は完了している。
さあ選べ、ニノ。
君は僕の「共犯」なんだろう?
「送りました!届いてますか!?」
「んー?届いてないよー!?」
片寄ゆらがポケットからスマホを取り出してメールを確認するが、当然ながら写真は届いてない。
彼女は完全にスマホの反応に気を取られていて、後ろを気にするそぶりは全くない。
「もう一度送りまーす!」
スマホを覗きこんでいる片寄ゆらの背後にニノが立っているのが見えた。
さあ行け、ニノ。
お前がこの物語の結末を、決めるんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ニノは足音を殺しながら片寄ゆらに近づいて、その背後に立つ。
片寄ゆらはスマホを凝視していて、ニノが後ろにいることには気づいていない。
その背中を少し押すだけで、殺れる。
星野アイが永遠に最高のアイドルで居続けるためには、この女を消すしかない。
だがニノは、この期に及んでギリギリのところで一線を踏み越えるかどうか迷ってしまった。
迷いで一瞬だけ気を逸らしたタイミングでニノは小石を踏んでしまい、片寄ゆらの後ろで小さな足音を立てる。
ニノの足音に反応して片寄ゆらが後ろを振り向いた。
ニノと片寄ゆらの視線が交差し、お互いに見つめ合う。
片寄ゆらの顔はアイに全然似ていないのに、覗き込むと惹き込まれそうになる綺麗な瞳だけはアイにそっくりだった。
ニノの中で、アイの姿と片寄ゆらの姿がダブる。
片寄ゆらに重なったアイの幻は、生前と変わらない完璧な笑顔でニノに向かってニコリと笑ったかと思うと。
一瞬のうちに、血のゼリーで作った人形のような不気味な姿に変わった。
『ねえニノ』
「ひっ……」
星のように輝いていた瞳が消滅し、暗闇だけを映した虚ろな眼窩でニノを見つめながらアイの形をしたナニカが語りかけてくる。
『あなたのせいで私、こんな姿になっちゃったよ』
「いやぁあああああ!!!」
恐怖でパニックになったニノは、アイの姿をした怪物を全力で崖に向かって突き飛ばした。
その幻に重なっている片寄ゆらと、一緒に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――生きてますか?」
僕は目の前に落下してきた片寄ゆらに声をかける。
彼女は辛うじて生きているが、岩の上に頭から落ちてもう虫の息だ。まもなく死ぬだろう。
片寄ゆらの手元には画面の割れたスマホが転がっていた。ああ、これも後で処分しないと。
「言ったでしょう?足元に気を付けてって」
「……人、殺し」
その言葉を最期に、片寄ゆらの瞳から光が消える。
それが、彼女の遺言になった。
「……光が、消えた」
片寄ゆらが、死んだ。
ニノが殺した。
僕が殺した。
僕の計画通りに、僕の望まなかった結果になってしまった。
「……また一人、奪ってしまったよ。アイ」
姫川愛梨。
上原清十郎。
菅野良介。
片寄ゆら。
そして――星野アイ。
みんな僕のせいで死んだ。
僕が――殺した。
泣くな。
笑え。
演じろ。
もっと邪悪に。
人を食らい、血の味に酔う悪鬼のように。
お前は星野アイの物語の
悪役は悪役らしく、もっと堂々としてないと観客が怒りと憎しみを抱けないじゃないか。
「……」
そうして悲劇のヒロイン気分に浸ってた僕だったが、片寄ゆらの身体からアンモニアの匂いが広がるのを感じて正気に戻る。
ああ、まただ。
これはリョースケの死体から漂っていたのと同じ死臭だ。
どんなに美しい人間でも、どんなに才能に満ち溢れた人間でも、死んでしまえばただの糞の詰まった肉袋か。
輝いた姿のまま永遠の思い出となった、アイとは大違いだ。
「……君はアイじゃなかったんだね」
僕の中から、情熱が冷めていくのを感じる。
これでいい。
これでもう、片寄ゆらの影に怯えなくて済む。
――片寄ゆらを、愛してしまうことに怯えなくて済む。
僕は片寄ゆらの遺体を土の中に埋めて彼女のスマホを回収した後、崖の上で泣きじゃくってるニノを連れて山を降りた。
山から降りて片寄ゆらのスマホを処分し、ニノを自宅に送った後、僕は自分の会社の事務所に戻った。
理由はない。ただそんな気分だっただけだ。
気の向くままに事務所のあるビルの前まで行くと、部屋に明かりがついているのが見えた。
もう夜も遅いというのに仕事熱心な社員もいたものだ。
誰が残っているのか少し気になったので、事務所まで足を運んで部屋の中を覗くと
「やあ、目的は達成出来たかい?」
事務所の中で、フェレスが待ち受けていた。
「……子供は寝る時間だよ」
「用が済んだら帰って寝るさ。それはそうと酷い顔してるよ、君。顔色が真っ青でまるで死人のようだ」
「疲れてるんだよ。ほっといてくれ」
人の神経を逆撫でするこの生意気な少女に向かって僕はぶっきらぼうに返事を返す。
僕はこのとき、気まぐれを起こして事務所の様子を見に来るんじゃなかったと少し後悔していた。
「私は悪魔だけど、罪を背負った仔羊の懺悔ぐらいは聞いてあげられるよ。もちろん秘密は守る。悪魔という存在は契約には真摯だからね」
「なぜ君は僕に付きまとうんだ」
「星野アクアにしつこく付きまとってたくせに最後に見殺しにしたあの馬鹿烏と違って、私は君の最期を見届けると決めたからね。まあ、これは私のエゴだよ」
相変わらずこの少女は何を言ってるのかよくわからない。
トリックスターを気取っているのか、はたまた本当に狂人なのか。今の僕自身、昼間に山の中を歩き回って疲れているせいかあまり頭が回っていない。
もはや何かを考えること自体が億劫だ。
「君に僕の何がわかるっていうんだ」
「何でも知ってるわけじゃない、知ってることだけ……と言いたいところだが、君のことはそれなりに分かってるつもりだよ。
例えば今日は、星野アイが死んだ日の事件を再現するためにニノと組んで片寄ゆらを殺しに行った……とかね」
人を食ったような笑顔を浮かべながら、お前のやっていることはお見通しだぞと言いたげな表情で銀髪の少女が語り続ける。
ああ、鬱陶しい。イライラする。
「それで?僕が片寄ゆらを殺す動機は?」
「朧気になってしまった星野アイの記憶を呼び起こすために。つまり、君は菅野良介の起こした殺人事件を再現すること自体が目的だったのさ。殺す相手は誰でもよかったんだ」
「随分と的外れな推理だね」
僕は自信満々に間違った推理を披露した少女を鼻で嗤う。
彼女がテレパシー能力を持っているわけじゃないことが分かって少しだけ安心した。丁度いい、懺悔を聞いてくれるというならすべて吐き出してしまおう。
もう僕は疲れてしまったんだ。
目の前の小さな悪魔に愚痴と弱音を吐くぐらい誰も気にしないだろう。
今ならきっと、神様だって僕のことを忘れているさ。
「忘れたから殺したんじゃない。忘れたくないから殺したんだ」
君には分からないだろう。
片寄ゆらの姿が、星野アイの姿に重なるという恐怖を。
僕の記憶の中にあるアイの笑顔が、片寄ゆらの笑顔に変わっていく恐怖を。
分かってたまるものか。
僕にとって、アイは僕の全てだ。
笑いたければ笑え。憎みたければ憎めばいいし、殺したければ殺しに来い。
でもこの想いだけは。
この感情だけは僕だけのものだ。
たとえ誰にも理解されることはなくても、何を犠牲にしてでも僕はこの想いを捨てるつもりはない。
このアイへの想いこそが、僕そのものなんだ。
「……そうか。君はターニングポイントを乗り越えたんだね」
推理を外して怪訝そうな顔をしていた少女だったが、やがてその顔はいつも浮かべている薄ら笑いよりももう少しだけ感情の籠った柔らかい表情に変わる。
「胸を張るといい。君の意思が、君の選択が【推しの子】の結末を今、変えたんだ」
「うるさい、黙れ。お前に何がわかるんだ」
口では彼女のことを罵っていたが、この薄汚い人殺しの僕を責めることもなくただ話し相手になってくれる少女に対して僕は少しだけ心の安らぎを感じていた。
【ルート分岐】
片寄ゆら殺害時、星野アイの記憶を失っていた場合
⇒原作再現ルートへ
片寄ゆら殺害時、星野アイの記憶を失っていなかった場合
⇒「IF」ルートへ